98話 雪精王国セレナリアへ
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翌朝、ノクトたちは旅館の一階にある小さな喫茶室に集まっていた。
大きな窓の外には、朝靄に包まれた山々が広がっている。木々の葉には露が光り、遠くから鳥の鳴き声が聞こえていた。
ノクトは湯気の立つコーヒーを口に運び、静かに息を吐いた。
「朝のコーヒーって、なんでこんなにうまいんだろうな」
隣では、ノエルが温かいハーブティーを両手で包み込むように持っていた。
「僕はこっちの方が好き。体がぽかぽかするから」
ライナは甘いミルク入りの飲み物を嬉しそうに飲みながら、焼きたてのパンにかじりついている。
「これおいしい!朝から幸せ!」
エリシアは紅茶を上品に飲んでいた。いつものように澄ました顔をしているが、どこか機嫌は良さそうだった。
温かい飲み物。
焼きたてのパン。
窓から差し込む柔らかな朝の光。
戦いに追われ続けてきた四人にとって、その穏やかな時間は、ほんの少しだけ世界が優しくなったように感じられるものだった。
ノクトはコーヒーを飲みながら、テーブルの端に置かれていた新聞を手に取った。
何気なく開いた一面。
そこに書かれていた見出しを見て、ノクトの表情が変わった。
「……セレナリアが魔王軍に占領されたらしい」
その一言で、喫茶室の空気が一気に変わった。
ライナがパンを持ったまま固まる。
エリシアは紅茶のカップを静かに置いた。
ノエルだけは、何も言わずに新聞を見つめていた。
ノクトは記事に目を通しながら、低い声で続ける。
「雪精王国セレナリア。氷と雪に守られた大国だ。そんな国が落とされたってことは、ただの魔王軍じゃない。六魔星が動いている可能性が高い」
「なら、次の目的地は決まりね」
エリシアが迷いなく言った。
「セレナリアに行けば、魔王軍の動きも分かるはずよ」
ノクトはうなずいた。
「ああ。もしかしたら、ゼルクに近づく手がかりも掴めるかもしれない」
その時、ライナがノエルの顔をのぞき込んだ。
「どうしたの、ノエル。なんか、ぼうっとしてるよ」
ノエルは少し遅れて顔を上げた。
「……ごめん。ちょっと考えごとしてた」
ハーブティーを握る手に、わずかに力がこもる。
いつもの穏やかな笑顔はなかった。
「セレナリアは、僕の生まれ故郷なんだ」
ノクトたちは言葉を失った。
ノエルは窓の外に目を向ける。
朝靄の向こうに、まだ見ぬ雪国を見ているようだった。
「だから、気になって。今のセレナリアがどうなってるのか。知ってる場所が、知ってる人たちが、魔王軍に踏みにじられてるかもしれないって思うと……落ち着かない」
「ノエルはセレナリア出身だったのね」
エリシアが静かに言った。
「あそこは雪の国で、氷属性の魔法使いが多いって聞いたことがあるわ」
「うん。セレナリアの魔法使いは、ほとんどが氷属性だよ。水属性の人も少し多いけどね」
ノエルは小さく笑おうとした。
けれど、その笑みはすぐに消えた。
「セレナリアは寒い国だけど、優しい国だった。雪は多いし、暮らしは楽じゃないけど……それでも、みんなで支え合って生きてた」
ライナが勢いよく立ち上がった。
「だったら、絶対に助けに行かないと!ノエルの故郷を魔王軍なんかに好き勝手させるわけにはいかないよ!」
その目は、まっすぐに燃えていた。
ノクトはそんなライナを見て、少しだけ表情を緩めた。
ヴォルツを倒してから、四人はいくつかの国を巡ってきた。
だが、六魔星と出会うことはなかった。
まるで魔王軍が姿を隠しているかのように、重要な手がかりは掴めなかった。
けれど、今回は違う。
セレナリアほどの国を落とした相手。
そこには、間違いなく強大な敵がいる。
喫茶室に、静かな緊張が広がっていく。
ノクトは新聞を畳み、テーブルの上に置いた。
「もし六魔星がいるなら、俺が相手をする」
エリシアが眉を上げた。
「ずいぶん強気じゃない。闇魔法が使えるようになってから、少し調子に乗ってるんじゃないの?」
「そうじゃない」
ノクトはすぐに否定した。
けれど、その声はいつもより硬かった。
「仲間に傷ついてほしくないだけだ」
「そんなの、私たちも同じよ」
エリシアはまっすぐノクトを見た。
「あなた一人に背負わせるつもりはないわ。それにあなたの闇魔法より、私の光魔法の方が強い。勝手に前に出て、勝手に全部抱え込まないで」
「……エリシア」
「何よ」
「たまに優しいよな」
「うるさいわね。余計なこと言うなら置いていくわよ」
ライナがあははと笑い、ノエルも少しだけ表情を和らげた。
「まぁまぁ。みんなで頑張ろう。僕も全力でサポートするから」
ノエルの言葉で、張り詰めかけていた空気が少し緩んだ。
それでもノクトの胸の奥にある重さは消えなかった。
ノクトとエリシアは、しばらく冥澄の魔法を使っていなかった。
二人とも自分の魔法に自信を持っている。
光は光として。
闇は闇として。
互いに違う属性の力を無理に重ねる必要はない。
そう思っていた。
特にノクトはそうだった。
ノクティルに黒い力を植えつけられたあの日から、ノクトはずっと、言葉にできない不快感に悩まされていた。
心臓の奥に、どろどろとした闇の塊がある。
それが脈を打つたびに、体の中で闇属性のマナが増えていく。
もっと使え。
もっと闇を生み出せ。
そう命じられているような気がした。
何故か、闇魔法を使いたくて仕方がない。
その感覚が怖かった。
そして、もう一つ。
ノクトの頭から離れない言葉があった。
『お前は本当に、自分の意思で父親を殺したと思うか?』
ノクティルが言い放った言葉。
あれは、いったい何を意味していたのか。
まさか俺は、ノクティルの幻術魔法で操られて父を殺したのか。
でも、どうしてノクティルが父を殺す必要がある。
何のために。
誰のために。
ノクトは自分自身が分からなくなっていた。
自分は魔王軍を憎んでいた。
理不尽な暴力で人々を苦しめる魔王軍を止めるために、父である魔王を殺した。
そう信じていた。
けれど、それが誰かに植えつけられた感情だったとしたら。
自分の正義だと思っていたものが、誰かに操られた結果だったとしたら。
俺は、いったい何なんだ。
魔王を殺した英雄でもない。
魔王軍に反逆した戦士でもない。
ただ、誰かの思惑で父を殺しただけの人間。
いや。
魔王の血を引いた、ただの化け物。
その考えが、ノクトの胸を締めつけた。
「また考えごとしてるわね」
エリシアの声で、ノクトは我に返った。
彼女はじっとノクトを見ていた。
「最近、本当におかしいわよ」
「……悪い」
「謝ればいいと思ってるの?」
「そういうわけじゃない」
「だったら、一人で抱え込まないことね」
エリシアは少しだけ声を落とした。
「あなた一人じゃ何もできないわ。だから私も、ライナも、ノエルもいるんでしょ」
ノクトは黙った。
何か言い返そうとした。
けれど、言葉が出なかった。
エリシアの言葉は、間違っていなかったからだ。
ライナが両手を腰に当てて、明るい声を出した。
「よし!準備ができたら出発しよう!アタシたちは最強のパーティーなんだから、絶対に大丈夫!」
その前向きな声に、ノエルが小さくうなずいた。
「ありがとう、ライナ」
「当たり前でしょ!ノエルの故郷は、アタシたちの大事な場所でもあるんだから!」
ノクトは立ち上がった。
まだ胸の奥には、黒い違和感が残っている。
ノクティルの言葉も消えない。
けれど、今は立ち止まっている場合ではなかった。
雪精王国セレナリア。
ノエルの生まれ故郷。
魔王軍に奪われた、氷と雪の国。
そこに六魔星がいるのなら、倒すしかない。
ノクトたちは旅館を出た。
朝靄の残る山道を抜け、まだ見ぬ雪国へ向かって歩き出す。
穏やかな休息は終わった。
ここから先に待っているのは、きっと優しい旅ではない。
それでも四人は進む。
ノエルの故郷を取り戻すために。
そして、魔王軍の真実へ近づくために。
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