◆第六話『刻印契約②』
入口に立っていたのはヴィルシャだった。
ミーレスの戦闘衣に2本の剣と普段通りの格好だ。
彼女は無言のまま近くまで来ると、プリグルゥの前で足を止めた。
「……ヴィルシャ」
プリグルゥが恐る恐るといった様子で声をかける。
対するヴィルシャは居住まいを正し、目を伏せた。
「プリグルゥ様、見苦しい姿をお見せして申し訳ございませんでした」
「謝る必要なんてありません。それよりわたしはあなたがまた顔を見せてくれたことがなにより嬉しいです」
変わらぬ優しさで迎えるプリグルゥ。
そんな彼女を前に、ヴィルシャは少しばつが悪そうだった。ただ、安堵の気持ちが勝ったのだろう。口元はすぐに綻んでいた。
これでヴィルシャの引きこもり事件は終わったと言える。だが、ここから先が本題であることを、再び引き締められたヴィルシャの顔が示していた。
「俺様の前に来たということは答えを出したのだろう?」
ヴィルシャの目には決意が宿っている。
刻印契約を結ぶか否か。
すでに心は決まっているはずだ。
「わたしは貴様が嫌いだ」
「俺様はお前が好きだぞ」
「……っ、そういう余裕ぶったところが嫌いだ」
苦々しいとばかりに顔を歪めながら、ねめつけてくる。
「いきなり脱ぐところも。態度がでかいところも。軽々しく……か、可愛いと口にするところも。なにより……人間を好きなところが1番嫌いだ」
最後だけ明らかに込められた力が違った。
それほどヴィルシャにとって人間に対する想いが特別なのだろう。だが、これほど嫌いな点を挙げても〝拒絶〟の声はひとつも放たれなかった。
ヴィルシャが真っ直ぐにこちらを見据えてくる。
「今後、貴様が魔界復興を果たし、人間との共存を叶えたとき……わたしは人間を殺すかもしれない。それでも刻印契約を結べるのか?」
「そのときは主としての権限を行使し、〝人間を殺すな〟と命じればいいだけだ」
「昨日も言ったが、貴様はそれを選択しない」
相変わらず根拠もないのによく言い切れるものだ。
向けられたものが〝信頼〟かはわからないが、悪い気はしない。
「まあ、ときを経れば、お前の考えも変わってるかもしれんからな」
「それだけは絶対にない」
「言い切ったな?」
「ああ、言った」
「ならば賭けをしようではないか」
いきなりのことだったからか、ヴィルシャが訝るように「賭け?」と問い直してきた。カオスは「うむ」と頷いて話を続ける。
「お前の考えが変わらなければ、そのときは俺様を殺せ。そして空いた魔王の席には再びプリグルゥを座らせればいい」
「カ、カオス様っ! いくらなんでもそれは──」
「いい条件だ」
「ヴィルシャまでっ!」
勝手に話を進められ、プリグルゥが慌てふためいている。
そんな中、ヴィルシャは少し顔をこわばらせていた。
あまりにうまい話とあって警戒しているのだろう。
「それで……絶対にありえないが、貴様が勝ったときの要求は?」
「俺様の妃となり、子を産め」
「なっ」
予想だにしない条件だったからか。
ヴィルシャが唖然としたまま動かなくなった。
プリグルゥも絶句しているが、エルリードだけは違った。
「ねえ、カオス様。ちょっと聞いてないんだけど! あたしのときはそんなのなかったのに! どうして!? ねえ、ねえねえ!」
「あ~、少し静かにしていろ」
そう命じてようやく黙ってくれたが、怒りは収まっていないらしい。思いきり頬を膨らませながら睨んできている。いま、完全に目を合わせれば厄介なことになりそうだ。視界からエルリードを追い出しつつ、ヴィルシャとの話を続ける。
「魔界復興を果たせば平穏が訪れ、俺様の偉大なる力は必要なくなる。そうなったとき、面倒なことを押しつけるためも跡継ぎは必要となるだろう?」
「い、色々と指摘したいが……どうしてその相手がわたしなんだっ!?」
「決まっているだろう。お前のことを気に入っているからだ」
「──ッ」
またもヴィルシャが固まってしまった。
今度は耳まで真っ赤に染めた状態で、だ。
普段が普段なだけに照れた姿はなんとも面白い。
なにより、〝カワイイ〟。
そばではプリグルゥがまるで自分のことのように興奮していた。そんな彼女を横目に見つつ、ヴィルシャが下唇を噛みながら両手に拳を作る。
「くっ、魔界復興は……わたしにとっても悲願だ。そ、そのためならば……わたしの身などくれてやるっ!」
「いい覚悟だ。さすがは俺様が見込んだ女だ」
「貴様に言われても嬉しくない」
目線をそらしながらそう吐き捨ててくる。
その顔からはまだ赤味が引いていない。
やはりからかい甲斐のある女だ。
「来い」
そう命じると、ヴィルシャが嫌々ながらそばまで来た。
カオスは厳粛な声をもって弛緩した空気を引き締め、契約の句を口にする。
「ヴィルシャ・ギズスよ。汝は我──ゼスティアル・カオス・ゲートを主として認め、血と血の繋がりを持つことを望むか?」
「望んでやる」
「相も変わらず生意気な奴だ。……では、どこに印を刻むかを示せ」
応じて希望の場所を無言で指し示すヴィルシャ。
直後、カオスは思わず目を瞬かせてしまった。
意外な場所──腹だったからだ。
「お前にしては大胆なところを選んだな」
「……刻印なんて目立つものがあれば余計に見られると思っただけだ」
なにを引き合いに出したのかはすぐに理解できた。
ヴィルシャの胸はとても豊かで、種族問わず男の目を惹きつける。そんな視線に普段からさらされていることが大きな理由となったようだ。
ただ、その理由をよく思わない者がいた。
控え目な胸を持つエルリードだ。
「なにそれ。自慢なの? ねえ」
「単に事実を言っただけだ」
「余計に腹が立つんだけどっ」
「あー、それでは刻むぞ」
またもエルリードが暴走しかけていたので話を強引にぶった切った。「やっぱり大きいほうがいいんじゃない!」と叫ぶ声が聞こえる中、カオスは先と同様、血をつけた爪でヴィルシャの肌に印を刻んでいく。
さすがは純粋な戦士といったところか。
ヴィルシャはわずかな呻きすら漏らさなかった。
やがて互いの血が混ざりあい、印となって刻まれた、瞬間──。
ヴィルシャの身を包むように紫色の光が溢れはじめた。
彼女は力をたしかめるように自分の体を見下ろしはじめる。
「これが刻印契約……体の奥底から無限に力が湧いてくるようだ」
「ヴィルシャ、剣を持ってみてください。契約により、なんらかの強化がされるそうですよ」
そう促したのはプリグルゥだ。
言われるがまま、ヴィルシャが右手で1本だけ剣を抜いた。直後、その赤い刀身から轟々と炎が燃え盛った。
「《紅影》も使っていないのに……少し力を込めただけでこれほどの炎が……」
どうやら剣を通じて出せる炎が強化されたようだ。
純粋な強化ではあるが、それゆえに強力と言える。
興奮したように炎を見つめ続けるヴィルシャ。
そんな彼女に、エルリードが得意気な顔で話しかける。
「ちなみにあたしの鎖は毒を出せるようになったわ」
「……貴様にぴったりな能力だな」
「それどーいう意味?」
一気に顔を険しくするエルリード。
ヴィルシャの目線を追ってすぐに気づいたようだ。
このままだと場が荒れかねない、とカオスは素早く割り込む。
「ヴィルシャよ。もはやお前は弱点のない最高のミーレスとなった。これからは〝カオスの一門〟として俺様に尽くし、そして俺様のために力を振るうがいい」
「そんな称号はいらないし、貴様のために戦うつもりもない。だが、魔界復興のため……この力を思いきり利用してやる」
「いまはそれでいい」
思い通りにはならない。
そんな一癖も二癖もある者ほど一緒にいて面白いことはない。
カオスはふっと笑みをこぼしたのち、玉座に戻った。
これで必要な戦力は揃った。
いまこそ大きな一手を打つときだ。
カオスは右手を払いつつ、声を張り上げる。
「さあお前たち、準備をしろ。神聖都市を落としにいくぞ……!」




