第94話 お姉さん
もうすでに、夏休みの前半が終わろうとしていた。
楽しい日々は一瞬で通り過ぎてしまうものである。
そして残されるのは、楽しくないこと。
宿題、なんにもやってないや……
4日ぶりに家に帰ってきた僕に待っていたものは、手つかずの宿題の山だった。
合宿と称して海で散々遊んで帰ってきた僕たちは、今週中に夏休みの宿題を終わらせようという秋芳部長の提案のもと、部長の家に深谷先輩と3人集まって宿題をやることに。
……というわけで、部長の家の前までやって来た。
前回同様、すでに深谷先輩は先に来ていることだろう。
ただ、ちゃんと宿題やるのかな?
どうせまた遊んだり騒いだりして、一日が終わっちゃうんだろうけど。
僕は秋芳宅のインターホンを鳴らす。
今日は平日の昼間だし、部長しかいないだろうと、何の迷いもなくボタンを押してしまう。
『はーい』
部長の声だ。
「おはようございます。春山です」
誰もいないのにインターホン越しに、いつもの癖でお辞儀をしながら挨拶してしまう。
『どうぞー』
鍵が開く音がし、ドアが開かれる。
あれ? 部長?
中から出てきたのは部長ではなく、部長に似た顔立ちの美人の……
お姉さん?
恥ずかしいことに、声が似てるものだから部長だと思ってしまった。
「あの……お邪魔します」
と、僕が中に入るよりも早く腕をつかまれ引き寄せられる!?
「え? ちっ、ちょっと?」
「早く早く! こっちおいで!」
慌てて脱いだ靴を、お姉さんに下駄箱の中に雑に入れられる。
そして、そのまま強引に僕を引きずるようにリビングのほうへと連行される。
「あ、あの~」
「まぁまぁ、そこに座りなさい」
僕はリビングのソファーの上に放り投げられた。
なにがなにやら? 理解が追いつかない僕の真横に、お姉さんが座った。
真横というよりも、寄り添いながら……
「君、春山くん、だっけ? いや~ 前から話したかったのよね」
「は、はぁ~」
ショートパンツにシャツという軽装の姿のお姉さん。
部長よりも少し背が高く、薄地のシャツから形がくっきり分かる胸も、部長よりも大きい。
あの部長の可愛らしい顔を、そのまま大人っぽくさせたような輪郭のハッキリとした、女性の色気を漂わす、そんな顔を身を乗り出しながら僕に近づけてくる。
なんなの?
なんなのぉ? この馴れ馴れしさ?
「なにか冷たいもの、飲む?」
「あ、は、はい」
「麦のものでいい?」
麦のもの? 麦茶?
「……はい」
僕は流されるまま、そう答える。
お姉さんは立ち上がると、目のやり場に困るプリプリのお尻を振りながら、冷蔵庫のほうへ。
そして戻ってきて「はい」と笑顔で差し出してくれた手に握られていたものは……
銀色の缶のやつ。
「これ、お酒ですよね!」
「そうよ、麦酒」
「飲めません!」
「私の出した飲み物が、飲めないって言うの?」
「……いえ……すみません、未成年なんで」
「へ~ 君って、お堅いのね~」
お姉さんは僕のかわりに、その場で缶を開けると「じゃあ、私飲んじゃうわよ」と勢いよく飲みはじめる。
これは……部長以上に、面倒くさい人物だぞ……
お姉さんはビールを飲みながら、冷蔵庫から麦茶を取り出し、グラスに注いだそれを僕に持ってきてくれる。
「で? どうなのよ」
と、また僕の横に座ってくる。
「どう……と言いますと……?」
「香奈衣に決まってるじゃないの! どこまで進んでるの?」
進んでるって、なに? なんのこと?
「……夏休みの宿題ですか? あんまり進んでないので、それを一緒にやりにここに……」
そんな時、ドアの向こう側に人影が。
「お姉ちゃん、誰か来たの?」
部長? うっ……
お、お姉さんに手で口を押さえられる!?
「あー 荷物よ! 宅配便!」
「荷物? そう……」
あぁ、部長が戻っていってしまう……
「……で、夏休みの宿題ね――」
「はい……」
ビールを片手に、邪魔者がいなくなったとばかりに、終始ニヤニヤしながら僕に質問してくるお姉さん。
「夏休みの課題は何? 手を繋ぐ? 一緒に映画見に行く? キス? それとも……」
「……」
あぁ……誰か、助けてぇ……
「ちゃんと予習しておかないと、本番のテストで赤っ恥かくわよ」
「はぁ……」
「恥ずかしいからって電気消されて、解答欄の場所が分からなかったりするのよ?」
「……?」
「どこに入れるか分かりません! って――!!」
「……」
なに? 解答欄って……?
なに? 入れるって……?
「あ、あのぉ……部長とは、そのような関係ではありませんので」
「部長!!?」
僕のそんな言葉を聞いたお姉さんは、その場でお腹を抱えながら大笑いする。
「や、やめてくれる、その呼び方。あの子が、部長だなんてぇ……」
「……まぁ……部長は部長なんで」
「香奈衣で、いいじゃん」
「そ、それは……」
「恥かしいの? カナって呼べばいいじゃん」
「それはちょっと……」
「カナちゃーん! カナちゃんの、あ・そ・こ、どうなってるのカナ? なんつって―――!!」
「……」
「カナちゃん! 僕のマラちゃん触って―――――!!」
「……」
「アハハハハハハッハハ――――!!!」
「……」
だれか、たすけて……
ふとドアを見ると、この騒ぎを聞きつけたのか、ガラス越しに人影が?
「お姉ちゃん?」
「ぶ、ぶちょ、うぐっ……」
ドアの向こうに部長がやって来てくれたが、またしてもお姉さんに口をふさがれ、しかもテーブルに下に押し込められる。
「なに! なんか用!」
「……誰と話してるの?」
「電話よ! 電話!! 邪魔しないで!」
「……そう」
あぁ……部長が戻っていく……
「そうそう、この前の旅行で二人っきりになったらしいじゃないの?」
「え、えぇ、まあ」
再びソファーに座らされ、この前の合宿の件を尋問される。
「で、どうだった? 初夜は?」
「いや、別に、なにも……」
初夜って、なんなの?
「なんにも! 見たり、触ったり、食べたり、入れたりも!?」
「……いや、なにも」
はあー と大きなため息を吐く。
どちらかと言うと、僕の方が今ため息をつきたい。
「君の様子見ると、なんか、本当に何もなかったようね」
「ないです。なんにも」
「君、それでも男なの、ガツンと一発やっちゃいなさいよ!」
「あの~ 僕は、部長……香奈衣先輩にはお世話になっている身なんで」
「しょうがないわね~ そんな君には……」
お姉さんはおもむろに棚に手を伸ばし、置かれた財布を手にし、中から何かを取り出すと……
「これを授けよう!」
と、僕の手を掴み、手の中にその何かを握らせる。
「まあ、これで美味しいものでも食べなさい」
「あ、ありがとうございます」
え? お小遣い?
僕はゆっくりと握られた手を開くと……
個包装された銀色のパッケージに、中に柔らかい五百円玉みたいなのが入ってる、ような……
飴か……ガム?
「あの、なんでしょうか? これ?」
「コンドーム」
!! ??
「えっ? っちょ? ぇっ??」
「いつ使うか分からないから、持っておきなさい」
「使いません! こんなの」
「分からないわよ―― もしかしたら今日……」
「しませんって!」
なんなの!
なんなの? この人!?
こんな物、渡して!
高校生の僕に!
もしかしたら一生使うこともないかもしれない、僕には縁のない代物かもしれないのに。
「……君にその意思がなくても、相手がしたいかもしれない時、どうするの?」
「え?」
「持ってないと困るでしょ?」
「そ、そんな、相手、いないで……」
「なんなら今、試してみようか?」
「は?」
いつの間にか僕はソファーの上に押し倒され、お姉さんが馬乗りになり、僕のことを見下ろす。
え? ちょっと?
お姉さんの上半身が傾いていき……
顔が、近づいて……僕の目の前へと……
ちょっと! 待って! まってー!
あっ!
ああっ!!
あああああああ!!!
「だ、だれかー!! ぶちょー!! たすけて―――!」
くっついちゃう!
部長のお姉さんと、体がくっついちゃうー!!
すぐさま階段を急いでかけ下りる音がして、そしてものすごい音を立ててドアが開く。
「お姉ちゃん!! 春山くん!!??」
「ぶちょー 助けて……ください」
「も――!!! なにやってんの! お姉ちゃん!!」
「あんたが、もたもたしてるから、私が獲っちゃうわよ~」
「私の大事なお客さんに、なにしてんのよ!」
「ハハハッ! お客さんだってー!」
部長が、僕に覆いかぶさっているお姉さんを引きはがすと、そのまま部屋の外まで押し出す。
「もー 早くあっち行ってよ!」
「ハイハイ、邪魔者は消えますよ~ 2人っきりで仲良くね~」
お姉さんが大笑いしながら部長に追い出され、そして僕の視界から消えていってしまった。
「春山くん、大丈夫?」
「は、はぁぃぃ……」
ソファーの上で立ち上がる気力のない僕の、すぐ横まで駆け寄ってくれた部長は、申し訳なさそうな悲しい顔をこちらに見せて言う。
「ごめんね、変なことされなかった?」
変なこと……は、結構されたし、言われたし……
……でも、部長には黙っておこう。
「大丈夫です。ちょっとびっくりしただけです」
そう、ちょっとびっくりしただけ。
右手に握られたゴムを隠しながら、部長に引っ張られ立ち上がる。
強烈だったな……部長のお姉さん。
部長よりも数倍、手強い強敵だった。
体力よりも精神力が……
マジックポイントが吸い取られ、ゼロになった気分だよ……




