第87話 海で泳ごう
前回のあらすじ
春山くん、水責めにあう。
陸に上がることができた僕は秋芳部長に海へと連れられて、浜辺からちょっと離れた沖のほうまでやって来てしまっていた。
これ以上先には、遊泳禁止でいけないようなところだ。
海水が僕の胸の下まで浸かっている。
部長は首から下、胸は水面下に隠されている。
これなら、部長の僕を惑わす身体が見えないので、だいぶ精神的に落ち着くことが出来る。
「ここなら周りに人がいないから大丈夫でしょ?」
部長が満足そうに微笑む。
周りの人に見られると恥ずかしいから……と言ったら、ここまで連れてこられてしまった。
確かに誰もいないけど、それは要するに僕と部長の二人っきりということだ。
それはそれで、恥ずかしいというものでして……
「じゃあ、一緒に泳ごう!」
と、いきなり背中に飛び乗ってきた!
「わー なにしてるんです!」
慌てて身体を左右に激しく振って、部長を振り落とす。
「急に抱きついたりしないでくださいよ!」
「おんぶして泳いで。どこまで泳げるか、やってみて」
なんで?
なんで部長を背中に乗せて泳ぐの?
「嫌ですよ、そんなこと」
「えー だって一緒に泳ぐって……」
いっしょに? そういう意味の一緒?
無理、無理、無理!
なに言ってるの? この人。
それは後ろから抱きつくということで、要するに部長の胸が僕の背中にくっつくということでして……
うかつに近寄るとコバンザメみたいに引っ付いてきそうなので、ちょっと距離をとっておくことに。
しかし部長の方は、何かと近寄ってきては……
「ねえ、こうやって浮かんでるだけでも、波に揺られて楽しいよ」
とか……
「仰向けになって浮かぶと、空が見えて綺麗だよ」
とか……
「魚とか泳いでないかなー イルカとかクジラ、いないかなー」
とか……
接触を試みようとしてくる。
しかし、元気だなー
この夏の日差しにも負けないくらい明るくて、見ているだけで元気がもらえるような気がする。
ただ、距離感が近い。
僕なんかは、遠くで部長を見ているだけでいいのに。
夏の海という場所で、裸に近い状態というのが、人を開放的にさせているのか?
しかも学校では社会が、学校が、先生が、校則が自由を制限していたが、ここではそれがない。
部長は今まさに、水を得た魚状態!
ちょっとは部長の動きを規制してもらいたい。
「ねぇ、春山くん! そこで待ってて。泳いでいくから」
そんな数メートル距離を取っていた部長が、手を上げながらピョンピョン飛び跳ねた後、海面に顔をつけ僕に向かって泳いでくる。
こっちにこられても困るので、こっそり後ろへ下がっていく。
僕と部長との距離は縮まらない……
「あれ? 春山くん?」
「……」
息継ぎで顔を出した部長が立ち止まり、不思議そうにあたりを見渡す。
そしてまた部長が海に顔をつけて泳いでいるタイミングで、僕は後ろのほうへと逃げていく。
「……あれ?」
「……」
おかしいなーと首をかしげながら、気を取り直して「春山くん、待っててね」と言ってまた潜る。
健気にまた泳いで僕のもとへと来ようとがんばる。
僕は後ずさりす……
「……」
っと!
泳ぐのはフェイクで、ただその場で潜っただけだった!
すぐに海面から顔を出して僕のことを睨む。
「も――!! なんで逃げるの!?」
「いや、別に逃げてなんか……」
「絶対にそこから動かないでね。そこまで泳いでいくから!」
「……はい」
部長は今度は顔を出したまま、ゆっくりとこちらに向かって平泳ぎでやって来る。
……これでは逃げられない。
僕は覚悟を決めた瞬間……
「あっ」という声を残して……
部長が海の中に沈んでいってしまった。
え? どうしたの?
……
……浮かんでこない。
もしかして、溺れたの?
あれ? 出てこない?
息継ぎしに海面に上がってこない!
どこ行った? 部長?
まさか本当に流された!?
溺れた!?
「部長! どこですか部長!」
さすがに不安になって、部長の姿が消えたところまで急ぐ。
……が、すぐに僕の足に何か絡みつくものが?
それはだんだん腰から胸へと昇っていき……
僕の目の前で黒いモノ…………いや、部長が急浮上する!
「……春山くん、やっと捕まえた!」
水しぶきと共に出現した部長に、僕は両腕をしっかりとつかまれていた。
「部長!! なにしてるんですか!」
「……え? ちょっと足、つっちゃった。かな?」
……
……絶対うそだよ。
その可愛い笑顔には騙されないぞ。
「変なことしないでください。溺れたのかと思って心配しましたよ」
「……心配してくれるんだ?」
「……いや、それは……当然……」
「でも、もし動けなくなったら、春山くん、私を抱っこして連れて行ってくれる?」
本当にそんな状況になったら、もちろん連れて行くけど。
そんなこと言ったら、今から連れてってと言われるから、あえて何も答えない。
「じゃあ、足痛めたなら、もうそろそろ戻りましょう」
「もうちょっと泳ごう?」
「足、大丈夫なんですか?」
「直った」
…………
僕は部長の手を振りほどいて、反対側を泳いでいく。
「待って! 春山くん!」
僕は泳ぎながら逃げる。
それを部長が追ってくる。
僕の方が若干、速度が速いので、部長との距離が少しずつ離れていく。
後ろの方で僕の名前を叫ぶ声が聞こえるが、無視して泳いでいく。
そしてしばらく泳いでいくと、その声も聞こえなくなってしまった。
……部長?
声が聞こえないと、それはそれで不安になる。
でもまた、騙されるかも。
そう思いながらも後ろを振り向くと、後ろの方でそのまま海面に困ったような顔を出したまま動かない部長がいた。
「部長ー!?」
……返事がない。
「どうしたんですか? 部長?」
散々さっきまで追いかけてたのに、その場から動こうとしなくなった。
もしかして本当に調子が悪くなったとか?
僕は部長の方へと引き換えし、様子をうかがう。
「……部長?」
「……どっかいっちゃった……」
「はい?」
「水着、取れてどこか行っちゃった……」
「はあ?」
水着が取れただって!?
なんでそんな、え?
うそでしょ? え?
でも部長の様子を見ると、両手で胸を隠すようにして、立ち尽くしている。
「ないって、その……上のが、ですか?」
小さく頷く。
でも、周囲を見渡しても、それらしきものは浮かんでないし。
「本当にないんですか? どっかいっちゃったんですか?」
また小さくうなずく。
「また騙そうとしてるんじゃ……」
「なら見てみる?」
と、両手を持ち上げようとする。
「分かりましたから、そのままで!」
そんな、すぐ取れそうな水着なんて着るからですよ!
「えーっと、どうしましょう。えー 誰か呼んできます」
「待って!」
え?
「一人にしないで」
「そんなぁ……じゃあ、どうしろと……」
「貸して」
「……なにをです?」
「春山くんの水着」
「僕、今、はいてるのしか……ないですよ」
また小さくうなずく。
なに? え? 脱げって言うの? なんで?
「春山くんの水着で胸を隠しながら戻るから」
「そ、それは……」
「そしたらすぐに返すから」
「僕はどうしろと?」
「男の子なら、しゃがんだり、うつ伏せになれば、ぎりぎりまで戻れるよね」
「そう……です……けど……」
これは……困ったぞ。
でも……
脱いで……
渡すしか……
ないのか?
でもその間、僕は全裸なんでしょ?
本当に、どこかに浮いてないの?
もう一度確認して……
「春山くん」
「は、はい!」
「貸してくれる?」
そんな海面から顔だけ出して、
恥ずかしそうに、
上目遣いで、
訴えるような目で、
僕のことを見られると……
「分かりましたよ……ちょっと待っててください」
僕は海パンに手をかける。
そしてゆっくりと足を抜き……
部長が、そんな僕の様子をジーっと見つめている。
いくら水中で見えないからって、脱ぐ時くらいは、こっちを見ないでもらいたい。
僕は今から全裸になろうとしてるのだから……
部長の目の前でパンツ脱いで裸になるなんて、なんて不埒なんだ。
体が熱くて、周囲の海水が干上がってしまいそうだ。
そして……
僕は脱ぎたての水着を持った右手を、部長へと伸ばす。
お互い精一杯手を伸ばし、距離をとりながらそれを受け渡す。
そして部長の手に僕の水着がとどくと……
奪うように、すばやく手で掴み取り、
「やったー! 春山くんの水着、ゲット!!」
と、大声で叫びながら飛び跳ねる部長……?
ちょっとそんなに飛び跳ねると、胸が見えちゃうか……
って……
あ―――!!!
ちゃんと部長の胸には水着がついている。
飛び跳ねた弾みで部長の上半身が見えたが、水着なんて脱げてなんかいない。
ちゃんと身についてるのが確認できた。
「ちょっと! 部長!! あるじゃないですか!」
「今、戻ってきた」
「なに言ってるんです! 返してください!」
僕が手を伸ばすも、それを背中の後ろに隠してしまう。
「ぶちょー!」
なんで! こんないたずらするんだよ!
本当に困るんですけど!
こっちは全裸なので迂闊には近寄れない。
ちょっとずつ近寄って取り返そうとするも、僕が距離をつめた分だけ部長が後ずさりしていく。
「部長! なんで逃げるんですか。返してくださいよ」
「さっき春山くんも逃げたでしょ?」
「……いや、それは」
「欲しかったら、ここまでおいでー」
今回のは、いくらなんでも、さすがにやりすぎだよ。
「もー 本気で怒りますよ!」
「……だって……春山くん、全然一緒に遊んでくれないじゃん」
「……え?」
「全然違うところ見てるし」
「……」
「一人でどこか行こうとするし」
「……」」
「これだと、一人で海に来たのと変らないよ」
「……」
「だから……こうでもしないと、春山くん逃げちゃうでしょ?」
「……いや、その、でも……」
「私と一緒じゃ、嫌なの?」
「そーゆー ことじゃないんですよ。その……」
「その?」
「……その……恥ずかしいというか、照れくさいというか」
だってそうでしょ?
水着姿の可愛い女の子が、僕なんかのところに近寄ってくれば……
それ以上なにも言えなくなると、お互い無言になってしまう。
波の音だけが周囲を包み込む。
押したり引いたりする波に揺らされ、なんだか宙に浮いているような、変な感覚に……
「私も……私もだよ」
「え?」
波に消えそうな、そんな小さな声が返ってくる。
「でも、恥ずかしがってたら、もう二度とこんな機会、訪れないかもしれないから」
「そんな、二度とこないだなんて」
そんな大げさな……チャンスはいくらだって……
「『やるのは一時の恥、やらぬは一生の恥』って、言うでしょ?」
「……いや、それ、『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』では?」
「恥かしがっててなにもしなかったら、後でやりたくても出来なくなって、後悔するかもしれないよ」
「いや、でも、そんな。また来年……」
そう言いかけたが、部長の真っすぐ僕に向けられた真剣な眼差しを見て、口を止めた。
そもそも来年これる保証もないし、なにより部長たち先輩は来年高校3年生の受験生か就活生。
部長はともかく、この茶道部の人たちが全員そろってこれることなど、はたして可能なのか?
今日はたまたま天気がよくて海に来れたけど、日程が台風上陸の時と重なったり、もしかしたら誰か怪我したり病気だったら、海なんてこれない。
本当にこれが最後かもしれない。
恥ずかしがって何も行動しなかったら、もう二度とチャンスは訪れず、一生後悔する羽目になるかもしれない。
一生に一度の出来事。
過ぎた日は二度と戻ってはこない。
その時その時、できることを精一杯やる。
一期一会か……
「……分かりました。もう逃げませんから」
「ほんと?」
「まだ時間ありますし。一緒に泳ぎましょう」
「うん!」
今まで哀しげだった部長の顔が、一瞬で花が咲いたように明るく輝きだす。
「で、あの……返してもらえます?」
「はい」
と、部長が水着を持った手を差し出す。
……が、手にはなにも握られていない。
「部長?」
「あ、あれ?」
急にあたふたして、くるくる回りだす。
「部長、もういいですよ、そんな冗談」
「……どうしよう! 本当にどこかいっちゃった……」
……
…………
……え? 今回は本当??
あれ?
もしかして、向こうのほうで漂っているのって……
「あー 流されちゃってる!」
「ちょっと! なにしてるんですか!」
急いで泳いで取りに向かう。部長もそれに続く。
そして、お互い僕の水着を取ろうとして、
同時に手が触れ合い……
腕が絡み合う。
ちょっ、えぇっ!!
慌てる僕の、そんな様子を見て部長は笑う。
かつてないほどの近距離。
一歩間違えれば、身体と身体が触れ合う。
そしてこちらは全裸。
遮るものは夏の暑い日ざしと、ひんやりとした海水のみ。
急いで水着を取り返し、その場で慌ててはき直す。
「危なかったね、春山くん」
「勘弁してくださいよ、もぉ……」
本当にいろいろと危ないところだった。
そんな僕のことを、部長は目の前で、穴が開くほど、夏の太陽よりも熱く見つめてくる。
……
…………
でも、恥ずかしいものは恥ずかしい!
やっぱりだめだ!
恥ずかしくて、赤くなってるであろう顔を見られたくなくて、とっさに僕は海に中へと潜る。
海の中はいい。
誰にも見られないし。
もうこのまま、貝になってしまいたい……
この物語を読んでいただき、ありがとうございます。
ちょっと長くなりましたが海水浴編は終わりまして、この後は「夜の浜辺」「花火」「就寝」そして3日目と続いていきます。
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