水鏡
あれから一週間ほどして、高木運送の三輪係長から連絡があった。
今期も前期と同じ内容のままで契約更新との事だった。
そしてあの後、有吉くんは各所から大目玉を喰らったらしい。
『本人も今回は流石に随分と反省していますので。今回は何卒、お許しください』
向こうの水槽は覗けないのだから、真偽は分からない。
けれど、係長が言っているのだから、何かしらのお咎めは存在したのだろう。
「あぁ、はい……そうなんですね……」
けれど、私は歯切れ悪く口籠る。
『……もしかして、有吉。謝罪の連絡入れてませんか?』
係長が恐る恐る絞り出した声音に、こちらの胃も痛くなりそうだ。
けれど、私は庇ってやる気などない。
「あの日以降。高木運送さんからのお電話は、三輪さんが初めてですよ」
電話の向こうで、係長の絶句する顔が、透けて見えた気がした。
「ですから、契約が落ちたのかと……」
私のその言葉に、係長は平謝りを連打する。
「三輪さん。前回も少しお話ししましたが、値上げの件は、既に3ヶ月前から一覧表と共にお知らせしていたんです」
私側の水槽ヴィジョンは、係長に届くだろうか。
「しかも、その内の2ヶ月は、契約に記載した金額のまま、納品させてもらってるんです」
この腹の底から湧き上がる、得も知れぬ虚無感を。
「ここから先は、あの時に時間がなくて伝えていませんでしたが。本来なら、交わした契約書通り、2ヶ月前に途中値上げが行われていたはずなんです」
有吉くんがのらりくらりで作り上げた既成事実に、私が辟易した事を。
「けれど、今回は有吉くんからのお願いに、前任の藤島さんの顔を立てた形で、うちの社長に交渉して今の状況があるんです」
社長に頭を下げていた、あの日の私の気持ちを。
「私は、私の出来る範囲で、御社のご希望に寄り添ってきたつもりです」
有吉くんは『連絡してくれれば』なんぞ、毎回戯けた事を吐かしていたが、そこまで面倒を見る義理など、本来私にはない。
それでも、出来る範囲はやってきたはずである。
「ですが、それ以上のご希望がございましたら、今度から私ではなく、社長に直接お申し出頂きたいと思います」
これが最後通告だ。
私は、やれるだけやって、出来る限り歩み寄った。
故に、今回の決着は、私の非など雲散していると言っても過言ではない。
『……本当に、申し訳ございません。有吉には再度、重々注意しておきます』
係長の死にそうな声で、私まで可哀想になる。
本来、私が言うべき相手は有吉くんだ。
けれど、私は何度も有吉くんには同じ内容を言っている。
ただ、彼が軽く考えて、真面目に聞いていないだけの話なのだ。
ならば、事の重大性が分かる人間に言わないといけない。
だから、私は係長に、最大限の嫌味を込めて言わせてもらっただけの事。
違う水槽の世話まで、私が引き受けるつもりはない。
そこまでの給料は貰っていない。
むしろ、今の時点で最低賃金以上の働きはしているはずなんだ。
私は、はっきり言って有吉くんが苦手だ。
嫌いなんじゃない。本当に苦手なのだ。
そうじゃなくても、私は言語化能力が脆弱である。
お頭も旧世代の代物のまま、バージョンアップも出来ない。
例えるなら、Windows95。
あの子のお頭は、私が知らない未知の何某かのOS。
どうすれば上手く乗りこなせるのか、全くもって不明である。
私の心情的に、こう言う仕事をしているのだから、なるべく『人』を嫌いにはなりたくない。
けれど、世の中と言うものは、そうもいかない。
それが社会という事なのだろう。
そうは言っても。
自分にプラスになる人と仕事をする。
NOと言える日本人。
エナジーバンパイアには付き合わない。
自分ファースト。
そんな有り難くも尊い指針が囁かれる昨今なのだから、それの手放し方が理解できない私は、やはり自業自得の範疇だろうか。
そう考えると、もう少し私が『シゴデキ』ならば話は違っただろう。だがしかし、生憎と正反対にいる女なので、にっちもさっちも行かない状況なのかもしれない。
有吉くんは『厄災』ではあるが、『悪の権化』ではない。
厄災は不運ではあるが、悪意は然程ない。
それに引き換え、悪の権化は悪意ありありだから厄介だ。
彼らは丸腰の私に、大人気ないオーバーキルをこれみよがしに向けて来る。
そして彼らは、すこぶる鼻が利く。
私のような『舐められ属性』の人間を瞬時に判断する高度なスキルをお持ちで、何とも素早くロックオンしていく。
下に置くべき人間を的確に判断して、的確に首輪をつけるのだ。
だからこの属性の方は嫌い。
とは言え、悪意なき悪意を許せるかどうかも別の話。
そして、悪意なき悪意が時として、難攻不落の絶壁になり得る事も、身をもって知っている。
だから、余計に有吉くんが苦手である。
彼は私に、明確に切る理由を与えてくれない。
他の人も、それが分かっているから。
『本当、有吉くんには困ったもんだね』
『まぁ、有吉くんだもんね。しょうがないよ』
社長に至っては。
『向こうが契約切るって言うなら、仕方がないよね』
などと言いつつ、暗に私へと子守を押し付ける。
多分、今回の事も、私から社長に窓口が変わった時点で契約が切れていたはず。
他人の水槽から観ている分は、トンチキなドタバタコメディだろうけども、当事者になれば見える景色が違ってくるのだから。
私は有吉くんが苦手だけれど、前任の藤島さんにはお世話になった。
その薄くなりつつある恩の名残で、高木運送さんとのお付き合いを保っているのだから。
そこの恩が枯れてしまえば終わりだけれど、まだ枯れていないだけなのだ。
切ってしまえば楽なのだけれど、藤島さんと顔を合わせる機会がある限り、私は文句を言いながらも、『高木運送を切って下さい』と社長に言えないのだと思う。
それに付け込む社長も、有吉くんも。
本当に、ムカついてしょうがない。
そして、きっぱり断れない自分に一番腹が立つ。
とりあえず。
有吉、私の昼飯時間を的確に奪うんじゃないよ。
『食べ物の恨みは恐ろしい』
どんなに心が通じ合わなくても、それだけは覚えて頂きたい所存。




