▽ハロウィン カフェアリーヌ・ソァリザ
アネモネはオーナーさんに教わったとおりに、焼き菓子やパンを袋詰めする作業を手伝っていました。地道な作業ですが、嫌なものではありません。なんせオーナーさん特製の美味しそうなお菓子たちを目の前にしているのですから、心が踊らないわけはありません。アネモネは楽しそうに手を動かしています。
「このスコーン、ジャムをつけたら美味しそうよね……」
「そうやって食べて貰えたら嬉しいわね。この作業が終わったら次はクッキーの仕込みをするから、手伝ってくれるのなら嬉しいのだけど、どうかしら?」
「手伝うわ! 私クッキーならマスターの作っているところを見たことあるもの。大丈夫よ!」
「それは心強いわね」
テーブルの上の大きなかごは、何段にも重なっています。その中全てにオーナーさんお手製のお菓子がラッピングされて並んでいます。アネモネが綺麗に並べていったものです。オーナーさんは重いそれを持ち上げ、移動させています。
ふとしたときに、アネモネが何気ない質問をします。
「カフェアリーヌはよくお菓子を作っているイメージなの。お料理はどうなのかしら?」
「喫茶店のナポリタンが食べたい、って言うお客様とかいるから……一通り出来るといえばできるのだけど、如何せんお客様が少ないから食材の管理が大変なの。だから日持ちするお菓子ばかりになっちゃうのよね。作るとて、まかないくらいかしら」
「そっか、やっぱりお客様次第よね。このお菓子たちは、ハロウィンのために配るものなのよね。このお店にこんなに沢山お菓子があるのを見たのは初めてよ!」
「そうねえ、甘いものが主役のイベントの時は声がかかりやすいわ。店内に広げてたら普通怒られちゃうけどね」
オーナーさんが言う通り、今はアネモネと彼女以外いない店内の机を大胆に使って作業を行っていました。今お客様が来てしまえば、仰天するに違いありません。
「というわけで少し奥に格納してくるわね。エプロン着けて待っていて頂戴」
「はあい、待ってるわね!」
アネモネは返事をして、カウンター席に登りました。そこには先程オーナーさんが蒸らしの準備をしてくれた紅茶があります。砂時計の砂がちょうど落ちきった具合です。ティーコジーを取り、少し彼女にとっては大きいサイズのポットをカップに傾けます。危ない、と言われてしまいそうな様子でしたが、そこは彼女も舌を出しつつ、紅茶の色合いを確かめながら注ぎました。程よい黄金色に満足してから、アネモネは砂糖を落としてその味を楽しみました。
そうやって過ごしているときのことです。音を立てて扉が開いたのがわかりました。一瞬、アネモネは自分の店のマスターがやってきたのではないかと考えましたが、そうではありませんでした。グレーのローブで身を隠した、男か女かの判別もつかないほどの誰かがそこに立っています。何も言わずにじっと立っており、アネモネの方を見つめていることだけがわかったので、彼女はどうしたらいいものかと狼狽えました。
「お客様……? あなたも森からやってきた旅人さんかしら?」
しかし扉の前に立つその人は何も言いませんでした。ローブの僅かな動きから、店内をぐるりと見渡していることがわかります。
「旅人じゃないわよ」
扉の音に気づいたのかすぐにオーナーさんがやってきて、一言そう言いました。アネモネは思わずオーナーさんのもとに駆け寄ります。もともと人見知りはしない方のアネモネですが、このときばかりはオーナーさんの足元に隠れてしまいました。あらあら、とオーナーさんはアネモネの頭を撫でてくれました。
「だってもうすぐハロウィンだものね、魔女様。貴女が出歩いていても、街の人も誰もなんとも思わない。この店に来るには絶好のタイミングだわ」
ローブの中の顔がにかっと笑ったのだけ見えました。何かをぶつぶつと呟いていますが、アネモネの耳まで届いてきません。オーナーさんも聞き返します。
「なんて?」
それは、アネモネがいるから話しにくいことのようです。オーナーさんは思わずため息をつきました。
「しょうがない。大人同士のお話は難しくなるものよね。アネモネちゃん、レシピを見ながら材料や道具の準備だけしてもらうことは出来る?」
「……出来ると思うわ、多分……でもカフェアリーヌ、その……」
「ごめんなさいね、すぐ終わるわ。難しいところがあったら、手を止めてもらって構わないから」
丸テーブルの端と端、対面で向かい合うよう座ったオーナーさんと魔女は、小さい声で話を始めました。アネモネはカウンターでクッキーの材料の準備をしようと思うものの、二人の会話が気になって、思わず手が止まってしまいます。
影からこっそりと二人の様子を盗み見ました。魔女の背格好は仕立て屋さんに似ているけれど、全く違う印象です。オーナーさんは「魔女様」と呼んでいました。既知の仲でしょうか。
この世界での魔女は、決して怖い存在ではありません。妖精や精霊と契約を結んだり、約束事を交わすことで、不思議な力を扱えるようにする、少し特別な人のことを言いました。動く人形であるアネモネの方がよっぽど稀有な存在です。ですがアネモネは魔女を見たのが初めてだったのです。
アネモネはオーナーさんから言われたとおり、クッキー作りの準備として戸棚の一番下からボウルや木べらなどをゆっくりと取り出すのですが、小さい彼女には全てが大きいもの。少しよろけながら準備していきます。ですがその理由が身体の大きさだけでなく、注意散漫で手が止まりがちなことを自覚しているアネモネは、観念してその場で聞き耳を立てました。カウンター越し程度であれば、何を話しているのかぐらいはわかってしまうのです。
「お前さんが魔女の道を選ぶことを皆心待ちにしておるのだよ」
ひそひそ話ではありますが、しっかりとアネモネの耳には届いてしまうような、そんな声が聞こえました。ただ、その内容にアネモネは目を見開きます。
「ですからそのお話は……」
「良識があるものにしか声はかけないよ、私達だって」
「私は普通に暮らしていたいんです。これ以上も以下も求めていない。魔女になるだなんて、欲を張るようなものです」
この世界の魔女は、決して悪い人たちではありません。知っていても、アネモネはドキリとしてしまいます。何故でしょうか。
それは、昔とある噂が流れていた、というのをマスターから聞いたのを思い出したからでした。カフェアリーヌが今以上に町の人々との交流が少ない頃、彼女は魔女だと噂されていたのです。それも悪い魔女だと。旅人を狙ってなにか怪しげなことを企んでいるのではないか、辺鄙な場所で商いをしているのは何か理由があるのではないか――そんな噂が彼女の知らぬところで流れ、彼女が忌み嫌われている頃があったそうなのです。カフェアリーヌをよく知るものが「根も葉もない」と憤ったそうです。アネモネには想像できないことでもありますが、未だにその噂が街に残っていることはあり、街では彼女の名前を出すのがちょっとしたタブーである店もあります。今はほぼ払拭できているとはいえ、もしカフェアリーヌが本当に魔女になったとしたら、その噂がまた再燃してしまう可能性だってあります。
彼女が魔女になることを拒否する理由は、そういった所に根付いているのだとアネモネは考えます。けれど、魔女や魔法使いの魔法はアネモネにとって未知の世界を見せてくれる、興味の対象でもあります。これまで話題に上がることこそあれど、実際に目にするのはアネモネにとってはこれが初めてです。不安と期待が入り混じった複雑な気持ちで、魔女とカフェアリーヌの会話を立ち聞きしていました。
「もうすぐ、人ならざるものが増える時期。気をつけないといけないのはわかっています。かといって私に声をかけるというのは違うはず」
「既に人ならざるものと多く交わっているお前さんが言うかな、カフェアリーヌ」
「わかっていますから、どうか私達のことはそっとしておいて欲しいんです。再三申し上げています。私に魔女様同様の力を扱うことは難しい」
「難しくはないよ。私達より高次の存在であったお前さんなら、この世界で出来ないことなどない」
「もしそうだとしても、です」
アネモネはその場から動けないまま、じっと話を聞いていました。
その時、視界の片隅で光の粒子が舞ったのを感じました。ぱっとアネモネがその方を見ると、ふわりと小さな何かが飛んできたのです。人の姿をしていますが人形であるアネモネよりもずっと小さく、彼女の顔ぐらいの大きさで、背中に小さな羽を背負ってふわふわと浮かんでいます。妖精の一種でした。アネモネはまず驚き、次に目をキラキラと、そしてその中に咲く花をくるくるとさせました。ずっと探していた妖精を、このタイミングでとうとうこの目で見ることが出来たのです。
息を止めて手のひらを上向きに、宙に掲げました。気が付いた妖精はバレリーナの挨拶のように柔らかくも気高いお辞儀をしました。ですが招かれたアネモネの手のひらには乗らず、すいと紅茶缶の並ぶ棚のところまでとんでいきました。アネモネはじっとそれを見つめています。妖精は紅茶に興味があるのでしょうか。思わずアネモネは妖精の方に手を伸ばします。
しかし不注意でした。伸ばした腕の裾が触れてしまい、ガシャンと音を立ててステンレスのボールや木べらなどをひっくり返してしまいました。カウンターに置いていたはずのそれらは、アネモネの上に振ってきました。小さな声で「痛い……」と呟きますが、アネモネの頭上で妖精が笑いながらも心配しているようなので、痛かったことを忘れてしまいました。思わずつられ笑いをしました。
オーナーさんが心配してカウンターの中を覗き込みました。
「アネモネちゃん、大丈夫? 怪我は?」
「なんともないわ、痛かっただけ」
「そう。……クッキーの準備はできた?」
「ご、ごめんなさい。まだなの」
大人同士の会話を邪魔してしまったことに、アネモネは申し訳無さそうにしました。聞き耳を立てていたことは内緒です。そこに、妖精がすいと飛んで割り込んできました。人より小さなアネモネから見ても更に小さい存在です。妖精はオーナーさんの頬にすり寄っていました。オーナーさんもそれは予想外だったようで、ぽかんとしていました。ですがすぐに事を察しました。
「なるほど、この子のせいね?」
「カフェアリーヌ! あれだけ探しても妖精さんは見つからなかったのよ! それが今目の前にいるって、とっても凄いことだわ!」
興奮したことを「はしたなかったかしら」と反省するアネモネですが、ドキドキやワクワクの方が勝っており、頬を赤くしてオーナーさんの服の裾を引っ張りました。一方で小刻みに身体を上下させ、くつくつと笑っている様子の魔女がおり、そちらを見てアネモネは思わず問います。
「ねっ、ねえ、この子。妖精さん。魔女様のところの子?」
魔女はにかっと笑うだけで、はいともいいえとも言いませんでした。何も言わずにじっと二人と妖精の方を見つめるだけでした。妖精は部屋の奥にある暖炉の火に興味が移ったようで、ぱちぱちと燃える火花に近づいては、その火花と同じような小さな火を、更に暖炉に加えているのでした。
その様子は温かい雰囲気をまとったものですが、それを見つめるカフェアリーヌは表情を険しくし、凛と張った声で魔女に言います。
「さて、小さくて愛らしいものに惑わされがちだけど、この子達の手を借りなくてもこの店はやっていけています。今日みたいに特別な日に、アネモネちゃんが手伝ってくれるくらいですよ」
「であれば、手を借りることが不得意というわけでもあるまい? 手は多ければ多いほど便利だ。大変なことがないとは言わないが」
この魔女の声はアネモネにもはっきりと聞こえてきました。
「私が一人でやりたがることを、我が侭だと思いますか?」
「魔法を使うものは皆我が侭なところを持っているものよ。変わらぬ」
暖炉の近くから妖精がふわりとこちらに飛んできました。今度は魔女の近くに寄っていきます。魔女が妖精の声を聞くように僅かにかがんでいました。魔女の相槌は聞こえるものの、妖精自身の声は聞こえません。アネモネにはそれがもどかしく感じられました。
「なるほど。大地の精霊たちさえも魅了す、その存在。無闇やたらと私達が言葉を交わすのは末恐ろしい。その上ナンセンス」
何のことやら。そういった顔でアネモネとオーナーさんは魔女の方を見ていました。
「ならば今日のところは帰ろうかね。だがまた来るよ、カフェアリーヌ。なんていったってハロウィンだからね」
妖精がその声に合わせてバイバイと手を振ったので、アネモネも元気に勢いよく手を振りました。そして魔女が魔法の杖を振った瞬間にボンと煙があがり、その場からいなくなっていました。
アネモネは頬を赤くしていましたが、はっとしてオーナーさんの方を見ます。
「ごめんなさい。クッキーの準備、全然出来てないのに……」
「仕方ないわ。突然だったしね。こちらこそ、任せきりだったのにありがとう」
「じゃ、じゃあ、カフェアリーヌと一緒にクッキー作れる?」
「当たり前じゃない。さあ、まずは計りを出してこないとね……」
オーナーさんはキッチンカウンターの方に戻り、アネモネが途中にしていたクッキー作りの支度を進めました。彼女がテキパキと手を動かす様子を見ながら、気持ちを抑えておずおずとアネモネはオーナーさんに向かって呟きます。
「魔女も、妖精も、初めて見たわ。……これっきりかしら」
「いいえ。また来るって言ってたでしょう。ハロウィンのその日に来るかもしれないわよ」
アネモネから見たオーナーさんのその顔は、少し怖い顔でした。アネモネは俯きます。
魔女といえば黒い服にとんがり帽子。特に彼女の金髪にシックな黒はよく似合うものですから、カフェアリーヌにもしっくりくるはずと思うのですが、アネモネは好きではありませんでした。
妖精に魅了された一方で、オーナーさんに「魔女になるの?」とはとても聞けなかったのです。




