74話 黒衣の男
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それから数日後。
レオニルは、再び森の外へ出ていた。
交易場で必要な物を受け取り、森へ戻るための細道へ入る。
人通りは少ない。
左右を茂みと古木に挟まれた道には、湿った土の匂いがこもっていた。
胸の奥には、まだあの男の言葉が残っている。
森を切りたい者がいる。
強い一族は恐れられる。
外の空気は、もう少しで変わる。
グレイ。
正体の分からない青年だった。
怪しい。
それは間違いない。
けれど、なぜか完全には突き放せない。そんな不思議な空気を持っていた。
道を半ばまで戻ったところで、レオニルは足を止めた。
前方に三人の男が立っていた。
交易場で見かけたことのある連中だ。
粗い革鎧を着て、腰には短剣を下げている。
森へ勝手に入り、獣や薬草を盗もうとするような手合いだった。
「よう、森の兄ちゃん」
真ん中の男が笑った。
「また一人か?」
レオニルは黙ったまま、荷物を持ち直す。
「どけ」
「冷てえなぁ」
男はにやにや笑う。
「少し話を聞かせてくれよ。森の奥のこととか、エルフのこととか、ネフェルナの連中のこととかさ」
わざとらしい言い方だった。
探りを入れているのか。
喧嘩を売っているのか。
たぶん、その両方だ。
レオニルの目が細くなる。
「お前たちに話すことはない」
「そう言うなよ」
男の一人が、レオニルの荷物に手をかけた。
その瞬間、レオニルの拳が男の頬にめり込んだ。
鈍い音が響く。
男の体が横へ吹き飛び、ぬかるみに転がった。
「てめえ!」
残る二人が、すぐに短剣を抜く。
レオニルは舌打ちした。
素手でも相手はできる。
だが、ここで火の力まで見せれば、余計な噂になる。
森の外で目立つのは避けたかった。
一人目の刃をかわす。
手首を掴み、ひねる。
男が悲鳴を上げた。
だが、もう一人の蹴りが脇腹に入る。
「っ……!」
衝撃で息が詰まった。
その隙に、最初に倒した男まで泥まみれで飛びかかってくる。
三人がかり。
細い道では囲まれやすい。
勝てない相手ではない。
それでも、無傷では済まない。
そう思った時だった。
「三人で一人を囲むのは、あまり感心しないな」
静かな声が落ちた。
男たちの動きが止まる。
木々の影の向こうから、黒衣の青年が歩いてきた。
長い外套。
穏やかな顔。
相変わらず、この森と外の境目にだけ現れるような男だった。
「……グレイ」
レオニルが低く呟く。
グレイはレオニルではなく、男たちを見ていた。
「今すぐ退いた方がいいよ」
「なんだ、てめえ」
「これは忠告だからね」
柔らかな声だった。
だが、男たちの顔はみるみる強ばっていく。
「ふざけやがって!」
一人が怒鳴って突っ込んだ。
次の瞬間、レオニルは何が起きたのか分からなかった。
グレイは、ただ半歩ずれたように見えた。
それだけだった。
それなのに、男の体は横へ弾かれ、木の根元に叩きつけられていた。
「がっ……!」
男が呻く。
残る二人の顔色が変わった。
ただ者ではない。
ようやく、それを理解したのだろう。
グレイは穏やかなままだった。
「まだやるのかな?」
たった一言。
それだけで、空気が変わった。
男たちは無言で後ずさり、倒れた仲間を引きずるようにして逃げていった。
細道に静けさが戻る。
レオニルは脇腹を押さえ、小さく息を吐いた。
「少し痛そうだね」
「大したことない」
「そういう顔じゃないよ」
グレイは近くの茂みから、細い葉を持つ薬草を摘んだ。
それを指先ですり潰すと、青く澄んだ匂いが立つ。
「これを当てておけば、少し楽になる」
「そんなことまで分かるのか」
「旅が長いからね」
差し出された薬草を、レオニルは少し迷ってから受け取った。
脇腹に当てると、ひんやりとした感触が広がる。
痛みが少しだけ引いた。
「……本当だ。少し楽になった」
レオニルは思わず感心した。
もしかすると、この青年は思っている以上にすごい人間なのかもしれない。
二人はしばらく並んで歩いた。
森の入口近くまで来たところで、レオニルがぽつりと聞く。
「……どうしてまたここにいたんだ?」
グレイは少しだけ笑った。
「君がまた来る気がしたから」
「気味悪いな」
「そうかもしれない」
風が吹く。
木々が揺れる。
森の匂いが、少しずつ濃くなっていく。
「でも、君はたぶんまた一人で外へ出る」
グレイが静かに言った。
「君は優しすぎるからね。みんなの前では平気な顔をして、自分だけで外の嫌な空気を見に来る」
レオニルの足が止まった。
図星だった。
グレイは続ける。
「そういう役回りの人間は、少しくらい誰かに助けられてもいいと思うけどね」
レオニルは、すぐには言い返せなかった。
助けられる。
そんな言葉を、森の外の人間から向けられるとは思っていなかった。
「……知ったような口を聞くんだな」
ようやく出た声は低かった。
でも、最初ほど刺々しくはなかった。
グレイは否定しない。
「間違っていたら、忘れてくれていい」
その言い方が妙に静かで、レオニルはそれ以上責められなかった。
それから二人は、森の外で何度か顔を合わせるようになった。
交易場の端。
森へ戻る細道。
沢のそば。
会うのは、いつも森と外の境目だった。
グレイは村へ入ろうとはしなかった。
無理に何かを聞き出そうともしない。
ただ、森の外の噂や空気の変化を静かに話す。
レオニルも、少しずつ言葉を返すようになっていった。
最初は警戒していた。
だが、何度会ってもグレイは踏み込みすぎない。
それが逆に、レオニルの警戒を少しずつ緩めていった。
気づけばレオニルは、森の外へ出るたびに周りを見るようになっていた。
今日も、あの黒衣の男はいるだろうか。
そう思うようになっていた。
そして実際、グレイはよくそこにいた。
木にもたれていたり。
沢の石に腰掛けていたり。
まるで最初からそこにいたような顔で。
短いやり取りが増えた。
沈黙も増えた。
それでも、もう気まずくはなかった。
レオニルは少しずつ思い始めていた。
この男は得体が知れない。
けれど少なくとも、敵ではないのかもしれない。
そう思ってしまったことこそが、取り返しのつかない最初の間違いだった。
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