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水槽の景色 〜山村伽倻子の日常。2〜  作者: 四方末いそじ


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2/3

金魚午睡


 或る、晴れた昼下がり。

 昔流行ったビニル系のツルりとした床が、年季を帯びて鈍く光っている。

 窓の外には萌える緑。

 空の青さが、春の柔らかい淡さから、夏の澄んだ鮮やかさに映り変わろうとしている。

 テレビやラジオから流れる宣言で、そろそろ梅雨も終わりを迎えるのだろう。

 窓際の水槽には金魚が数匹。光を受け、明るく映える水中を、優雅に泳いでいる。


 ──あんにゃろうめ。いつまで待たせやがるんだ。


 私は荷物を積んだ台車の傍で、廊下に立たされた学生が如く。

 にっちもさっちもいかない状況に、事務所奥の水槽を眺めながら黄昏ていた。


 何処か現実感が行方不明だ。

 あの水槽にいる金魚は、この寒暖差の激しい光景を、どんな気持ちで眺めているのだろう。 


 現在時刻は午後12時40分。

 当初の約束時間は12時半。しかも、先方からの指定である。

 そして、その時間指定をした担当の有吉くんが行方不明らしい。


 昼食を中座して、オロオロしている事務員さんの姿と、お冠な係長の姿。

 こうなってしまうと、文句どころか代案すら、口を挟めなくなってしまう。


 待つか、待たないか。

 今のところ、それが問題なのである。


 有吉くんサイドの話でいくと。

 依頼内容は、使用グレードの見直し。

 サンプルを見ながら、違いを説明して欲しい。

 所要時間は、30分程度。

 指定時間の理由は、『13時から予定が入っているから』

 ちなみに、上への報告の締め日は、明日23日。

 昨日21日は、彼の用事で有給休暇を取っていた。


 私サイドの話でいくと。

 有吉くんが連絡してきたのは、一昨日21日。

 その時点で既に、私のスケジュールは埋まっていた。

 その隙間。私の『昼食休憩時間』にねじ込む形で本日の約束がなされている。

 次の配送約束は、13時半から14時半の間。

 次の配送場所は、この場所から40分の距離。


 単純計算なら、13時半までに出れば、充分間に合う。

 そう。私の昼食休憩を考えなければ、ね。


 元々、13時に予定があると言っていたのは、有吉くんだ。

 それを加味して、私は昼食時間をずらしたんだよ。


 今日は少し余裕があるから、お店に入ってご飯を食べようと思ったのに。

 ずっと気になってた、次の配送先の近くのラーメン屋。

 先方のお客さんも『あそこ、結構美味しいよ』って言ってたラーメン屋。

 やっと食べれると、ワクワクしていた今日の私。

 ……だ、けれども。


 ──悪魔が来たりて、笛を吹く。


 私のお楽しみ部分のスケジュールだけ、脆く儚く砕け散りそう。

 そこがどうにも、誠に遺憾で或る。


 約束時間、超過してるから、切り捨てちゃって良いかしら?

 でも、目の前の慌てっぷりを見てると言い出し難い。

 しかも、『昼食休憩なくなっちゃうんで』とは、尚の事。


 今日の戦犯は確定だ。我が厄災、有吉。

 滅びろ、有吉。そして、私の昼食時間を返しやがれ。


 有吉くん。昨日、有給休暇だって言ってたから。

 一昨日夕方に、もう一度私から電話して確認取ったよね?

 で、昨日の今日でこの有り様かよ。

 『金魚の記憶は3秒』なんて謬説もあるけれど、あいつの記憶はどうなってんだ?


「有吉くん! 貴方、何処に居るの!?」

 その怒号で、私は現実に降りて来た。


「ベターライフの村山さん、ずっと待ってるのよ!? 貴方、約束してたんでしょう!?」

 事務員さんの声が、事務所の中でヒステリックに響く。

 私への申し訳なさに、自分と係長の怒りも混ぜ込んで、煮えたぎる憤怒を吐き出しているのだろう。


 ──その気持ち、痛いほど分かります。


 まぁ。私の前で繰り広げるのは、如何なものかとは思うのだけれども。


「嫌よ! 貴方がちゃんと自分で説明して、謝って!」


 ──あぁ。絶対ロクでもない理由なんだろうなぁ。


 まぁ、既に。

 断片的に漏れ聞こえる声で、内容は予想可能なのだけれど。


 事務員さんは受話器に向かってギャアギャア喚いて、ややあって。

 私に向かって受話器を静かに差し出して、目で語りながら促してきた。


 私は吐きたいため息をグッと堪えて、静かに受け取り耳に当てる。

「……お電話代わりました。村山です」


『村山さん! 何でですか!? 明日だったでしょ!?』

 有吉くん。ヒートアップのその先を、私に向けないで頂きたい。

 すんでのところで堪えていたため息が、凄い勢いで決壊した。

 取引先でのこの態度、許されない行為だけれども。

 今日だけは、私は絶対悪くないはず。


「有吉さん。一昨日、提出の締切は23日と仰ってましたよ? 書類作成の時間もあるから、どうしても22日に内容説明を聞いて打ち合わせがしたい、と。」

 冷静に努めたけれども、棘を隠せなかったのは許して欲しい。


『ほら、やっぱり!! だから、今日は21日で!! 村山さ……』

「有吉さん。今日は22日です」

 私は、有吉くんの言葉を遮り、静かに唸る。


 噛み殺した激情を抑えた結果、凄くドスの効いた声になっている自覚はあるけど、もう知らない。

 ついでに、事務員さんと係長の顔もドン引いているけど、それも知らない。


 きっと私の顔は、般若のようになっている事だろう。

 けれども、真蛇にまで進化していない事を喜ぶべきだと思うのだ。


『で、でも。俺、今料理が届いて、食べ始めたばっかりで……』

 ほほう。良い度胸ではないか。

 貴様は、私を、どうしても真蛇に進化させたいようだな?

 私のラーメンを奪っておいて、優雅に昼飯などとは言語道断である。


『平日休みで日にちの感覚がおかしくなっててーー』

 ──だから、一昨日念押ししただろうが。

『悪いとは思ってますけど、村山さんも来る前に連絡をーー』

 ──何を言ってる。貴様が電話に出なかっただけだ。

『だったら、明日ーー』

 ──バカめ。私の明日のスケジュールも、本日の午前中で既に埋まっておるわ。


 電話の向こうでは、有吉くんの『言い訳ラッシュ』が続いている。

 でも。私には、そんなの全く関係ねぇ。

 そして私は言い返さない。どうせ話が長くなるだけなのだから。


 だとしても。


 ギルティー、ギルティー。

 このうらみ、はらさでおくべきか。 


「有吉さん」

 私は再び有吉くんの言葉を遮った。


「13時から、コイズミさんと、打ち合わせ、じゃなかったんですか?」

 文句は言わないが、クリティカルヒットはお見舞いしてやる。

 私はゆっくりと丁寧に、そして心からの恨みを込めて、真実を渡してあげた。


『あ……』

 有吉くんの時が止まった。

 

 ──どうぞ。お昼ご飯を召し上がれ。

   私の時間を搾取して食べる飯の味は、さぞかし美味しい事でしょうから。

   お腹いっぱい、たぁんと、お食べになりなさいな。


「では、私は次がありますので。本日は、大変申し訳ありません」

 そう言い切って、受話器を事務員さんに笑顔で返す。


 事務員さんも、係長も、時が止まっているけど、それも知らない。

 何だか、スタンド使いみたいになってる自分自身に、笑いすら込み上げてくる。


「すみません。コイズミの鷲尾です。有吉さんとのお約束で……」

 有吉くんの次の予定が、扉を開けて舞い降りた。


「あ、あの、大変申し訳ございません! 有吉は只今、外出しておりまして!」

 事務員さんの、ボリュームを間違って上擦った声が事務所に響いた。


「え? ちょっと待って下さいよ。私、有吉さんの連絡ミスの尻拭いで、どうしてもって頼まれて今回リスケしたんですよ? なのに、どうなってるんですか?」

 怪訝な顔の男性営業マンは、躊躇なく剣を振り下ろす。

 本来、怒りを打(ぶ)つけるべきは、有吉くんなのだけれども、怒り心頭でこの場の空気を切り裂いた。


 ここから先は選手交代。有吉よ、次の地獄に堕ちるがよい。


「三輪さん。明日、私のスケジュール動かせないんで、今回は、この前出した見積もりのままでお願いします」

 私は、係長に困った風な笑みを向けた。


「……はい。本日は、大変申し訳ありませんでした」

 係長は沈痛な面持ちで項垂れた。


「一応、念の為。万が一の来期のために、説明だけはして行きますので、お付き合い頂けますか?」

 そこまでやれば、うちの社長に状況報告するには事足りる。

 そこから先は、契約が落ちようと、そのまま飲んでくれようと関係がないのだから。


 私は営業マンではない。だから、私の粗相で契約が落ちないのなら問題もない。

 所詮、私は時給ファイター。契約が取れようと落ちようと、お給料には微塵も関係ない。


 今からどう頑張っても、ラーメンが食べられない事が確定した私からの、イタチの最後っ屁だ。

 勿論、八つ当たりの自覚はある。だが、知らん。


 昼飯時間を搾取されて、恨み骨髄な私も。私に苦渋の表情を浮かべる係長も。

 コイズミの営業さんに静かに詰められて、平謝りしか出来ずにいる事務員さんも。

 リスケした挙句、再度すっぽかされて、静かに怒り狂っている営業さんも。


 各々違う水槽から見る本当の景色は、本人にしか分からない。

 ガラス越しに見ている景色は、所詮は表面上だけなのだから。

 それを他人行儀で観ている金魚は、今何を思っているのだろうか。


 ただ、願わくば。

 悪い夢なら、早く醒めて欲しいものだ。


 まぁ、そんな事は現実逃避にしかならないのだけれども。


 人の事は言えない私であるのだけれど、今回ばかりは、自分の事など全力で棚の上に上げてやる。


 ──有吉。後でやろうは、バカヤロウだ。この野郎。

 

 けれど、有吉くんの事だ。

 数日後にはケロリとした顔で、また図々しいお願いをしてくるのだろう。

 ……契約が、続くならばの話だが。


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