▼シティ 三種の空瓶
「顎を引いて。そうして歩くだけでも見た目は変わる」
「……わかったわ」
それは、中央都市だからこその人混みでした。大陸の中心部、いつものオーナーさんの喫茶店からは遥かに遠い場所に、アネモネとロアの二人はやってきました。
人前に出てはいけないと言われ続けたアネモネにとって、その人の数と波は初めての体験です。彼女にとっては珍しくも、好奇心以上に緊張のほうが勝ってしまっていました。おどおどとしているアネモネに、ロアが優しく声をかけたのです。ですが小さすぎる声ではかき消えてしまうほどの雑踏です。しゃがんで耳元で囁こうにも、下手に立ち止まれば後ろから突き飛ばされてしまうほど。だから一言だけ伝えて、まっすぐ目的地に向かって歩いていきました。
行き交う人々の会話や、その人々が来ている洋服、人影達の向こうに見える建物や露店。アネモネにとって興味の対象は勿論たくさんでしたが、今はここを切り抜けることだけに集中して、ロアの手を握りながら足を前に出しています。
普段禁じられているような人混みの中にでかけていったのには、勿論訳がありました。それはオーナーさんの喫茶店にアネモネが訪れた日のことです。
「試験を受けておくといいって言われてね。記念受験程度だけど、やってみようかしらって」
「魔女の試験って、何だか言葉だけでドキドキしてきちゃうわよね……!」
封書の中から取り出した一枚のチラシを片手に、オーナーさんがアネモネに事情を話してくれました。机の上には、真新しい本が沢山。いずれも魔術に関する初心者向けのものだそうです。
「でも私は店のこともあるし、簡単にはいかないものなのよ。そこでアネモネちゃんにお願いしてみようと思って。今、いろいろな所にでかけて行って見聞を広げているんでしょう? ならちょうどいいかと思って」
本棚から使い慣れた地図を取り出し、オーナーさんはとあるページの中心部を指しました。
「お友達――ロアと一緒で構わないわ。大陸の中央都市にある大聖堂。そこの聖職者たちが作るものが売られているお店があってね、そこでのお使いを頼まれてほしいの」
「お使い? 行く、行くわ! で、何を買ってくればいいの?」
そういって快く承諾した結果、今アネモネの手元にはオーナーさんから渡された買い物メモが握られています。人混みの中何度もなくしてしまいそうになりながらも、今はきちんと両手で握られています。
二人は人混みをなんとか抜け、聖職者の集まる大聖堂までやってきました。その近くに目的の店はあります。ですがアネモネは思わず、その厳かな建物に見惚れてしまいました。真っ白な壁に青い屋根。草原の中心に立つログハウスとは全く違います。
「こんなに大きいのね。屋根があんなにとんがっているのも、写真で見たとおりだけど、実際に見てみると全然印象が違うわ」
「引きで見る画と足元から見る画は違う。印象も変わるだろう」
「うん。これでマスターにもカフェアリーヌにも『見てきたのよ』ってちゃんと言えるわ。ありがとう、ロア」
「なんの。それに目的はこの後だろう」
「そうね! おつかいちゃんと果たさなきゃ」
店内をぐるりと見渡します。丸いドーム状の店で、ガラス張りの天井からは太陽光が美しく差し込んでいます。店の中央には大きな木が植わっており、枝葉の擦れる音がさやさやと、人の話し声に混ざって聞こえてきます。売られているものは様々で、焼き菓子や飲み物のような人が口にするものもあれば、ペンダントや祈りのための道具などもありますし、大型のペットの為の洋服や武具なども置かれていました。全て聖職者の手で作られた物と知っているアネモネは、あれこれ手にとっては素直にその種類や質に驚いていました。
しかし、目的の品が見つかりません。ロアが店員の聖職者に尋ねました。
「魔法用の素材が欲しいんだが、見当たらない。どこに売られているだろう?」
「ああ、店先には出していないんですよ。危ないですからね。仰って頂ければお持ちしますよ。何が入用でしょう?」
「ならば、アネモネ」
ロアは隣に並ぶアネモネを促しました。ロアの言葉を引き継ぎ、アネモネは一生懸命にオーナーさんからのメモを読み上げます。
「えっと……全部空瓶なの。上級ポーション用の、三角で赤い蓋のものと、天上の秘薬用の、羽細工のリボンが付いた……水色のね。最後に夕暮れの試薬用の、取っ手付きの金飾りがついたもの。この三つ! それぞれ一つずつ、お願いします!」
「なるほど、魔女様のおつかいなのですね。承知しました、少々お待ちください」
店員の聖職者は店の中央――大きな木がある方へと向かって行きました。
アネモネは一気に喋ったことで息苦しくなったのか、わずかばかり咳をしてから、深呼吸しました。緊張していつも通りの呼吸ができていないかったようです。
「ロア。私ちゃんと言えてたかしら……」
「言えていた。全く問題ない」
それを聞いてアネモネはほっと安堵しました。しばらくしてから店員がかごを抱えて戻って来ました。そこには、美しい瓶が三つ並んでいます。
「おまたせしました。上級ポーション、天上の秘薬、夕暮れの試薬。それぞれの専用ボトルになります。丈夫で割れにくいですから、持ち運びには問題ありませんが、指定の薬品と違う液体を注いでしまうと内容が変わってしまうので、その点だけお気をつけ下さい」
「ありがとう……ございます!」
「いいえ。試験のご武運を願っておりますと、魔女様にお伝えくださいませ」
そうして紙で包まれた三つの小瓶をアネモネは受け取り、今日のために持ってきた大きな鞄に大事にしまい込むのでした。
ロアも「よくできました」とアネモネの頭を撫でました。人前で子供扱いされてしまったことにちょっとだけ膨れ面をしましたが、悪い気はしませんでした。出来ることと知れたことがこれでまたひとつずつ増えたのです。
「さて、今度は私達の買い物」
「私達の? 何かあったかしら?」
「聖職者の作るクッキーはシンプルながらに美味しいもの。どれか買っていこうじゃないか」
「本当!? たくさんある中から選べるってとっても嬉しいわね!」
小瓶の入った鞄を両手で大事に抱えながらも、クッキー選びに夢中になるアネモネでした。
~・~・~
「お使いとお土産のクッキー、ありがとう。よくできました、って言わなきゃ駄目ね」
「わざわざそんなこと言わなくたっていいのよ! だっておつかいなんだもの」
「ふふ、心強い。さて、買ってきてもらった瓶が試験管代わり。ポーション作る練習して、完成したらそれに詰めて納品するのよ」
「ポーションってどうやって作るの?」
素朴な疑問をぶつけます。アネモネはポーションを飲んだことがありません。ですから机上の知識だけで実物についてをほとんど知らないのですが、ポーション会に参加した経験があるオーナーさんはどんなものかよく知っています。その上で答えました。
「紅茶と同じよ」
「紅茶と一緒……」
「素材をブレンドさせて、お湯とかで抽出させる。私が知っているのはそういう物。だから私も挑戦してみたくなったの。面白そうだと思わない?」
「そうね、そう考えたら全然怖くないし、カフェアリーヌならむしろ得意そうだもの!」
「だと嬉しいわ。そんなわけで、瓶を確かめさせてね」
包装紙をはずして中にある瓶を取り出します。全部で三種、いずれも指定した通りの品が入っています。ポーションにはそれぞれ専用の小瓶が必要で、指定されたもの以外の瓶に詰めてしまうと、中身が変わってしまう恐れがあるのです。ですがオーナーさんは店を離れて売られている場所まで買いに行けない身。通販という手段も、この世界やこの品については広まっていません。お使いの手があったことが幸いだったでしょうか。何とか手に入れることが出来ました。
「うんうん、メモに書いたとおりの瓶ね。どれも装飾が凝ってるわね。これに入れたら確かに格も上がりそうだわ。繊細な見た目の割に素材は頑丈。作り手の腕がいいんでしょうね」
「そう! そうなの! 私も見てて綺麗だなって。こんなのが売られているだなんて思わなかったのよ。全部可愛い!」
「瓶だけでもインテリアになりそうよね。しばらく窓辺に飾っておこうかしら。中身が入ってなければ、品質変化とかも気にしないでいいしね」
そういってオーナーさんは窓際の飾り棚に、三つの小瓶を並べて置きました。陽の光を受けて、周りに馴染むように輝いています。桁外れな眩しさと異なり、それは日常に溶け込む美しさだったのです。
「綺麗だわ。私ね、ポーションのこと、ちょっとだけ調べたの。誰かの病気を治したり、より健康になるために飲むものなんでしょう。だったら仰々しすぎたり、派手すぎたりしたらいけないんだと思うの。だからこんな風に、窓辺においていても違和感がないんだわ」
「かもしれないわね。私もその中に入れるもの作るんだもの。誰かの日常にそっと添えられるようなものが作れるようにならなきゃね」
「……そうよね、頑張って。応援してるわ!」
オーナーさんはその言葉を嬉しそうに受け取り、今日はポーションではなく、いつもの紅茶を淹れてくれました。カップに注がれる金色は暖かく、小皿に添えられたアネモネのお土産のクッキーは少しだけ誇らしげでした。
それをお供に、オーナーさんはアネモネに、大陸最大の中央都市に行った感想を尋ねました。
「人がたくさんだったわ! それに何もかもが大きかった! 気になるものもいっぱいあったの。でも……」
「でも?」
「怖くなっちゃったの。聖堂のお店以外見て回れなかったのよ……また行こうと思えば行けるのだけど、怖くって足踏みしちゃう」
「怖い、ね……それはちょっと困ったかしら」
「どうして?」
クッキーを一口噛りながら目をそらしているオーナーさん。アネモネは心配そうな顔でそれを見ています。
「アネモネちゃんの夢は何だったかしら」
「旅人さんに道案内をするための観光案内所を作ることよ」
「それは、どこに?」
問われ、あっと声を出すアネモネ。そうです。大きな街に作りたいというのが、彼女のたっての願いだったはずなのです。アネモネが怖がり、なんとか人混みを切り抜けるので必死だったあの街が、この世界の中心。そこに店を構えようというのが、彼女の夢です。そのハードルの高さを、アネモネは今知ったのです。
「そういうことなのよ。あの大きな街に、店を持つということ。どう思った?」
「……無理だわ。少なくとも、今の私には」
アネモネは一気にしょげてしまいました。怖い、という気持ちがたくさんの場所で、いつもどおりの道案内ができるわけがなく、それを自覚したアネモネは突然無力感に苛まれてしまったのです。がっくりと項垂れます。オーナーさんもその気持ちには相槌を打ちつつも、闇雲な言葉を投げかけたくなく、少し間をおいて考えてから言いました。
「現実を見ちゃうとね。心は落ち込んでしまうものかもしれない。でも、そればかり見つめる必要はないの。だから、大丈夫よ」
「本当?」
アネモネはしょんぼりとした顔のままオーナーさんの顔を見上げます。
「私を見てご覧なさい。魔女になろうだなんて言っておいて、現実はこんな辺鄙な場所で小さな店をやっているだけの女よ。アネモネちゃんはそれより大きな事をしたいんでしょう?」
「そんなつもりはなかったわ。でも、そういうことなのね……」
アネモネは想像しました。今オーナーさんが営んでいるこの店よりも、もっと人の行き交う場所で人が沢山訪れるような店を。自分にそれが営めるかどうか、今は尻込みするしかありませんが、いつかできるようになりたいというのが彼女の夢だったはずなのです。アネモネはそれを思い出しました。決意の眼差しでアネモネはオーナーさんに宣言します。
「カフェアリーヌ。私、貴女よりもすっごいお店、頑張って持てるようになるわ! ずっとずっと先かもしれないけど、夢はすぐ叶ってしまうよりも、ずっと胸でキラキラしている方がいいものって何かで聞いたわ。だから私、しばらく大事に持っておくことにするわ」
「そう、それならそれが一番ね。良かった」
オーナーさんは、嬉しそうな微笑を含んだまま、自分のカップを傾けていました。アネモネが自分の店を持つようになるのはずっとずっと先のこと。それを楽しみに、今は紅茶を嗜むのです。




