4.思わぬ勝利
「アディントン伯爵家、ご令息エドワード様、同じくご令嬢オリビア様、ご来場です」
高らかに読み上げられた名に、その場にいた誰もがハッとしたのが肌で感じられた。
一斉に向けられた好奇の視線に、エドワードはうんざりする。
しかし、オリビアにぴしゃりと言わせて、姿勢を正した。
「シャンとなさいな、エドワード。いつも素敵だけど、今夜のあなたはとびきり美しいわ」
隣に立つ義姉こそ、月の女神もかくや、というほどの美しい、とエドワードは見惚れた。
細い体のラインに合わせて作られたドレスは、濃紺の地に銀糸の刺繍。スリットから裾にかけて、たっぷりの布を用いてドレープにボリュームをだしてある。
オリビアの銀の髪には、エドワードの瞳と同じ緑の宝石と真珠が飾られている。
「……綺麗だね、義姉さん」
「そうでしょうとも」
彼女をエスコートするエドワードも、同じ濃紺の夜会服だった。ドレスと違い光沢のない生地で、ドレスシャツの襟と袖に、ドレスとお揃いの刺繍が施されている。
ネクタイピンとカフスボタンは、オリビアの瞳の色のサファイア。
二人は顔を近づけて、くすくすと笑い合う。
美しく着飾ったアディントン伯爵家の姉弟は、姉弟だからこそ恋人たちよりも一層親密な様子だった。
側に立っていた令嬢が、二人を見て顔を赤くする。
そちらに流し目を送ったオリビアが、エドワードの腕に白い指で触れた。
「主催の侯爵にご挨拶に行きましょう」
「うん。あ、義姉さん、気をつけて、足元」
段差に気づかず歩き出したオリビアに、エドワードは慌てて彼女の腰を抱いて引き寄せる。甘くて清涼な香りがして、眩暈がした。
「ありがとう」
屋敷ならば自分のそそかしさにワタワタと慌てただろうに、人前ではどこまでも優雅にオリビアは微笑んでみせる。
密着した二人に、周囲からため息が零れた。
「義姉さんが綺麗だから、皆注目してるね」
「違うわ。私と、あなたが、綺麗だから、よ」
これがオリビアの本気だった。
ミリアが新しい婚約者のお披露目に選んだ舞踏会で、自分たちの美しさを見せつけて話題を搔っ攫う。
誰よりも虚栄心の強いミリアに、これほど利く復讐もないだろう。
主催者の元へと進み出たアディントン家の姉弟は、ウィンガム侯爵に美しい礼をした。
「やあやあ、エドワード、オリビア! 久しぶりだね」
「本日はお招きありがとうございます」
「お久しぶりです、侯爵」
「エドワード! 立派な青年になって」
ウィンガム侯爵は、エドワードの肩をバンバン叩いて楽しそうに笑う。
ダブルで婚約破棄されたという醜聞続きの姉弟を、高名な侯爵が全面的に受け入れている。その姿に、周囲で様子を窺っていた招待客の態度が、あからさまに軟化していった。
所詮、醜聞とはいえ相手が浮気しての婚約破棄。アディントン姉弟自身に落ち度はない。話題が過ぎれば、伯爵家の美しい姉弟にはまた社交界から引く手あまたになるのは、目に見えていた。今、その時期が早まっただけだ。
実際、二年前に相手の有責により婚約破棄されたオリビアには、いまだに新しい婚約話が舞い込んでいる。彼女自身がそれを断っているだけで。
「よぅし、作戦通りだわ」
オリビアが扇の奥でニヤリと笑うのが、エドワードには見えた。
当然、ミリアと新しい婚約者の登場は霞み、招待客の関心はエドワードとオリビアに集まる。
エドワードはあまり自覚がなかったがミリアですら認めていたその容姿端麗さは、今夜のオリビアプロデュースの装いのおかげで驚くほど垢ぬけて際立っていた。伯爵家の後継者としての優秀さや、人柄などは社交界にすでに認められていたが、ぼさっとした髪や地味な服装で隠されていて、見た目に関しての評価はイマイチだったのだ。
そのエドワードの真の姿が、お披露目されたことになる。
「うん。義姉さんのセンスのおかげだね」
「あら、あなたはいつも素敵よ。見た目以上に価値があるわ。でも美しく装うことで、確かに得られる評価もあるのよね」
オリビアはちょっと皮肉っぽく笑った。
エドワードとは逆に、オリビアはその儚さを伴う繊細な容姿先行で印象づけられてしまい、内面のそそかしさや勝気な面が出ると幻滅されてしまうことが多いのだ。
「義姉さんも、見た目もとても素敵だけど、中身の方が魅力的だよ」
「言うじゃない。私も、そう思うわ」
憎まれ口を叩きつつ、オリビアは嬉しそうに笑った。
ああ、その笑顔を外で見せたら、皆が義姉さんのことを好きになってしまうな、とエドワードは複雑な気持ちになる。だって、
「エドワード様!? ま、まぁ、お久しぶりですわね~」
そこにミリアが飛び込んできた。美しく変身したエドワードを見る彼女の瞳には、ハートが浮かんでいる。
ミリアに放置された新しい婚約者が、困惑しつつこちらにやって来るのが視界の隅に見えた。
「エドワード様ったら、私が見立ててあげるといってもちっとも着てくださらなかったのに、オリビア様のいうことはお聞きになるのね」
エドワードは黙って微笑み、ミリアから距離をとった。
「デメル子爵令嬢。それより、あなたの新しい婚約者を放っておいていいんですか?」
「他人行儀な言い方をなさらないで。私たち、四年も婚約していた仲じゃありませんの」
可愛らしく唇を尖らせたミリアが、こちらの腕にねっとりと触れるのが不快だ。
「その関係を断ち切って、ただの他人になったのはあなた自身の選択でしょう」
エドワードはあくまで他人行儀かつ紳士的にミリアを拒絶した。
「ひどいわ、エドワード。ねぇ、そう思わない? オリビア様!」
断固としてエドワードが乗ってこないのをみて、ミリアは標的をオリビアに変更する。前回完全勝利を収めた相手であり、ミリアがちょっと挑発すればすぐに乗ってくると踏んだらしい。
そうなって首尾よく言い争いになれば、ミリアは前回のことを引き合いに出してオリビアを再び遣り込めるつもりだったのだろう。
「ねぇ。オリビア様……オリビア様?」
ミリアがサッと視線を向けると、オリビアは目を丸くしてミリアの背後を見ていた。
エドワードも不思議になって、義姉の視線を辿る。
「あ」
オリビアの視線の先にいたのは、ミリアの新しい婚約者。ポールだ。
「あら……あらあら、まあまあ」
「あ、う……」
オリビアとばっちり目が合うと、ポールが怯えたように後ずさる。
しばらく目を丸くしたまま驚いていたが、やがてオリビアはニヤリと笑う。エドワードの腕を抱き寄せて、彼女は嫣然とした表情を浮かべた。
正直、エドワードも声を上げて笑いたい気持ちだったが、ここは義姉に任せることにする。「ポール」の顔には見覚えがあった。オリビアにとっても、エドワードにとっても因縁のある相手だ。
「お久しぶりですわ、パーシー・グッドヴィル様」
パチンと音をたてて扇を閉じる。
「あ、もうグッドヴィル家を追放されたのだから、家名を名乗る権利はないのでしたかしら?」
周囲の招待客たちに、ざわめきが起こる。
ミリアの新しい婚約者・ポールは、オリビアの元婚約者パーシー・グッドヴィルだった。
ポールの素性は、エドワードが調べても何者なのか判別出来なかった。かなり周到にひと目につかない逢瀬を繰り返していたようで、それだけ人に言えないような付き合いをしてきたのだと知れた。
その付き合い方に派手好きなミリアが我慢できなくなり、彼を自慢する為にこの舞踏会を選んだのも納得できた。
「ポ、ポール……?」
「いや、その、誤解だミリア」
信じられない様子のミリアがポールに向かって訊ね、彼はオロオロと視線を彷徨わせた。まさか今更彼がオリビアに危害を加える力があるとは思えないが、一応エドワードはオリビアを守る立ち位置に着く。
「義姉さん」
「姉さんに任せなさい」
やはりあっさりとそう返されて、苦笑した。
エドワードは、これは意外な展開になったな、と内心で考える。
オリビアの作戦では姉弟の圧倒的な美貌を見せつけて話題を掻っ攫い、醜聞を一蹴してミリアのプライドを踏みにじるつもりだった。
だが、勝手に派手な場所を選び、勝手に「パーシー」を連れて来たのは、ミリアの方。オリビアの作戦の為に、素晴らしいお膳立てを自らしてくれたのだ。
「……これは、どういうことなのかしら? ここに立っているのは、ミリア様の新しい婚約者の筈。それが、二年前に他の女と結婚するといって、私との婚約を破棄して出て行ったパーシーさんだなんて……ねぇ、どういうことなのかしら? 教えてくださらない? ミリア様」
すらすらとオリビアが言うと、ポール……パーシーの顔色が青くなっていき、ミリアの顔は赤くなっていく。
周囲からは二人に軽蔑の目が向けられて、主催者のウィンガム侯爵はニヤニヤ笑って事の成り行きを面白がっていた。
「オ、オリビア……その」
「あら、あなたと私はもう他人です。アディントン伯爵令嬢とお呼びくださいませ」
オリビアはツンと言い切る。
それを見て、ミリアが烈火の如く怒り出した。
「ポール! それともパーシーと呼ぶべきかしら!? この恥知らず! 私を騙してたのね!」
「ミリア、誤解だ!」
「なにが誤解なの!? お前だけだなどといつも言ってきたくせに、オリビア様と婚約していて、街娘にうつつを抜かした男だったなんて!」
ミリアは手を振り上げ、パーシーの頬を叩いた。自慢の顔を殴られて、パーシーも激昂する。
「この……! 俺の顔を殴ったな! この暴力女め! お前こそ、婚約者がいながら俺の誘惑に乗ってきたくせに!」
怒りをあらわにしたパーシーが拳を握ってミリアに向けて振りかぶったので、さすがにエドワードがその腕を止めた。
「パーシーさん、落ち着いてください。女性を殴るなんて、やってはならないことだ」
おお、と周囲から感嘆の声がもれる。
ミリアはエドワードを捨てて、パーシーと婚約したのだ。この場でエドワードがミリアを見捨てても誰も気にしないのに、と。
しかし、エドワードからすれば、オリビアを捨てたパーシーが非道な行いをする場面を見過ごせなかったのだ。ちらりと義姉に視線を向けると、よくやった、と言わんばかりにオリビアは頷いている。
苛烈だが根の優しいオリビアは、相手がミリアであっても殴られることを良しとしない。
「ああ~ん、エドワードさまぁ!」
途端、ミリアはエドワードに抱き着いた。
パーシーがこんな体たらくになった今、ミリアは美しく変身したエドワードに素早く乗り換えるつもりらしい。
この行動に、周囲もオリビアも、もちろんエドワードもあ然とする。
エドワードは、パーシーの腕を離して突き飛ばすと、その動きを利用してミリアの抱擁から逃れた。
そのままオリビアの隣に立つと、素早く彼女をエスコートする。
「デメル子爵令嬢、僕とあなたは他人です。はしたない行為をお控えください」
キッパリと言い切ると、周囲から面白がるような拍手が起きた。
「それでこそ、私の義弟だわ」
なにせエドワードの口調は、先ほどパーシーを切り捨てたオリビアの口調そっくりだったのだ。
やがて。
「あんたのせいよ!」
「お前が悪い!!」
周囲の好奇と蔑みの視線に耐えきれなくなり、罵り合いだす。
「おや、先ほどまであれほど熱いご様子だったのに」
「恥ずかしいこと」
互いに元婚約者にバッサリと捨てられたミリアとパーシー、くすくすとした嘲笑が彼らを取り巻いた。
「~~~!!! もう、こんなとこ出て行ってやるわ!」
この場にいることにも耐えられなくなり、二人はお互いを罵り合いながら舞踏会の会場から逃げて行った。
来た時は一緒の馬車に乗っていたが、帰りは別々だ。その様子を最後までじっくりと眺めていた招待客たちは、大きな声で無様なカップルを嘲り笑う。
「ウィンガム侯爵、これは大変なことになりましたね?」
誰かがそう言った。しかし、侯爵はにんまりと笑い、大きく手を広げる。
「いえいえ。楽しんでいただけましたか? さあ、余興は終わりです! 今夜の舞踏会を楽しむとしましょう!」
ウィンガム侯爵がそう取り成すと、舞手がくるくると踊りながら花びらを撒き、楽団が盛大に音楽を奏で始める。その曲に、たくさんのシャンパンが開栓される音が添えられて、宴が再開された。
「……」
エドワードは、通りがかった給仕にシャンパングラスを差し出されて、受け取る。
実は、事前にウィンガム侯爵には騒動を起こしてしまうやも、と相談しておいたのだが、彼はむしろ面白いと大喜びだった。
ウィンガム侯爵の手配したサーカス団や歌手や舞手といった余興のひとつとして、ミリアの一件は飲み込まれてしまったのだ。
「面白い見世物だったな」
「しかしデメル子爵は明日から大忙しだろうねぇ」
「アディントン家の姉弟は本当に美しいな。エドワード様は、王立校を首席卒業だとか」
「オリビア嬢は滅多に社交界に出てこなかったが、あれほど美しいとはね。婚約者は……いないようだが?」
イライラする。
あっけらかんとした侯爵のおかげで、エドワードたちは舞踏会をめちゃくちゃにした責任は問われなかった。だが、それでも招待客たちの顕著な反応に、エドワードは表情に出さないようにしつつも内心でウンザリした。
ミリアもパーシーも、自業自得で衆目の笑いの種にされているが、それはエドワードとて明日は我が身なのだ。こうして、他人の醜聞を面白おかしく笑う社交界自体に、エドワードは失望していた。
そこに、清冽な声がかかる。
「エドワード、気持ちは分かるわ。でも、ここに生まれたことに倦むよりも、ひとまず今日の勝利を味わいましょ」
オリビアがそう言って、シャンパングラスを掲げてきた。エドワードは手に持ったままだったグラスを掲げ、義姉のそれにそっとぶつける。
キン、と澄んだ音がして、エドワードはその音に耳を澄ます。オリビアの声は、この倦んだ世界の中で福音のように聞こえるのだ。
「勝鬨よ」
「予定通りではなかったけどね」
「それが人生じゃないの」
違いない。
エドワードは内心で独り言ちて、シャンパングラスの中身を飲み干す。
ああ、この美しいひとを、愛している。そう強烈に考えた。
自分の気持ちに目を背けることは、もう出来ない。




