▽ミント それは雫がにじむように
「さあ、よい子のお客様! 今日もアネモネの歌と踊りを観ていって頂戴ね! とびっきりのものを披露するわよ!」
テレビ箱の中からそんな声が聞こえました。両手を広げ、華麗なステップを踏むアネモネの姿がテレビ画面の向こうにあります。ですが暫く経ってから、彼女は浮かない顔で肩を落としました。
「やっぱり、一人でこれをやるのはつまらないわね……。お部屋の中が賑やかになったから出来るかと思ったけれど、ダメ。全然ダメダメだわ」
彼女の部屋であるテレビ箱の中は、ホワイトバックに風船やぬいぐるみ、小さな丸カーペット、タペストリーなどなど、色とりどりのデコレーションがされています。それらは全て以前ロアが持ってきたお土産の中にあったものなのです。それまで彼女の部屋の中には小さな机とその上に置かれた一輪挿し程度しかありませんでした。それに比べると随分と賑やかになったものですから、アネモネもいつもはさぼっているダンスの練習を一生懸命やるくらいには気持ちが高まっていたのです。
ですが、見てくれる人がいないダンスは寂しいばかりだと、アネモネは諦めてするりとテレビ画面の中から喫茶店の店内に現れました。今は店内に誰もいません。彼女はいつもどおり店番をすることにしました。
ですがお店のお掃除は済んでいますし、もしお客様が来たときのための食材の調達も済んでいます。頭を使う難しいことはマスターの役目ですし、そうするとアネモネにはやることが特にないのです。やはりタタンッとステップを踏むだけでした。
アネモネは棚から取り出した缶入りのクッキーの蓋をパコンと開け、一枚を口にしました。そして見様見真似で練習した淹れ方で、自分専用の小さなカップ――彼女は背の小さなドールですから、ヒトと同じサイズのものでは大きすぎるのです――にお気に入りのお茶を注ぎます。まだ練習中なので、茶葉を散らかしてしまったり、ポッドから注ぐときにカップの外にこぼしてしまったりと、後片付けは大変ですが、今はそれを見て見ぬふりをしてカップに口をつけます。今日はハーブティーの気分だったので、ミントのお茶を淹れました。涼やかな香りが鼻を抜けます。
「こうやって、一人の時間だって自分が良いものにしようと思えば良いものになるのだけれど……私はやっぱり誰かと一緒の時間が好きだわ。少ししたら、またカフェアリーヌの所にお邪魔しようかしら。……でも……」
先日のことを思い出して、どうしようかと足踏みしました。本人に聞いてしまえば早いのですが、その勇気が出ません。オーナーさんが魔女にならないかと誘われていた件です。アネモネはそれが嫌でした。オーナーさんが魔女になることは、何故か嫌だったのです。店まで飛び出していって駄々をこねることもできましたが、それはしませんでした。違う気がしたのです。
アネモネは、妖精と仲良くしているオーナーさんを想像して少しだけムッとしました。それは自分が妖精と仲良くなれないかもしれないこともそうですし、オーナーさんとのお喋りの時間が誰かに取られてしまったかのような心地も重なったからでした。しかし「我が侭だわ」と首を横に振ります。全然振り払えない感情が鬱陶しくなり、頬を一度強く叩いたのです。目が覚めるようなじんわりとした痛みが広がりました。
「お店で売ってるようなものじゃないのよ、妖精って。そんな存在と一緒の時間が過ごせるだなんて、凄いことじゃないの。……寂しくなんてないわ」
ですが嫌な予感に重なるように、それはやってきたのです。
「痛っ」
それは、心の動きから生まれる胸の痛みとは別物でした。先程自分で叩いた頬の痛みとも別です。
「何? この痛み……でもこれ……」
自分のことは自分が一番よく知っている。アネモネは、その言葉を信じています。ですからその痛みが何なのか、嫌な予感がどこから来ているのか、すぐにわかったのです。
「ヤドリギの森……!」
アネモネは急いで扉を作りました。ですがいつもとはくぐり方が違います。オーナーさんの喫茶店にお邪魔する方角とは反対側、外に向かって開ける方角から扉を開けました。すると、喫茶店の外側――一面に広がる草原が見えます。森に向かうときの扉の開け方でした。
アネモネは急いで扉を締め、森に向かって走っていったのでした。




