第92話 お風呂に入ろう 3日目
どうしてこうなったんだろう?
僕は今、脱衣所で正座している。
後ろの浴室には、秋芳部長が入ってる。
曇りガラスで遮られ、中の様子の細かいところは確認できないが、ガラスの向こう側から光とシャワーの音が漏れてくる。
部長が確実に裸で体を洗っているのは、ガラス越しのシルエットからでも分かる。
はぁ―――
なんでこうなったんだ?
自分の中で何度も同じ質問を繰り返す。
ふと視線を横に向ければ、かごの中にきれいに折りたたまれた部長の寝巻きが置いてある。
きっとこの寝巻きの下には、下着が挟まっている事だろう。
その気になれば部長の下着を取ることも可能だが、そんな趣味は僕にはない。
「でね、春山くん。夏休みの宿題なんだけど……」
シャワーの音に紛れて、部長の話し声が聞こえてくる。
みんなが先に帰ってから、ずーっとこんな調子だ。
たぶん一人になるのが恐いのだろう。どこに行くのも一緒に行動してくる。
そして、何かしゃべってないと、不安でしょうがないのだろう。常に話しかけてくる。
こんな感じで、さっきまで僕たちたちは、二人っきりで食事をしていた。
なんだか変な……奇妙な関係だ。
こんな広い家に、二人っきりで一緒にご飯の準備をして、食べて、そして片付けして。
別に夫婦でもカップルでもないのに、なんなんだろう?
部長も、よく平気でいられるよね。
年頃の男と二人だけでいるっていうのに。
こっちは気が気じゃないっていうのに……
「帰ったら宿題やるんだけど、日本史の宿題がね……」
それともやっぱり部長は、僕のことを男として見ていないのか?
それか弟みたいな存在だとか?
だったら、単に姉弟で留守番しているだけだもんね。
別に二人でいても、怪しい関係でもなんでもない。
「読書感想文みたいなので、歴史の本を読んでくるんだけど……」
……と、いうより……
僕はさっきから……
トイレに行きたくてしょうがない!!
ずーっと部長が一緒になって行動してくるから、行くタイミングがないのだ。
いくら怖がりだからって、くっつきすぎだよ。
まぁ、確かに一人の入浴は怖い事のトップ3くらいに入るだろうから、僕にここに居ろっていう要求も分からなくはないけど。
でもさすがに、ここで待機してろ、っていうのは。
ガラス隔てて全裸になってるんだよ?
着替えだって、手の届くところにあるんだし。
てっきり入浴の時くらいは解放されるかと思っていたので、その時にでもトイレ行こうと思って我慢していたというのに……
「でね、私は千利休の本読んでレポート出そうかなって思ってるんだけど……」
あ― もうダメだ、限界!
漏れちゃうっ!!
「春山くんは……」
「部長! ちょっとトイレ行ってきます!」
「え? なに?」
やばいやばい、漏れちゃう~
まさか人様のお宅で漏らしたりしたら、申し訳ないにもほどがある。
薄暗い廊下を小走りし、トイレに駆け込む。
……
…………ふぅ~
なんとか間に合った……
危ないところだった。
ほんと部長には困ったもんだ。
こんなんじゃ、個人の自由もプライバシーも無いよ。
まさか唯一、一人になれる場所がトイレの中だけだなんて。
「春山くん――!! どこ!!」
……部長の声だ。
「春山くん!!!」
「はーい、なんですか!」
今度はなに?
だんだん声が近付いてくるけど?
トイレくらい、ゆっくりさせてって。
「春山くん!? ここにいるの!」
ドンドンドン!!
わっ! そんなにドア、叩かなくても……
ドンドン! ドンドンドン! ドンドンドンドン!!
二人しかいないんだから、僕が入ってるの分かるでしょ。
それとも部長もトイレ我慢してたの?
「はいはい。今出ます」
衣服を整えて、ゆっくりとドアを開けると……
「も―――!!! なんで勝手にどこか行っちゃうの!!!」
「あ…あぁ……」
ものすごい形相の部長が……ドアの隙間から覗かせてきた。
それよりもその恰好。
急いで巻いたであろうバスタオルを体に巻いただけの姿……
腕も肩も濡れたままで、髪なんか水が滴っている……
「一緒に居てって、言ったでしょ!!!」
「す、すみません……」
すごい声で怒鳴られると、強引に手首を掴まれる。
そして、そのまま連行されていく……
そんなに怒ることなの?
それともそんなに怖いの?
廊下が濡れている。
これは決して僕が漏らした痕ではない。
部長が拭く間もなく、急いでやって来た証拠だ。
お風呂場まで連れ戻され、脱衣所で座らされる。
「もう! ちゃんとここに居てね!」
「……はい」
「むこう向いてて。脱ぐから」
「……はい」
「またどっか行くなら、もう、一緒に入る?」
「い、いえ、それは、まずいんじゃ……」
「水着、着れば?」
「そういう問題では……」
「じゃあ、ちゃんと待っててね」
「……はい」
そう言って扉の開閉の音が聞こえ、再びシャワーの流れる音がする。
僕は黙って後ろを向いて正座する。
「でね、夏休みの日本史の宿題。千利休にしようかと思うんだけど、春山くんの宿題って何?」
はあぁ……っ……
どうして……こんなことに、なってしまったのだろう……




