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◆第七話『穢れなき人形』

 リエラ・リィンズは右手をそっと窓に添えた。


 望める景色は普段と変わらない。

 いつもの神聖都市ヴィフェレスだ。

 活気に溢れ、多くの民で通りは賑わっている。


 ただ、いまはその空気が異様に感じられて仕方なかった。


 大規模な遠征軍を迷宮に送りながら、逆に商業都市クアルデンを落とされた。その失態は民にも知られているはずだ。にもかかわらずこんなにも平然としている。


 迫る脅威はまったくないとばかりに。


「……わたくし、だけなのでしょうか」


 リエラは窓から右手を離し、ぐっと拳を作る。


 気づけば鬱々とした感情が胸中を漂いはじめていた。こんなにも気持ちが下向いたのは初めてだ。やはり外に出られない環境が影響しているのだろうか。


 リエラは窓から離れ、寝台に腰を下ろす。


 先の遠征からすでに5日が経っていた。

 謹慎処分を受けたことから、ずっと自邸で過ごしている。


 謹慎の理由は〝指揮官であるベイオーン卿の撤退指示を無視し、商業都市クアルデンの陥落を招いた〟というもの。つまり先の遠征における失態をすべて負った形だ。


 聖騎士は王国軍に籍を置いているものの、一定の自由を許された少し特殊な組織だ。そんな聖騎士をよく思わない王国軍は少なくない。ベイオーン卿が属する派閥もその1つで、今回は嵌められたという見方が正しいだろう。


 ゆえに思うところはあるが、処罰は素直に受け入れた。

 赤角討伐という与えられた命令を果たせなかったからだ。


 ただ、疑問はある。

 それは処分の軽さだ。


 1つの都市を失ったのだから、もっと重い処分を受けてもおかしくなかった。にもかかわらず受けたのは謹慎のみ。なんらかの力が働いたとしか思えない処分だ。そして、その〝力〟には思い当たる節があった。


「やはりお母様……でしょうね」


 母は聖騎士の発足にも関わった国の大物だ。

 王からの信頼も厚い。それこそ相談役として意見を求められることもあるほどだ。


 そんな権力者である母の口利きがあったことは間違いなかった。ただ、助けられたことに感謝する気持ちは湧かなかった。迷惑をかけてしまったという罪悪感のほうが勝っていたからだ。


 幼い頃から剣を学び、なるべくして聖騎士になった。その過程で厳しい訓練はあったものの、歴代の師からはとても大事にされていた。それこそ落とせば壊れる硝子を扱うかのように──。


 すべては誰もが〝母〟の威光に怯えていたからだ。

 だから大きな怪我をしたことは1度もなかった。


 リエラは壁に立てかけた姿見に目を向けた。

 そこに映るのは真っ白で傷1つない肌を持つ、人間。


 見慣れたはずの自身の姿だ。

 なのに、なぜか違和感ばかりが胸中を支配している。


 ──まるで人形のようだ。


 そんな思考が頭の中をよぎった。

 軽く頭を振ってみたが、へばりついて離れてくれない。


 立ち上がって隅に置いていた剣を手に取った。

 鞘から抜きながら姿見の前に立つ。


 鏡の中で鋭い刃がきらりと煌めく。

 この剣で体を傷つけたらどうなるのか。


 一部の者は《聖石》の力で生き返ることを神の施しと称してありがたがっている。正直、いまだに理解はできない。


 ただ、死ぬことで新しい自分に生まれ変われるとしたら。

 母という強大な呪縛から逃れられるとしたら。


 リエラは左手首に剣をそっと添えた。

 あとは少し力を加えるだけでいい。

 それだけで死は襲ってくる。


 どくん、どくん、と。


 心臓の鼓動がいきなり激しく鳴りはじめた。

 手も震え、膝にも力が入らなくなってくる。

 気づけば剣を左手首から離し、その場に膝をついてしまっていた。


「はぁっ……はぁっ……」


 戦場を含めてもこんなに息が乱れたのは初めてだ。

 しかもいまの一瞬で全身から大量の汗が滲んでいる。


 ただ、まったく熱くはない。

 むしろ寒いと感じるぐらいだ。


 刃を手首から離したせいか、急激に頭も冷えてきた。いったいなぜこんなバカな真似をしてしまったのか。これまで幾度も復活を経験していないと揶揄されてきたのに、なぜいまになってこんなことしたのか。


 ──もしや……死ぬのが怖いのか?


 唐突に記憶からある言葉が蘇った。

 放ったのは先日対峙した赤角の魔人。

 ゼスティアル・カオス・ゲートだ。


 その問いかけ自体は幾度も陰で言われてきた。

 ただ、あの魔人が口にしたそれはほかとは違った。まるで心の奥底を覗かれながら言われているような、そんな不快さと気持ち悪さが──。


 ふいに、コンコンと扉が小突かれた。


「リエラ様。クフィです。いまよろしいでしょうか?」

「…………少しだけ待ってください」


 そう応じつつ、リエラは立ち上がった。

 いまの姿を部下に見せるわけにはいかない。


 剣を鞘に収めつつ、ふぅと静かに深呼吸をする。

 充分に息が整ったのを機に扉を開けにいく。


「お待たせしました」

「い、いえ。こちらこそいきなりでしたから、お気になさらないでください」


 あたふたと応じるクフィだったが、いきなり不安げにまなじりを下げだした。リエラは首を傾げながら問いかける。


「どうかしましたか?」

「あの、大丈夫ですか? 顔色が優れないように見えます……やはり数日の謹慎が──」

「心配してくださってありがとうございます。ですが問題ありません。それより用件はなんですか?」

「も、申し訳ございません。なにより先にお伝えするべきでした」


 クフィの気遣いには感謝している。

 だが、いまの姿に言及されるのは避けたかった。


「……本日をもってリエラ様の謹慎処分が解かれたことをご報告に参りました。以降は守護者としてヴィフェレス防衛の任に戻るようにとのことです」


 10日ほどと聞いていたが……。

 思ったより随分と早かったようだ。


「あと、これからヴィフェレント城で都市防衛における会議を行うとのことで、リエラ様にも出席して頂くようにと」


 ヴィフェレント城はこの都市の政を行っている場所だ。

 また《聖石》も1階に設けた聖庭館で管理しているため、神聖都市ヴィフェレスの心臓ともいえる最重要施設だ。


 リエラは一瞬だけ目を下向けて逡巡する。

 予定よりも早かったのは、この会議のためだろうか、と。


 だとすれば、わざわざ謹慎処分を解いてまで呼び寄せているのだ。

 よほど重要なものであるに違いない。


「わかりました。伝達ありがとうございます。すぐに準備して向かいます」

「あ、あの……っ」


 扉を閉めようとしたところで声をかけられた。


 再び開いた隙間から覗くクフィの顔は、いままで見たことがないほどの必死さを孕んでいた。直視するのが眩しいと感じるほど純粋な瞳でこちらを見つめてくる。


「わたしは信じています。リエラ様のことを……誰よりもっ!」


 いったいなんのことを言っているのか。

 あまりにも漠然とした言葉だが、あの赤角の魔人──カオスの放った言葉と同じぐらい、いまの自分には不快に感じられた。



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