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第二章 廃城の山賊

---

 東へ向かう街道は、カルカスの城門を出てすぐに石畳が途切れた。


 あとは丘と丘の間を縫うように延びる土の道だった。乾いた風が低木の枝を揺らし、道の両側には岩場と荒れ地が続く。オリーブの畑はもうない。石灰岩の露頭が白く輝き、その隙間から名前も知らない草が伸びている。


 先頭を歩くエドモンが振り返った。「ガストン、この道で合っているか」


 「合っています。もう一刻半ほどかと」


 ガストンはこの地域の出身だけあって、道の読み方が確かだった。踏み跡の乾き具合を見て、先を見越した迂回を提案する。その判断に迷いがない。


 ドレクは後ろから歩きながら、時折首を動かして周囲を見ていた。「山賊はどのくらいいるんだ。聞いているか」


 「三〇人ほど、という話でした」アレクは答えた。「ただ、実数は分かりません」


 「倒した連中を入れると、昨日で六人は減っている」ガストンが言った。「逃げた者もいるから、残りは一五から二〇人といったところじゃないですかね」


 「一五でも多すぎる」ドレクが低い声で言った。「五人でどう攻める気だ」


 「正面からは行かない」エドモンが言った。「城内に入れば一度に相手にする数は減る。建物を使って分断する」


 「理屈は分かる。うまくいくといいな」


 ドレクは納得しているのか不満なのか分からない顔で前を向いた。


 ファビアンが静かに続けた。「焦らず動けば、数の差は埋められます」


 エドモンは頷いただけで、また前を向いた。


---


 しばらく無言で歩いていると、ファビアンがアレクの隣に並んだ。


 「聞いてもいいですか」穏やかな声だった。「冒険者になったのは、どういう経緯で?」


 「子供の頃から、憧れていたんです」アレクは答えた。「村に旅の冒険者が来て、各地の話を聞かせてくれて。それで外の世界を見たくなって」


 「故郷を出るのに迷いはなかったですか」


 「ほとんど。……旅に出てみると、護衛の仕事が性に合っていたので、気づいたらこうなっていました」


 「なるほど」ファビアンは穏やかに頷いた。「勇者の一団などを見た、というのは」


 「あります。遠目でしたが」アレクは少し前を向いたまま言った。「白銀の鎧で馬を並べていて——あれはかっこよかった。全員が金髪で、美人で美男子で。なんというか、お話に出てくる通りでした」


 ファビアンは少し笑った。「本物を見た人は意外と少ない」


 「そうかもしれないですね」アレクは答えた。「ファビアンさんは? 傭兵になった理由は」


 「自分も似たようなものですよ」ファビアンは穏やかに言った。「成り行きで」


 それ以上は続かなかった。前を歩くエドモンが振り返り、「静かにしろ」と短く言った。


---


 丘を二つ越えたところで、ガストンが立ち止まった。


 「見えてきました」


 前方の丘の上に、城が立っている。


 石灰岩の白い城壁。中央の主塔は半ば崩れ、上部が欠けている。城壁の各所に蔦が絡まり、石の隙間から雑草が伸びていた。廃墟、と言っていい。


 しかし正面の城門だけが違った。古い城壁に不釣り合いな、新しい木材で補修された門扉。蝶番も最近交換されたものに見える。


 「見張りがいますね」ファビアンが静かに指摘した。「城壁の上、東の角と西の角に一人ずつ」


 アレクも確認した。確かに、城壁の上に人影がある。動かないが、定期的に位置が変わっている。交代制だ。


 五人が岩陰に入って一息ついた。


 まだ昼過ぎだった。今から動くのは早い。城内は人の動きがある。夜になって寝静まってから動くほうがいい。


 エドモンも同じ判断だった。「夜半過ぎに動く。それまで待機だ」


 ドレクが不満そうな顔をしたが、何も言わなかった。


 ガストンが城の外周を確認しに行った。一人で岩を這うように回って戻ってきた。「北側に崩れている箇所があります。あそこなら登れる。見張りから死角になっている」


 それを聞いてエドモンが作戦を確認した。「幹部を押さえれば残りは崩れる。皆殺しにする必要はない。ヴォルフを仕留めれば終わりだ」


 「弓使いがいます」アレクは言った。「昨日、撤退の合図を出した男です。城壁の上から狙ってくる可能性がある。中に入ったらまず散ってください」


 「ガストンとファビアンは奥へ向かえ。ヴォルフを探せ。残りは正面を抑える」


 「了解です」ガストンが言った。ファビアンも静かに頷いた。


 ドレクが斧を持ち直した。「待つのは苦手だ」


 待つ間、食事をした。干し肉とパン。水を回す。声は抑えたまま、各自が思い思いに過ごした。ガストンは目を閉じて壁に寄りかかった。エドモンは地図を広げて何度も確認していた。ドレクは石を蹴って暇をつぶしていた。ファビアンは静かに座って城を眺めていた。


 城の中から、断続的に鈍い音が聞こえてきた。


 規則的な、重い音だ。何かを叩いている。あるいは——掘っている。


 「何の音だ」ドレクが眉をひそめた。


 「地下で何かやってるんじゃないですか」ガストンが言った。「半年も根城にしているなら、蓄えを埋めているとか」


 「財宝でも探してるんじゃないか」ドレクが半分冗談のように言った。「廃城には埋蔵金があるって言うしな」


 誰も笑わなかった。


 アレクは音に耳を傾けた。規則的すぎる。盗品を隠すための穴ではない。長期の発掘作業の音だ。山賊の根城でこんな音が出るとすれば——何かを探している。


 ガストンが城を見た。「何を探しているのか分かりませんが、半年かけて見つからないとしたら、そうとう深いか、そもそも場所が違うかですね」


 音は夕暮れまで続いた。


 フードの中でフィーアが身じろぎした。エルフ語で、小声がした。


 「ねえ、暇なんだけど」


 「もう少しだ。夜まで動けない」


 「どのくらい」


 「日が暮れるまで。寝ておけ」


 しばらく沈黙があった。


 「……偵察に行ってくる。透明化すれば大丈夫でしょ。ここで待ってるより役に立つわよ!」


 アレクは少し間を置いた。「無理するなよ。透明化が解けたら声も出すな、とにかく戻ってこい」


 「分かってるわよ、そのくらい。信用してよ」


 フィーアは羽根を広げ、透明になった。気配が消えた。


 日が傾いてきた。石灰岩の城壁が夕陽を受けてオレンジ色に染まっていく。城壁の上の見張りが交代した。新しい見張りは前の者より動きが鈍い。夜番は気が緩む——山賊にとって、夜は休む時間だ。攻められることなど想定していない。


 フィーアが戻らなかった。


 アレクはもう一度フードを確認した。空っぽだった。


 嫌な想像が浮かんだ。以前、フィーアが似たようなことをやった。偵察に行って、酒の匂いにつられて飲んだ。酔って透明化が解けて、見つかった。フィーア本人から笑い話として聞いたことがある——笑えなかったが。


 城の中に宴会でもやっていたら。山賊の根城だ。酒くらいはある。


 夜が深くなった。城の明かりが一つ、また一つと消えていった。松明は城壁の上に二本だけ残っている。見張りだ。城内の音も静まっている。


 フィーアはまだ戻らない。


 エドモンが立ち上がった。「行くぞ」


 しかし今は引き返せない。


---


 その頃フィーアは、城壁の外を飛んでいた。


 透明化したまま城の周囲を一周した。東の角に見張りが一人、西の角にも一人。城壁の北側に崩れている箇所がある。正面の門は新しい木材で補修されているが、北側の石積みは古いままだ。高さは三メルほど。傾斜があるから登れる。


 きちんと仕事をしていた。最初のうちは。


 城壁の北側の外、少し離れた場所に小屋があった。丸太を組んだ粗末な建物で、隙間から明かりが漏れている。声も聞こえてくる。見張りの詰め所か、あるいは物置か。中を確認すれば人数が分かるかもしれない。フィーアは窓の隙間から体を滑り込ませた。


 山賊が六人、卓を囲んでいた。カードを配り、パンをちぎり、大きな酒壺を回している。ワインだった。南方の赤ワイン特有の、甘くて重い匂いが小屋に充満している。


 ここはカードの内容でも盗み見しておこうか、とフィーアは思った。いや、そんな情報は要らない。人数は六人、武装は剣と短剣が主体、弓を持っている者は一人——ここまで確認できれば充分だ。


 帰ろうとして、酒壺の縁を通り過ぎた。


 一口だけ、と思った。


 壺の縁に降り立ち、表面をひと舐めした。濃い。もう一口。旨い。もう少し。南方の赤はアルムスのぶどう酒とは全然違う。こんなところで飲む酒ではないが、機会があれば飲んでおくべきだ。


 気づいたら壺の中に落ちていた。


 「なんだこの虫!」


 引きずり出された。山賊の大きな手の中で、フィーアの透明化はとっくに解けていた。緑色の光を放つ小さな体が、男の掌の上でワインにまみれて濡れそぼっている。


 「生きてる。羽根がある。虫じゃないぞこれ」


 「妖精だ。本物か? 初めて見た」


 「つついてみろ」


 フィーアは男の指をはたいた。が、酔っていて力が入らない。男たちがわいわいと集まってきた。掌から掌に渡され、顔を近づけて覗き込まれる。臭い息がかかった。


 「食えるのか」


 妖精語で文句を言った。何を言っているか誰にも分からないが、怒っているのは伝わったようだ。


 「怒ってる。かわいいな」


 そこに、外から足音が近づいてきた。


 扉が開いた。赤みがかった短い髪の女が入ってきた。小柄だが身のこなしが素速い。腰に短剣と弩を下げ、皮鎧は汚れているが手入れが行き届いている。山賊にしては目つきが鋭い。


 「何の騒ぎ」


 「ロゼット、見てくれ。妖精だ」


 ロゼットと呼ばれた女は近づいてきて、男の掌の上のフィーアを覗き込んだ。フィーアは精一杯の敵意を込めて睨み返した。


 「……かわいいわね」


 ロゼットはあっさりそう言って、フィーアを受け取った。棚の上にあった空のガラス瓶を持ってきて、中にフィーアを入れた。「もらっていいか」


 「どうぞ。俺たちには使い道がない」


 蓋が閉まった。


 (最悪。最悪最悪最悪……)


 フィーアは瓶の中で腕を組んだ。ガラス越しに外が見える。ロゼットは瓶を持って小屋を出た。城の中に入っていく。主塔の方角だ。


 酔いが少しずつ覚めてきた。透明化を試みたが、瓶の中では羽根を広げる場所がない。脱出は無理だ。


 ならば、せめて聞くことはできる。ロゼットが向かった先に、低い男の声があった。落ち着いた、静かな声だ。命令口調ではない。問いかけるように話す。


 フィーアは耳を澄ませた。


 部屋に入った。ロゼットの私室らしい。棚の上に瓶が置かれた。


 部屋の隅の椅子に男が座っていた。短く刈った黒髪に、顔の古傷。大柄な体つきだが、座っているときの姿勢は落ち着いている。膝の上に古びた紙を広げていた。


 「また出なかったか」ロゼットが言った。


 「ああ」ヴォルフは紙から目を上げなかった。「交差点をもう一度掘り直した。やはり何もない」


 「六ヶ月よ」


 「分かってる」


 ヴォルフは紙を折り畳んだ。「碑文はこう言っている。しるしの中心を見よ、と。俺はしるしを十字と読んだ。礼拝所は十字型だ。中心は交差点だ。これで合っているはずなんだが」


 「合っていないから出ないんでしょ」


 「そうだな」ヴォルフは静かに言った。怒っていない。ただ考えている。「どこかが違う。しるしの解釈か、中心の解釈か」


 ロゼットは椅子に腰を下ろした。「もうやめにしない? 山賊稼業だけで食えてるんだから」


 「俺はここで終わりたくない」


 「分かってるわよ」ロゼットは静かに言った。「だから付き合ってる」


 しばらく沈黙があった。


 「もう少し考えさせてくれ」ヴォルフは言った。「答えは絶対にある。俺が見えていないだけだ」


 フィーアは瓶の中で聞いていた。


 しるし。十字。中心。


 (アレクに伝えなきゃ……)


 しかし瓶の蓋は閉まっている。


---


 「行くぞ」エドモンが言った。


 五人は岩陰を出た。星明かりだけの暗い道を、足音を殺して進んだ。


---


 城の北側に回ると、城壁の一角が大きく崩れていた。昼間にガストンが確認した箇所だ。高さ三メルほどの石積みが根元から崩れ、緩い傾斜を作っている。


 城壁の上の松明は東の角に一本。見張りが一人、外を向いて座っていた。もう一人は西の角だ。どちらも動きがない。夜番の眠気が来ている頃合いだった。


 アレクは弓を引いた。インフラビジョンが夜闇に見張りの輪郭を浮かび上がらせる。東の角まで十五メルほど。城壁の縁に静かに座っている背中。


 一射。


 音もなく倒れた。


 ガストンがアレクを見た。アレクは西の角を顎で示した。ガストンは頷いて、城壁の上を這うように移動した。しばらくして、静かな動きで戻ってきた。


 五人は斜面を登り、城壁を越えた。


---


 中庭に降り立つと、城内の静けさが体に伝わってきた。真夜中だ。建物から人の気配はない。焚き火の跡が中庭のあちこちに残り、まだかすかに温度を持っていた。


 五人は壁沿いに影を使いながら進んだ。石畳の隙間から草が伸び、足音が吸われる。エドモンが手で合図しながら先を示す。誰も声を出さない。


 主塔に向かって右手の壁に、アレクは目を向けた。


 夜目でも分かる、薄い痕跡が石面に残っていた。翼を広げた大きな形。繊細な線。城壁から漏れる月光に照らされると、白い竜の輪郭が浮き上がった。


 ガストンがアレクの袖を引いて、唇だけ動かした。「ゲルドの城だ」


 エドモンが手で前を促した。


---


 主塔の扉に近づいたとき、上の窓から光が差した。


 松明だ。中から降りてくる。


 エドモンが素早く手を横に振った。五人が石柱と建物の陰に分かれた。


 扉が開いた。山賊が一人、半分眠った顔で出てきた。厠に行こうとしているらしい。松明を片手に、足元だけ見ている。


 十歩。


 アレクが弓を構えたとき、ガストンがすでに動いていた。背後から組み伏せ、声を封じる。男は抵抗したが、すぐに力が抜けた。


 ドレクが舌打ちしながら男を引きずって壁際に隠した。


 エドモンが扉を指した。五人が中に入る。


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 主塔の内部は暗かった。一階は食料と武具の置き場になっていた。松明の台座はあるが、火はない。


 アレクは暗闇の中で動いた。足音を殺す。板張りの床の軋みを踏まないように、端を選んで歩く。


 階段を上がりはじめたとき、上から灯りが降りてきた。


 足音が複数。起きている者がいる。


 エドモンが壁に貼りつき、手でガストンとファビアンに前を示した。二人が階段を駆け上がった。


 ほぼ同時に、外の中庭で声が上がった。


 壁の外の見張りが、倒れた仲間を見つけたのだ。


 続いて、城壁の角の松明が激しく動いた。警戒の合図だ。建物の中に明かりが灯り始め、複数の足音が響いた。


 エドモンがアレクとドレクを見て、中庭の扉を指した。


 外に飛び出した。山賊が武器を手に出てくる。寝間着のままの者もいる。統制よりも混乱が先に立っている。昨日の街道の整然とした動きとは全く違う。夜中に攻められることを、これっぽっちも想定していなかった連中の顔だった。


 城壁の上から矢が飛んできた。夜目の利く射手が一人——ハンスだ。松明の明かりを背にして、正確に射ってくる。


 アレクは建物の柱の陰に飛び込みながら弓を構えた。城壁の上にハンスがいる。中庭に山賊が四、五人。地下の入口付近に大柄な影——クルツだ。


 エドモンとドレクが中庭の山賊と切り結んだ。アレクは弓を向けた——城壁の上のハンスだ。あの弓を放っておけば、動く者が全員狙われる。


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 ハンスは手強かった。


 城壁の胸壁を盾にして、顔だけ出して射ってくる。精度が高く、アレクが動くたびに予測した角度から矢を飛ばしてくる。アレクは建物の柱を盾にしながら移動した。


 中庭の端でエドモンが山賊二人を相手にしていた。剣で一人を押さえながら、もう一人に盾を向ける。手堅いが時間がかかる。アレクはハンスから目を離さずに一本射って、エドモンに向かいかけていた山賊の足元を牽制した。山賊が止まる。エドモンがその隙に一人を崩した。


 また視線をハンスに戻す。弓使いは弓使いが封じる。


 七射目。アレクは動きを変えた。踏み出す方向を毎回変えながら、城壁の石垣の欠けた部分を利用して、目線が合わない角度から射る。


 ハンスが身をかわしきれなかった。矢が胸壁の縁をかすり、弓弦を弾いた。弓が狂う。


 その一瞬でアレクは距離を詰めた。城壁の段差を登る。ハンスとの間が一〇メル以内になった。ハンスは弓を捨て、短剣を抜いた。


 「まいった!」


 両手を上げた。弓を捨てたまま、短剣も抜いていない。


 「短剣を置いてください。蹴って遠ざけてくれると助かります」


 「……あなた、相当やるな」ハンスは短剣を床に置き、足でゆっくりと脇に蹴った。「あそこから当てるとは思わなかった」


 「あなたも手強かった。早めに降りてきてもらえてよかった」


 ハンスは苦い顔で手を上げたまま立っていた。


---


 地下の入口から、重い音が響いていた。


 金属が石を打つような音だ。一定の間隔ではない。不規則で、重い。何かが壁にぶつかる音が混じっている。


 アレクは城壁の段差から地下の入口を見下ろした。


 石段を降りた先の狭い通路で、ガストンとクルツがぶつかり合っていた。


 クルツは大きかった。松明の明かりの中で、赤毛の大男が両手剣を振り回している。天井の低い通路では本来不利な武器だが、クルツはそれを承知で使っていた。壁に刃が当たる度に石の破片が飛ぶ。斬るというより叩き潰す剣だった。


 ガストンは片手剣と丸盾で受けていた。正面から受け止めない。クルツの両手剣が振り下ろされる瞬間、半歩横に動いて盾の面で流す。力を殺すのではなく、方向を変える。当たった衝撃がガストンの体を揺らすが、足は動かなかった。地元の傭兵が長年かけて身につけた、力の差を技で埋める戦い方だった。


 「でかいな、あんた」ガストンが息を切りながら言った。「俺の三倍は食ってるだろう」


 クルツは答えなかった。笑顔のまま——しかし目は笑っていない目のまま、もう一撃を振り下ろした。ガストンが滑るように横に抜け、壁際から石段に上がった。高低差を作る。クルツが追った。


 「通すわけにはいかねえ」クルツが初めて声を出した。低く、太い声だった。「上にヴォルフがいる」


 「知ってるよ。だからここを通りたいんだ」


 「そうか。じゃあ死ね」


 両手剣が横に薙ぎ払われた。石段の縁が砕け、破片がガストンの顔を掠めた。ガストンは腰を沈めてかわし、盾の下から突いた。片手剣の切っ先がクルツの脇腹を掠める。革鎧の表面に赤い筋が走った。


 クルツは一瞬だけ動きを止めた。脇腹を見た。血が滲んでいる。


 「……当たったか」


 「浅いけどな」ガストンは石段の上に立ったまま、盾を構え直した。「次はもう少し深くする」


 クルツが踏み込んだ。石段を一つ飛ばして登り、頭上から振り下ろす。石の天井のせいで刃の軌道が圧縮され、距離が短いぶん速い。ガストンは盾で受けた——受けた瞬間、腕に痺れが走った。重い。一撃で盾が歪んだのが分かった。


 二撃目。ガストンは盾で受けるのをやめた。体ごと横に転がり、クルツの背後に回った。狭い通路で体を入れ替えるには難しい角度だが、ガストンの体は無理なく動いた。


 クルツが振り向く。遅い。両手剣の取り回しが邪魔をしている。


 ガストンの片手剣が、振り向きざまのクルツの首元に入った。


 赤毛の大男は膝をついた。両手剣が石段に落ちて甲高い音を立てた。血が石段を伝って下に流れていく。


 「…………」


 クルツは何か言おうとした。口が動いたが、音にならなかった。ゆっくりと前に倒れ、動かなくなった。


 ガストンがしばらく立ったまま荒い息をついていた。盾を石段に下ろし、肩を回した。左腕が震えている。


 中庭が片付いた。エドモンが山賊三人を仕留め、最後の一人が逃げようとした。アレクが弓で前を塞ぐ。「止まれ」男は立ち止まって両手を上げた。


 ガストンが地下から出てきた。荒い息だが、足取りは確かだ。左腕の盾は歪んでいた。


 「強かった」ガストンは壁に背をつけて息を整えた。「ヴォルフの仲間だって言っていた。……あれだけの男が、山賊か。もったいないな」


 しばらく息を整えてから、ガストンは地下の入口を振り返った。「……俺もいつか、こんな場所で死ぬのかもしれないな」


 独り言だった。アレクは何も言わなかった。


---


 主塔の上階では、別の戦いが続いていた。


 エドモンとファビアンが階段を駆け上がったとき、二階の居室に松明が灯った。狭い部屋の奥に、男が立っていた。


 短く刈った黒髪。顔に古傷。大柄な体だが、立ち方に緊張がない。右手に長剣、左手に短剣。松明の明かりを受けて、二本の刃が鈍く光っている。


 ヴォルフだった。


 「来たか」


 低い声だった。怒りでもなく驚きでもない。ただ状況を確認しただけの声だった。


 エドモンが剣を構えた。「カルカスの騎士エドモンだ。領主の名において、お前を拘束する」


 「騎士か。名乗ってくれるのは礼儀正しいな」ヴォルフは長剣を肩に乗せたまま言った。「だが、投降するつもりはない。おとなしく帰ってくれ」


 「そういうわけにはいかない」


 「そうか。なら仕方がないな」


 ヴォルフが動いた。


 速かった。長剣を前に出しながら踏み込み、エドモンの盾に向かって打ち下ろす——と見せて、左の短剣が横から突いてきた。二刀流の基本形だが、フェイントの精度が高い。長剣の軌道が完全に盾を引きつけたところに、短剣が入ってくる。


 エドモンは盾を半回転させて長剣を受け、体をひねって短剣をかわした。金属が噛み合う音が部屋に響いた。


 「悪くない」ヴォルフが言った。


 二撃目。今度は短剣が先で、長剣が後。リズムが毎回変わる。型がない。実戦で練り上げた剣だった。傭兵の剣だ。騎士の訓練とは根本的に違う。


 エドモンは堅く守った。盾と剣で間合いを作り、ヴォルフの変則的な攻撃を一つずつ処理していく。騎士の剣は手堅い。しかし押されていた。ヴォルフの方が速く、ヴォルフの方が間合いの使い方がうまい。


 ファビアンが横から踏み込んだ。


 長剣を一閃。ヴォルフの左手を狙った正確な一撃だった。ヴォルフが短剣で弾く。金属音が重なった。


 二対一。普通なら圧倒的に有利だが、部屋が狭い。二人が同時に動くと互いの邪魔になる。ヴォルフはそれを見切っていた。壁を背にして立ち、二人が横に並べない角度を維持している。


 「ヴォルフ!」


 背後の扉が開いた。赤みがかった短い髪の女——ロゼットだ。弩を構えている。


 ロゼットの弩がファビアンに向けられた。距離は五メル。外しようがない距離だった。


 ファビアンが動いた。弩が鳴る。弦の音と同時にファビアンの体が横に流れ、矢は壁に突き刺さった。


 ロゼットが次の矢を装填しようとした。ファビアンがロゼットとの間合いを詰めた——その動きを見て、ヴォルフが叫んだ。


 「ロゼット、下がれ!」


 ロゼットは下がらなかった。弩を投げ捨て、短剣を抜いてファビアンの前に立ちはだかった。ヴォルフとファビアンの間に入る形だ。


 「邪魔をするな!」ヴォルフが怒鳴った。初めて声が荒れた。


 「あんたこそ! 一人で二人相手に——」


 ファビアンの剣が閃いた。


 速かった。ロゼットの短剣が弾かれ、次の瞬間にはファビアンの切っ先がロゼットの胸を捉えていた。まるで最初からそうするつもりだったかのように、無駄のない一撃だった。


 ロゼットが膝をついた。短剣が床に落ちる。手で胸を押さえ、ヴォルフの方を見た。


 「…………ごめん」


 声が小さかった。ヴォルフが駆け寄ろうとしたとき、エドモンの剣がヴォルフの退路を断った。


 「動くな」


 ヴォルフは立ち止まった。ロゼットが床に倒れた。動かなくなった。


 しばらく、ヴォルフは動かなかった。長剣と短剣を持ったまま、ロゼットの体を見ていた。


 それから、エドモンとファビアンに目を向けた。


 目が変わっていた。怒りではなかった。諦めだった。


 「……殺せ」


 短く言った。剣を構え直した。投降ではない。最後まで戦う姿勢だった。しかし、さっきまでの計算された動きはなかった。前に出た。二本の刃を同時に振り下ろす。力だけの一撃だった。


 エドモンが盾で受け、ファビアンが横から剣を入れた。


 ヴォルフの体が崩れた。膝をつき、長剣を杖にして体を支えた。短剣はもう握れていなかった。


 「……半年だ」ヴォルフは血を吐きながら言った。「半年かけて、まだ見つからなかった。あとどのくらい掘れば良かったのか——誰か知ってるか」


 誰も答えなかった。


 ヴォルフは前のめりに倒れた。


---


 主塔から人が降りてきた。ファビアンだった。エドモンが続く。


 エドモンの顔に疲労が見えた。盾に傷が増えている。右の袖口に血が滲んでいた——ヴォルフの短剣が掠めた跡だ。


 「終わった」エドモンは低い声で言った。「ヴォルフは死んだ。ロゼットも」


 「ロゼットも?」アレクが聞いた。


 「ヴォルフをかばって前に出てきた。混乱の中だった」エドモンは視線を落とした。「……刃を向けても引かなかった」


 ファビアンは何も言わなかった。剣を収めていた。顔に何も浮かんでいない。汗一つかいていないように見えた。


 アレクはファビアンを見た。ファビアンは城壁の方に目を向けていた。静かだった。戦いの後の人間の顔ではなかった。


 何かが引っかかった。しかし言葉にできなかった。見ていなかった。証拠がない。


 「……城内を捜索します」アレクは言った。「フィーアがまだ中にいるかもしれない」


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