▽サファイア バウンティハンター
彼女がヤドリギの森の地形に詳しいのは、彼女がそこを遊び場としているからだけではありません。彼女はこの世界そのもの。自分自身のことであれば、隅々まで知っているのは当たり前のことなのです。
ですがその日のヤドリギの森での出来事は、彼女にとって「知らない」の連続だったのです。ですから彼女は戸惑いました。
「あれは、誰なの……? どうしてあんな人が」
彼女の視線の先には、大きな銃を構えて大きな奇声を上げている男がいます。アネモネには気づいていない様子ですが、道に迷っているようです。ガウンッ、と闇雲に空に向けて銃砲を鳴らすので、木々に留まっていた小鳥たちが慌ててその場を離れます。
普段であればこんな危ないことは起こりません。なんせ、人っ子一人いないのが普通の森です。アネモネはそれを知っているからこそ、混乱していたのです。迷子だったロアを案内したときのように、人と出会えたら嬉しいものだとばかり思っていましたが、今目の前にいる男からはそれを感じません。目を合わせたくない、見つかりたくない、その一心で、木の陰で身を潜めていたのです。
アネモネは、先日オーナーさんが魔女との会話の中で話していたことを思い出しました。
『もうすぐ、人ならざるものが増える時期』
ですがそれしか心当たりがなく、男が一体何物なのか、見当もついていませんでした。心のなかで独り言を呟きます。
「全然わからない。なんでも知ってる人なら、あの人が何のつもりなのかもすぐにわかるのかしら。悔しい。私今悔しいんだわ」
ぎゅっとスカートの裾を握ります。強気になりたいものの、彼女にとって知らないことが目の前にある状況というのは、想像以上に恐怖心を抱くものだったのです。攻撃的な人を目の前にしていますから、それも当然のことかもしれません。
一方で彼女は知っています。特別なパスケースを使って扉をここに作ってしまえば、安全な場所に出れることを。ですがそれをしませんでした。何故ならアネモネにとってこの森はいつも訪れる大切な場所であり、そこに危険が潜んでいるのだとしたら、自分だけ逃げても状況は変わらないからなのです。むしろ自分が逃げてしまえば、状況が悪化してしまう可能性があります。それだけは避けなくてはならないのです。
「知りたいという気持ちとも別よ。でも、知っていればよかったのに。どうすればいいかわかるのに。……どうしたらいいの?」
そのときアネモネは気づくのです。男のぎょろりとした目がこちらを向いていたのです。まだ目は合っていません。ですが、もしかして見つかってしまったかと、アネモネは息を止めます。見つかったらあの銃で撃たれてしまうのだろうか、とアネモネは怯えました。銃で撃たれても人のように血を流すことはありませんが、彼女は人形ですから、衝撃でバラバラになってしまいます。それを想像して、ゾッとしました。扉を作って逃げようにも、怖くて動くことができませんでした。
足音がゆっくりこちらに近づいてくるのを、両耳を塞いで聞かないようにしています。ですがその手の隙間をくぐって、がさりという茂みの音は聞こえていたのです。丸くうずくまります。
どうしよう、どうしたらよいのだろう。アネモネは考えましたが、今の彼女にその方法はわかりませんでした。
ですがそうして暫くたったとき、
「アネモネ」
と彼女をそっと呼ぶ声がしたのです。
ぱっと耳から手を外し、顔をあげると、そこには金髪よりも明るい黄色の長い髪。そう、ロアの姿があったのです。
「マーメイド・ロア……どうしてここに」
「話は後で」
そう言ってロアはアネモネの手を取り、そっと引き寄せるように引っ張りました。すると不思議なことに、二人の周りに立っていた木々の様子が少しだけ変わったのです。一瞬ではわかりませんでしたが、アネモネがぱっとあたりを見渡して気づいたのは、先程いた場所からほんの少し離れたところにいることと、銃声を鳴らす男の後ろに回っていることでした。
「ありがとう、ロア。どうしてここに?」
「……君が大地の知識を持っていたり、プロミネンスルビーの力を受けたりしているように、どうやら私にもこの世界で扱える特別なものがあるらしいよ」
今は先程よりも程遠くから銃声が聞こえます。ギリギリ目視できる距離、といったところでしょうか。
ロアは、羽織っていたコートのボタンを外し、中に風を通しました。森の緑の香りの中に、僅かな潮の香りが混ざります。アネモネは、ロアの服装にすぐ気づきました。それは間違いなく、仕立て屋さんが彼女のために作った洋服でした。そしてロアは腰につけていた青い蓋のコンパスを手にしました。
「君の店のマスターが仕立て屋を呼んだ。君の願いを聞いたからだろう。だからこの服には初めて袖を通したばかり。そしてこれは一緒に渡されたもの。この羅針盤の『知る』力のおかげで、私には行くべき場所に飛んでいける力があることもわかったし、マスターが急に慌てだしたこともわかった」
「飛んでいける……って、鳥さんみたいに空を飛べるの?」
「いや、空間移動のことを指す。行きたい所に行ける力だ」
「私のパスポートと似ているのね。自力で移動できちゃうなんて、凄い」
「それはともかく、マスターは君のピンチにいち早く気づいていた様子。それで来てみれば、怯えているものだから。どういうことだろうか」
「じゃあ、マスターがロアに頼んだのね?」
「そう。店を空けるわけにはいかないから行ってきてくれ、と。あそこにいる男が原因だね?」
アネモネは静かに頷きます。
コンパスは簡素ながら美しい装飾が施されており、それが仕立て屋さんが彼女のために見繕ったものであることはすぐにわかりました。青いコンパスが針をくるくるとさせます。男が居る方を針が示したあとにロアは、嫌なものを見るように目を細めました。
「あれは、賞金首を狙うバウンティハンターらしい。大丈夫、人殺しはしていない。あの銃は威嚇や牽制のために使うもの。聞こえれば、さっきの君のように、関係ない者であればその場から逃げたり身を守ったりできる」
「でもそれなら、闇雲に自分の場所を知らせるなんて変よ。懸賞金がかけられてる人だって、気づけば同じようにそこから逃げちゃうわ。捕まえるのを自分で難しくしているようなものよ」
「……そもそもの話。この世界に懸賞金をかけられているような賞金首はいる?」
「え?」
アネモネはその問いにハッとします。この世界は至って平和です。様々な事情を抱えてやってくる旅人たちは、平和を願わないわけはありませんし、この地に根ざした住人たちだってそうです。ですから、この世界で賞金首を狩ろうと思っても、賞金をかけられるほどの悪人が滅多に存在しないので、できるわけがないのです。
「じゃあ、あの男の人はまさか」
「この森から迷いでてくる存在はほぼ一択に絞られる、と聞いた」
ロアもハンターの方をじっと見つめながら声を潜めます。
「君なら知っている。此処に現れる者はシテンだということを」
「あんなのシテンじゃないわ……!」
「シテンは何者にでもなれる。そのはずでは?」
「……そうね。でもあんな乱暴な人、白い世界ならともかくこの森でははじめてなのよ。でもシテンだとしたら、どうしたらいいのかしら」
アネモネは悟りました。あのハンターもシテンなのだとすれば、なおのこと自分たちの出番であるということを。シテンという旅人が姿を変えてそこに存在しているのです。であれば、道案内をしなくてはなりません。
「闇雲に銃を放っているのは、混乱しているから。辻褄が合わないことをしていても、状況として何もおかしくはない」
「あのシテン、きっと自分の見た物語のキャラクターの姿になっているんだわ。自分でもそのことに気づいていない。気づかせてあげなきゃいけないし、そのあとはヤドリギの所に返してあげなきゃならない」
一人のシテンに、一人のヤドリギ。シテンという存在であれば、その側にはパートナーであるヤドリギという存在がいるはずなのです。この世界に迷い込んだシテンは大概、そのパートナーの元を離れてしまったのですが、それがアクシデントなのかシテン自身の意思なのか、それは当人にしかわからないことがほとんどです。ですが今回眼の前にいるハンターの場合は、おそらくアクシデントでしょう。でなければ、ハンターキャラの姿のまま森で暴れることもないはず、というのがアネモネの見立てでした。
「どうする? 解決法までは羅針盤も示さない」
「ロアはマスターに言われて私の所に来たのよね? じゃあマスターの出番だわ。彼ならシテンの扱いに慣れている。彼に聞けば――」
そう、マスターに聞けば対処法は簡単にわかるはずなのです。ですがアネモネは、木の枝に足を引っ掛け登ろうとしている男を遠くから見つめ、首を横に振ります。
「駄目だわ、私達がここを離れたらハンターさんを見失ってしまう。この森で見失えば次見つけるだけでも大変になってしまう……ロアの羅針盤、そういう機能はないのよね?」
「ああ、あくまでも『知る』ための道具だから、対象を探すような機能はない。だが私が君の店のマスターに、事を知らせることは出来る。だがそれだけでは……。その間にあの男が街にまで侵攻する可能性はある」
「そんなのダメよ! 森の出入り口を抜けてしまえば、そこにはカフェアリーヌがいるのよ!」
「だがあのハンターを白い世界に導くのは、私では難しい……」
「私、できるわ! 私のパスケースは扉を作る道具だもの!」
ロアのコートの端をつかんで、アネモネは見上げるようにロアに訴えかけます。自分には出来ることがあるのだと、アネモネなりに頭を働かせていました。
彼女のパスケースでできるのは、既知の場所との扉を作ること。その扉は誰もがくぐれるものなので、彼女が扉を開きさえすれば、そこに見えるハンターであっても白い世界の喫茶店にまで連れて行くことができるのです。ですから、その場を動けないマスターのところまで連れて行ってしまえばいいのです。
「私、おとりになる」
「頭の良い策ではない。やめておいたほうが……」
「いいえ、ちゃんとした策よ。だからロアはうちのマスターに伝えてほしいの――」
ロアは小声で話すアネモネに合わせ、しゃがみ込んだままアネモネの口元に耳を近づけ彼女の「策」を聞きました。それに相槌を打ちます。ロアはそっと立ち上がり、コートの裾を押さえてから、その場を立ち去るように走り出しました。がさがさっと大きな音がします。その音を合図に、意を決した表情でアネモネは一人、男の方へと向かいます。
「鬼さんこちら! 手のなる方へ!!」
アネモネは木の上に登った状態でパンパンッと両手を鳴らして、男に存在を明確に気づかせました。銃を持ったまま暫くアネモネの方を見つめていた男は、アネモネの方に向かって茂みをかき分けて来ます。
「この森のことなら何でも知ってる私と鬼ごっこだもの。ハンターさんにはちょっと大変なゲームよ。勝てるかしら?」
小さい身体で小気味よく、ステップを踏むようにその場から遠ざかるアネモネ。そしてそれを追いかけるハンターの男。男の目は凶暴ですがうつろで、既に目の前のアネモネしか見ていません。
アネモネは森の出入り口よりも遠い所に彼を誘導していました。次第に互いの距離は縮まっていくものの、森の木々や草花の形作る道はより入り組んだものになっていきます。このまま男がアネモネを見失えば、元の場所に戻ることは難しいでしょう。自分の歩んでいる道がわからなくなるような道でも、アネモネは迷いなく走り抜けていきます。
彼女はこの世界そのもの。彼女がこの森の地形に詳しいのは、当たり前のことなのです。
「作戦はこう。ロアがマスターに事の次第を伝えている間に、私はハンターさんを森の出入り口から遠ざける。ロアはどこでも行き来ができるのでしょう? 今度は私のところに、準備ができたことを伝えに来てちょうだい。約束よ。それを合図に私は扉を作って、ハンターさんをマスターのところまで連れて行くわ」
アネモネはロアにそう伝えたのです。
背の高い木に足を引っ掛け身を翻したとき、ハンターとは別の気配がします。ロアが再びやってきたのでした。
「アネモネ、白い世界の彼には伝えた!」
「ありがとう、ロア! なら後のことはマスターに頼みましょう!」
勢いよく腕を振り上げ、アネモネは握っていたパスケースを宙にかざします。現れた扉を勢いよく開け、その前でハンターを待ち構えます。目はしっかとハンターの方を見つめています。
ハンターは、アネモネが扉をくぐって逃げるつもりだろうと信じて疑いません。そのまま走って直進してきます。ですがアネモネはその場で高く跳ねて宙返りし、直進してくるハンターを避け、その背中をどんと力強く押したのです。ハンターは扉の向こうへとつんのめります。アネモネはそれを見届け、扉をバンと勢いよく締めました。そしてポケットの中から急いで鍵を取り出し、がちゃりと施錠したのでした。慌てていたので一瞬鍵穴に差し込む手が震えてしまいましたが、大丈夫だったようです。パスケースを再び振りかざし、扉は姿を消したのでした。
二人は同時に息をつきました。




