第88話 夜の浜辺
日が傾くまで海で遊んでいた僕たちは、家に戻ると魂が抜けてしまったかのように、倒れこんでしまった。
あんなに遊び回れば、当然そうなるだろう。
さんざん海で暴れまわっていた南先輩は、今は畳の上に打ち上げられたクジラのように転がっている。
遠野先輩は浜辺にいようが屋内にいようが、横になってはスマホをずーっといじっている。
それでも秋芳部長と深谷先輩は、台所で夕食の準備をしてくれている。
僕は僕で部屋の掃除をして、夕食のセッティングをしたりするのだが、二人の先輩が転がっているので邪魔でしょうがない。
遊ぶだけ遊んで、後は横になって、ご飯食べて、そして寝るなんて、まるで子どもじゃないか。
「ねえ、春山くーん」
「はい?」
台所から部長が僕のことを呼ぶ声が聞こえたので、いったん掃除を中断して向かう。
「なんですか?」
「ご飯の前に行ってきたら?」
エプロン姿の部長が、ニヤニヤしながら話しかける。
「行く? どこにです?」
「みーちゃんと、海に」
あっ……忘れてた。
昼間のビーチバレーの罰ゲームで、深谷先輩と夜の浜辺で手を繋いでいるツーショット写真を撮ってくるというミッションがあった。
「ご飯の準備は大丈夫なんですか?」
「うん、だいたい終わったから。二人でゆっくり楽しんできてね」
そんな笑顔で、楽しんできてって……言われても。
「それじゃあ、行きますか? 深谷せんぱ……」
あれ? いない。
部長と一緒にいたと思ったけど……
すでにそこには深谷先輩の姿はなく、部屋の中を見回していると、玄関から戸が不機嫌そうに閉まる音が聞こえた。
え? 深谷先輩、先に行っちゃったの?
「ちょっと行ってきます」
「いってらっしゃい」
慌てて外に出ると、すでに深谷先輩は海の方に歩いていた。
ズボンにシャツというありふれた姿の先輩が、街灯の光に照らされて、ゆらゆらと揺れていた。
「ちょっと、待ってくださいー」
「なんで、ついてくるのよ」
こっちを見ることなく、歩く速度も落とすことなく、そんな言葉だけを僕にぶつける。
「いやー でも……」
「要は夜の浜辺で手を繋いだ写真を撮ればいいんでしょ! 別にそこまで一緒に行く必要はないでしょ!!」
「ま~ そうなんですけど」
そう言い放つと、一人スタスタ歩いていってしまう。
本当に罰ゲームが嫌なんだな。
それとも僕のことが心底嫌いなのか……
こういう扱いは慣れているとはいえ、やっぱりそう思われるのは悲しいものだ。
数分もしないうちに、あの大きな海がまた見えてくる。
夜の海岸は、昼間僕たちの目の前に現した姿とは、また別の印象を与えてくれる。
あんなに猛威を振るっていた太陽が、今では地平線の海の中へと沈んでしまった。
さっきまで存在していたであろう太陽の痕跡として、地平線の一筋がうっすらと赤い糸を引いたように残っている。
そこには昼間ほどの賑やかさはない。その分、波の音が砂浜をも超えて街の周囲にまで響き渡る。
さすがにこの時間、泳いでる人も、遊んでいる人もいない。
それでも、犬の散歩をしている人や、友達3人と騒いでる若い人、若いカップルなどが砂に足跡をつけながら歩いている
その砂浜に一人舞い降りる深谷先輩。
その後を追う僕。
夜の海はどことなく不気味だ。
黒い波が足を掴みにやってきては、掴めずに諦めてそのまま引き返していく。
ちょっとでも波が足にかかれば、漆黒の冷たい海中に引きずり込まれるような、そんな恐怖と不安。
「深谷先輩ー せんぱーい」
一人じゃ心細いので、思わず深谷先輩を呼びながら駆け寄る。
と、急に立ち止まって振り返った。
「うるさいわね! そんなに名前を呼ぶんじゃないわよ!!」
「す、すいません……」
「恥ずかしいじゃない! 名前もバレて、しかも先輩とか言われて!」
「……はぃ」
……黙って後ろをついていく。
無言で歩く先輩の後ろを、黙ってついていく。
そして、まだ歩く……
まだ…………
まだ………………
「あ、あの、どこまで行かれるのでしょうか?」
「あ? うるさいわね!」
僕に言われて、ようやくここまで来た目的を思い出したかのように、歩く足を止めた。
「……ちょっと昔を思い出してただけよ」
「むかし?」
「昔よく家族で海に遊びに着てたかから、その時よくこの浜辺を親と手を繋ぎながら歩いてたから懐かしいと思っただけ」
「そう……ですか」
「べ、別にあなたと一緒に歩きたかったとか、これっぽっちも、微塵も考えてないんだから! 勘違いしないでよね!!」
「それは……そうでしょうけど……」
「単なる罰ゲームで仕方なく、こうやって来てるだけでしょ! なんでこんなこと! しなくちゃいけないのよ!! さっさと終わらせて戻るわよ!!」
……そんなに、むきにならなくても……僕もそんなこと思ってませんから。
恥ずかしいのは僕も同じですし、こんなこと早く終わらせたいのは分かってますから……
僕は手を差し伸べながら尋ねた。
「あの、手、握れます?」
以前、腕相撲した時とか、僕の手を握りたくなさそうだったから、心配してそう聞いたのだ。
しかし、その言葉を聞いた深谷先輩から、カチン! という音が聞こえたような気がした。
しまったー 余計なことを聞いてしまった……
「手くらい握れるわよ! 慣れてないだけで、それくらい握れるっての! ええ、そうですよ!! それこそ子どもの頃、父親に握ってもらってこの浜辺を歩いてた時以来、まともに異性の手なんて触ったことなんてないわよ!! だからなんだって言うの!? そんな男の、何を触ってるか分からない汚らわしい手なんか、握れるわけないでしょ!!!」
もー 興奮してなに言ってるか分からないよ。
っていうか、浜辺に声が響いてるから、そっちの方が恥ずかしいって。
ほら、散歩中の犬が反応して吠えちゃってるよ。
「あー 頭にくるわね! そもそもあなたが負けなければよかったのよ。私が運動音痴なのは知ってるでしょ? なのに、なんであなたも一緒に負けるのよ、男だったら気合い入れなさいよ、なに女子相手に負けてんのよ!! あなたの方がよっぽど運動音痴じゃないの!!」
え―― 僕のせいですかぁ?
「どうせ私は、グズでのろまで! どんくさい女ですよお!!」
もう怒りを通り越して、泣きそうになってるよ……
とりあえず、冷静になってもらわないと……
僕は深谷先輩の鞭のように振り回す手を取り押さえ、落ち着かせようとする。
……が、
痛い! 痛いいたいいたい、てー握りすぎですって。
チカラ入れすぎー
振り回しすぎ! 肩が、肩が、はずれちゃう!
「そもそも、なんであなたが茶道部なんているのよ! 神聖なる乙女の嗜みに汚い土足で、ずけずけと入り込んできて!! なに勝手に香奈衣といい感じになってんのよ! 新参者のあんたなんかが! あー 腹が立つ! 腹が立つわ! さんざん私たちを掻き乱していって!!」
「先輩、落ち着いて! 落ち着いて下さいって!」
あー、ちょっと誰かー 誰か止めてくれー
日頃、相当ストレスでも貯まってるのだろうか。
もしかしたら、その原因は、不甲斐ない僕にあるのだとしたら……
僕は暴れ狂う深谷先輩の両手を掴み抑え込んで、優しく語りかけるように話す。
「すみません。僕が頼りないせいで……深谷先輩にばかり負担をかけてしまって」
「なら!」
「でも、僕はみんなと一緒にいれて楽しかったんです。深谷先輩と……みんなと一緒に、部活ができて」
「……っぅ……」
「今回の合宿も、部長がすごく楽しみにしていたみたいですし、深谷先輩にとって部長は大切な存在なのも分かりますし。そんな部長や、みんなのために、僕でも何か出来ればって」
「……」
もう、自分でも何言ってんのかよく分かんない。
なんだかすごく恥ずかしいこと言ってそうだけど、よく分かんない。
「だから……その……深谷先輩は僕のこと、どう思ってるか分かりませんけど……僕は、深谷先輩のこと、すきですから……」
「……」
そんな説得が効いたのかどうか、深谷先輩はおとなしくなると、思いっきり腕を振り回して、僕のつかんだ手を振りほどく。
うっわ、腕がもげて海に放り投げられたかと思った……
「……分かったから。もう、いいわよ……」
「はい?」
「……早く写真撮って帰るわよ」
「えっ? は……はい」
街からの光で照らされる深谷先輩の表情は、嬉しいのか悲しいのか、相変わらず計り知れない。
逆にいつもの冷静な先輩に戻ったとも言えるのかもしれない。
そして僕たちは何も語ることもなく砂浜を歩いては、波が足に触れないギリギリの場所までやって来る。
「この辺で、いいですかね?」
「すきにしなさいって」
僕はタイマーをセットしたスマホを、離れた砂浜に差し込みに行く。
そして波打ち際にいる深谷先輩のもとに駆け寄って、右手を差し出す。
それに応えるかのように、先輩は同じく右手をゆっくりと伸ばしてくれる。
僕はそれを逃さないように、優しく、そして素早く握りしめる。
ちょっとだけヒンヤリとした先輩の手が、一瞬ビクッとするが、そのまま僕の手を受け入れてくれる。
僕は恥ずかしいので深谷先輩の顔は見ることは出来ず、ずーっと握られた手を見ていた。
小さくて細い指の、女の子の手を……
「いつまで握ってるのよ!」
「す、すいません」
手を振り払われた僕の右手は居場所がなくなり、慌てて写真を確認しにスマホへと伸びる。
ん~ 暗くてよく分からないけど、なんとなく僕と深谷先輩が海を背景に手を繋いでいるのは分かる。
でも、想像していたのとは違い、手を繋ぐというより仲直りの握手をしているような感じになっている。
まぁ、これはこれで、いっか。
「深谷先輩、写真、上手く撮れ……」
後ろを振り返ると、深谷先輩はさっきまで僕の手を握っていた右手を、海水で必死に洗っている姿が目に飛び込んできた。
そん……なに? 汚ない? かな……
「あ、あの、深谷先輩。写真こんな感じですけど……」
「もういいんじゃない? お迎えも来ていることだし」
え? むかえ?
深谷先輩の向ける視線を辿っていくと、ひっそりとたたずむ海の家の物陰から、こちらを覗く人影が……
あれ……もしかして、部長?
顔がはっきり判別できるところまで近寄ると、やっぱり夕食の準備をしているはずの部長だった。
いったい何時からここに居たんだろう?
まさか、会話を全部聞かれてたりしたら、すごく恥ずかしいぞ。
「あの……なにしてるんです?」
「見張ってるの」
「誰を、ですか?」
「春山くんを」
「何で、ですか?」
「みーちゃんに変なことしないか」
「しませんよ!」
変なことしようものなら、深谷先輩に本気で海に沈められる。
「ねえ、写真、いいの撮れた?」
「まぁまぁですかね」
そう言って先ほど撮った写真を見せる。
「いいね、 よく撮れてるね、でも……」
「でも……?」
「せっかくだから、私も撮って!」
「は? なんでそんなことを?」
また話がややこしくなるよ。
でも部長の事だから、気がすまないと帰らないだろうから……
「深谷先輩? 部長がこう言ってますけど……」
意見を聞こうと振り返ると、深谷先輩は一人で勝手に帰ろうとしていた。
そうはさせない!
部長とこんなところで二人っきりにされたら、それこそ、なにされるか。
「3人で撮りましょう! 深谷先輩も!」
「……」
「そうだね、みんなで撮ろう」
「……」
「3人で手を繋いでね!」
「えっ?」
「……」
結局……
いつものように部長の思いつきで振り回されることに。
僕たち3人は部長を真ん中にして、仲良く手を繋ぐ……
「なんだか家族みたいだね」
「家族、ですか?」
そんなことを恥ずかしげもなく口にする部長。
「うん。私と春山くんが夫婦で、みーちゃんがその娘」
「香奈衣、やめてくれる? そんなこと言うの」
本当にやめてくださいよ。
どこからそんな発想が生まれてくるのやら。
まぁ、これで深谷先輩の機嫌もなおって、楽しそうでよかった、よかった。
それにしても、この場所は深谷先輩にとっての家族との大切な思いでの場所だったんだなー
それが今回、新たな夏の思い出となって記憶に刻み込まれるのだ。
それは僕にも言えること。
ここでの思い出は、この先の遠くの何処までも、
それこそ、結婚して、子どもができて、本物の家族と海岸を歩いているその時も、きっとこの日のことを思い出しているにちがいない……




