◆第二話『歓楽街』
充満するすえた臭い。
湿気まみれのむさ苦しい空気。
決していい空間とはいえない中、ドゥーブたちがあちこちで歓喜の声をあげていた。
「かーっ、やっぱり仕事のあとはこれに限るぜ!」
「まったくだ! これがなきゃやってられん!」
「にしても、またありつけるとはな……」
「これも魔王様のおかげだぜ。──魔王様に乾杯!」
「「「乾杯ッ!」」」
モリスの希望によりドゥーブ待望の歓楽街区画を浮上。城塞都市クイランや商業都市クアルデンを落とした際の戦利品をかき集め、幾つかある酒場のうちの1つで酒盛りをしていた。
全員が果実酒やエールの入ったカップを片手に、頬や鼻を真っ赤に染めて酔いに酔っている。陽気に肩を組んで語らったり、奇声をあげたりと楽しくて仕方ない様子だ。
そんな彼らにあてられ、カオスは思わず昂揚してしまった。
上衣を脱ぎ捨て、乾杯に応えるよう両手を広げて叫ぶ。
「ふはは! もっとだ! もっと俺様を褒め称えよ!」
「よっ、史上最高の魔王! 魔界復興、期待してるぜ!」
「ふはははは!」
褒められるのはなにより気持ちいい。
最高の瞬間だ。
「……まさかこの区画を浮上させるとは思いませんでした」
そんな困惑気味な声を発したのはプリグルゥだ。
見学目的で同行を希望されたので連れてきていた。
カオスはドゥーブたちのそばを離れ、プリグルゥのもとに向かう。
「息抜きさせる場所は元々欲しいと思っていたからな。モリスに頼まれたのは、ちょうどいい機会だった」
「そ、そうですね。息抜きは……必要だと思います」
なにやら歯切れの悪い相槌だ。
見れば、プリグルゥが顔を真っ赤にしていた。
もじもじしながら、ちらちらとこちらを窺っている。
いったいなにを恥ずかしがっているのか、と。
彼女の目線を追ったところでようやく気づいた。
プリグルゥにはまだ男の裸は刺激が強かったらしい。
いや、単に〝男〟ではなく〝逞しい男〟かもしれないが。
カオスはそそくさと上衣を着なおした。
どうやら正解だったようでプリグルゥがほっと息をついていた。それから目の前の光景を落ちついた様子で眺めはじめる。
「魔界復興までの道のりにおいて、こういった娯楽は後回しにすべきだという考えがわたしにはありました。ですが、いまの皆さんを見ていると、わたしが間違っていたのだ、と。そう思い知らされました」
「べつにお前の考えは間違いではない。ただ、俺様が目指す魔界を創るために、ここが必要だっただけだ」
「どんな魔界を目指しているのですか?」
「最高に楽しい魔界だ」
「予想通りの答えでした」
言って、プリグルゥがくすりと笑みを漏らした。
どうやら彼女の期待を満たす回答だったようだ。
そんな〝楽しい魔界〟の第一歩として、酒場はさらに騒がしくなっていた。
現在、客の多くはドゥーブだ。
ただ、紫煙衆の姿もちらほらと見える。
ほかにも酒場には不釣り合いなほど派手な格好をした魔人も混ざっていた。
「良い飲みっぷりじゃねえか、嬢ちゃん」
「ころくらいひょひゅーよ。ほら、あんらも飲みなさいよ、髭爺っ!」
「んっんっんっ……くはぁっ! 生きてるって感じがするぜっ」
エルリードとモリスが並んで飲んでいた。
先ほどまで喧嘩していたのが嘘のように打ち解けている。
やはり酒の力は強い。
「あんらもやるじゃなーい! じゃあ、も~いっぱいねっ」
「ちょ、ちょっと待て! うぷっ、まだ飲んだばかりで──」
「は~い、みんなちゅうも~く! 髭爺が一気飲みしま~っしゅ!」
「あ~、くそっ!」
周囲にはやし立てられ、やけ気味にエールを飲み干すモリス。その豪快な姿に酒場はさらなる盛り上がりをみせていた。そんな彼らを見ながら、カオスはふとあることを思い出した。
「っと俺様としたことが忘れるところだった」
カオスは酒場の喧噪をよそに、腰に下げた小袋をプリグルゥに渡した。小さな両手に乗ったと同時、じゃらりと音をたてて小袋の丸みがわずかに崩れる。
「これは……?」
「今後の魔界で使う予定の硬貨だ。以前までの通貨を流用すると、なかなかにややこしいことになるからな。新しいものをドゥーブたちに用意してもらった」
「たしかに必要になるとは思っていましたが……こんなにも早く」
「模様に関しては、俺様の顔にもっと近づけたものにする予定だったが……ドゥーブたちの猛烈な抗議により、少し崩した風になってしまった」
「この模様、わたしはすごく好きです。とても可愛らしいですし」
「ふむ……お前が言うのならこれでも構わんか」
逞しさの塊であるこの身と可愛さはかけ離れたものだが──前魔王であり魔界をよく知るプリグルゥが好いてくれているのだ。間違いない造形なのだろう。
「あ、あのっ。硬貨製造までの経緯はわかったのですが……どうしてわたしにも?」
「当然だろう。俺様が魔界を離れている間、城の留守を預かってくれているのだからな」
「それは誰にでもできることで──」
「掃除もしてくれているだろう」
「……気づいていたのですか」
言って、プリグルゥが目をぱちくりとさせる。
ただ、次の瞬間にはばつの悪そうな顔をしていた。
「たしかにしています。ですが、とても行き届いているとは……」
「あれだけ広いのだから無理もない。ともかくお前が報酬を受け取るだけのことをしたと魔王である俺様が判断した。それともなんだ? 魔王の厚意を受け取れんと言うのか? 元魔王よ」
「その言い方はずるいです……」
拗ねているのか、困っているのか。
どちらともとれるような顔を向けてきた。
わずかな抵抗を見せたつもりのようだが、ついには諦めたらしい。静かに息を吐くと、硬貨の入った小袋を大事そうに胸元で抱きしめた。
「わかりました。では、大切に使わせて頂きます」
「といってもいまではまだ使い道がほとんどないがな」
ですね、とプリグルゥがくしゃりと相好を崩した。
「そう言えば、ここを浮上させましたし、次は農業区画を浮上させるおつもりですか? 魔素の供給量にはまだ少し余裕がありますし、1つぐらいであれば可能だと思いますが」
「いや、残りは次の戦いにすべて当てるつもりだ」
「すべてですか。ということは……」
「ああ、そろそろ神聖都市に仕掛けるつもりだ。ただ……」
1つだけ気がかりがあった。
カオスは少し悩んだのち、エルリードに問いかける。
「ヴィルシャはどうしている?」
「……まだ部屋に閉じこもったきりです。声をかければ返事はしてくれるのですが、顔は見せてくれません」
以前、クアルデン付近に生成した迷宮での大規模戦闘以来、ヴィルシャはずっと自室に閉じこもっていた。敵の守護者リエラ・リィンズに負けたことがよほど精神的に効いているらしい。
そのうち戻ってくるだろう。
そう楽観視してから3日。
いまだ顔すら見せない状況が続いている。
このままではずるずると長引く可能性が高い。
現状、ヴィルシャは魔人における最高戦力だ。
神聖都市での決戦が近いいま、いつまでも落ち込んでもらっていては困る。
「プリグルゥよ。ヴィルシャの部屋に案内しろ。俺様が行って奴と話をする」




