▼ランチ 二つの喫茶店
「パンケーキとホットケーキ、どっちがいいですか」
究極の二択を問われたのはアネモネです。マスターがボウルを抱え、泡立て器を握った状態でアネモネに問いかけています。アネモネは深刻な表情をします。どちらがいいかと聞かれても、どちらも魅力的なのです。即答できるほどどちらかに何かが欠けていたり、特徴的であったりするわけではありません。
ただ、悩み抜いてからアネモネは答えます。
「パ……ホットケーキ!」
「……なら砂糖を使いますからね。見た目は文句を言わないこと。写真は撮らないこと。以上。待つように」
「はい! いつものお約束! 大丈夫よ!」
小麦粉や砂糖、ベーキングパウダーなどを計りながらボウルに入れ、卵や牛乳などと混ぜるだけといえば簡単なものですが、それをふわふわとしっとりと、自分たちの好みに近づけるには相応に繊細な作業です。真面目なマスターは、いつものレシピに書かれた数字の通りになるよう計りの数字をしっかりと見守り、決して雑な作業をしませんでした。
結果、相応にふわふわとしっとりとしたホットケーキが焼き上がります。一枚、焼き上がってすぐのものをお皿にとって、真っ先にアネモネに渡してくれました。アネモネは「いただきます」と受け取り、フォークを自分で探し出してきてからそれを一口、ほっぺの中に詰めるのでした。
「ふかふかで美味しいわ。いつも通り。別にマスター、料理下手じゃないもの」
はちみつやメープルシロップ、ジャムなどをアネモネはありったけ出してきて、カウンターにずらりと並べて少しずつそれらをホットケーキの上に乗せて食べていきました。しばらくして、マスターから返事がありました。
「でもコンプレックスなんですよ」
マスターは二枚、三枚、と焼いていき、都度アネモネの皿に乗せていきました。これが続いたらお腹いっぱいになっちゃう、と彼女が思った辺りで、彼女はもう一枚お皿を出してきて、自分の皿に乗ったホットケーキをそちらに移しました。マスターの分です。温かいうちに、とバターを小さく切ってその上に乗せてくれました。
「褒めてあげてるのに素直に受け止められないの、マスターらしいわ」
一方、フライパンが働いている間は手が空くマスターの手は、別の小さなフライパンでウインナーを焼いていました。レタスをちぎっただけの簡単なサラダの上に乗せるのです。そんな風に調理を進めながら、マスターは言います。
「一人だったらこんなこともしないと思いますよ」
こんなこと、というのはホットケーキやサラダを作ることでしょう。アネモネにもそれはわかりましたが、何故そんなことを言うのかはわかりませんでした。
「私がいるから、気を遣っているの?」
「さあ。それすらもわかりません」
「私、カフェアリーヌのお店でご飯してくることもできるから、マスターが疲れちゃうのならそうしてもいいのよ?」
「オーナーさんに負担がかかるようなことはしたくないので、可能な限り今のままでいいです」
最後の一枚を焼き終わったマスターは再び、アネモネの皿にそれを移そうとしたのでアネモネは手でそれを制しました。そうしてやっと自分の分の皿があることに気づき、上に重ねるように最後の一枚を乗せました。
マスターはカウンターの中から出てきて、その皿が置かれた席に座り、「いただきます」と手を合わせました。
「食事を大切にしている物語の登場人物も、世界にはたくさんいます。見習わなくては、物語を追う資格も無くなるというものです。だからこれでいいんです」
マスターは一口ホットケーキをかじってから、バターをもう一かけ乗せました。アネモネの皿はあと一ピースでなくなるという具合です。アネモネはフォークを握ったままではありますが、マスターの顔を見つめながら言います。
「いろんな物語があって、いろんなキャラクターがいるわ。それら皆と同じであろうとする必要はないんじゃないの?」
「かもしれない。けれどリスペクトはしたい。そう思うのも、自然ではありませんか。可能な限り良いものを真似たいですからね」
「そう、そうなのね。良い悪いはわからないけど、美味しいホットケーキが食べられるのは嬉しいことだわ。こういうときはマスターにであってもお礼を言わなきゃ。ありがとう」
「……こちらこそ」
僅かでしたが、マスターはアネモネに微笑みかけたのでした。
~・~・~
「そのぐらいかしら。食事どきにマスターと喋っていることなんて」
アネモネがそんな話をしていたのは、草原の真ん中に建つ喫茶店のオーナーであるカフェアリーヌと、紅茶を楽しんでいる合間のことでした。アネモネは二つの喫茶店を行き来し、それぞれのオーナー・マスターと話をしているのです。ですがアネモネは、白い世界のマスターの方とはそんなに仲が良いわけではありません。ですがどうやら仲が悪いというよりも、話が弾まないことが多いようなのです。
「食事どきぐらい、マナーに配慮した範囲で会話は弾むべきなのにね。そのほうが食事も美味しく感じられるでしょう」
「うーん。だからこんな感じで喋ることはあるけど……基本的には話題がないのよね」
二人とも同時に紅茶のカップを傾けた後、お茶菓子として用意したマドレーヌを食みます。味わいながら、会話は続きます。
「マスターとのご飯、そういう意味では好きじゃないわ。まずいご飯を出されるよりはよっぽど良いのだけど」
「話題ならつゆ草さんが振るべきねえ。でも彼がそういうの苦手なのも知ってるから、複雑。あの子、一人でショートブレッド齧っているのが性に合っている子だもの」
「ショートブレッド、って、おやつの?」
アネモネは指で細長い四角を作って、顔の前で掲げます。オーナーさんは頷き、補足します。
「そう。あれに、人に必要なエネルギー……マナの類を混ぜ込んだクッキーバーがあってね。あの子それで済ませちゃうような食生活だったのよ。元々はね。でもそれを心配して、私がお節介焼いたから。昔のことだけど。それがあって、食事はきちんとしようと思ったりしてるんでしょうね」
「へえ。……マスターなりに色々考えちゃってるのね」
「考えちゃってるわね。貴女のためでもあり、自分のためでもある。だから、適当に済ませずに毎日何かしら用意だけはしてくれているんでしょう。アネモネちゃんも、それに対しては『ありがとう』って言わなきゃ駄目よ。一回きりじゃ、つゆ草さん拗ねて何もしなくなっちゃう」
「……わかったわ。こまめに気持ちは伝えなきゃね」
アネモネは納得したように頷きます。まだまだ子供だと言われがちなアネモネにとって、早く大人の対応ができるようになりたいと願うのは自然なこと。こまめに気持ちを伝えていくのも、大人の作法の一つと感じたようでした。
ただお喋りに花を咲かせたいアネモネの気持ちは変わらないもので、今このときが長くあるよう、他愛のない話が続いていました。
「カフェアリーヌだったら、今日の夕飯何にする?」
「そうね……グラタンとか食べたい気分かしら。いまホワイトソースとかも作るの意外と簡単なのよ」
「美味しそう。うちのマスターだったら無理無理って初っ端から諦めちゃってるわ」
「得意不得意はあるから。逆に、つゆ草さんが作るもので美味しいものって何かあるんじゃない?」
「マスターの作るもので、ってジンジャージャム以外でしょう。……そうね、卵焼きかしら。具沢山にしてくれるの。ずっしりとしてて、甘みも塩味もきいてて、あれは好きかもしれない」
「なんだか、性格出ちゃうわね」
「本当にそう!」
外は既に夕暮れが訪れていました。楽しんでいた紅茶も、お茶請けのマドレーヌの皿も、随分と前に空になっていました。アネモネは立ち上がり、にっこりと微笑みました。
「カフェアリーヌ、私やっぱりお夕飯はマスターと食べるわ。何か楽しい話ができるように、私が気配りしなきゃいけないのよね」
「そうね、それだと丁度よい料理のお礼になるはずよ。頑張ってね」
「ええ、ありがとう! 今日のお紅茶も美味しかったわ。また来るわね!」




