第4話:信じたいもの
ウィルスはカフェの奥にあるラボで、『命の聖水』の研究を進めていた。その手にはエメラルドグリーンの魔鉱石が光っている。メリアが娘から貰ったものだ。
「それ、彼女の娘さんにとっては形見でしょ。いいの研究に使って。」
レイはウィルスの肩越しにその魔鉱石を見つめて言った。
「わかりきったことを今更聞くなんて、本当に君は意地が悪いね。相当僕を苦しめるのが好きみたいだ。」
振り返らず、ウィルスは困ったように笑って言った。
「僕は目的のためならなんでも利用するさ。そうすることを随分長いことを続けてきた。今更やめない。」
レイは興味がなさそうにふーんと相槌を打ちながらラボを見渡した。そのラボはウィルスがこのカフェを両親から引き継いだ時に増設したものだ。カフェとして機能している全てが白に統一された室内とは打って変わって、壁や床はパイン木材でできており、古い魔道書が整然と並べられた背の高い本棚が壁に沿って鎮座している。本棚のない壁にはウォールラックが複数かけてあり、様々な植物や瓶に詰められた動物のミイラや薬草が入れられている。その部屋の真ん中に大きな長方形の書斎の机が置かれており、ウィルスは閉店後いつも『命の聖水』を入れたガラスの容器に管をたくさん付けたり、それを下から炙ったりしている。少なくともレイはそうしたウィルスの姿を100年以上見続けている。そしてどうせ無理だろうからと、哀れに思っている。
「その魔鉱石、『命の聖水』と同じ色をしているね。」レイは何ともないように言った。
ウィルスはその言葉に一瞬動きを止め、目を見開いた。その魔鉱石を乗せた手は、微細に、繰り返し揺れる。額からは汗が吹き出しているようだ。魔鉱石が放つエメラルドグリーンの色をしている。ふとレイはそういえばメリアの死体はまだカフェに転がっているなと、思った。きっとあの赤はそろそろ赤褐色に染まっているだろうか。
そんな思念を叩き破るように、ウィルスは机の上に無造作に積まれていた書類や器具を払い落とした。ガラスが割れる青く鋭い音が室内を反響する。
「……ははは、そんなはずないだろう、だって、これはもうここにしかないって。だから、僕はこれまで……。」
あの笑みはウィルスの顔から消え失せていた。
代わりにそこにあったのは、信じてきたものが揺らぐ、絶望だ。
レイはただウィルスが一つの真実を必死に確かめようとする姿を表情ひとつ変えずただ、傍観する。ウィルスは震えるおぼつかない手で机に置いてあったハンマーを手に取り、魔鉱石を叩き割った。
その瞬間、部屋全体がその色に染まった。
叩き割った側面から、まるで温泉が噴き出るように緑の雫が噴き出す。それは、あっという間に天井の高さまで噴き出し、そこから大きな真っ赤な一つの花を咲かせた。すると数秒もしないうちに、天井を埋めたその花はたちまちに枯れ、ハラハラと花弁を落とす。そして大きな果実をつけた。砂漠化が進むこの世界で、これほどまでに豊潤な果実はこれひとつだけだろう。
つまり、この魔鉱石から出た緑の液体は、緑を取り戻す力を持っている。あの『命の聖水』と同じように。
天井にぶら下がった大きな果実を見て呆然と立つウィルスにレイは言った。
「ほら、言ったでしょ?あなたの研究なんてどうせ無駄だって。」
ウィルスは石膏像になったかのように微動だにしない。その目には赤と黒が混ざっている。レイはひとつため息をつき、ウィルスの元へ、一歩ずつ近づきながら言い放つ。
「あの冒険者の女が言っていた『エメラルドグリーンの魔法の泉』って、『命の聖水』の源泉でしょうね。彼女たちがそれに気付いていなかった、あるいは、その効果が抑制されていた。だから『命の聖水』がそんな身近にあるなんて、気づかなかったんでしょうね。」
ウィルスはかろうじてレイに目を向ける。レイの顔にはあの不気味な笑みが浮かんでいる。
「つまり、『命の聖水』はここだけじゃなくて、世界のどこかにまだ存在している。」
レイはウィルスの目の前に立ち止まり、顔を見上げる。まるで自分の顔が奪われたようだと、ウィルスは他人事のように感じる。
(ああ、それを言ってくれるな、たとえ真実だとしても。)そうウィルスは心から願う。喉に何かつかえてしまったようで、ウィルスはただ祈ることしかできなかった。
「ねえ、ウィルス。あなたはただ人を殺してきただけみたいね。そこには何の正当性もない。」レイの顔にはまだあの笑みが張り付いているが、ハリボテではない。ウィルスの喉を閉ざしていた何かが突如消え失せ、室内に怒声が響く。
「嘘だ………………!!!!僕は、ずっと、この100年間、人類のためにたくさんの冒険者を殺してきたんだ。それで世界が救われるなら、悪者にだってなってやるって……!!!!!!!」
ジェルで固めた髪の毛は無造作に散らばり、衣服には魔鉱石から飛び出た緑が飛び散っていた。まるで小さい少女にウィルスは容赦なく怒鳴りつける。
「君が嘘をついているんだろう!!!!そうだ、だって君はどうせ僕の罪悪感が作り出した幻だ!!!君に知る由もないだろう!!!!!!!」
レイは凄むこともなく、憐れむように笑って言った。
「まだそんなことを言っているの。じゃあ天井にあるこれは何?こんなことができるのはこの世で『命の聖水』だけ。100年も研究を続けてきたあなたが1番よく分かっているでしょう。」
ウィルスの顔は真っ赤に染まり、その手で頭を抱えている。
「それに、私はあなたの作り出した幻ではないわ。あなたが100年の間殺してきた冒険者の思念の集まり。つまり存在している。生きている者には見えないけれどね。」
ウィルスはまだ信じられないと言ったように頭を掻きむしりながらぶつぶつと何かを呟いている。その目はもうここレイには向いていない。
レイは徐に机の上に置いてあった手持ちランタンを掴み、それで俯くウィルスの顔を照らした。
「まだ信じられない?」
ウィルスには何の言葉も届いていないようだ。レイはハーッとため息をつき言い放つ。
「あなたは本当に自分を聖人君子か何かだと、本気で信じていたみたいね。」
「じゃあ証明してあげる。『命の聖水』が希少なものでもなく、たくさんあるってことをね。そしてあなたがやってきたことはただ意味のないことだったってことを。」
そう呟いたレイはその手に持っていたランタンを本や紙がたくさん散らばった床に叩きつけた。その炎はあっという間に床一面に広がった。レイはウィルスの手を引き、外に連れ出した。ラボから出ると、メリアの死体が転がっていた。ウィルスは発狂した。もう何も信じたくないと、そう思った。レイに手を引かれながら、カフェを出る直前、ウィルスはまた振り返った。綺麗な赤だと思った。それはウィルスの完璧なまでの白を跡形もなく飲み込み、メリアをもどこかへと連れ去ってしまった。




