▼アネモネ フラワーフェアリー
それはハロウィンが来るより少し前の頃。
アネモネが花束に鼻先を近づけて、香りを嗅ぎました。
「このお花貰っていいの?」
「ええ、アネモネの花はまだ咲かない時期だから」
アネモネは、先日オーナーさんから花瓶を貰った際に「アネモネの花を育てておく」という約束を交わしてもらったのでした。ただ、それがすぐに叶うわけではありません。花には時期があるもの。今日は秋に咲く花を少しだけおすそわけしてもらいました。
「これ、コスモスね。かわいい」
「今日渡したのはピンクと黄色だけど、色んな色がある花だから、今度は別の色を渡せるといいなって思ってるのよ。実際に育てられるかどうか、まだわからないけどね」
「チョコレートコスモスとか、色々あるわよね! 私知ってるわ!」
「あらあら、物知りなアネモネちゃん。育て方も知っていたら教えて欲しいわ」
「うーん、育て方……ほら、私たちの喫茶店って、土もなにもない所でしょう? お花が咲くのかどうかわからなくて、試したことがなかったのよ」
アネモネは物知りであることをアピールしたいときは、それを胸を張って伝えますが、知らないことがあると恥ずかしそうに縮こまってしまいます。
「そういうものよ。大丈夫。ちゃんとうちに図鑑とかが置いてあるのは、こういうときに使うためだもの」
「カフェアリーヌの勉強の姿勢は立派よね。私も見習わないと。まだまだ知らないこといーっぱいあるんだもの!」
――そんな話をしたことを、オーナーさんは思い出しながら、その手はずを整えていました。
「そうよ。私なりに、勉強はしてるはずだわ」
一、二、三。掛け声をかけて両手を叩く。それだけの簡単なことに見えるかもしれないけれど、彼女の下準備は入念であり、その上バッチリでした。瞑っていた目を開いて、オーナーさんは微笑みます。
「本当に呼べちゃうものね」
それはオーナーさんの独り言でした。
オーナーさんの目の前には、小さな花かごを持った妖精がいました。にっこりと笑っている――かと思いきや、戸惑っているようで、キョロキョロと辺りを見渡したり、そばにいるオーナーさんの顔を覗き込んだりしているのです。
「魔女様から借りた魔導書、難易度がかなり低く設定されてるのね。私でもこんな気軽に妖精さん呼べちゃうんだから。それともお願い事が簡単すぎるからかしら?」
妖精はその言葉に首を傾げます。
「ああ、あのね。そこの花壇のお花を咲かせてほしいなっていうお願い事なの。頼まれてくれるかしら」
今オーナーさんがいるのは、喫茶店の玄関。近くにはまだ芽しか出ていない植物や、種を植えただけの状態の土の花壇があります。妖精はなるほどと相槌を打った後、両手をオーナーさんに向かって差し出します。
「そうそう、そうよね。対価が必要なのは何事も一緒。ちゃんと用意していますよ」
オーナーさんがエプロンのポケットから取り出したのは朝露の入った瓶です。花の妖精が飲むお水は、きれいな朝露でなくてはなりません。人の手で集めるのは大変ですが、ここは大草原の中心部。彼女には難なく集められるものでした。そういう意味でも、この妖精さんとの交流はオーナーさん的には初級編。初めてのミッションとしては適切なものだったのかもしれません。
妖精は瓶を嬉しそうに受け取り、蓋を開けて中身を少し手に取り口に含みました。満足そうにしています。妖精はその朝露のお礼に花壇の側に近づき、指を振ります。すると、芽だけだった植物たちが一気に花開き、花壇は満開の花々で埋まったのです。
「すごい。これが季節に問わずできるんなら、随分とこの店も華やかになるわ……!」
オーナーさんはしゃがみ込み、花壇の花々に顔を近づけて香りを確かめました。芳しい香りです。そして葉や花びらにわずかに触れ、その生き生きとした様を確認します。一から育てたものと大きな違いはありません。これも、妖精の力だからでしょうか。立ち上がってから妖精にお礼を言います。
「ありがとうね。またお願いするかもしれないわ」
花かごを持った妖精は嬉しそうに頷きました。しかしすぐに帰る様子はなく、しばらく花壇に咲いた花々の側で遊んでいるようでした。自分の力で咲いた花だからなのか、愛着を持っている様子です。
「さて、一部は卸せるか試してみるのと、あっちの花は……アネモネちゃん用」
今日妖精が咲かせた花は、花壇いっぱいにあります。ある程度間引きも必要ですし、花壇のすべてが店のフロントでお客様を迎えるわけではないのです。特に、花壇の端。アネモネの花を植えていた場所は、この店をよく訪れる動くお人形さんのための特等席だったのです。彼女に渡した花瓶に飾るための花です。図鑑を開きながら、オーナーさんは唸ります。
「ピンクのアネモネの花言葉は待望、待ち望む。……なるほどね? 白は純真無垢、希望、真実。うーん、こっちのほうがアネモネちゃんっぽいかしら。綺麗な白銀の髪してるものね。でもこれだけだと少し寂しいわよね」
妖精が飛んできてオーナーさんの側でアネモネの花を選ぶ様子を見守っています。ふふ、と笑ってオーナーさんは妖精に手を伸ばします。
「プレゼントにするお花なの。どれがいいかしら、一緒に選んでくれる?」
カラフルなアネモネの花々の間で、妖精は花びらをクッションに腰掛けています。ただ、しばらくしてからふわりとどこかに飛んでいってしまいました。挨拶など特になく、それはまたすぐに会えるからと言いたげな様子でもありました。
「成程。ちゃんとお礼を用意しておかないと、そっぽ向かれちゃうのは当たり前よね。今度はもっと沢山の朝露を採ってくるわ」
何輪かのアネモネの花を選定して、オーナーさんは店の中に戻っていくのでした。




