2.歌劇場での再会
ミリアの婚約破棄騒動から数日後、エドワードはオリビアと観劇に来ていた。
絢爛豪華な王都の歌劇場には、馬車から次々と降り立った着飾った紳士淑女が吸い込まれていく。アディントン伯爵家の姉弟も、それに続いた。
義姉が、紅を引いた唇で笑う。
「よく似合うわ、エドワード」
「ありがとう、義姉さん」
エドワードは普段身だしなみに無頓着で、こういった晴れやかな場に出る時にいつも服装に困る。元婚約者のミリアにも、さんざん注意されていたのだ。
今日の衣装は、オリビアが見立ててくれた。
「義弟を着せ替え人形にするのも、なかなか楽しかったわ」
オリビアはキラキラとした笑顔でそう言うので、エドワードはややくすぐったい。
社交の場に出る為に着飾ったオリビアは、義姉というひいき目をなしにしても輝かしいほどに美しい。
しかし、チケットは彼女の為に用意したものではなかった。
元々はミリアがぜひ行きたいと強請ったので伝手を駆使して手に入れたチケットだったが、当然ミリアと行くわけにはいかない。
「……ごめんね、義姉さん」
「え? なにが?」
久しぶりの観劇にウキウキしているらしいオリビアは、驚いたようにこちらを見てくる。青い瞳が、丸くなっていた。
「なんだか、ミリアの代わりみたいに来てもらっちゃって」
「ええ? そんなのいいのに。むしろ得した気分。それにエドワードと二人で出かけるのって初めてでしょう? 嬉しいわ」
オリビアは機嫌よくニコニコとしている。
「……そうだね」
それを聞いて、エドワードはやっと本当の笑顔を浮かべた。
外套をクロークに預けた二人は、席に着く前にバーで喉を潤すことにした。
「シャンパンをふたつ。チョコレートも」
バーカウンターでエドワードが注文すると、それをオリビアがじっと見つめてくる。
「どうかした?」
「ううん、慣れてるのね、と思って」
「そりゃ……ミリアは、観劇だの買い物だのが好きな人だったし、よく付き合われたからね」
「これだけスマートでハンサムな婚約者なら、自慢したくなるわよね」
例のミリアの嫌味のことを言っているらしい。それを聞いて、エドワードはオリビアに顔を寄せた。
「これからは、義姉さんに向けて発揮することにするね」
「やった。次の婚約者が決まるまでは、弟として付き合ってくれるのね」
オリビアは嬉しそうだ。
グラスとチョコレートの乗ったガラスの箱を受け取り、小さなテーブルに陣取る。
「たまーにお義父様が連れてきてくださったけど、お忙しい方だからなかなか機会がなかったのよね。やっぱりワクワクしちゃう」
「よかった」
ミリア用のチケットだったので、オリビアが気を悪くしないか、とそれだけがエドワードの心配事だったのだ。
これほど喜んでくれるなら、勇気を出して誘った甲斐がある。
「連れてきてくれて、本当にありがとう。こんな風に出掛けられるなら、頑張って私もエスコートしてくれる婚約者を探そうかしら」
「え」
オリビアは、以前の婚約破棄の所為で結婚願望がない。
アディントン伯爵家に引き取られたものの、義父である伯爵も彼女の好きにしていいと言っているし、本人が男はコリゴリだと言って婚約者を探しもしていなかった。
「そ、それは、その」
「でもしばらくはエドワードが連れてきてくれるから、必要ないけど」
オリビアが機嫌よく言うので、エドワードはすぐに頷いた。
「うん。いつでも連れてきてあげるよ、義姉さん」
それを聞いて、オリビアはにっこり笑って宝石のような気泡のたつシャンパンを飲む。その様子を眺めながら、エドワードはチョコレートを一粒口に放り込み、舌の上で甘さを味わった。
「あら、オリビア様?」
そこに水を差したのは、派手に着飾ったミリアだった。
エドワードの婚約者だった頃とは比べ物にならないぐらい、派手なドレスに化粧、アクセサリーを身にまとっている。
噂で、例のポールという男と婚約したと聞いている。彼が、ミリアに贅沢を許しているのだろう。
エドワードとて、ミリアのワガママに散々付き合ったものだ。しかし、アディントン伯爵家の資産はエドワード個人のものではないため制限があり、ミリアはそれが
大層不満だったようで、よく詰られた。
「こんなところで会うなんて、奇遇ですこと!」
「……」
オリビアはツン、と顔を背ける。
話したくもないという、意思表示だ。エドワードも黙ってそれに従った。「元」婚約者よりも、義姉の方が大切だ。
「まあ、無視なさるの? さすが、婚約破棄された方は意地悪ですこと」
「……どの口で」
小さくオリビアが呟いたが、ミリアには届かず絶好調でお喋りが続く。
「ひょっとして、以前私がおねだりしたチケットですか? 私のお下がりでやってくるなんて、オリビア様って結構みみっちいんですね」
「!」
フフッとミリアが口元に手を当てて、可愛らしく笑う。
楽しみにしていたお出かけを「お下がり」「みみっちい」などと言われて、オリビアの顔から色が無くなった。
突然の修羅場を見物していた周囲からも、やや冷めた同情的な視線がオリビアに向かう。
「デメル子爵令嬢。義姉への侮辱はやめてくれ」
さすがに我慢出来なくて、エドワードが進み出た。
「あら、エドワード! お久しぶりね。私に会えないからって、姉で賄おうだなんて可哀想な人。もう私はあなたの下を去ったのよ」
「それはちっとも構わないんだけど、義姉さんのことを悪くいうのとは別件だよね。義姉さんに謝ってくれ」
「あら、どうして? 本当のことを言っただけよ」
ミリアがニヤニヤと嫌らしく笑って、屈辱に耐えるオリビアを見る。
「……ミリア様。あなたと義弟は婚約を破棄したのですから、親しげに話しかけるのはやめてください」
なんとかオリビアがそういうと、ミリアはわざとらしく首を傾げた。
「ええ? どうしてですか? 婚約は破棄したけど、私とエドワードの四年間のお付き合いが消えたわけじゃないんですから」
「……話にならないわ、帰りましょうエドワード」
「え、義姉さん……いいの? 楽しみにしてたのに」
もちろん、エドワードとてもはや観劇するような気分ではなかったが、それでもあれほど楽しそうに喜んでいたオリビアに、あっさりとこのまま帰るのは可哀想に思った。
「いいのよ。もうここにいたくないわ」
オリビアがエドワードの腕を引く。
シャンパンもチョコレートもおいて、二人はバーを出た。その背に、ミリアの楽しそうな声がかかる。
「ええ~? 帰るんですか? 私の新しい婚約者を紹介したかったのに」
エドワードがちらりと視線だけで見ると、ミリアの隣に背の高い男性が近づき、ごく自然に彼女の腰を抱きよせるところだった。
数日前までエドワードと婚約していたのに、なんて変わり身の早さだろうか、と呆れた。
演目が始まる直前で、観客が皆客席へと向かっている。その流れに逆らって、オリビアはまっすぐに外を目指していた。
エドワードはすぐに義姉の肩を抱き寄せ、彼女の体を庇いながら人の群れを避けて建物の外に出た。
外に出ると辺りはすっかり暗くなっていて、劇場の外に設置された噴水が街灯に照らされてきらきらと輝いていた。
「義姉さん」
エドワードは大急ぎでクロークから外套を受け取ってきて、慌てて義姉の細い肩に着せかける。
先ほどまでの嬉しそうな様子から一変して、オリビアは体の線まで儚くなってしまったかのように見えた。
「ごめんね、やっぱりチケットの流用なんてしなければよかった。今度、改めて義姉さんと出掛ける為にチケットを用意するよ」
エドワードが取りなすように言うと、オリビアは僅かに首を横に振った。
夜は冷える。
オリビアの様子は気になるが、少しでも早く彼女を温かい室内に移したかった。合図を送ると、少し離れたところからアディントン伯爵家の馬車が近づいてくる。
すぐに屋敷に帰って、メイドに言って風呂を入れた方がいいだろうか? それよりもまずは、暖炉の前で温かいものを飲む?
この後の段どりを考えるエドワードの前で、パッと顔を上げたオリビアはきっぱりと言った。
「あったまきた。本気だすわ」
「え?」
オリビアの顔が生気に満ちていて、目にはメラメラと怒りの炎が燃え盛っている。てっきり彼女が悄然としているのだとばかり思っていたエドワードは驚いた。
「義姉さん?」
「ねえエドワード、あの女に仕返しするから、手伝ってくれない?」
「わかった」
エドワードが二つ返事で頷いたものだから、オリビアは驚いて目を丸くする。そして、今更のように慌てだした。
「え、ええと、いや、あの女をぺしゃんこにはするんだけど、エドワードはもうちょっと躊躇うなり止めるなりしてもいいのよ。止められても、止めないけど」
「うん、だからわかってってば。義姉さんを手伝うよ……ていうか、むしろ僕の喧嘩だよね?」
「そう……? でも……元婚約者で、四年も付き合ってたんでしょう? こう、情とか」
「そりゃあ婚約してる時に情ぐらいあったけど、大前提として浮気して婚約破棄してきた人だよ」
「うんうん、そうね」
「あと義姉さんを侮辱したから、放っておくわけにはいかないのは、僕も同じだよ」
「まあ……お姉ちゃん思いで嬉しいわ」
「でしょうね」
「どうしてちょっとムッとしてるの??」
オリビアは眉を寄せたが、もうエドワードは馬車に義姉を押し込むことに専念していた。
怒っていた所為であまり気になっていなかったのか、オリビアの手は氷のように冷たくなっている。
「さあ義姉さん。とりあえず馬車に乗って、帰ろう」
「ええ。帰ったらさっそく作戦会議よ! こてんぱんのぺしゃんこにしてやるんだから!」
そう言ってオリビアは意気揚々と馬車に乗り込み、エドワードは義姉のドレスの裾も中に押し込んで、自分も素早く中に入って扉を閉めた。




