第一章 陽光の街道
# 13 廃墟の城
## 第一章 陽光の街道
荷馬車の軋みが、白い石畳の上で一定のリズムを刻んでいた。
街道は古代ローム帝国の時代に敷かれたものらしく、石は丁寧に組まれているが、千年以上の歳月が表面を削り、あちこちで欠けている。それでも草原や砂道よりずっとましだ、と荷馬車の脇を歩く若い男は思った。
黒い髪に黒い瞳。分厚い外套の下に革鎧を着込み、腰には使い込んだ長剣、背に小弓と小型の盾を負っている。冒険者の身なりだが、顔つきは温和で、どこか牧歌的な雰囲気が抜けない。名をアレクという。アルムス山脈の羊飼いの家に生まれ、今はキャラバンの護衛やゴブリン退治など、地道な仕事で旅の資金を稼ぎながら各地を巡っている。
丘の上に村が見えた。石造りの家が肩を寄せ合い、教会の鐘楼がひときわ高く突き出ている。丘の斜面にはオリーブの木が並び、銀色がかった葉が風に揺れていた。道の両脇にはラベンダーの株が連なり、乾いた南風がその香りを運んでくる。アルムス山脈の緑の濃さとは全く違う、乾燥した白い大地の風景だった。
オクスタニア同盟の南部。多くの諸国が入り組んで乱立するこの地帯は、交易路が発達している分だけ、狙われる危険も多い。
アレクは荷馬車の側面を歩きながら、前方の街道を確認した。外套のフードを頭に乗せているのは、日差しよけのつもりだったが、今日はその中に別の乗客がいる。
「暑いわね! もうほんとに! なんでこんなに日差しが強いの、ここ!」
フードの中から、小さな声がした。エルフ語だった。
「悪いけど、もう少しの辛抱だ。街に着けばましになる」
アレクも小声でエルフ語で答える。フードの端から小さな顔が覗いた。人差し指ほどの身の丈、透明な羽根、絹のように細かい金髪——妖精のフィーアだ。見た目は十四歳前後の少女だが、実際には数十年を生きている。アレクの旅の連れで、今は彼のフードの中に収まっている。
「日差しが眩しくて死ぬかと思ったわよ! もうちょっとで溶けてたわ」
「日差しじゃ死なないよ。暑いのは分かるけど」
「誇張よ、誇張。それより」とフィーアは周囲を見回した。「南の国って開放的なのね。あっちの畑の人、上半身が大分大らかね」
「そっちは見なくていいから。余計なことを覚えて帰らないでくれ」
「見ちゃったわよ。まあいいわ。おばあちゃんが言ってたけど、この辺りは昔ものすごくいろんな民族がいたのよ。海から来た人、山から来た人、ローム帝国の前にも後にも、ごちゃごちゃと」
「ゲルドの民もいたんですか」
「ゲルド? さあ、そこまでは知らないわよ。おばあちゃんもそこまでは言ってなかったし」
フィーアはそれっきり黙った。フードの中で身を縮め、また眠り始めたようだ。
キャラバンは荷馬車が五台。商人が六人、御者を兼ねた者も含めて、それに護衛が二人という編成だった。荷は毛織物と南方から仕入れた香辛料で、目的地は東のルシオン地方だという。取りまとめ役のベルナールは五〇代の恰幅のいい男で、口ひげを蓄えており、商売人らしい計算の早さで護衛の報酬も手際よく値切ってきた。
もう一人の護衛が、荷馬車の反対側から声をかけてきた。
「なあ、北から来たのか?」
ガストンという名の傭兵だった。三〇代半ば、日焼けした肌に巻き毛の茶髪、よく笑う顔をしている。片手剣と丸盾を持つ、地元の傭兵の標準的な格好だ。陽気で口が軽い男だが、腕は確かだとアレクは見ていた。歩き方、荷馬車との距離の取り方、街道の先を確認する目の動き——経験のある護衛の動きをしている。
「アルムス山脈の出身です」
「遠いところから来たな。あっちは寒いだろう」
「慣れると寒くないんですが、こっちに来てからは暑くて慣れないでいます」
ガストンは笑った。「そのうち慣れる。俺だって初めて北に行ったときは凍えたもんだ」
「オクスタニアの外に出たことがあるんですか」
「傭兵だもの。飯のある場所を転々とするさ。今は地元に戻ってる。やっぱりここが一番飯が旨い」
ガストンは懐から干したイチジクを取り出して一つ放り込んだ。「ぶどう酒も旨い。あの丘のぶどうで作った赤ワインはな、北じゃ絶対に飲めない味だ。ルシオンのよりこっちのほうが俺は好きだ。あ、そういやお前、トルサで泊まった宿、どこだった? 俺は〈三枚の葡萄〉に毎回世話になるんだが」
アレクは宿の名前を答えた。ガストンはまた笑った。それから、護衛として気になっていることを持ち出した。
「隘路のことは聞いてるか」ガストンが前方を見ながら言った。
「はい。二か所ある、と」
「ああ。今年に入ってから、そこが特に危ない。俺もひと月前に一度やられかけた。連中は通行料を取る気でいる。払えないやつからは荷ごと奪う」
「半年前から出ているとは聞きました」
「最初は散発的だった。今は違う。仕切っている奴がいる。月に何度も同じ手口でやられると、街道の物価が上がる。荷を奪われた分が値段に乗ってくるからな。商人も迂回路を探し始めてる」
アレクは街道の前方に目を向けた。白い丘陵地帯がゆるやかに起伏し、街道はその中に吸い込まれていく。
「隘路まで、あとどのくらいですか」
「昼を過ぎた頃。今日は俺たちが五台連れているから、狙いやすい。装備を確認しておいたほうがいい」
「はい」
「まあ、護衛が二人いるってのは向こうも見てる。来るかどうか」
ガストンはそう言って、干しイチジクを一つ放り込んだ。しかし今度は笑わなかった。
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隘路に入ったのは昼を過ぎたころだった。
両側の岩が迫り、街道の幅が荷馬車一台分ほどに絞られる場所だ。岩肌には灌木が張り付き、上の方では石灰岩の白い塊が突き出ている。
アレクが前方に目を向けた瞬間、矢唸りが空気を切った。
「伏せて!」
声と同時に御者の横に飛び込む。矢が荷台の幌を貫いた。
続けて数本が降ってくる。上だ——岩の上から射ている。アレクは盾を引き起こしながら、荷馬車の車輪の陰に滑り込んだ。
前方から怒鳴り声が上がった。見ると、街道の先に太い倒木が横たわっている。最初からそこにあったのではなく、引き出されたのだ。荷馬車が止まった瞬間に倒した——手慣れた手口だった。
「ガストン!」
「見えてる!」
ガストンは荷馬車の後方に回って盾を構えていた。岩の上、少なくとも二か所から矢が降っている。右の岩の上には痩せた長身の男がいた。弓を構えて指示を出している。眼鏡をかけており、傭兵にしては知的な印象だった。左からは大柄な赤毛の男が岩を駆け下りてくる。
山賊は一〇人ほど。ただ、その動きが気になった。バラバラに突っ込んでくるのではなく、役割が分かれている。弓が二人、接近が四、五人、後方で荷馬車を囲む動きが数人——統制が取れていた。
アレクは剣を捨てて弓に切り替えた。接近は荷馬車の数と商人の数がある。ガストンに任せ、自分は射手を封じる。
岩の上の痩せた男を狙う。距離は四〇メルほど。弦を引く指に力を込めた。腕が吸い付くように弓に馴染む。二本の矢を番えた——エルフから習った技で、引きを甘くすれば同時に放てる。威力は落ちるが、二方向を同時に牽制できる。
弦を切った。矢が空を裂き、一本は男の足元の岩に当たって石を砕いた。もう一本は左の射手の脇をかすめ、羽根が音を立てた。どちらも当てるつもりはない。矢が来ると知れば、精度は落ちる。相手の頭を岩の下に押し込めればそれでいい。
ガストンは荷馬車を背にして戦っていた。正面から来た赤毛の大柄な男と切り結び、盾で受けて弾き返す。距離を詰めた山賊がもう一人、脇から刃を振るった。ガストンは半歩下がって躱し、「遅い遅い!」と叫びながら反撃で首筋を一撃した。男が倒れる。赤毛の男が再び来た。ガストンは今度は受けずに踏み込んだ。盾の端で顎を打ち上げ、倒れたところに剣を当てた。息一つ乱さず、もう次を見ている。地元で何年も護衛をしてきた男の動きだった。
二人が倒れたところで、鋭い口笛が鳴った。
岩の上からだった。痩せた男が二本指を口に当てて吹いた音だ。
その瞬間、山賊たちが一斉に動きを止め、踵を返した。
散開ではなかった。岩陰を利用しながら、乱れずに引いていく。転がっている仲間は放置している——いざとなれば見捨てる、と最初から決まっているような動き方だった。二〇秒も経たないうちに、山賊は灌木の中に消えた。
静かになった。
取り残された山賊が二人、石畳の上で唸っていた。立てる状態ではない。
「追わないほうがいいですか」
「当たり前だ」ガストンが息を整えながら言った。「地形を知ってる連中を追ったら、どこに誘い込まれるかわからん」
残った二人を縛り上げた。抵抗はなかった。命を惜しんでいるのが顔に出ている。生活のために荷を狙う連中だ。死ぬ気で戦う気はない。
「いくつか聞かせてもらいます」アレクは縛られた一人の前に膝をついた。「根城はどこですか」
男は少し間を置き、「……ベルガルドの廃城だ」と答えた。
「頭の名前は」
「ヴォルフ。元傭兵だ。俺たちには詳しいことは話さない」
「仲間が追ってくる可能性は」
「ない。ヴォルフはそういう無駄はしない。見捨てたということは、もう終わりだ」
男は疲れた顔でそう言った。諦めと安堵が混ざったような表情だった。
ガストンが首を振った。「それにしても——見たか? あの引き際」
「はい」
「野盗じゃない。あいつら、軍隊経験がある」
アレクは岩の上を見た。痩せた男はもういない。荷馬車の前の倒木だけが残っている。
口笛ひとつで、全員が同じ動きをした。命令と服従の関係が成り立っている——単なる金目当てで集まった連中ではなかった。
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城塞都市カルカスが見えてきたのは夕刻だった。
丘の上に石造りの城壁が巡り、その内側に家々の屋根が密集している。城壁の外には段々畑が広がり、ぶどう棚が斜面を覆っていた。夕陽を受けた石灰岩の壁が赤みがかった黄色に染まり、遠くから見ると蜂蜜色の塊のようだった。
街の門をくぐると、石畳の坂道が続く。両側に石造りの家が並び、一階が商店、二階が住居という作りが多い。香辛料の匂い、焼いた羊の匂い、ぶどう酒の匂いが混ざり合っている。
縛った山賊二人は門番に引き渡した。ベルナールが事情を手短に説明すると、門番は面倒くさそうに受け取り、内側の詰所に連れていった。
ベルナールはまず荷を卸しに向かった。顔見知りの問屋があるらしく、荷馬車を連ねて商人街の一角に入る。値交渉とやり取りに小半刻ほどかかった。毛織物と香辛料が手早く換金され、ベルナールの顔が緩んだ。護衛の仕事はここまでだった。
ベルナールは宿に向かいながら、ガストンに声をかけた。「よく守ってくれた。追加で出そう」
「ありがとうございます」
宿に落ち着いたのは日が傾いてからだった。主人との挨拶もそこそこに、ベルナールが山賊の話を持ち出す。
「また出やがった。どうにかならないのか」
「また出ましたか」宿の主人が眉をひそめた。「この半年、月に二度か三度は被害が出ています。通行料を払えば見逃す、払わなければ奪うというやり方で。払った分が物の値段に乗ってきて、最近は食料も香辛料も軒並み高くなっている。うちも利幅が減りましたよ」
「根城はどこだ」
「ベルガルド城だと言われています。東の丘陵にある廃城です。入ってみようとした者もいたそうですが、逃げてきた。あの城には近づかないほうがいいと、みんな言います」
ベルナールがアレクを見た。「お前さん、なかなかやるな。あの城を何とかしてくれないか」
「私だけでは難しいです。こちらの領主に依頼するべきかと」
「そうだな。行ってみるか」
ガストンが宿の主人に声をかけた。「その廃城、何か言い伝えがあるだろう」
「ありますよ」主人は少し声を低くした。「暗黒時代の末期、ベルガルドの城主一族が一夜にして消えたんです。村人の言い伝えでは、邪教を崇拝したから神罰が落ちたと。でも歴史に詳しい人は違う言い方をします。教会の異端審問があって、虐殺されたんだと」
「どっちが本当なのか」
「さあ。古い口伝では、悪魔に襲われたとも言います。ただ——」主人は語を継いだ。「その『悪魔』というのが、教会の側の人間を指してるらしくて。それを言うと怒る人もいますから、私はあまり口にしないようにしています」
アレクは宿の主人の話を聞きながら、小さな引っかかりを覚えていた。ゲルドという単語が頭に浮かんだ。どこで読んだのか、どんな文脈だったか——うまく思い出せない。
ガストンが隣で腕を組んだ。「ゲルドってのが引っかかるな」
「ご存知ですか」
「白竜を崇める連中だ。この辺じゃあまり口にしない言葉だな。教会が面白く思わないから。ベルガルドの城主一族も、その信仰を持っていたという話を聞いたことがある」
「それが虐殺の理由だと」
「噂レベルの話だ。証拠があるわけじゃない」ガストンは肩をすくめた。「どっちにしろ近づかないほうがいい城だ。神罰でも虐殺でも悪魔でも、ろくな話じゃない」
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翌日の昼近く、宿に客が来た。
痩せた中年の男で、書記官風の地味な服を着ている。名前をマルクといい、カルカスの領主代理だという。門番から「今日、山賊を二人縛って連れてきた護衛がいる」と聞いて来た、と言った。
「山賊退治を引き受けていただけませんか」マルクは単刀直入に言った。「ベルガルド城の件です。すでに騎士一人と傭兵二人を用意してあります。ただ、戦力が少し心もとなくて」
「報酬はどのくらいですか」
「金貨一〇枚。もし可能であれば、早急にお願いしたい」
金貨一枚は四万ソル。一〇枚は相当な額だった。
「お引き受けします。ただ、山賊の規模と配置について教えていただけますか。情報があると動きやすい」
マルクは手帳を開いた。ここ半年の被害記録と、逃げてきた者からの証言が書き込まれていた。
騎士のエドモンは三〇代前半の男で、金属鎧に領主の紋章を付けた端正な顔をしていた。姿勢がよく、動作が整然としている。正規の騎士教育を受けた者の、それと分かる所作だ。ただ、アレクとガストンを見る目は冷淡だった。
「傭兵の方々も同行されるんですか」
傭兵の方々、という言い方に微妙な距離感があった。
「はい。よろしくお願いします」
エドモンは短く頷いただけで、アレクの目を見なかった。
傭兵の二人は対照的な印象だった。一人はドレクといい、がっしりした体格に無精ひげの二〇代後半の男だ。片手斧と短剣を腰に下げ、愛想よく笑うが、目がよく動いた。金の話を持ち出したとき、その目が一瞬光った。
「一〇枚を五人で割るとなると、二枚か。まあ悪くないか」
「全員で達成してはじめてもらえます」エドモンが冷たく言った。
「わかってるわかってる」ドレクは肩をすくめた。
もう一人はファビアンといった。二〇歳前後の金髪のハンサムで、穏やかな顔立ちをしている。傭兵には珍しい清潔感があり、物腰が柔らかかった。
「よろしくお願いします。頼りにしています」
ファビアンはアレクに微笑んだ。素直に好感の持てる人物だった。これで五人。
マルクが地図を広げた。「ベルガルド城はここです。丘陵を東に半日ほどの距離。明朝出発で、日が高いうちに着けるでしょう」
「わかりました」エドモンが言った。「明朝、西門で集合。各自、三日分の食料と水を用意して下さい」
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夜になった。
食堂の喧騒が収まった頃、アレクは部屋に戻った。
一人になってから、知恵の書を取り出した。革の表紙に古代語で刻まれたその本は、必要な時にページが現れる。扉を閉め、周囲に誰もいないことを確かめてから開いた。
何も出なかった。白紙のままだった。
ゲルドという名前に引っかかりを覚えているのに、本は応じない。知識が足りないのか、問いの立て方が違うのか。アレクは書を閉じ、また荷物にしまった。
宿の食堂でシチューとパンを食べた。羊の肉と根菜、それにハーブが入っており、南国風の香りがした。ガストンが向かいで赤ワインを飲みながら宿の女将の話を聞いている。食堂の隅では旅の商人が賽子を転がしていた。
夜は穏やかだった。
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翌朝、五人が西門に集まった。夜明けの光の中、カルカスの白い城壁が後ろに遠ざかっていく。東の丘陵に向かって、街道が延びている。
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