▼ホワイト 第四の壁の中
店の外からドオンッと大きな音が聞こえます。
ここは白い世界に建つ喫茶店。その中でロアが持ってきたお土産のチョコレートを頬張っているアネモネは、うっとりとその味に惚れ込んでしまいました。
「紅茶の味がするチョコレート……すっごく美味しいし、何より華やかよね。口の中でお花が咲いたみたい」
「気に入っていただけたなら光栄」
ロアは満足げに微笑んでいました。
しかし店の外では未だに叫び声や攻防の音がします。カーテンや扉が閉まった状態なのでそれが一体どういう状況なのか、二人には知る由もないのですが、ロアは扉の向こうを指差し、アネモネに尋ねます。
「あのシテンに道案内はしなくてよいのか」
「ああいう気性の荒い人たちの場合は、私じゃなくてマスターがすることになったの。この間のハンターさんの件で話し合ったのよ。森では稀だけど、この白い世界――『第四の壁の中』ではわりとしょっちゅうみたいだし。だから私達の出る幕じゃないけど、物騒よね。早く終わってくれないかしら」
わかったようなわからないような、不可思議な感覚のまま、ロアは首をひねりました。
「しかしそもそも、何故こんな何もない場所に店を建てた。カフェアリーヌの店以上に人が来ないのは目に見えているだろう。しかも厄介な客が来やすいとなれば尚更」
「……あのね、マスターは風が苦手なの」
「風?」
「強い風が吹くとね、マスターてば怖くて固まっちゃうのよ。雨なんか降ってたらもう最悪なの。そよ風程度なら心地好いでしょうけど、ちょっと強く吹くとそれだけで駄目。それで、扉を開けるとき以外風が吹かないここに店を建てたのよ」
お店に閉じこもっていれば関係ないかもしれないけど、と付け足しつつでした。
アネモネは話している間、紅茶のチョコレートに合う飲み物はなんだろうと冷蔵庫を開け締めしていました。最終的にホットミルクという選択に落ち着き、鍋でゆっくりと温めています。
「だから話してたのよ。マスターの前世はきっと風属性と反対側の属性持ちだったり、風使いさんに虐められたりしたんじゃないの、って」
「シテンにも前世があるか」
「あるわよ。マスター言ってたもの。ただの人がシテンに昇華する瞬間の物語を読んだことがあるって。シテンてそんなに不思議な存在じゃなくて、意外と身近なのよね」
「そうか。勉強になる。しかしだ。私がただここに座って、アネモネの話を聞いているだけというのも変な話。アネモネがウェイトレスというのなら、私は何をすればいいだろう」
ロアはただお客様としてここに座っているわけではありませんでした。マスターにアネモネと共に店番をすることを託されているのです。店番をするのであれば、お客様が来たときに何かができなくてはなりません。それこそ、アネモネのウェイトレスのように。
「そうよね。うーん、ロアが得意なことって何か無いの?」
聞かれたロアは自分の両手を広げてじっと見つめます。彼女は海を起源とする存在ですが、水かきなどは特についていません。人と同じような手のひらです。それをぎゅっと握ってからアネモネに言います。
「泳ぎ以外の得意なことで構わないのなら、キッチンに立つことは出来る」
「へえ! お料理得意なのね、何か作れるものは?」
「レシピさえあれば料理なんてのは容易いものだよ。あとは有り合わせをなんとなく、など。船旅では必須だった。此処ではマスターは料理をしないかね」
「するわよ。でもレシピの読み間違いしちゃったり、綺麗に盛り付けができないからってちょっと諦め気味なの。私にやらせてくれたら、ちょっと小洒落た装いくらいすぐにできるのに!」
「アネモネが中々調理の許可を貰えないのは、少し背が足りないというだけだろう」
「そうね、私もお料理上手になりたいわ。身体が大きければできるんだとしたら、ちょっと自分のこと嫌になっちゃうわね。それも良くないわ。でもロアが料理してくれるなら、その心配もないかしら」
本棚の近くに駆け寄ったアネモネは、数冊の本を抜き取り、カウンターまで持っていきます。
「絵本みたいに可愛いレシピ本もあるし、漫画みたいに面白いレシピ本もあるわよ。料理が得意な人の自分語りが多いレシピは……ちょっと苦手かしら。でもどれも美味しそうなの。これをロアが作れたら、きっとお客様たちも喜ぶと思うわ!」
「そうか、どれ。練習してみるのも一つ。何かリクエストと材料さえあれば、今からでも」
黄色の長い髪をひとつに結わえてから、レシピ本をパラパラとめくります。
「私ナポリタンがいいわ! カフェアリーヌのお話聞いてから、食べたくなっちゃったの」
「……麺を茹でて具材と和えるだけだ。難しくもない。やってみようか」
アネモネからキッチンのどこに何があるかを教わりながら、ロアはそれを几帳面にメモにとっていきました。
そうやって話している間に、いつの間にやら外は静かになっていました。息せき切らしているマスターが店の中に戻ってきます。
「疲れた……ロア、僕にもなにか」
「であればまずは水を飲むがよい。その後に滋養に効くという薬を」
「ドリンクとかフードじゃないのか……」
「マスターてば、私には敬語なのにロアにはそうじゃないのよね。変なの」
マスターはロアがグラスに注いだ水を一気に飲み干したのでした。
それを横目にロアはレシピの中でも簡単そうなものに付箋を付け、ブックスタンドに立てかけてから手を洗います。マスターは何も言わずにそれを眺めていました。アネモネは期待や羨望といった眼差しでロアの動きを見守っています。とはいえ、難しくはないもの。ピーマンやウインナーといった具材を切って、軽く炒めるところからです。
「玉ねぎは入れるかね」
「欲しいわ! でも在庫なかった気がするの……」
「無いなら無いでも構わんのさ」
炒めつつ、別の鍋にお湯を沸かして塩をぱらりと入れます。ロアは二人分にするか三人分にするか迷ったのち、三人分のスパゲティを計り、お湯の中に入れて茹でました。数分待ちます。
「ケチャップが無くなるね。予備在庫はあるかな」
「あっ、確か奥にしまってあるはずよ」
「……ちゃんと管理・把握ができている。素晴らしいね」
「褒めてもらえたのかしら? それならとっても嬉しい!」
アネモネは新品のケチャップを取り出してきて、ロアに手渡ししました。調味料を合わせます。今回はケチャップとウスターソース、塩こしょう。いずれもアネモネからしてみれば、どこで買ってきたのかしらですとか、産地はどこなのかですとか、調べて回りたいもののはずなのですが、すべてマスターが街で調達してきているもののため彼女は詳細を知りません。ロアがキッチンに置いていった品の裏側をくるりとひっくり返して眺めるだけにとどめています。
ロアはその様子を微笑ましく見守りながらも、調理を続けます。合わせた調味料を炒めた具の中に入れてなじませ、最後に茹だったスパゲティを湯切りしてから中に入れ、絡ませます。一人で作るとちょっとしたものですが、ロアはアネモネの様子を見つつだったので、その時間があっという間のものに思えました。
ステンレス製の平皿を出してきて、そちらに盛り付けました。
「素敵! 本当に作れちゃうのね、私食べていいの?」
「勿論」
マスターもカウンター席に腰掛け、目の前のできたてにほうと感嘆します。
「……ナポリタンなら僕よりも適任のシテンがいるんだが、まあここには来ないだろう。僕が頂くよ」
「シテンにも食の好みがあるか」
「そりゃね」
無表情ではありますが、湯気を纏ったナポリタンを前に食欲をそそらない訳はなく、マスターはフォークで器用に麺を巻いて口に運びました。
「ああ、久しぶりに食べた気がする。美味いね」
「本当おいしい。できたてを食べられるのってキッチン前に座ってる人の特権よね」
アネモネもリクエストの品を堪能できて喜んでいます。ロアはキッチンで伸びをしつつ尋ねます。
「二人はカフェアリーヌの店で良いものを食べつけているのでは?」
その二人は一度アイコンタクトを交わし、首を横に振りました。それは意外だという反応をロアはしていました。
「私はいつも紅茶とお茶請けだけだから、ちゃんとしたご飯をあの店で食べたのってほんの数回よ」
「僕も同じく。紅茶はスタンダードとて、あの店のメニューは物語と等価交換する必要があるだろう。きちんとした物語を語れる者でないと、立派な食事はとれないんだよ」
「なるほど、アネモネはともかく、つゆ草の話は軽食程度ということか」
「失敬な言い方をするね」
話しながらもあっという間に平らげた二人の様子を見て、ロアはまんざらでもないという顔をしました。今後もキッチンに立つことになりそうです。それを見越したマスターから提案がありました。
「さて。ロア、君がキッチンに立つ機会が増えるのなら、エプロンとか必要なものをまた調達してくるよ。その格好のままでは良くない」
「……そうか、ならば私も付き合おう。仕入れに興味がある」
「ロアってばずるい、私も街には行きたいのに! マスター!」
頬を膨らせマスターの方を睨むアネモネは、プロミネンスルビーのお洋服を取り出そうと助走のポーズを取っています。しばし何も言わずそれを見ていましたが、マスターはため息をついて観念したように言います。
「仕方ありませんね、アネモネ。わかりましたから。私が留守番しますからロアと街で見繕ってきてください。散財はしないこと」
「やった! ありがとうマスター!」
「……ロアがいるから何とかなるだろうという算段ですからね。頼みましたよ」
マスターはロアの肩を叩きました。そしてメモ用紙を取り出し、簡単におつかいメモを作ってから彼女に財布と共に渡しました。ロアはぼーっとそれを受け取ったものの、意味を理解したときにはゆるりと微笑んだのでした。
プロミネンスルビーに着替えたアネモネと、コートを羽織ったロアは、突然じゃんけんを始めます。どちらの移動手段で街まで出かけるか、これで決めるのだそうです。今回はロアが担当になりました。
ロアがアネモネの手を引くと、ざっと景色が風の吹くように入れ替わり、そしてカフェアリーヌの店の前へ。今日はその扉はノックせず、そのまま街に向かって歩き出します。
ロアのおかげでちょっぴりだけ自由を手にできたような心地のしたアネモネ。今日の街では一体何を見つけるのでしょうか。
~・~・~
「やっぱり街は活気があっていいわね! 並んでいるものもどれも目移りしちゃったわ!」
大きな荷物を背負ったロアは、楽しそうに町並みを眺めるアネモネから目を離さないようにするのが必死でした。彼女は興奮して、すぐに走って色々な所に行ってしまうのです。マスターがあまり街に行かせたくないというのは、こういう性格もあったのかもしれません。ですが慣れてしまえば微笑ましいものです。ロアはアネモネの後ろについて街の散策をしました。ですがそろそろ夕刻。帰る支度をしなくてはなりません。
「さて、つゆ草には散財を止められていたものの」
「なあに?」
「街に来たからには氷菓子のひとつくらい食べて帰りたいのがヒトというもの」
「氷菓子! それってかき氷? それともアイスクリーム?」
「どちらがよいかね」
「選べるのならアイス! あのね、コーンに乗ったのが食べたいの……!」
「アネモネよ、それは床に落とさないと約束できる者に限っての承諾になる」
「そんな典型的なことしないってば!! 大丈夫だから、ねっ、お願い」
弾けるようにぴょんと跳ねつつ、ロアの腕をひっぱります。そんなロアが指差す先には飲食店が並ぶストリートがあります。そちらに向かえば、お望みのものは手に入るのです。ロアも問題ないといった顔をしています。
「ただね、ロア。その……私マスターに怒られないかしら? 私、お店の為の買い物以外したことないのよ」
「彼のことだから、呆れるだけかと。怒ることではあるまい。さて、どの店がいいかね」
「本当? それじゃあね……」
歩きながら店を探し、ここがいいとアネモネが言った先で、今度はメニューを選びます。シュガーコーンの上にストロベリーのジェラート。ディッシャーで形作られたものがアネモネの手にやってきました。ロアはハニーレモンのフレーバーを注文していました。
「美味しいー! ベリーの味もしっかりしてるけどミルクの濃い味もうっとりしちゃうくらいなのよ……ずっと食べてみたかったんだわ」
「アイスは初めてか」
「ううん、カフェアリーヌのお店で出てくることもあるし、マスターが業務用を買ってくることもあるわ。でも、どれもカップばかりだったから。これこれ、このコーンが食べたかったの」
さくり、ぱりん、と音を立てながら、アイスと共にコーンに噛りつきます。その絶妙な食感に、アネモネもとろけるような表情を浮かべます。その顔こそが満足だと言わんばかりに、ロアは手元のアイスよりもそちらを眺めていました。
もうすぐ夜。店に帰らなくてはならない時間ですが、二人はゆっくりとした時間を過ごしていました。
「ねえロア。今日このアイス食べたの、マスターには内緒?」
「内緒で良いのでは」
「じゃあ内緒ね、約束! もし今度来るなら、そのときは季節限定のが食べたいわ! シーズンフレーバーって魅力的よね……! 私達のお店のメニューにも、何か期間限定品でも出してみようかしら?」




