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Log-in 〝War〟ld  作者: 神崎はやて
第2章
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第1話 とある日の昼

 街中には似つかない轟音が、紅に色づき始めた天を衝く。

赤みを帯びた陽光と対照的な青白い光が煌めき、一瞬の間だけ、閑静な住宅街の一角を青く染めた。


「どっ……せぇいっ!」


 青白い力の鼓動を纏いし拳が、牛の頭と戦斧を持つ二足歩行の魔人――独断と偏見から、タウロスと呼称――の顎を下段から捉える。衝撃で凶悪な牙が何本か折れ、血の代わりに噴き上がった黄金色の光子と共に天へ舞い上がっていき、やがて重力に従ってアスファルトに落下する。

 鮮やかな赤のマスクを着けた黒い燕尾服姿の少年――風上迅がバックステップで距離を取ると、すぐさま横から凛とした声で叱責が飛んできた。


「闇雲に振らないで! もっと拳に流れるエネルギーの流動に集中して!」


「無茶言うな……よっ!」


 痛みによる硬直から抜け出し、戦斧を振り上げ咆哮するタウロスの大上段からの一振りを横っ跳びに回避すると、少年は傍で観戦していた少女の叱責に対してやれやれと表情を歪めながら、タウロスの懐に飛び込んで再度右拳を叩き込んだ。腹に減り込み、タウロスは苦しげに呻いてたたらを踏むが、それでも倒れるには至らない。それに舌打ちしつつ、少年は拳のラッシュで追撃した。タウロスが戦斧を引き戻す前に、拳の乱舞が幾重にもタウロスの胴を捉え、打ち付ける。右と左、2つの青い閃光が舞い踊る様は、夕日の色が濃くなるにつれ、より一層のコントラストをもって美しきバトラーの演舞を演出する。

 やがて。さすがに少年の息も上がってきた頃、漸くタウロスの逞しい体躯がぐらりと揺れた。少年の拳を浴びた胴は拳に宿るエネルギーの衝突によるものか黒く焼け焦げ、そこからも黄金色の光子が立ち上っていく。

 しかし、崩壊はそれだけに留まらなかった。タウロスの目から、光が消えた。そして一層大きく姿勢が揺らいだ後、仰向けに倒れ込む。ズズン、と大きな音を立てて地に沈んだ身体は、やがて大きな光子の塊となって天へ飲み込まれていった。


「OK。今日はここまでにしておきましょう」


 少女のそんな言葉を聞いて、少年は大きく溜め息をつきながら、拳を下げた。




☆★☆★☆★☆




 少年少女が揃ってネットカフェを出た頃には、外では雨が砂で白かったアスファルトを黒く塗り変えていた。じとっとして湿った冷たい感触が火照った身体に染み渡るのを感じ、ぐっと身体を伸ばす少年、風上 迅の隣で、容姿端麗なクールビューティー、小波鈴奈はチェック柄の折り畳み傘を広げる。

 季節は既に、梅雨の時期に差し掛かっていた。今年は雨が少ないのだとか気象予報士が昼のニュースで言っているのを見た覚えがあるのだが、それは気のせいだとばかりに雨粒を吐き出し続ける曇り空を見上げて迅は呆れたように苦笑すると、手提げからシンプルな青一色の折り畳み傘を取り出して開き、腕時計に視線を向けた。確か、数年前に家に遊びに来た親戚がお土産にとプレゼントしてくれた時計だ。それなりに――少なくとも少年には到底手が出せぬ程度には値が張るであろう時計の長針と短針は、揃って同じ12の数字を指していた。


「正午か。結構長い間戦ってたつもりだったけど、そうでもないみたいだな」


「マスカレイドの中での時間が、必ずしも現実の時間の流れと同じとは限らないもの。その辺りの理屈は、私にも解らないけれどね」


 はあ、と草臥れたように息を吐きながら歩き出す迅に続いて、その隣を歩く鈴奈がそう答える。ぱっちりとした目に艶やかな黒の長い髪の少女は、まるで深窓の麗嬢の如きミステリアスな雰囲気と、氷のようにクールな空気を纏う美少女であったが、迅の方はといえば目付きが悪いこと以外は身だしなみも態度も別段可も無く不可も無くといったところで、まさしく〝普通〟の形容が似合う男に見えた。

 最初は2人で歩いていると、周囲の己を見る目が暗に「お前達、似合ってないぞ」と言っているような気がしていた迅であったが、最近ではそれも被害妄想だと思える程度には彼女との付き合いも慣れてきたところだ。


「フォトンの扱いが今後の課題ね……。まだ荒っぽいし、集束もしきれてないわ」


「そうは言うけどな……結構大変なんだぜ? 戦闘中はただでさえ敵に意識もってかれるし、正直自分の内面にまで意識向けていられねえよ」


 歩きながら今後の訓練課題を述べる鈴奈に対し、そう言って迅は肩を竦めた。

 マスカレイドという死のバトルロイヤルに囚われて早くも1ヶ月が経った。学校がない時にはネットカフェからマスカレイドにログインし、鈴奈に戦い方を叩き込まれていた迅。元々筋がよかったのか、体術は比較的飲み込みがよかった迅であったが、唯一の例外が今鈴奈も挙げた『フォトン』なる代物だった。

 フォトンとは、現実のRPGゲームにおけるマジックポイントや魔力と呼ばれるような類の存在のことで、プレイヤー達が固有能力を発動するために必要なエネルギーの呼称である。実際これまでの戦いで、迅の拳に宿っていたり、鈴奈の固有武装である麗しい宝石銃が鉛弾の代わりに吐き出していた青白い光がそれだ。その存在は当初迅自身がしていた予測が的中した形だが、扱いの難しさに関しては迅の予想の範疇を大いに超えていた。フォトンは扱うプレイヤーのイメージをそのままに具現化してくれる便利なものであり、それを操作すること自体は実はそれほど困難ではない。じっと精神を自分の中身に集中させ、あの青白い光が流動する様を思い浮かべればよい。現に迅も、既に自らの拳でそれを体感している――はずなのだ。

 しかし鈴奈曰く、彼のそれはまだまだ荒っぽいのだという。上級者ともなれば、フォトンを束ね、集束することで、その硬度は鋼鉄をも凌ぐほどになるのだというのだ。実際、鈴奈の使用する宝石銃から放たれる銃弾に通常の弾丸以上の貫通力があるのは、単にフォトンというエネルギーを直接弾丸としている以外に、そのような理屈があるらしい。


「せめて貴方の固有武装が何か解れば、イメージもし易いのだけれど……」


「仕方ねぇだろ、解んねーもんは……」


 普通であれば、プレイヤーとなった人間のログイン画面には、〝Log-in〟の文字の下に現在のプレイヤーの固有武装と固有能力が表示されるはずなのだということで、以前鈴奈と共にログイン画面を確認したことがあった。しかし何故か迅のログイン画面の下部には何も書かれておらず、ただ血のような赤に塗り潰されていた。それが単なるバグか何かなのか、それとも迅だけが特殊なのかは解らないが、それによって迅は必然的にフォトンによる戦闘力強化に専念することを余儀なくされたのだった。

 そんな経緯もあってフォトンの集束訓練をずっと続けているのだが、目に見えた進歩のない現状では諦めの悪い言葉を発してしまう鈴奈と、それに唇を尖らせて反論する迅、そのいずれも心境も理解できるところだと言えるだろう。


「まあとにかく。フォトンの集束がちゃんと出来るようになるまで、訓練は厳しくいくから。覚悟しておきなさい」


「うへぇ……」


 澄まし顔での宣言に今後行われるであろうスパルタ訓練を想像したのか、迅はもううんざりだとばかりに肩を落とした。


「私はこれで帰るけれど、貴方はどうするの?」


「もう昼だしなぁ。俺も家帰って……」


 鈴奈の言葉に天を見上げながらふとそう言うと、不意にポケットに入れていた携帯が鳴った。言葉を切って、届いていたメールを確認する。差出人は、妹の凛。内容は次のとおりだ。


『お母さんと一緒に出かけてるから、どこかでお昼食べてきてねー。それじゃ!』


「……あんにゃろう」


 おそらく、市内のショッピングモールへ買い物に行っているのだろう。女性同士というのもあってか、凛は咲夜と共に買い物に出ることが多い。加えて父も、勤め先の同僚との付き合いがあるなどと言って早朝から出かけてしまいそれっきりだ。合鍵というものがあればいいのだが、生憎風上家にそんなものはなかった。このままでは帰ったとしても、家に入れない。


「……貴方、お金持ってるの?」


 と、絵文字をふんだんに使った目がチカチカしそうな文面のメールを横から覗き見ていた鈴奈が、そう問いかけてくる。言われるままに財布の中身を確認してみるが、元々昼帰りの予定であったのもあり、ネットカフェの利用料金程度しか持ってきていなかったことに今更ながら気付く。空っぽの財布の中では、閑古鳥が鳴いていた。


「はぁ……仕方ないわね。私の家に来る?」


「へ?……い、いいのか?」


「どうせ私もこれからお昼だから。一緒に食べた方が楽しい、でしょ?」


 真っ直ぐに前を見たまま、一向に自分の方を見ようともせずににべもなくそう言う鈴奈の態度に「楽しい、ねぇ……」と疑わしい声音の迅の言葉が降りかかるが、当の少女は気にした様子もない。これもいつものことか、と迅は早々にため息とともに諦めの感情を吐き出し、彼女の後に続いた。

 鈴奈の住処は、いつぞやに燕尾服の紳士の荷物持ちをしたマンションに程近い場所にある別のマンションだった。紳士のいたマンションには及ばないが、こちらも相当の値段がするであろうことは外観から解る。この少女のどこにそんな財力があるのだろうか、と迅は疑問に思ったが、この少女が元金持ちのご令嬢であった事実を思い出して納得した。

 入り口の機械にカードを通すと、ついていた紅いランプが消え、代わりに鮮やかなグリーンのランプに火が灯り、音もなくドアが左右に開いた。


「何してるの? 行くわよ」


「あ、ああ」


 高級マンションのセキュリティのハイテクさに改めて感心のあまり言葉を失っていると、既に中へ足を踏み入れていた鈴奈の声に迅は漸く我に返った。くすりと笑って長い黒髪を翻し先を行く鈴奈の後に、迅も慌てて続く。

 ロビーを抜け、エレベーターに入ったところで迅は再び仰天した。まず、階数が途轍もなく多い。迅が利用したことのあるエレベーターといえば、入院した親戚の見舞いに訪れた病院のものくらいで、それも精々10Fが限度だったが、このマンションはその5倍を優に超えている。これでは、自分の部屋がどの階にあるのかすら解らなくなってしまいそうなほどだ。

 鈴奈はずらりと並ぶボタンの中から慣れた様子で42の番号を押すと、僅かな駆動音がした後、2人を乗せたケージは緩やかに上へ上がり始めた。


「……本当にお嬢様だったんだな」


「嘘だと思った?」


「いや、そんなことはないけど……」


 正直なところは、まだ半信半疑だった。立ち振る舞いは確かに整然としたものを感じさせられるが、精々少し金がある程度、社会層で言えば中の上程を想像していたのだ。けれど、これほどのマンションに住める程ということならば、その認識も改めざるを得ない。

 そのまま両者無言のまま、ただ視界右上のパネルにデジタル表示された階数の数字がどんどんと増えていくのを見つめること数分。チーン、という有り触れた音が鳴り、ケージは動き始めた時と同様緩やかに停止し、滑らかにドアが横にスライドする。


「さ、ついたわよ」


 鈴奈の声に、漸くか、と長い静止状態で固まりかけた筋肉を解し、迅はエレベーターを降りた。

 エレベーターの外は廊下がずっと奥の方まで広がっていて、突き当たりはかろうじて見えるかどうかというところだった。またしても普通では考えられない規模だが、もう慣れてしまったのか、或いは感覚が麻痺したのか、苦笑するだけに留めることが出来た。

 この延々と長い廊下を歩くことになるのか――と内心辟易した迅であったが、そうではなかった。歩いたのは玄関数個分程度で、鈴奈は先程ロビーへ入る時にも使用したカードをドアロックにかざした。電子音が鳴り、まるでいつの日にかテレビで見たSF映画に登場した戦艦のドアか何かのように、薄いドアが静かに横へスライドする。

 中は玄関の外観に反し意外にも広かった。高級マンションなのだから当然か、と自己完結させ、迅は部屋の中を見渡した。殺風景な部屋だ、というのが第一印象だった。雑然とものが並べられた自分の部屋とは違う――というどころではない。片付き過ぎている。否、モノそのものがないと言うべきか。まるで人の住んでいないモデルハウスでも見せられているかのように、一面白塗りの空間。徹底的に無駄を削ぎ落としたようなそこは、酷く空虚な印象を抱かせた。


「こ、ここに住んでるのか?」


「ええ、そうだけど。何か問題でも?」


「いや、そういうわけじゃねぇけど……」


 思わず問いかける迅の言葉の意図がはかりかねるのか、首を傾げる鈴奈の反応に迅は言葉を濁した。彼女は、ずっと戦っていたのだ。自分の人生まで磨り減らして、ただ仇を討つことを至上の目的として。そんな彼女に、己の生活を省みる余裕が果たしてあったのだろうか。この部屋の空虚さが、彼女の積み上げてきた時間をそのまま体現しているように見えて、迅はなんと声をかければよいか解らずに口を噤んだ。

 そんな迅の様子に鈴奈は再び首を傾げると、適当にくつろいでいるように言って寝室のドアを開ける。


「……覗いたらただじゃおかないわよ?」


「覗かねえよっ!!」


――と、余計な一言を付け加えながら。パタン、という音と共に今度こそ完全に彼女の悪戯っぽい笑みがドアの向こう側へと消えると、迅は大きな溜め息をついた。どうやら妙な気遣いは取り越し苦労だったようだ。否、彼女が相当荒んだ生活を送っていたのはおそらく事実だろう。けれど、少なくとも今は違う。少なくとも冗談を言う余裕があるのなら、今は相応に日々の生活を楽しむ余裕が出てきているのだろう。溜め息は脱力感と同時に、そんな安堵の感情からも来るものであった。


「……そういえば、俺って雛以外の女の家上がるの初めてなんだな」


 ふと、改めてそんなことを思い出す。生まれてこの方、女性関係にはめっぽう縁のなかった迅である。幼馴染で、気負うことなく上がり込める雛の家を除けば、同年代の女子の家に足を踏み入れたのはこれが初めてだ。

 そんなことを一度自覚してしまったためかどうにも落ち着かず、そわそわとした様子で鈴奈が戻ってくるのを待った。


「お待たせ。早速作るわね」


 待つこと数分。再びドアが開く音が聞こえてきて、私服に着替えた鈴奈が姿を現した。元お嬢様という境遇から、またここが高級マンションの一室という事実にも後押しされて、てっきりドレスか何かが出てくるかと想像していた迅の予想は外れていて、黒のスカートと白のTシャツというラフな格好で現れた鈴奈は迅の目の前を通りすぎ、冷蔵庫の横に置かれていたスーパーの袋を漁る。ややあって戻ってきた彼女の手には、迅もよく見慣れたあの食べ物が握られていて、迅は思わず言葉を失った。

 否、彼女のことだから、さぞ華麗に美味い料理を手がけてくれるのだろうという先入観から過度な期待を抱いていた迅にも若干の落ち度はある。だが――それにしても、彼女が手に握っている〝モノ〟は、あまりに彼女のイメージからかけ離れていて、故に、迅の反応も充分理解に及ぶところであろう。

 というのも――。


「……なんでこんなところにまで来てカップ麺なんだ」


「? カップラーメン、嫌いだった?」


 どうやら項垂れる迅の様子から、彼がカップ麺嫌いな珍しい若者であるという解釈に至ったらしい元お嬢様は、迅とカップ麺を不思議そうに見比べる。そんな鈴奈の様子に、まさか、という思いが迅の中に芽生え、迅は不意に立ち上がると、無遠慮に冷蔵庫の戸を開けた。


「やっぱりか……!」


 中は空っぽだった。正確には、ミネラルウォーターの入ったペットボトルや調味料など、最低限のもの以外には何も入っていない。全くと言っていい程に、その冷蔵庫は冷蔵庫としての機能を果たしていなかった。

 確かに、よく考えてみれば理解できたことなのだ。これまで鈴奈は、己の人生をも消費してただ仇を討つことだけを考えて戦いに明け暮れてきた。であるならば、そんな彼女に己の食事に気を遣う余裕が果たしてあったのだろうか。そうなれば自然と行き着く先は、ジャンクフードによる時間と手間の短縮。水場には散らからない程度に、近くのスーパーで買ってきたのであろう野菜炒めというラベルの貼られた惣菜のトレイも重ねて置かれていたので、ある程度は栄養にも気を使っていたのだろうが――これではあまりにも不摂生すぎる。


「……ち、ちょっと。一体どうしたの?」


 空っぽの冷蔵庫を前に身を震わせている迅に、恐る恐る鈴奈は話しかける。すると迅は、彼女の方を振り返らぬまま、不意に言った。


「……行くぞ」


「行くって……どこに?」


「……決まってるだろっ!!」


 振り返り、これまでに見せたこともないような形相で、迅はビシ、と指を鈴奈へ突きつける。


「こんな食生活いつまでも続けてたらダメだ! 買い物だ、買い物へ行くぞっ!!」


 さすがの鈴奈も、これにはただ呆然と頷くことしか出来なかった。

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