8話大空の魔物アビス・クロウ
ノクトはようやく鞘から剣を抜いた。その瞬間、空気が震え、圧が世界を支配した。
一歩。
ノクトが踏み込むと、前列の兵士が何が起こったのかも分からぬまま斬り伏せられた。
二歩。
横一線に斬り払う。飛び散った風圧が炎を裂き、雷を断ち切る。
三歩目で地を蹴ると、姿が掻き消えた。残ったのは残像だけ。
気づけば――敵の背後にいた。
彼の剣が横薙ぎに振るわれ、五〇以上もの兵が一瞬で崩れ落ちる。
「な……何が起きている!?」
誰かが叫んだ。だが答える者はいない。叫んだ本人も、次の瞬間には沈黙した。
ノクトは剣を納め、背を向ける。背後では、倒れ伏した魔王軍がまるで時間が止まったように動かない。
ゼルマン、ミレオはその様を見て言葉を失った。そしてライナとアルトもこのあり得ない光景に戦いを一旦やめてしまった。
「あの人はいったい何者なんだ?」とアルトは呟く。
「アルトくん。もう魔王軍なんかにつかなくて大丈夫。私たちが助けに来たんだから。一緒にここを出ようよ!」
「ダメだ!あの人は確かに強いけれど、ザイモン様はもっと強い。」
「アルトくんは何のために魔法を習ってきたの!?魔王軍として戦うためじゃないよね⁉︎この国を助けるためなんじゃないの!」
「黙れ!」とアルトは怒りに任せて叫んだ。
「あなたは見たことがないだろう?魔王軍に逆らった友人たちが、あの恐ろしい化け物に喰い千切られるところを‥‥
僕の友人はあんな奴に喰い千切られるためにずっと努力をしてきたわけじゃないんだ。」
涙声で語るアルト。彼にはトラウマが根強く残っていた。ライナは彼に同情した。しかしこの勝負に負けるわけにはいかない。
「紅蓮獅霊召喚。焔獅子乱舞‼︎」
詠唱と同時に、足元へ紅の円環が走る。炎が噴き上がり、獅子の骨格が焼き描かれる。鬣が爆ぜ、金赤の眼が開く。
一声の咆哮で熱波が押し出され、砂塵が後ろへ流れる。
獅子は跳ぶ。爪の軌跡が火の弧となって残り、連続の踏み込みでアルトを手加減しつつも薙ぐ。
アルトも風属性の攻撃魔法で対抗したが、一瞬のうちに魔法は破られた。
遅れて軌跡が花のように爆ぜ、火の粒が雨のように降り注ぐ。
乱舞が終わると、炎はほどけ、獅子は紅い残光だけを残して消えた。
「悪いけど力づくでも連れて行くよ。アタシだって強引なところあるんだからね!」
気絶したアルトをライナは担いで、ゼルマンたちのいるところに避難させた。
戦闘は終わったかと思われた。すると突如、校庭の空に魔物が現れた。魔物の名はアビス・クロウ。
雲を裂くような咆哮とともに、黒い閃光が天から降りた。
翼を広げるたび、大空が裂けて稲妻が走る。羽根の先端が闇の炎を纏い、光を呑み込むように揺らめく。
嘴は鋭く、黒曜石のような質感。瞳は紅蓮に光り、獲物を見つめた瞬間に空気が凍りつくほどの殺気を放つ。
黒雲が裂け、雷鳴が地を叩いた。空から落ちてくるのは雨ではない。闇の羽。刃のように鋭く、降り注ぐたびに大地が裂けた。
アビス・クロウが翼を広げる。その一振りで塔が倒れ、瓦礫が宙を舞う。
風が唸り、雷光が走る。嵐がヴェルノアを呑み込んだ。
ノクトは剣を抜いた。闇の風刃が四方から襲いかかる。だが彼は一歩も退かず、それらを弾き返した。
刃が風を裂き稲妻が瞬くたび、強大な魔力同士が交錯する。
翼が再び翻る。雷を纏った突進。ノクトは紙一重でかわし、地を滑るように距離を詰めた。
風圧だけで瓦礫が砕ける。空気が震え、呼吸さえも重くなる。
アビス・クロウの咆哮が轟いた。地が震え、塔の残骸が吹き飛ぶ。ノクトはその風の中で剣を振る。
一閃。影が裂け、火花が散った。だが次の瞬間、闇の羽が背後から突き刺さるように迫る。
ノクトは反転。剣を背後に薙ぎ払う。金属音とともに羽が砕け、黒い霧が弾けた。視界を奪うほどの黒煙。その中から再び、光る瞳が現れる。
「速い。」
風を切る音が耳を裂く。ノクトは剣を構え直し、集中した。雷の閃光に合わせて、影の軌道を読む。
アビス・クロウが急降下。雷鳴とともに突撃してくる。ノクトは動かない。呼吸を止め、タイミングを待つ。
その刹那、稲妻が走る。黒翼が光を浴びた瞬間、ノクトの剣が閃いた。
一閃。
音を置き去りにした斬撃が空を裂き、闇を引き裂くような光の残像が走る。
アビス・クロウが絶叫した。翼が燃え、体がねじれ、黒い霧となって崩れ落ちる。
地に墜ちる瞬間に雷が再び落ち、黒翼の巨体は閃光の中に消えた。
ノクトは思わぬ強敵を倒してホッとした。しかし魔王軍は休息を許してはくれない。
「ノクト!また魔王軍が出てきたわよ!」
ライナがノクトの側まで急いできた。今までに感じたことのない魔力による殺気。
ライナは確信した。目の前の男がザルベックを占領しているボスに違いない。この相手は危険すぎる。生存本能による勘がライナにそう伝えた。
闇を縫い合わせたような漆黒の外套。高い襟と長い裾を持ち、内側は血を滲ませたような深紅。胸には〈堕天の双翼〉の紋章。逆さ剣を中心に広がる二枚の黒翼が刻まれている。
これは黒翼将の軍服。黒翼将ザイモン。六魔星の直系幹部。ノクトとライナの前に現れたのは、ただならぬ強敵だった。




