▽ルビー 間違いなんて言わせない
「大事はないか、アネモネ」
「……ありがとう。ちょっと怖かっただけよ」
地に降り立った二人は、共に怪我などがないか確かめ合いました。ロアは平然としておりましたが、アネモネは少し落ち着かない様子でした。わずかに俯いたり、かと思えば辺りをキョロキョロとしていたり、そしてその最中ですとんとしゃがみ込んでしまいました。
「いえ、ちょっとじゃないわね。すごく怖かった。……怖かったわ」
アネモネは目に大粒の涙をためて、それでもそれを零さないようにと唇を噛み締めました。
ロアはどうすればいいかと狼狽えるものの、再び彼女の背に合わせしゃがみ込み、そっと背中を撫でました。アネモネは思わずギュッと目を閉じ、涙をこぼします。ですが悔しかったのか、それっきりで済むようにと、自分のポシェットからハンカチを取り出して瞼に押し付けました。
「大丈夫、もう大丈夫よ」
アネモネは声色を無理に明るくさせ、そう言います。彼女が強がっていることを知っているロアは、アネモネの背を撫でている手をずっとそのままにしていました。
それがひとしきり落ち着いた頃、アネモネは言いました。
「道案内は私の役目よ。でも、マスターに押し付けちゃった。悔しい」
「怖がっていては何もできまい。だからマスターの元へ送ったというのに」
「でも、マスターができる道案内と、今の私ができる道案内は大して変わらないのよ。マスターだって大変なはずだわ。帰らなきゃ、私達の喫茶店へ」
「今はまだハンターがいるかもしれない。戻っては君が危ない目に合う」
「もう怖くないわ!! 平気よ!!」
精一杯の強がりでした。ですがロアを見る目はまっすぐです。
「マスターのこと、本当は嫌いよ。でも互いに埋め合わせがきかない相手なんだもの。心配だってするし、気も遣うわ」
そういってアネモネはパスケースを掲げ、もう一度扉を作りました。念のためその扉に耳を当てますが、特に何も聞こえてきません。それを二人で確認してから、アネモネとロアは扉を再び開けました。今度はゆっくりと、静かに、です。
覗いた店の中央には、床に座り込んで水のボトルに口をつけているマスターがいました。足は投げ出され、結んだ髪がぐちゃぐちゃになっています。慌てて駆け寄ります。
「マスター、大丈夫? ……怪我してない?」
「ああ、アネモネ。ええ、撃たれたりはしていないですよ。貴女はどうです」
「私は何ともない……けど、それよりもマスターのほうが心配だったわ。本当に大丈夫なの?」
「ええ、特に怪我もなく。揉めましたけどね」
彼は首を大きく回しており、肩とともに沿ったときにはパキンと音がなりました。そして脱力。彼なりに苦労はしたようで、もう懲り懲りだという顔をしていました。
「シテンである以上、この店に来てそれを自覚しないことはない。道は教えましたから、なんとかあのシテンもヤドリギのもとに帰れたでしょう」
「本当? ……良かった」
マスターはアネモネやロアの方を交互にみやり、軽くため息をつきました。それは落胆のため息ではなく、満足げなため息でした。
「嫌な予感がするとしか言わなかったのに、よく二人だけでここまで対応してくれました」
「だってそんなの、自分のことよ。出来る限り自分でやらなくっちゃ」
「そう言いながら貴女は人の手も上手に借りている。私が見習わなくてはならないくらいですね」
「それ、カフェアリーヌも言われていたわ。おんなじなら、私嬉しい」
「喜んでいいと思いますよ。貴女の勇気に感謝します」
「ふふ、どういたしまして。もっと頼ってくれたっていいのよ?」
喜んでいるアネモネの後ろにずっと立っていたロアは、先程のアネモネの泣きべそを知っている分、それが微笑ましく見えました。思わず笑んだことにマスターが気づき、彼も彼なりに笑いました。
「ロアも、急なことなのにありがとう」
「動きやすい服を仕立ててもらった。だから思うように動けた。そのお陰」
胸に手を当て、得意げにしていました。
うまくいったご褒美にと、マスターは二人に小さなケーキをくれました。紅茶と共に楽しみつつ、無事に一日が終わったのでした。
~・~・~
マスターがご褒美にくれた小さなケーキは、オーナーさんのお店への差し入れと共にマスターがお土産に買ってきてくれたものでした。今日はそのケーキをオーナーさんに届けるミッションをマスターから言付かっています。
ケーキを届けたアネモネは、オーナーさんに今回の出来事のことを色々とお話しました。オーナーさんもそれを静かに聞いていました。
「あの日の銃声は私のところにも聞こえてきたわ。でも、ここで聞く分には小さい音だったから、どうしようかしらって。人ならざるものが増える時期。だから十分対策はしているつもりだったけど、今回はアネモネちゃんたちが頑張ってくれました。ありがとう」
「どういたしまして。ハンターさんは怖かったけど、ロアとは仲良しになれた気がするの」
「そう。大変だったけど、その分友達ができたのね」
「ええ。友達が増えたり、もっと仲良くなれたりするのって、すっごく嬉しいことよね! それに、カフェアリーヌがロアに色々お話してくれたんでしょう? だからロアはシテンのことを知っていたんだわ」
一気に話し終わったアネモネは、人肌程度に冷めた紅茶をぐっと飲み干しました。両手で持っていたカップをそっともとに戻します。オーナーさんは頬杖をつきつつ、それを見ながら一言だけ返します。
「私が喋ったのはほんの少しよ」
「そうなの?」
そうしてから気づいたように、アネモネは自分のウェイトレス服を見つめつつ、立ち上がってからスカートの裾を広げてくるりとターンしました。ですが表情はいつものような笑みを浮かべておらず、少しばかり戸惑っているようでした。
「気になってるの。仕立て屋さんもシテンだって、マスター言ってたわ。でも、ローブやマントでしっかり身を固めているから、お顔や姿が全然わかっていない」
そのまま席に腰掛けますが、オーナーさんがおかわりの紅茶を注ぐ様子を見つめるばかりで、次の言葉が浮かんでこないのでした。
「シテンというならつゆ草さんだって最初の頃はそうだったわよ。アネモネちゃんは、今何が気になっているの?」
「マスターも? ……そっか、シテンってそういうものかもしれないのね。それで、その、カフェアリーヌのところにも仕立て屋さんは来たことある?」
「ええ、このエプロンやチョーカーを仕立てて貰ったわ。感謝してる」
「その人も、姿はわからなかった?」
「そうね……ちらっと見える程度だし、ちょっとしたお話もしてくれたけど、ローブでほぼ見えなかったのは確かね」
「でも、怖くはなかったでしょう」
「ちっとも」
オーナーさんは優しい顔で肯定しました。アネモネはそれを受けて、ポシェットの中からクレヨンのような筆記具を取り出します。オーナーさんに紙は無いかと尋ね、オーナーさんが引き出しから取り出したそれを貰い、落書きを始めます。ローブを身にまとった人の絵を二つ並べて描いてから、うーんと腕を組んで唸ります。
「見分けがつかないのよね」
「え?」
「不思議よね。シテンには色んな人がいて、色んな姿かたちをしている。仕立て屋さんみたいに私が大好きになれる人もいれば、ハンターさんのように怖い人もいるわ」
「……そうね、一括りにはできないもの」
「そう、一括りにはできないから、大丈夫だとは思うのだけど……」
落書きの上に指を置き、それをなぞるアネモネの表情は浮かないものでした。
「あのね、この間お店に来た魔女様も、姿が見えなくて私にはわからなかったの。怖いか怖くないか、それすらよくわからなかった。けど、カフェアリーヌはやっぱり、魔女になるの? あの魔女様みたいになるの?」
オーナーさんの表情が変わりました。アネモネは聞きたいことをやっと口に出せたのはよいものの、その後をどうしたらよいかわからず、目をぎゅっと瞑りました。
「……この間の話、やっぱり聞こえてたのね? ちょっとタイミングが悪すぎた」
「勝手に聞いちゃってごめんなさい。魔女って、悪い人じゃないのはわかるけど、カフェアリーヌが遠いところに行っちゃうみたいで、そこだけちょっぴり怖いの」
アネモネの視線が膝の上に落ちます。オーナーさんの方をまっすぐ見ることができませんでした。
オーナーさんはそのアネモネの気持ちを汲み取りつつ、自分の気持ちを確認しました。自分の中で、魔女になるという選択肢のことをどう思っているのか。考えるために瞳を閉じてじっとしているので、アネモネもちらりと視線をオーナーさんの方に戻しました。怒っているのではないかと怯えていました。ですがオーナーさんはそうしてからゆっくりと尋ねるのです。
「アネモネちゃんは、前に『妖精を見たい』って沢山話していたじゃない。そしてあの日出会うことが出来た。妖精を知りたいという、あの気持ちはまだあるかしら」
「あるわよ! あるけど……ちょっと今は頷いちゃいけない気がするわ……だってそういうことでしょう?」
「ふふ。でも、私が魔女になる動機があるとしたら、そのくらいね。誰かのために何かをするっていうのが、人の基本。私が魔女の勉強をすれば、より妖精やこの世界の魔法を知ることが出来る」
「本当に、私やこの世界のためなの?」
「そうでなかったら、何度だって魔女様からのお誘いはお断りするわ」
あの日、魔女になるつもりはないというオーナーさんの回答をアネモネも何度も聞きました。ですが、今の話を聞いてしまうとオーナーさんは魔女になっても構わないのだと言っているように聞こえました。ですが、悪いようには聞こえません。
とんがり帽子に黒い衣装。魔女の格好をするオーナーさんのことを再び想像します。ただ、その表情や周りにいる人々のことまでは想像できていませんでした。平和で幸せなものであるならば、それが一番なのです。
「カフェアリーヌが魔女になるお勉強したら、今回のハンターさんみたいなシテンが来てしまったときにもっと早く事を知れるのかしら」
「……かもね」
「なら、私それを応援しなきゃいけないわね。この世界の平和こそ、何よりも優先されることだもの」
「大仰だわ。まだ魔女になるとはっきり決めたわけでもないのだしね」
「ううん。私が観光案内できるように勉強したいのとおんなじ気持ちなのよね。あのねカフェアリーヌ。私ロアと一緒だから、カフェアリーヌがお勉強したり、妖精さんとお話していても、平気よ! 寂しくなんてない。魔女になるのなら、私応援するわ!」
「……ありがとう。じゃあ、お互いに頑張りましょう。この世界のこと、より深く知るためにね」
「ええ、頑張るわ!」
そうして二人は指切りをしました。自分の目標が早く達成されますように。そしてこの世界のまだ知らない世界に飛び込む勇気を、互いに称えるように。ケーキとともに楽しむこの日の紅茶は、いつもとはまた違う特別な味がしたのでした。




