95話 セレナリア侵攻命令
いつもお読み頂きありがとうございます。本日から新たな章が始まります。ぜひお楽しみ下さい。
魔王城の王宮。
その最奥にある王室は、真夜中の闇よりもなお暗かった。
天井は高く、黒い石柱が何本も並んでいる。
壁には赤黒い魔法灯が静かに揺れ、床には巨大な魔法陣が刻まれていた。
その中心にあるのは、漆黒の玉座。
玉座の背後には、魔王軍の紋章である堕天の双翼が、血のような深紅で描かれている。
そこに集まっているのは、ただの幹部ではない。
新魔王ゼルク。
六魔星グラヴィル。
六魔星ノクティル。
六魔星セラフィーヌ。
誰一人として、大声を出していない。
それなのに、王室の空気は張り裂けそうなほど重かった。
一言でも間違えれば、この場にいる誰かが殺される。
そんな冷たい緊張が、黒い王室を支配していた。
玉座にはゼルクが座っている。
ノクトの異母兄にして、新たな魔王となった男だ。
荒れた黒髪。
獣のように鋭い瞳。
口元には笑みを浮かべている。
だが、その奥に温度はなかった。
人が死のうが、国が滅ぼうが、ゼルクにとっては退屈しのぎの出来事でしかない。
力こそがすべて。
弱者は踏みにじられるためにいる。
ゼルクはそう信じていた。
ノクトが闇を抱えながらも誰かを救おうとする者なら、ゼルクはその正反対だった。
魔王の血を受け継いだだけの男ではない。
その血を、誰よりも残酷に使う男。
それが新魔王ゼルクだった。
「六魔星も二人減ったか」
ゼルクが低く呟いた。
「まさかヴァルグランに続いて、ヴォルツまで殺されるとはな」
声には、はっきりと苛立ちが混じっていた。
「ノクトにここまで魔王軍を荒らされるとは思っていなかった」
ゼルクは玉座の肘掛けを指で叩く。
乾いた音が、王室に響いた。
「グラヴィル。ノクトを放っておくわけにはいかない。早くここへ連れてこい」
ゼルクの口元がゆがむ。
「俺があいつを徹底的に痛ぶるまでは、このイライラはおさまりそうにない」
グラヴィルはいつものように笑っていた。
「ゼルク様。すぐにでもノクトを捕まえて、魔王城へ連れてきます」
軽い声だった。
だが、言葉の奥には妙な冷たさがある。
「ノクトは六魔星を追って旅をしているようです。僕らが彼と遭遇するのも時間の問題でしょう」
グラヴィルは肩をすくめる。
「それに、ここにいる六魔星はヴァルグランやヴォルツとは違います。必ずしくじりませんよ」
「ヴォルツはまだいい」
ゼルクの目が細くなる。
「だが、ヴァルグランがやられたのは想定外だった。俺はヴァルグランのことを心の底から尊敬していたんだ」
王室の空気がさらに重くなる。
「彼が死んでから、魔王軍はだいぶ縮んだ。もっと領地を広げる必要がある」
「そこで、セラフィーヌにセレナリアを占領するよう命じました」
グラヴィルだけは、この場の緊張など気にもしていないようだった。
へらへらと笑いながら、新魔王ゼルクと話している。
ゼルクの傍らには、セラフィーヌが静かに立っていた。
ノエルによく似た整った顔立ち。
水色の瞳。
長い銀髪。
一見すれば、穏やかな令嬢にしか見えない。
だが、その内側にあるのは慈しみではない。
彼女は攻撃のためだけに氷を振るう、冷酷な破壊者だった。
黒を基調とした六魔星の軍装。
その上から、淡い氷青色のロングコートを羽織っている。
胸元では、ひび割れた氷晶のペンダントが静かに揺れていた。
美しく、静かで、誰よりも冷たい女。
それが六魔星セラフィーヌだった。
ノクティルが、ふと口を開く。
「セレナリアは、セラフィーヌの生まれ故郷ではないのか?」
「ああ。だからセラフィーヌに頼んだのさ」
グラヴィルが笑う。
「生まれ故郷だからこそ、セレナリアの地形は頭に入っているだろう? なら攻めやすいに違いない」
ノクティルはそれ以上、何も言わなかった。
代わりに、セラフィーヌが口を開く。
「あのクソ王国は、私が必ず奪ってみせる」
その声は静かだった。
静かすぎるほどに冷たかった。
「失敗なんてありえない」
「セラフィーヌだけで十分だとは思うが、一応もう一人、六魔星を連れて行け」
ゼルクが言った。
「これ以上、六魔星を失っては困るからな」
セラフィーヌの眉がわずかに動く。
「もう一人とは、誰ですか?」
その時、王室の扉が静かに開いた。
そこから姿を現したのは、かつて黒翼将だった青年。
エル=シェイドだった。
以前とは、明らかに気配が違っていた。
風に揺れていた黒髪は、淡い銀色へ変わっている。
光を受けるたび、羽根のように細く輝き、毛先にはかすかな翠色の魔力が宿っていた。
それは風属性の名残でありながら、この世ならざる契約の証でもあった。
細身の身体には、黒を基調とした新たな六魔星の軍装。
外套の内側には深い紅が揺れ、胸元には堕天の双翼の紋章が刻まれている。
腰には、愛用の剣。
だが、その剣から漂う気配も以前とは違った。
風のように軽いだけではない。
死を越えて燃え残る、不死鳥の熱がそこにあった。
エルは王室の中心まで歩み出る。
そして静かに片膝をついた。
「新たに六魔星の座を賜りました。エル=シェイドです」
声は低く、鋭かった。
かつての若き黒翼将は、もうそこにはいない。
銀の髪に翠の風を宿した剣士。
六魔星エル=シェイドが、今ここに誕生していた。
「その髪色はいったいどうしたの?」
グラヴィルが面白そうに尋ねる。
「不死鳥と契約魔法を交わしたんです」
エルはいつもの笑顔で答えた。
セラフィーヌは冷たい目でエルを見る。
「ゼルク様。こんな雑魚は必要ありません。私一人で行かせてください」
「いいから連れて行け」
ゼルクは面倒くさそうに言った。
「一人より二人の方が確実だ」
セラフィーヌは何も言い返さなかった。
エルは笑って肩をすくめる。
「雑魚だなんてひどいですね」
そして、わざとらしく手を差し出した。
「これからは同じ国を攻め落とす仲間なんですから。記念に握手しましょうよ」
「調子に乗るな」
セラフィーヌの声が冷える。
「私を少しでもイライラさせたら、すぐに殺す」
「ほんとにセラさんは怖いんだから」
「その呼び方をやめろ」
セラフィーヌはエルを一度だけ睨み、王室の出口へ向かった。
エルも笑ったまま、その後を追う。
二人が王室を出ていくと、残されたのは三人だけになった。
新魔王ゼルク。
グラヴィル。
ノクティル。
ゼルクがふと思い出したように言う。
「そういえば、ネクロシアはなぜ来ない?」
「ネクロシアは体調を崩しているようです」
グラヴィルは笑いながら答えた。
「まあ、彼女はいつだって体調不良みたいなものですけどね」
ゼルクはグラヴィルを睨む。
「最近、ネクロシアとよく二人でいるようだな」
「ええ」
グラヴィルは悪びれもせず頷いた。
「自分は彼女のことが好きで好きで仕方ないんですよ。あんなにも愉快な魔法使いは、どこを探しても彼女くらいです」
「変わった趣味をしているな」
ゼルクは薄く笑った。
「まあ、魔王軍同士で仲睦まじいのは良いことだ。仲間は大切にしないといけない」
そこで、ゼルクの声が冷たく変わる。
「裏切りなんてもってのほかだ」
王室の空気が止まった。
「裏切り者には死をもって制裁する。いや、それだけでは生ぬるいな」
ゼルクの瞳に、暗い光が宿る。
「死よりも恐ろしい絶望と恐怖。それを全身で味わわせたあと、ゆっくり殺す」
ゼルクは笑った。
「その第一号がノクトだ。他にも裏切り者が出ないことを祈るよ」
一瞬、ゼルクの殺気が王室全体に広がった。
ノクティルの肩が、わずかに震える。
だがグラヴィルだけは、最初から最後までへらへらと笑っていた。
「今日はここまでだ」
ゼルクは玉座にもたれた。
「君たちの健闘を祈る」
グラヴィルとノクティルは王室を退出した。
廊下へ出たところで、グラヴィルが空間魔法を使う。
目の前に、大きな黒い円が現れた。
二人がそれをくぐると、景色は一瞬で変わる。
そこに広がっていたのは、何もない砂漠だった。
熱を失った砂が、夜の風にさらさらと流れている。
グラヴィルは足元の砂を見下ろしながら、何気ない声で言った。
「ノクティル」
ノクティルは黙っている。
「君はいったい、誰の味方なんだ?」
ノクティルは答えなかった。
グラヴィルは笑う。
「もしゼルクじゃなくて、僕につけと言ったら、君は従ってくれるかい?」
ノクティルは少しだけ考えた。
そして、短く答える。
「断る」
「じゃあ、殺すと言えば?」
ノクティルは静かにグラヴィルを睨んだ。
その瞳に、冷たい殺気が宿る。
「ハハハッ。冗談だよ」
グラヴィルは両手を軽く上げた。
「そんなに強い殺気を僕に向けないでくれ。まさか僕と君がやり合えば、大変なことになってしまう」
そして、楽しそうに目を細める。
「まあ、どっちが強いのかは興味あるけどね」
ノクティルは黙ったまま、グラヴィルから視線を逸らさなかった。
グラヴィルはくるりと背を向ける。
「僕はそろそろ行くよ」
砂漠の風が、二人の間を通り抜けた。
「僕は君のことを友人だと思っている。だから別れるのは寂しいね」
グラヴィルは振り返らずに手を振る。
「さようなら、ノクティル」
そう言って、グラヴィルは砂漠の闇の中へ去っていった。
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