第3話: 砂漠の中の赤
二杯目のコーヒーの香りが薄れた時、メリアはカウンターに突っ伏して微睡んでいた。
「そっか、マスターはこのカフェを両親から受け継いだんだね。『命の聖水』とともに。」
「そうですね。ただ僕の両親、とりわけ母はカフェを継ぎたくて継いだわけではなかったようです。」
メリアがふっと笑って、自嘲的に呟く。
「……まるで私とは逆ね。立派だわ。」
ウィルスはシンクの前にある少し高いスツールに腰をかけた。不気味な笑みは相変わらず浮かべたまま、それでも少し黒い感情を滲ませて、ウィルスは口を開いた。
「どうでしょうね。母は僕にずっと『自分の人生は自分で選んで歩みなさい』と教えていました。とても後悔していたのでしょう。本当はカフェにずっといるのではなくて、勇者になって世界中を冒険したかったようなので。」
「まあ、それも祖父が強制的に母を連れ戻して、カフェを継がせたので、そう思うのは妥当だと思いますが。」
ウィルスの指が片手に乗せた拳銃の冷たさを確かめるように撫でる。手から熱を際限なく奪っていく。蛇口からシンクに水が落ちる音がした。
「それに、僕には、自分の本当の願いのために抗わなかった母も、ただ母に言いなりだった父も哀れに見えましたよ。」
「両親は、何も叶えず、ただ、ただ、死にました。母が最初に。父が追うようにして数日後に。夜が過ぎれば朝が来るように。寝ていても無意識に息を続けるように。」
「そして、両親が死んだ時、ふと思ったんです。死んだら全て無くなるのに、現世で何も得られなかった両親は、幸せに、満足に、死ねたのか、と。」
メリアには、ウィルスの脊椎に燃え盛る炎を見た。それは赤にも青にも見える、不思議な炎だった。
「だから僕は、確信して幸せな死を選びたいんですよ。両親とは違って。『命の聖水』がこのカフェにしか湧かなくなったと知った時だって、自分の意思で継ぐと決めました。きっとそれがこの世界を救うことにつながるって、そう確信したんです。僕は、救済者になると決めたんです。」
「それが僕の選んだ道で、その過程でたとえどんな犠牲を払おうとも、構いません。」
その炎は、とても静かで、獰猛だ。まるで呪いだと、メリアは感じた。
「そう。本当に私たちって、似てるわ。」
ウィルスはメリアの視線が、哀れみを含んでいるようで、思わず眉間に皺を寄せた。といっても、ほんの少しだけで、あの不気味な笑顔はずっと貼り付けたままであるが。
メリアは突然机に突っ伏して呟いた。
「娘も、私が命の聖水を得られずに死んでしまったら、私のことを、哀れに思うのかしらね。」
ウィルスはハッとしたように顔を上げた。ウィルスとメリアの視線が重なる。食洗機の音が際限なく、部屋中に響く。
ウィルスはメリアの瞳のずっと、ずっと奥を見つめて、それから鏡のように感じて目を逸らした。
「……どうでしょうか。私は娘さんではありませんから。」
ウィルスは拳銃を再び強く握りしめた。
手の熱は全て、拳銃に奪われている。
ゆっくりとそれを構えてメリアに向き合った。
メリアとはもう、目が合わない。
最初にコーヒーに混ぜて飲ませた毒は、メリアが起き上がる力さえも奪っていた。全身の力が抜け、あと数分で彼女は呼吸困難になり苦しみもがきながらあの世へ行く。
「……もうそろそろ、か。」メリアはポツリと呟いた。
いつの間にか外を荒らしていた風は止み、オレンジ色の朝日が窓から流れ込んでいる。メリアの金色の髪をその光が照らしている。いつか見た小麦畑のようだ、とウィルスは目を奪われる。
「私ね、多分気付いていた。娘が私にこの石をくれた時、あの子は暗に私に『行かないで。』って訴えていたのよ。」
「でも、私はそれに気づかないふりをした。そしてそんなの勘違いだって自分自身にいい聞かせてきた。」
「私は母親になりきれなかったのかな。全てをあの子に捧げることができなかった。私は私の人生を選んでしまった。」
メリアの声は少しずつ苦しさを増していく。いつの間にかレイは突っ伏したメリアの顔をじっと、見つめている。
「後悔、しているんですか。」
一拍置いて、だが迷いなくメリアは答えた。
「……また同じ人生を歩むとしても、私は同じ選択をするでしょうね。でも、欲を言うならもう一度、あのエメラルドグリーンの泉のそばでただ、娘と。」
「一日中、気が済むまで、」
「話しておけばよかった。」
メリアの顔を見ていたレイが冷たく、全てを飲み込んでしまいそうな闇をウィルスに向けた。
その瞬間、ウィルスは人差し指を引いた。真っ白なカフェにひとつの赤が広がった。




