第64話 練習試合
前回のあらすじ
部長と春山くんは、水泳部の練習試合のためプールへ
プールのあるこの空間での、秋芳部長の存在は異質だった。
今日、ここに集まった人たちは、きっと全国レベルのスポーツ学生。
体格が未成年ながらも、見るからにアスリートの体つきをしていた。
特に競泳選手の、あの独特の体型。
逆三角形をした上半身と太い足。
肩幅も大きく、胸回りや背中には筋肉と脂肪でできた上着でも身にまとっているのではないか、と思えるほどの上半身。
それに対して部長は、テレビや雑誌の中にいるアイドルのような、スラッとした細身で、出るところは出ている肉付きの良い体型。
明らかに競泳が目的というよりか、取材とか撮影のためにプールに来ました、みたいな雰囲気だ。
髪の毛だって、水泳してる生徒はほとんど短くしてるっていうのに、部長だけロングだし。
なので当然、周りの生徒からは注目される。
いつのまにか他校の生徒、男女問わず視線を浴びることに。
羨望と憧れ、妬みと嫉妬の入り交じった視線。
そんな人気者の部長のことが、自分のように誇らしく思える反面、誰にも見せたくない秘密にしておきたい特別な存在と言う気持ちも、心のどこかには感じていた。
やっぱり部長は誰が見ても美しい部類の人間に入るんだろう。
でも部長は、周囲から注目を浴びたいなんて、望んでいるわけではない。と、僕は思っている。
部長はそんな人ではない。
外見が可愛いだけの女の子じゃないんだ。
中身も素敵な人間なんだ、と……
そしてそのことを知っているのは僕だけなんだと、おこがましい妄想に近い自信。
『私だけ見ていて』
そう言われた僕。
もともと競泳には特に興味もなく、競技中はずっと初めから部長かのことしか頭になかった。
そもそも、ここには部長が来るから付いてきたわけで。がんばっている部長の、少しでも力になれればという思いで来たのだ。
他の人が僕のことを、どう思おうが関係ない。
あそこにいるの誰?
部長と話してる男は何者?
きっとそんな噂しているだろう。悪口でも言っているのだろう。
ちょくちょくこっちを見ながら、話している人たちにも気がついてる。
……って、さっきから、なんなんだろう?
イライラして競技そっちのけで、心の中で愚痴ばっか言ってたわ。
そんな僕の気持ちには関係なく、競技は滞ることなくスムーズに進行していく。
そして女子の最終種目、女子メドレーリレーの時がついにやってきた。
メドレーの順は背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライ、自由形の順で行われる。
背泳ぎには南先輩が、平泳ぎには部長が泳ぐようだ。
一人100メートルも泳ぐんだ。
ここのプール1往復分。
しんどいなー
大丈夫かな? 部長。
先の女子個人種目には、部長は一切参加していない。する必要もないし、体力がなくなるから。
部長の一回だけのレース。
それが今、始まろうとする。
遠くで僕は見守る。
一言、言葉をかけてあげたいところだけど、かける言葉が思いつかない。
でもレース直前に、部長は僕の方に顔を向けて、小さく手を振ってくれた。
逆に僕が励まされるなんて、恥ずかしい。
そして……
スタート合図のブザーが鳴り、ついにメドレーリレーが始まった。
最初こそは無難に泳ぐ南先輩だったが、やはり後半は先頭集団から突き放され、2メートルほどの差が開いてしまう。
スタート台に上がり、準備する部長。
その姿は表彰台の上に載ったミスコン優勝者のような風格。
泳がなくても、もうそこにいるだけで十分だった。
そして……
南先輩が壁にタッチすると同時に、部長が飛び込む。
空中を飛ぶ様子も、水中で泳ぐ姿も、全てが絵になる。どの瞬間を切り取っても、最高の映像が写し出される。
勝負の行方などは最初から気にしてはいない。
ただ部長の姿を目で追うだけ。
でも、すごく辛そうだった。
日頃鍛えているわけでもない人が、行きなり競泳で100メートル泳げだなんて。
遠くから見て応援することくらいしかできない。
このもどかしさと、なるせなさ……
トップと大きな差を開けられて、折り返して戻ってきた部長。
ゆっくりと壁をタッチし、今ようやく役目を終えた。
水中から上がる部長は、上半身をすべて使って呼吸をしていた。
みんなに声をかけられては笑いながら答えていたが、すごく苦しそうな表情を時折見せていた。
なにもしてあげられない自分の不甲斐なさを呪った。
部長の側では南先輩が気を使ってくれていたのが唯一の救いだった。
みんなに囲まれた部長が、その隙間から僕を見て、消えそうな笑顔を見せながら、弱々しくもまた手を振ってくれる。
そんな姿が、すごく健気で、愛おしく思ってしまい、今すぐ駆け寄りたい衝動にかられた。
もうレースは終わった。
これで僕たちの、ここにいる義理もなくなった。
まだリレーの途中だが、結果などは知りたくもないし、興味ない。
よし、早く部長と一緒に帰ろう。
僕はすぐに荷物をまとめて部長ものとへも駆け寄る。
が、プールから上がった部長を、まるで弱った獲物を狙うかのように、男子部員たちが集まって話しかけてきた。
「速かったね、かなちゃん」
「助かったよ、ありがとう」
「よかったら俺たちの泳ぐところ最後まで見てってよ」
「この後、打ち上げとか行かない?」
あー もう、なんなんだよ、この人たち!
どさくさに紛れて、他校の部員までも取り囲んでる。
部長に近寄りたくても、人のバリケードで入っていけない。
「部長ー」
全然声もとどかない。
「部長! 秋芳部長!」
もう、思い切って群集の中をかき分けるように、ねじ込んで強引に潜り込む。
「おい、なんだこいつ」
「だれだよ、お前」
おまえらこそ、なんなんだよ。
そこには、バスタオルに包まって、さなぎのように静かに立ち尽くしていた部長の姿が。
「秋芳部長!」
「春山くん!?」
無我夢中で部長の手を掴み、
「行きましょう!」
無理やり引っ張り連れ出す。
硬く、冷たくなった部長の手が、僕の体温を吸収していく。
水分を含んだ重く、長い髪が左右に揺られるたびにキラキラと反射する。
何人もの人に体当たりしながら、人ごみの中から脱出する。
後ろの方で罵声が聞こえるが、よく分からないし気にしない。
とにかく逃げるようにして、走ってはいけないとされるプールサイドを駆け抜ける。
ただ、部長をこの空間から遠ざけたいという一心で……
「まって!」
重い悲鳴を上げた部長に、僕はハッとして足を止めた。
振り向くと苦しそうに屈みこんで、両肩を上下に揺らしながら体全体を使って息をする部長の姿があった。。
「す、すいません。いきなり走っちゃって」
泳いだ直後の部長の手を、むきになって引っ張り、何も考えず駆け足で強引に連れてきてしまった。
その状態で、気がつけば更衣室の前までやって来ていた。
「ごめんなさい、部長。大丈夫ですか?」
3回ほど深い呼吸をした後、下を向けていた顔をゆっくりと持ち上げた部長は、少し困惑したような表情で、重い呼吸と共に声をもらした。
「……びっくりした~ 急に手を掴んで、行こうって……」
そこで僕は、まだ部長の手を握っていることに気がついて、慌てて手を放す。
「いや……ちょっと、なんか……囲まれてて、あのままだと……帰れそうになくて」
部長は手にしたバスタオルを、もう一度肩からかけ直す。
「ありがとうね」
「……」
「じゃあ、早く戻ろっか」
「……そう、ですね」
そしていつもの場所へと、二人一緒に歩き出す。
「……初めて、かな?」
「はい?」
「春山くんから手を繋いでくれたの?」
「……これは、その……緊急事態です、から……」
恥ずかしくて部長の顔を見れなかったが、フフフっという笑い声が確かに聞こえた気がした。
僕たちは部室にたどり着くと、飛び込むようにして中に入っていく。
プールの、あの水と塩素とカビの臭いから解き放たれ、慣れ親しんだ木と畳の温かい香りのする和室に戻ってこれた。
部長はそのまま柱に、身体を預けるように寄りかかり、座り込んでしまった。
「まだ、ドキドキしてる」
無理もない。あんなに体を動かしたのだから。
「ねぇ、聞こえる?」
「なにが、ですか?」
「私の胸の音」
「……いや、聞こえないですよ」
「すごくドキドキしてるよ」
そう言われ視線を落とす。
タオルの隙間からのぞかせる、部長の胸の緩やかなふくらみ。
「ねぇ、胸に手あててみる?」
「は?」
「分かるよ。心臓の動き」
「別にいいですよ」
そんなの分かったって。
「今なら私たちしかいないから、変なことしても、バレないよ」
「なにを言ってるんですか?」
またいつもの部長に戻ってるよ……
「あっ!」
「えっ! どうしたんですか!」
「南さんに、挨拶してない……」
ビックリした……
驚かせないでよ。
二人っきりで、そんな声出されたら。
よく考えたら、二人っきりという状況は、逆に部長から既成事実を作られ、僕に不利になるのでは?
「……電話かメールで挨拶しておきましょう。もしかしたら、あとでここに来るんじゃないですか?」
「そうだね」
急いで抜け出してきちゃったから……ろくに挨拶もできなかった。
そんな置いてきた人たちの心配をする部長の顔は、青白く、唇も紫がかっている。
長い時間プールにいたからか、寒かったのだろうか、緊張からなのか。
でも、不謹慎にもその薄幸そうな顔が、僕には美しく見えてしまった。
「今、お湯沸かして、お茶入れますね」
「ありがとう」
僕はその場を離れ、お湯を沸かしお茶を作る。
そして湯呑みにお茶を入れ、まだ静かに座り続ける部長に渡す。
「ありがとう」
暖かいお茶を口にすると、少しこわばった部長の表情が初めて緩んだ。
「すごく緊張したよ~」
「そうでしょう。僕は、やりたくないですよ」
「でも水泳部の、女の子のためだと思って。春山くんが応援してくれてるからって、頑張ったよ」
「がんばってましたね」
「誰かのために頑張るって、気持ちいいよね」
「……ですね」
そしてまた一口、一口とゆっくり飲み込む。
そのたびに唇も赤みをおび、顔もやや赤らんできた。
「は~ やっぱりお茶は美味しいね」
「体は大丈夫ですか?」
「うん、だいぶ落ち着いたよ」
美味しそうにお茶をすする部長は、ゆっくり顔を上げて僕を見つめながら尋ねる。
「どうだったかな?」
「よかったですよ」
「変じゃなかった?」
「普通に上手く泳いでましたよ」
「……その……泳ぎじゃなくて……」
「はい?」
「私の体、変じゃなかった?」
「……」
伏し目がちな、控えめに、そして語りかけるような目を向けて。
なんでそんなことを……
全然、どこも変ではない。
年頃の女の子の体だと思う。
むしろ魅惑的な体の持ち主で、アイドルとしても通用しそうな、そんなレベル。
もう一度、飛び込み台に立つ部長の姿を思い浮かべる。
ほっそりした体つきに、控えめな胸のふくらみ。
文句のつけようのない理想的なフォルム。
なんて答えればいいんだろう、なんって……
「そのー きれい……でしたよ」
「そっか、よかった~」
いつもの調子に戻りつつある部長は、そんな僕の困った様子を見てクスッと笑った。
「私の水着姿、きれいだったの?」
「まぁ……」
「もっと見たい?」
「結構です」
「恥ずかしいの?」
「そうに決まってるでしょ」
「私も恥ずかしかった~」
「は?」
「だって、あんなに大勢の男子の前で泳ぐなんて…」
さんざん僕をからかっておいて、結局自分も恥ずかしいんじゃないか。
「部長にも、恥じらいというものがあるんですね」
そんなことを言われたもんだから、眉間にしわを寄せ、いかにも怒ったような仕草をする。
そんな全然怖くない部長の表情も、なんだか可愛らしい。
「もしかして、私のこと恥知らずな子って思ってるの?」
「いや、そんな意味では……」
「すぐに脱いで、誰にでも水着姿を見せる女とか思ってるんでしょ?」
「いえ、思ってないですって」
「あのね……」
「はい」
「……」
「……?」
「……私が春山くんに見せるのと……」
「……はい?」
「私が春山くんに見せるのと、私が知らない人たちに見られるのとでは、全然ちがうんだよ」
「えっ?」
それは……
どういう意味?
僕には見せるけど、
他の人には見せたくない、
ってこと?
どういうこと?
そんな意味深な言葉を残した部長は、そのまま頭からタオルを被り、無言でまたゆっくりとお茶を飲み続けた。
そんなこと言われた僕は何もできず、
ただ、そのまま静かに部長の横に座ることしか出来なかった。
今回も読んでいただき、ありがとうございます。
これからも、よろしくお願いします。
次回は「台風」「終業式」「補講」「コーヒーを飲みに行こう」の順の予定です、かな?




