5.幸せな結末
こうして、アディントン伯爵家に穏やかな日常が戻ってきた。
アディントン伯爵は大臣として、伯爵夫人は王妃の相談役としてそれぞれ出仕している為、伯爵領の領政はエドワードが、女主人としての細かな仕事はオリビアが担っている。
「……ではこれを送付してくれ」
「はい、エドワード様」
今しがた書き上げたばかりの手紙を、インクが乾いたのを確かめて封をした。エドワードがそれを執事に渡すと、彼は一礼して執務室を出て行く。
「……」
ふと窓の外を見ると、オリビアがメイドと共に花を摘んでいる姿が見えた。
玄関ホールや応接室に飾るのだろう、庭師に相談しながら楽しそうに花を選んでいる。
「……オリビア」
そっと、声に出して彼女を呼んでみる。
すると、窓の外でまるでエドワードの声が聞こえたかのようにオリビアがこちらを振り返って、笑顔を向けられる。
「!」
オリビアを出会った時、エドワードは既にミリアと婚約していた。婚約者を特別愛してはいなかったが、両家の為にもお互いの為にも、いい夫婦になろう、と考えていた。
だが、オリビアに出会い、恋をしてしまった。
「エドワード!」
こちらまでやってきたオリビアは、外から窓を開ける。
「休憩時間?」
「うん」
明るくて、屈託なくて、勝気で自信満々。そして身内には底抜けに優しくて、本当は寂しがりやな人。
エドワードはすぐに彼女に夢中になって、すぐにその気持ちに蓋をした。
自分はミリアと結婚して、彼女を生涯大切にすると約束したのだ。今更恋をしたからといって、その約束を破るわけにはいかない。
それからは殊更ミリアのことを大切にして、オリビアとは距離を置いた。
未婚の男女であっても、姉弟ならば観劇でも舞踏会でも同行しても問題ない。だが、エドワードはそれをしなかった。
だって、エドワードにとってオリビアは姉ではなかったから。
「じゃあ、一緒にお茶しない? 今日のお菓子は、料理長特製のレモンパイなのよ」
フフフ、とオリビアが秘密を打ち明けるようにしてこっそりと教えてくれた。
馬鹿みたいに可愛らしくて、エドワードは笑う。
「いいね」
「やった! 最近エドワード、私に色々付き合ってくれるのね。ちょっとだけ、婚約破棄に感謝しちゃう」
抱えていた花を抱きしめて、オリビアは嬉しそうに笑った。夢みたいに綺麗で、可愛くて、いとおしい。
「そうだね、僕も感謝してるよ」
「ミリア様とパーシーのこともまとめてこてんぱんに出来たしね! じゃあ、居間で待っててくれる?」
「オリビア」
花をメイドに頼んで、玄関の方に回ろうとしたオリビアを、エドワードは呼び止める。
「え? いま、名前……ひゃあっ!?」
驚いて振り向いたオリビアを、エドワードは窓越しに腕を伸ばして抱き上げた。
「ここから入った方が早いでしょ?」
「ええ……? えええ~……そう、だけど、予告なしはビックリするじゃない!」
オリビアは、青い瞳を何度も瞬いて驚きを散らそうとしている。エドワードの肩をしっかりと掴んでいたが、それに気づいて慌てて離された。
「お、下ろして」
「うん。驚かせてごめんね」
そっと執務室の床にオリビアを下ろすと、エドワードは素直に謝った。つい気持ちが高まって抱き上げてしまったが、怖かっただろう。
「あ、ううん。ビックリしただけだから、そんな謝らなくていいのよ」
無事に着地出来たオリビアに、柔らかく微笑みかけられる。シュンとしていたエドワードの気持ちは、現金なことにすぐに上向いた。
「じゃあ、お茶にしましょう」
そう言ってするりと部屋を出て行こ王とするオリビアを、エドワードは腕を掴んで引き留める。
「エドワード?」
「義姉さん、オリビア。話があるんだ、聞いてくれる?」
「? ええ」
また名前を呼んだエドワードに、オリビアが不思議そうに首を傾げつつ頷いた。
今更ながら、エドワードは緊張する。生まれて初めて、好きな人に告白するのだから。
「あなたのことを、一人の女性として愛してる。僕と、結婚してください」
エドワードが真っすぐにオリビアを見つめて、そう言った。ぽかん、と目を丸くした彼女は、ゆっくりと赤面していく。
「……え? ええ? ほ、本当に?」
「うん。こんな冗談は言わないよ、僕は」
「そう、そうよね……」
しきりに髪や袖口に触れて、オリビアは視線をきょろきょろと彷徨わせている。扉も窓も開け放してあり、未婚の男女が二人きりになっても許されるギリギリの空間になってる。
姉ではなく、一人の女性としてオリビアに接したかった。許されるのなら、弟としてではなく恋人としてその白い手に触れたい、とも思っている。
「……急にこんなこと言ってごめんね。でも、オリビアが婚約者を探すかもって思ったら、伝えずにはいられなくて」
「あ、あんな思い付きを覚えていたの……」
歌劇場に行った際に、オリビアが同行してくれるパートナーが欲しいので婚約者を探す、という話をしたのを、エドワードはしっかりと覚えていた。
「忘れないよ。あなたを誰かに取られてしまう、とゾッとしたから」
「そう……」
「オリビアが、僕のことを弟としか見られないのなら、きっぱり断って。その瞬間から、弟として生きるから。もちろん、アディントン伯爵家のオリビアへの対応はなにも変わらないから、その点は心配しないでね」
エドワードは、彼女を安心させるように穏やかに笑った。
オリビアに断られたら、嘘偽りなく弟として接する気持ちだ。しかし、思いを断ち切ることは出来ないだろう。なにひとつ表面に出すことなく、これからも彼女を思い続けてしまうだろう。
今までのように。
「エドワード……」
オリビアの青い瞳が、揺れる。
その揺れにどんな意味があるのか、エドワードには分からなくてもどかしい。これまでならば、義姉の示唆することはすぐに勘づけたのに、弟としてならば分かることが一人の男にはちっとも分からなかった。
「返事を……急かすつもりはないから、考えてみて欲しい。……婚約者を探そうって思った時に、僕のことを思い出して欲しいんだ」
オリビアの手を握ろうと腕を伸ばしたが、まだその資格がないことに気づいてエドワードは腕を下す。
それから目を合わせて、また微笑んだ。
「伝えておきたかったんだ」
「エドワード……」
「……じゃあ、お茶にしようか」
エドワードが執務室を出ようと踵を返すと、後ろからオリビアに腕を掴まれた。
先ほど諦めた彼女の白い手が、しっかりと自分の腕を握っている。その事に、エドワードは驚くほどドキドキした。
「待ちなさい。勝手に言いたいことだけ言って、言い逃げするなんて許さないわ」
「それは……ごめん」
「謝って欲しいわけじゃない。私の話も聞いてって言ってるの」
キッとオリビアに睨まれて、エドワードは彼女に向き直って覚悟を決める。
やはり二年とはいえずっと姉弟として過ごしてきた相手に、突然好きだのなんだの言われて迷惑だったのだろう。ここで引導を渡されるのならば、それも当然のことだ、とエドワードは真摯にオリビアを見つめた。
「うん。……聞かせて」
「改まられるとなんか言いにくいけど……あのね、告白……されてすごく驚いたわ。エドワードのことは大好きだけど、弟としてだったし」
「そうだよね」
オリビアの視線があちこちを彷徨い、時折チラッとこちらを見てくるのが、たまらない気持ちにさせた。
今、バッサリと捨てられるのだと思っていたのだが、その視線の甘さに期待をしてしまう。
捕まれている腕を見ると、オリビアの指先がぎゅっと握っていていじらしい。素直に可愛いな、とエドワードは思った。
「……でもね」
「はい」
「エドワードと歌劇場に行った時……すごく楽しくて、嬉しかったの。以前、パーシーと出掛けた時よりも、ずっと」
「そうなんだ」
伏目がちの瞳、すっと通った鼻筋、形の良い唇。オリビアは本当に美しくて、可愛い。
勝気な視線も、想定外のことが起きた時に狼狽えるもののすぐに腹を括るところも好きだ。好きなところを上げだしたら、きりがない。
本当にどうして、自分でもミリアと婚約していた頃にこの気持ちを封印出来ていたのか、不思議なぐらいだ。
「ミリア様と仲良く出掛ける姿が、本当は羨ましかったわ。だからあの夜、ミリア様に彼女の為のチケットで歌劇場に来たことを馬鹿にされて、すごく腹が立ったし、悲しかった」
だからあの時、ミリアに言い返せなかったのか、とエドワードは合点がいった。
「今度は必ず、オリビアの為にチケットを取るよ。弟としてでもいいから、エスコートさせて?」
「……姉としてじゃなく、連れて行って欲しい」
「! ……それって」
エドワードは、思わず自分の腕に置かれたオリビアの手を握った。びくっ、とオリビアは震えたが、そっと手を繋ぎなおす。
パッと上げられたオリビアの表情は、エドワードの大好きな勝気なものだった。
「私! パーシーの所為で、ちっとも普通の婚約者との付き合いをしたことがないの。まず、普通のお付き合いからしてみたいわ」
「もちろん、喜んで」
あっさりと頷くと、オリビアは意外だったのか慌てる。
「え? わ、分かってるの? 一般的な形は、求婚後に付添人を同行しての逢瀬を重ねて、その後女性に選ぶ権利があるのよ? それでいいの?」
「構わないよ。僕はもうずっと前から、あなたに全部任せてる」
エドワードは気取ってウインクすると、オリビアは笑顔になった。
「そうね。こういうのは慣れてないけど、私に任せてちょうだい」
強気に言ってみせるオリビアに、エドワードは頷く。
「お試しのお付き合いだね。結末は期待していいのかな?」
本来の調子を取り戻してきたエドワードが冗談めかして訊ねると、オリビアはニッコリと笑った。
「ええ、とびきり幸せな結末を期待してて」
この後、二人は仲睦まじくあちこちに出掛け、十分にお付き合いを楽しんだ後に無事に婚約した。
さらに期間を設けて盛大な結婚式を執り行ったが、その頃には皆、ミリアのこともパーシーのことも、急な婚約破棄のことも忘れ去られていた。




