第65話 台風
今日は朝から大雨。
台風が発生し日本に上陸、昼過ぎにこの地域に接近する模様。
授業中も雨が窓をたたきつける音と、風できしむ音で先生の声が聞こえないほどだった。
でも予報ではそれも昼過ぎまで。夕方には弱まるようなことを言っていた。
僕と秋芳部長と深谷先輩は、いつも通り部活をして夕方に帰れば、雨風も弱まってちょうどいいと思っていた。
……だが、帰る時間となっても、風が激しく窓ガラスを叩きつけている。
しばらく部室にいれば、風はおさまるだろうと思いきや、どんどん勢いは増すばかり。
深谷先輩はすでに帰る準備をして窓の外の様子を眺めているが、そんな状態がもう10分くらい続いていた。
「おかしいですね。夕方には弱くなるって予報だったのに」
スマホで調べてみると、どうやらまだ通り過ぎていないようだ。
「進路が変わったのかな? 台風は気分屋さんだからね」
まさしく気分屋である部長は座ったまま、悠長なことを言っている。
「でも、もうそろそろ帰らないと、キリがないですよ」
別に家に帰ってもやることはないけども、このままここで泊まりたくはない。
もうこの雨と風の中、濡れるの覚悟で帰るしかないのだが、さっきから深谷先輩が「もう少し待って」と言って、なかなか帰ろうとしないのだ。
「深谷先輩、どうしたんですかね?」
「ん~」
部長にヒソヒソ尋ねてみるも、明確な答えが返ってこない。
「もうこれ以上待っても、おさまらないですよ」
「そうだね」
「濡れるのが、嫌なんですかね?」
「もしかして……みーちゃん、風、気にしてるのかも」
かぜ?
台風来てるのに風を気にしていてはしょうがないのだが。
「ほら、スカートが……ね」
「スカートが?」
「風で、ちらっとね」
と、部長がスカートの裾を少しめくって見せる。
「そんな理由で、こんな時間まで残ってたって言うんですか!?」
……しまった、つい大声で叫んでしまった。
でも、深谷先輩は微動だにせず、窓の外に目を向けたままいる。
風でスカートがめくれるのが嫌で、弱くなるまで待ってたっていうの?
そんなことのために?
「……部長は、大丈夫なんですか?」
「私、レインコートだよ」
そうだった。
しかし、深谷先輩が何も言ってこないってことは、部長の言う通りなんだろう。
スカートを気にするなんて、ちょっとかわいいじゃないですか。
今まで厳しく叱られている僕は、そんな深谷先輩に面白半分で、つい言ってしまう。
「そもそも台風が来てるのに、なんでそんな格好で学校に来るもんですかね」
「……」
「部長は、ちゃんとレインコートで来てるし」
「……」
「スカート、わざわざ短くして」
「……」
「大丈夫ですよ、誰もスカートの中なんて見やしませんよ」
「…………じゃぁ……」
「え?」
「じゃあ、あなたが着なさいよ!!!」
「ええっ! ちょ、ええ!?」
「私があなたのズボン履いて帰るから! あなたはスカートで帰りなさいよ!!」
凄い剣幕で詰め寄って来て、僕のベルトを奪い取ろうとする。
それをなんとか阻止する。
「す、すいません! ごめんなさい、それはちょっと……」
あぁ……言い過ぎてしまった……
「春山くん? 体操着とか持ってないの?」
「今月の授業は水泳なので、持ってきてないです」
「他の人も持ってないよねー もうこんな時間だし……」
「どこかの部活から借りてきたらどうです? 剣道部とか柔道部の道着を借りてくるとか?」
「私に道着を着て、帰れっていうの!」
「いや……そういうわけじゃあ……」
深谷先輩の心は台風並みに荒れていた。
「じゃあ、あなたがそれ着て帰りなさいよ!」
「えぇ……すいません……」
「みーちゃん。そしたら、私のレインコート貸してあげるから、大丈夫だよ」
部長があいだに入ってくれて、僕は命拾いした。
「……香奈衣はどうするのよ?」
「私は作るよ」
「「作る?」」
レインコートを今から、ここで作るの?
そんな謎の発言をした部長は、押し入れを開けてなにやら探し始める……
そして「あった!」と、一枚の半透明のゴミ袋を取り出すと、底の部分に丸い穴を、左右両方にもハサミで穴を空ける。
「これを、こうやって被れば……」
え? 部長? もしかして、そのゴミ袋を……
「ほら! レインコートの完成!」
「部長……やめて下さい!」
ゴミ袋を頭から被り、頭と両手を穴から出しただけの即席のコート。
まるで怪人みたいな……
そんなことする女の子いないですよ……
そんな情けない格好はしないでもらいたい。
僕の憧れの女性が、そんなダサい格好して町中を歩かないでほしい。
本当に、ホントーに勘弁してください!
「部長、せめて、腰に巻くだけにしてください」
「腰に? 巻くの?」
僕はすぐさまゴミ袋を抜き取り、部長をみっともない格好から解放させる。
そしてその袋を部長の腰に、巻き付けてあげる。
「わぁ~ なんかいいかもー」
スカートの上にその辺にあるゴミ袋を巻いただけなのに、上機嫌で腰をくねらせてくる。
「シースルースカートみたいだね」
「まあ、それっぽいですが。あくまでもこんな状況だからですよ」
「スカート脱いで、これ着たら……」
「丸見えじゃないですか。意味ないですよ!」
「これ、ずーっと春山くんが押さえててくれるの?」
「そんなわけないでしょ。なにか、ベルトかありますか?」
「ガムテープで止めておこっと」
「部長……」
これでようやく帰る準備ができた。
先頭には青いレインコートを着た深谷先輩。
その後ろにゴミ袋を腰に巻き、傘を差した部長。
そして最後に、部長の荷物も持った僕が。
しかし、いざ外に出てみると……
「すごい風―!!」
部長の叫び声が、風に流され搔き消えるくらいの、暴風が吹き荒れていた。
建物の中にいたから分からなかったが、ものすごい風が吹きつけてくる。
雨なんか、真横から弾丸のように降り注いでくる。
これ、もう、傘の意味ないじゃん。
むしろこの風では、傘なんて役に立たないよ。
「もうタクシー呼んだ方がいいんじゃないですか!?」
「えー なにー? もうたくさん、読んだ!?」
僕の声が、目の前にいる部長にすら、全然届かない。
これ、無事に帰れるのか?
学校から出ただけで、すでに下半身が水の中に入ったかのように、びしょびしょになってしまった。
靴の中にも浸水し、歩いても歩いても池の中を進んでいるように、ちゃぽちゃぽ音を立てる。
そんななか僕たち三人は、腰をかがめ、芋虫のようにゆっくりと進む
時折弱まったかと思った風が、いきなり強く吹きつけるたびに、傘が左右に振り回される。
それと一緒に部長の髪も、くるくると乱れまわる。
「部長、大丈夫ですか? 気をつけてくださいよ!」
「なに? 腸だいぶきつく?」
「……大丈夫ならいいです! 死ななければいいです!」
そして、なんとか3分の1の道のりを歩いてこれた。
まだ先は長いな~
そんなことを考えていたら、今までで一番強い突風が僕たちを真横から襲ってきた。
突風にあおられた部長の傘は、大きく揺さぶられて、傘の部分が裏返り、そして折れ曲がり、
「あぁっ!」
という部長の悲鳴と共に後ろへと飛んでいってしまった。
僕は慌ててそれを取りに戻るが、もうこの傘は使用することができない状態まで折れ曲がってしまっていた。
とりあえずそれを持ち部長のもとへ。
「大丈夫ですか?」
「うん……」
戻ってくる数秒の間で部長はすでに、頭からぐっしょりとバケツの水をかぶったように濡れていた。
部長を僕の傘の中に入れるが、もう手遅れなような気がする。
でも無いよりかは……
と、そこに、さらなる突風が……
「あ――!」
大きな音をたてながら腰に巻いていたゴミ袋も取り去ってしまった。
僕は足にまとわりついたゴミ袋を拾い上げる。
「助けてー! 春山くん!」
「ちょっと無理ですって」
スカートを押さえたまま。しゃがむ部長。
お尻隠して、頭隠さず。
僕はなんとかしてあげたいが、両手に二人分のカバンと、傘と折れた傘と、さらにゴミ袋。
両手がふさがってしまってる。
そんな時、先頭の深谷先輩が振り返り、無言で手を伸ばす。
荷物を持ってくれる? のかな?
なにも言わずに折れた傘とゴミ袋、そして部長の荷物を引き取られる。
「部長、行きましょう」
「うん」
スカートを押さえたままの部長を傘の下に入るよう、なるべく寄り添うように歩く。
恥ずかしいが、今回はそれどころじゃない。
ゆっくり、そしてゆっくりと、いつもの3倍くらい時間をかけて進んでいく。
そんなこんなで、なんとか途中の公園までたどり着く。
ひとまず屋根のある東屋に避難し、体勢を整えることに。
ここは周囲に木があるせいか、幾分風が弱まって吹いている。
「あー もう、びしょびしょ」
部長は滝でも受けていたのかというほど、頭から足先までずぶ濡れに。
長い髪を首元でつかみ絞ると、本当に滝のように水がしたたり落ちてきた。
僕も全身すっかりびしょ濡れで、服と肌が引っ付いて、この生ぬるい気温と水も相まって非常に不快だ。
部長の制服も水分を含んで体に密着している。
制服ごしからでも、その緩やかな曲線を描いたボディーラインが浮き彫りになっている。
そんな部長も、スカートの裾を握って絞っている。
そのたびに、雫がしたたり落ちる内ももが視界に入って来て、僕の心を台風がきたかのように乱してくれる。
深谷先輩もハンカチで部長の髪や顔を拭いてくれているが、そんな小さい面積では全部をぬぐうことはできない。
「あの、ちょっとここで待っててください」
「どうしたの?」
「僕が先に家に帰って、タオルと傘を持ってきますんで」
「えっ? でも……」
「すぐ戻るんで待っててください」
僕は心配そうに見つめる部長らを置いて、タオルと傘を取りに戻った。
十数分後、相変わらず雨と風が吹きつける中、僕は急いで部長たちの待っている公園まで戻ってきた。
「お待たせしました」
ベンチに腰かけてる二人の前にやって来て、僕はバスタオルを渡す。
「ありがとう。春山くん」
部長はバスタオルを頭から被り、グシャグシャっとする。
「私は……いいわ」
深谷先輩は自分のかわりに、部長の肩へとタオルをかけてあげた。
「あったかーい」
部長が、モフモフの白いタオルに包まれて、生き返ったかのような笑顔をのぞかせる。
「あと、すみません。これでよかったら……」
「なに?」
専用のポーチに入った半透明のレインコートを、部長に手渡す。
「これ……もしかして買ってきてくれたの?」
「家になかったんで。傘だと、どうせまた壊れるだろうし」
しばらく部長は手に持ったそれを、大きな瞳をさらに大きくさせて見つめ、そしてこの風を吹き飛ばすくらいの笑顔を僕に見せてくれた。
「ありがとう!」
「……さあ、早く帰りましょう」
「うん!」
嫌な事、辛い事には必ず終わりがあるように、台風も常に続くわけではない。
多少雨風の弱まった中を、僕たちは進む。
真新しいレインコートに身を包んだ部長は、初めてそれを着た小学生のように楽しそうに、体を大きく揺らしながら雨をかき分けていく。
そして、ようやくいつもの、別れの十字路に到着する。
「じゃあ、あとは気をつけて帰ってください」
「タオル、洗って返すからね」
「あー 別にいいですよ」
「またね、春山くん。ありがとう」
別れた部長の後ろ姿が、雨でかすみながら遠ざかる。
あー 早く帰って、シャワー浴びて、着替えて、横になりたい……
「春山君」
「あ、はい?」
雨の音でよく聞こえなかったが、深谷先輩に呼ばれた気がしたので、振り返る。
そこにはまだ立ったままの深谷先輩が。
「今日は……ありがとう……ね」
「……ん? はい?」
よく聞き取れなかったが「ありがとう」って言ったような?
フードを深くかぶり眼鏡も曇った深谷先輩の表情は見えなかったが、そんなように聞こえた気がした。
深谷先輩はそのまますぐ、先に行った部長の後を追い、小走りに去っていった。
深谷先輩、なにを言おうとしてたんだろう?
まぁ、いいや。
台風みたいな部長も、帰ったことだし。
僕も早く帰ってゆっくりしよう。
しかし、これから台風の季節。
そして、夏休みが始まろうとしている。
きっと部長という名の台風は、僕に急接近し上陸し、
いろんなことを掻き乱し、騒いでいくんだろうなぁ……




