1.急な婚約破棄!
「エドワード、ごめんなさい……私、好きな人が出来てしまったの。だから、婚約を解消して欲しいの」
突然屋敷にやってきた婚約者、ミリア・デメルにうるうるの涙目でそう言われて、エドワード・アディントンは目を丸くした。
正直なところ、渡りに船とはこのことか、と内心で独り言ちる。
「ねぇ、いいでしょう?」
自分の容姿に絶対的な自信のあるミリアは、可愛い自分のおねだりならば男は喜んで応えると思っているらしい。たとえそれが、自分との婚約破棄というとんでもないおねだりであったとしても。
「……? ……エドワード?」
未だに涙は零れないもののずっとうるうる顔を維持しているミリアを見て、とにかく何か言おうと口を開いた時に、
「いいわけないでしょう!!!」
と盛大な怒鳴り声が隣から響いた。隣?
「あれ、義姉さん。 来てたの?」
エドワードの隣に、いつの間にか座っている人物。彼女は眉間に皺を寄せて、こくりと頷いた。
「エドワード、立ち聞きしてごめんなさいね。ミリア様がいらしてると聞いて、出掛ける前にご挨拶だけでもと来てみたら、とんでもない話をされていたので」
「立ち聞きなんてはしたないですわよ、オリビア様!」
「たった今その件に関してお詫びしたところですけど」
キッと涙に濡れた瞳でミリアは、エドワードの義理の姉であるオリビアを睨む。
が、彼女はけろりと言い返した。
オリビア・アディトンは、長い銀の髪に、青い瞳。両親を亡くした為、遠縁であるアディントン伯爵家に引き取られた、エドワードの美しい義姉だ。
「義姉さん、この話は僕が」
「いいのよ、エドワード。姉さんこういうの慣れてるの、任せなさい」
まるで聖母のように、鷹揚にオリビアが頷く。厄介な予感しかしなくて、エドワードは苦笑した。
うるうる顔のミリアに、ぴしっと姿勢を正してオリビアが対峙する。威勢を張ったところで、線の細い儚い容姿のオリビアがそうすると、なんとも可愛らしい。
「話を戻しますけれど。ミリア様、どういうことですの? エドワードという者がありながら、他の男にうつつを抜かすなんて、それこそはしたない行いだとは思わないんですか?」
オリビアはエドワードの隣に居座り、ミリアを糾弾した。
「まあ、オリビア様。人の心を縛ることは出来ませんわ。愛したことが罪だとおっしゃるの?」
しかし、常日頃から何をしてもオリビアに負けて悔しがっていたミリアは、今日こそは自分が優位に立つのだと喧嘩腰で話にならない。
エドワードは、義姉と婚約者へ視線を彷徨わせた。婚約破棄は全然構わないのだけれど、どうにも口を挟む隙がない。
「では褒められることだとでも? 婚約者がいる時点で、ほかの殿方とは距離を置くべきですし、親しくなって好意を寄せるのは自重なさるものでしょう」
「あぁら、婚約者のいないオリビア様に言われたくありませんわ」
「一般論を申し上げたつもりですが、私の経験論がお望みでしたの?」
そこで、オリビアは一度口を閉じた。ミリアは勝ち誇ったように微笑む。
かつて、両親が亡くなったことを口実に、オリビアが婚約破棄されたことを揶揄しているのだろう。
ミリアの言葉にエドワードはヒヤリとしたが、オリビアはにっこりと微笑む。
すぅ、と彼女は薔薇色の唇を開いた。
「……私の元婚約者も、好きな女性が出来たと言って両親という後ろ盾を亡くした私との婚約を破棄しましたが、その後二人まとめて実家を追い出されて、今は行方知れずですわ」
「!」
行方知れず、という不穏な言葉にさすがにミリアが絶句する。
それは二年前、オリビアがアディントン伯爵家に引き取られてすぐに起こった、騒動だった。
オリビアの元婚約者の名は、パーシー・グッドヴィル男爵令息。
彼は普段から淫蕩な生活をしてオリビアを困らせていたが、ついに平民の女性に入れ込んで婚約破棄を申し出て来たのだ。
義姉への侮辱にエドワードは烈火の如く怒り、あらゆる伝手を使ってパーシーと浮気女の素性を調べて尽くして、どれほどオリビアに失礼なことをしたかをグッドヴィル男爵に詳らかにしたのだ。
それまでの息子のオリビアへの仕打ちに呆れ果て、自分勝手な婚約破棄に激怒して、グッドヴィル男爵夫妻は自分の息子といえど許せない、ということで、財産を一切渡さずにパーシー追い出した。その後、オリビアとアディントン家には丁寧な謝罪と賠償をし、世間に事実を公表するという徹底ぶりだった。
グッドヴィル男爵夫妻は善良な人たちだったが、息子の育て方だけ間違ってしまったらしい。
「ねぇ、ミリア様。これはエドワードが可愛い弟だから、というだけではなく、あなたの為にも言っているのです」
オリビアは、先ほどエドワードに向けたのとは大違いの、いかにも煽るような挑発的な笑みを浮かべる。
案の定、ミリアは顔を真っ赤にしてお猿のように怒りを露わにした。
「なんですって!?」
「義父たちが整えた婚約は申し分ありません。それを破棄して、浮気男と添い遂げようだなんて、きっと……いえ、必ず失敗なさいますわ」
「ひどいわ、オリビア様! 私のポールを知りもしないくせに、貶めるなんて!」
いまや、ミリアのうるうる顔がキレイさっぱり消え去っている。
「婚約者のいる女性と親密になっている時点で、信用なりませんわ、そんな男」
「ご自分が選ばれなかったから、私に嫉妬してるんですね!」
「あら、頭だけじゃなくお耳まで悪くなりましたの?」
「義姉さん」
エドワードは困った様子で、宥めるようにオリビアに声を掛ける。
ツンと澄ました義姉と、鬼のような形相の婚約者。
ミリアの最初の言葉からして穏便に事が終わるとは思っていなかったが、もはや自分の婚約のことながら事態はエドワードの手に負えなくなっていた。なんか、修羅場。
「私とポールへの侮辱ですわ! この件は、我が父・デメル子爵にきちんと報告し、後日アディントン伯爵家に正式に抗議させていただきますので!」
「どうのようにお父上に報告なさるの? ポール何某との交際の為になんの罪もないエドワード・アディントンに婚約破棄を申し入れたら、居候のオリビア・アディントンに嫌味を言われたって? そりゃあ嫌味は言われるでしょうよ」
オリビアはにっこりと美しく微笑む。
「婚約破棄なのに、快く応じてもらえると思ってる方がおかしいと思いましてよ?」
ミリアは、男ならば皆が可愛い自分のワガママを聞いてくれると思い込んでいるタイプだ。最初にエドワードが快諾しなかったことも、介入してきたオリビアにバッキバキに言い負かされたことも許せなかったらしい。
がたん、とソファを揺るがす勢いでミリアは立ち上がった。
「覚えてらっしゃい! 必ず後悔させてあげるわ!!!」
そう宣言すると、ミリアは荒い足音をたてて屋敷を出て行った。
微笑んだままヒラヒラと手を振ったオリビアは、ミリアの背が見えなくなるとくるりとエドワードの方へ向き直った。
「……ごめんね、エドワード」
「ええ? どうしたの、義姉さん」
さっきまでの勢いと勝気さはどこへ行ったのか、とエドワードは可笑しくなる。
しゅんとした様子の義姉は見た目も相まって儚げで、先ほどの舌戦を見ていなければエドワードでも騙されそうだった。
「万に一、億に一ぐらい、あなたがミリア様との関係を続けたいと思っていたとしたら、ブッチブチにご縁を絶ち切っちゃったな……て反省してるところなの」
「え? 義姉さんらしくもない。後悔してるの?」
オリビアの反省の言葉に、エドワードは驚いた。
「いいえ、よその男に浮気した女なんてあなたには相応しくないから、絶対に別れるべきだけど、あなたの気持ちを無視したことだけを反省してるの」
オリビアの小気味いい言葉に、面白くなってエドワードは快活に笑う。
「じゃあ、反省もいらないよ。義姉さんの言う通り、父上の決めた政略結婚は我が家にも向こうにも利のある素晴らしいものだったけど、ミリア本人から浮気したって宣言されたんだから、どんな条件がよくても、あんな女はご免だね」
「まあ!」
オリビアは、そこで会心の笑みを浮かべた。なんなら拳も握っている。ガッツポーズだ。
「よかった! 正直、あの女にエドワードは勿体ないって思ってたんだけど、家格は釣り合うしお義父様の事業にもメリットのある結婚だったから我慢してたのよね」
「我慢してたんだ?」
言い方が子供のようで、エドワードはまたちょっと笑う。
外では完璧な淑女然としているのに、家族の前ではちょっと甘えた口調になるのが可愛らしかった。
「そうよ、結構我慢してたの。だって、ミリア様ったら今日はエドワードとドコどこ行って来ました、オリビア様にはそんな優しい婚約者がいなくて可哀想ですね、とか言ってくるのよ」
「わぁ、それは……」
馬の合わないミリアとオリビアを、あまり二人きりにしないようにと配慮していたつもりだったが、婚約者が義姉にそんなことを言っていたとは。
あまりのことに、エドワードは顔を顰めた。
オリビアは大きく頷く。すると彼女の髪に飾られた簪がしゃらん、と音をたてた。
「露骨でしょう!? これは、手袋を投げつけるシーンかなって思ったわよ」
「決闘かぁ……」
ぐるぐる腕を回すオリビアに、エドワードは苦笑した。彼女なら、やりかねない。
「まあ、家の為にも婚約を続けた方がいいのかと一瞬考えたけど、僕が不幸になってまで続けることを父も望まないだろうしね」
「さすがエドワード。ちゃんとお義父様の思いを分かってるのね」
うんうん、と頷いたオリビアは、改めてエドワードを見てニッコリと笑った。
「まあ、エドワードならすぐに素敵な婚約者が見つかるわ! 終わったことは気にせず、元気よく行きましょう!」
「義姉さんを見てると、僕は元気が出るよ」
「あら、じゃあよくご覧なさい」
そう言ってオリビアが妙なポーズを披露したものだから、やっぱりエドワードは爆笑して、元気が出たのだった。




