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魔王殺しノクト(旧救世の闇魔法)  作者: 藤原 光希
ネフェルナ一族のライナ編

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94話 行ってくるね

今回で第3章は終わりです。最後までお読み頂きありがとうございました!

 ライナが目を覚ますと、懐かしい匂いがした。


 布団に染み込んだ、家の匂い。


 父と母と兄がいて、朝になれば誰かの足音がして、台所から温かい匂いが流れてきた。


 もう二度と戻れないと思っていた匂いだった。


「ここは……」


 ライナはゆっくりと身体を起こした。


 見覚えのある部屋が、そこにあった。


 木でできた壁。


 小さな窓。


 子どもの頃に使っていた棚。


 壁にかけられた古い上着。


 フェルナ村の家だった。


 ライナは息を呑み、飛び起きる。


 そして隣にあった兄の部屋へ、慌てて駆け込んだ。


 そこに、レオニルがいた。


 赤銅色の髪。


 少し疲れたような顔。


 けれど、その瞳にはもう苦しみの色はなかった。


 レオニルは穏やかに笑っていた。


「兄さん……?」


「ああ」


 その声を聞いた瞬間、ライナの目から涙が溢れた。


 ライナは駆け出した。


 夢だと分かっていた。


 きっとこれは夢だ。


 でも、そんなことはどうでもよかった。


 目の前に兄がいる。


 それだけで胸がいっぱいだった。


「兄さん!」


 ライナはレオニルに抱きついた。


 レオニルの身体は温かかった。


 もう触れられないはずなのに。


 ライナは確かに、レオニルに触れていた。


「ごめんね……ごめんね、兄さん……。アタシ、助けられなかった……」


 泣きながら言うと、レオニルは静かに首を振った。


「違うんだ、ライナ」


「え……?」


「俺は、ライナと再会できて救われたんだよ」


 レオニルの声は優しかった。


「最後にライナを守ることができた。俺は愛する妹のために、人生の最後の時間を使えたんだ」


「兄さん……」


「俺はネフェルナが滅んだ日のことを、ずっと後悔していた。魔王軍を前に何もできなかった。誰も守れなかった」


 レオニルは少しだけ目を伏せる。


 けれど、すぐにライナを見た。


「でも最後にライナを守れた。俺の人生は、そのためにあったのかもしれない。今は本気でそう思えるんだ」


 ライナは顔を上げた。


 レオニルの表情は、本当に穏やかだった。


 あの苦しみに縛られていた兄ではない。


 罪悪感に押し潰されていた兄でもない。


 ただ妹を愛していた、一人の兄がそこにいた。


「あの最後の魔法は、いつ覚えたの? あれ、ネフェルナの魔法?」


「ああ。すごかっただろ?」


 レオニルは少し得意げに笑った。


「ネフェルナ一族に伝わる、命を賭ける必殺魔法だ。いつか魔王軍に復讐するために、ずっと使う日を待っていた」


 笑って言うレオニルに、ライナはうまく笑えなかった。


 レオニルも、それを分かっているようだった。


「前にも言ったけどな。俺はずっと死に場所を探していたんだと思う」


 ライナは黙って、兄の足元を見た。


「でもライナ。あれは、お前なら使いこなせるかもしれない」


「アタシが……?」


「俺のマナが、お前の中に宿っている。二人分のマナがあれば、身を滅ぼさずに扱えるかもしれない」


 レオニルは少しだけ真面目な顔になる。


「でも、いざという時まで使うな。あれは危険すぎる」


「使ったのはどこの誰よ」


 ライナが言うと、レオニルは声を出して笑った。


 その笑い声を聞いていると、ライナもなんだかおかしくなった。


 涙をこぼしたまま、一緒に笑った。


「外に出よう」


 レオニルがそう言って、ライナの手を引いた。


 二人は家を出る。


 すると庭に、懐かしい二人の姿があった。


 父と母だった。


 父は昔と同じように大きな背中をしていて、腕を組みながら少し照れくさそうに笑っていた。


 母は洗濯物を干す手を止め、ライナを見るなり目を丸くする。


「……ライナ?」


 母の声だった。


 もう二度と聞けないと思っていた声。


 優しくて、懐かしくて、胸が壊れそうになる声だった。


 ライナは言葉を失った。


 夢だと分かっている。


 分かっているのに、足が勝手に動いた。


「パパ……ママ……!」


 ライナは庭を駆け抜け、二人の胸に飛び込んだ。


 父の腕が、母の腕が、ライナを包み込む。


 温かかった。


 あの日に失ったはずの温もりが、今ここにあった。


「大きくなったな、ライナ」


 父が不器用に言った。


 母は何も言わず、ただライナの赤い髪を何度も撫でる。


「よく生きていてくれたね」


 その一言で、ライナはもう堪えきれなかった。


「会いたかった……ずっと、ずっと会いたかった……!」


 ライナは子どもみたいに泣いた。


 しばらくの間、ライナは父と母の胸の中で泣き続けた。


 失くしたはずの家族の匂い。


 声。


 温もり。


 それが、もう一度だけ戻ってきた。


 父は大きな手で、ライナの頭を不器用に撫でた。


「ライナ」


「……なに?」


 ライナは涙で濡れた顔を上げる。


 父の目は昔と同じだった。


 少し厳しくて、でも誰よりも温かい目だった。


「強くなったな」


 その一言に、ライナの胸が詰まった。


「そんなことないよ……。アタシ、本当に大切なものを何も守れなかった。パパもママも、兄さんも……ネフェルナのみんなだって……」


「違う」


 父は静かに首を振った。


「お前は守っている。今もちゃんと守ろうとしている。それだけで十分だ」


 ライナは言葉を返せなかった。


 父は続ける。


「強さっていうのは、誰にも負けないことじゃない。傷ついても、泣いても、それでも誰かのために立ち上がることだ」


 父の大きな手が、もう一度ライナの頭に乗る。


「ライナ。お前はもう、それを知っているだろう?」


「パパ……」


「だから、幸せになれ」


 父の声が、森の風みたいに胸の奥へ染み込んだ。


「戦うだけの人生にするな。憎しみだけで拳を握るな。お前が生き残った意味は、魔王軍を恨み続けるためだけじゃない」


 父は少しだけ笑った。


「笑うためだ。誰かを愛するためだ。自分の人生を、ちゃんと幸せにするためだ」


 ライナの涙がまた溢れた。


「でも……アタシだけ幸せになっていいの?」


「当たり前だ」


 父は迷わず言った。


「親っていうのはな、自分の子どもが幸せになるためなら、何度だって命を差し出せるものなんだ」


 その言葉に、母がそっとライナの頬に触れた。


 母の手は、昔と同じ匂いがした。


 料理の匂い。


 洗いたての布の匂い。


 家の匂い。


「ライナ」


 母の声はやわらかかった。


「あなたの炎はね、誰かを焼くためだけのものじゃないの」


 ライナは母を見る。


 母は微笑みながら、ライナの胸元にそっと手を当てた。


「寒さに震える人を温めるため。暗い道で迷っている人に、ここに光があるよって教えてあげるため。あなたの炎は、そういうものにもなれるの」


「アタシの……炎が……」


「そう。怒りで燃える炎もある。悲しみで燃える炎もある。でも、愛で燃える炎もあるの」


 母の瞳に、優しい光が宿っていた。


「レオニルが命をかけて守った炎。ネフェルナのみんなが、未来へ託した炎。だからライナ、どうかその炎で、自分自身のことも照らしてあげて」


 ライナは胸を押さえた。


 そこにはレオニルから譲られたマナが、確かに温かく息づいている気がした。


 父が言った。


「世界最強の火魔法使いになるんだろう?」


 ライナは涙を拭いた。


「うん……なるよ。絶対になる」


「なら、世界で一番やさしい炎を使うんだ」


 母が頷く。


「あなたならできるわ」


 レオニルも隣で笑っていた。


「俺の妹だからな」


 ライナは泣きながら笑う。


「それって理由になってるの?」


「なってるさ。俺にとってはな」


 レオニルがそう言うと、父も母も楽しそうに笑った。


 その笑い声は、ライナがずっと聞きたかった家族の音だった。


 もう戻らないはずの時間。


 もう触れられないはずの温もり。


 けれど夢の中でだけ、死者と生者は同じ庭に立ち、同じ風に髪を揺らすことができた。


 ライナは三人を見つめる。


 父も、母も、レオニルもそこにいる。


 消えてしまったはずの家族が、今だけは確かに自分の前にいる。


「アタシ、生きるよ」


 ライナははっきりと言った。


「みんなのこと、絶対に忘れない。でも、悲しむためだけには生きない」


 胸の奥で、炎が静かに灯る。


「アタシ、ちゃんと笑う。ちゃんと幸せになる。それで、誰かのことも幸せにできるくらい、絶対に強くなるから」


 父は満足そうに頷いた。


 母は涙を浮かべながら微笑んだ。


 レオニルは少し照れたように、鼻の下をこすった。


「それでいい」


 レオニルが言った。


「それが、俺たちが一番聞きたかった言葉だ」


 庭にやわらかな風が吹いた。


 懐かしい家の匂いが揺れる。


 ライナはもう一度、三人に抱きついた。


 今度は別れを惜しむためではなかった。


 生きていく力を、もう一度もらうためだった。


 やがてライナは、ゆっくりと三人から離れた。


 父も母も兄も、何も言わずにライナを見ている。


 もう泣くなとは言わない。


 強くなれとも言わない。


 ただ、行ってこいと言うように見守っていた。


 ライナは涙を拭いた。


 そして笑った。


「行ってくるね」


 その言葉に、父が頷いた。


 母が手を振った。


 レオニルが笑った。


 ライナは大切な人たちに見送られながら、ネフェルナ村を歩き出した。


 一歩。


 また一歩。


 自分は強くならなければいけない。


 自分と、大切な人を幸せにするために。


 悲しみを消すことはできない。


 失った人たちが戻ってくることもない。


 それでも歩いていく。


 歩いていかないといけない。


 どこまで続くかは分からない。


 それでもきっと、この先には希望がある。


 そう信じて、ライナは朝の光の中へ歩いていった。

これから第4章に入っていきます!次のエピソードまで少し時間を頂きます。


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