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魔王殺しノクト  作者: 藤原 光希
ネフェルナ一族のライナ編

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72/139

72話 兄の告白

今回も読んで頂きありがとうございます!

 その夜。


 統領の館に用意された一室は、森の静けさに包まれていた。


 白い木で組まれた壁には、淡い青い光を放つ花がいくつも吊るされている。


 窓の外では、夜風に枝葉が揺れていた。


 その音は小さく、まるで遠くで波が揺れているみたいだった。


 館の中にいるのに、森の中で眠っているような部屋だった。


 部屋の中央には、柔らかな寝台が置かれている。


 そこに、レオニルは横になっていた。


 額には汗が滲んでいる。


 息は浅い。


 眠っているというより、まだ苦しみの中にいるような表情だった。


 寝台のそばの椅子には、ライナが座っていた。


 両手をぎゅっと握り、レオニルの顔をじっと見つめている。


 もうずいぶん長い間、そうしていた。


 ノエルの雪の精霊たちは、寝台の周りをふわふわと漂っている。


 レオニルの傷と心を癒すために、ノエルが残してくれた精霊たちだ。


 小さな白い光が、部屋の空気を少しだけやわらかくしていた。


 扉の近くには、ノクトとエリシアもいる。


 二人とも何も言わず、ライナの気持ちを邪魔しないように静かに見守っていた。


「……まだ目を覚まさないね」


 ライナが小さく呟いた。


 ノエルがそっと答える。


「体の傷だけじゃないからね。たぶん、心の方がずっと深く傷ついてるんだと思う」


 ライナは唇を噛んだ。


 その言葉が分かってしまうから、何も言えなかった。


 兄さんは、ずっと一人で抱えてきたんだ。


 一族のほとんどが死んでしまったこと。


 自分だけが生き残ったこと。


 それでも魔王軍に逆らえず、この国の市長として生きてきたこと。


 兄がどれだけ苦しかったのか、ライナにはまだ全部は分からない。


 分からないことが多すぎる。


 でも、苦しんでいたことだけは分かった。


 嫌というほど分かった。


 その時だった。


 レオニルの指先が、ぴくりと動いた。


 ライナが顔を上げる。


「……っ!」


 次の瞬間、レオニルの体が大きく跳ねた。


「やめろっ!!」


 叫び声と同時に、レオニルが上体を起こした。


 荒い息。


 焦点の合っていない灰色の瞳。


 胸を押さえる手は震えている。


 まるで、まだ悪夢の中にいるようだった。


「兄さん!」


 ライナが立ち上がる。


 けれどレオニルは、ライナの顔を見てもすぐには分からないようだった。


 視線が泳ぐ。


 部屋の壁。


 揺れる灯り。


 白い花。


 雪の精霊。


 それらを順番に見回し、ようやく自分が生きていることを少しずつ理解していく。


「……ここは……」


 かすれた声だった。


「セレフィナの家だよ。森の中。もう大丈夫」


 ライナは、できるだけ優しく言った。


 レオニルはその声に反応して、ゆっくりとライナを見た。


 赤い髪。


 まっすぐな瞳。


 泣きそうなのを我慢している顔。


 その姿を見た瞬間、レオニルの表情が固まった。


「……ライナ」


 その名を口にした途端、レオニルの顔から血の気が引いた。


 思い出してしまったのだ。


 覇拳闘宴(はけんとうえん)。


 仮面の少女。


 決勝戦。


 外れた仮面。


 そして、苦しみの中でライナたちに拳を向けたこと。


 それだけではない。


 もっと前のことも、次々と頭に浮かんでくる。


 フェルナ村。


 呼び集められた一族。


 信じていた言葉。


 笑っていた人たち。


 燃える家。


 血の匂い。


 誰かの叫び声。


 レオニルの呼吸が、一気に乱れた。


「っ……う……」


 両手で顔を覆う。


 指の隙間から、押し殺した声が漏れた。


「俺は……俺は……!」


 ライナが一歩近づこうとする。


 けれどレオニルは、それだけで怯えたように肩を震わせた。


「来るな……!」


 部屋の空気が張り詰めた。


 ライナの足が止まる。


 ノエルは不安そうに目を揺らし、エリシアは黙って様子を見ていた。


 ノクトだけは、何も言わずにレオニルを見つめていた。


 レオニルは顔を覆ったまま、歯を食いしばる。


「俺が……呼んだんだ」


 声は震えていた。


「グラヴィルに言われたんだ……一族のみんなを集めろって。大事な話があるって……ネフェルナの未来のためだって……」


 レオニルの声がかすれる。


「俺は、それを信じた……!」


 指の隙間から、涙が落ちた。


「俺が呼ばなければ……みんな、あの場所に集まらなかった……! 父さんも、母さんも、子どもたちも……ライナを可愛がっていたみんなも……死ななかったかもしれない……!」


 部屋の中が静まり返る。


 それは、レオニルがずっと胸の奥に隠してきた真実だった。


「俺が騙されたせいで、一族は滅んだんだ……!」


 レオニルは寝台の上で体を丸める。


 強かったはずの長身が、今はひどく小さく見えた。


「俺は兄なのに……守るどころか、みんなを売ったんだ……!」


 声が壊れていく。


「自分の手で、家族を殺したのと同じだ……!」


「違う!」


 ライナの声が、部屋に強く響いた。


 レオニルがびくりと震える。


 ライナはもう迷わなかった。


 寝台のそばまで歩き、うつむく兄の肩を掴む。


「違うよ、兄さん! それは兄さんが悪かったんじゃない!」


「……っ」


「悪いのは魔王軍だよ!兄さんを騙したグラヴィルだよ!一族を殺した魔王軍が悪いの!絶対に兄さんじゃない!」


 レオニルは首を振る。


「違わない……!俺が愚かだったんだ……!あんな言葉を信じて、みんなを――」


「じゃあアタシも許さない!」


 ライナの目から、とうとう涙がこぼれた。


「兄さんが自分をそんなふうに言うなら、アタシだって許さない!」


 レオニルの目が揺れる。


「だってアタシは、ずっと兄さんに会いたかった! 生きててほしかった!それなのに兄さんが自分のことを罪人みたいに言ったら、アタシはどうしたらいいの!」


「ライナ……」


「兄さんはネフェルナのみんなを売ってなんかない」


 ライナは涙を拭かずに続けた。


「アタシはずっと一人だった。ネフェルナのみんながいなくなって、ずっと寂しかった。でも兄さんが生きててくれた。それがどれだけ嬉しいか、兄さんには分からないよ!」


 レオニルは何も言えなかった。


「一族のことを、全部なかったことにはできないよ。アタシだって悔しい。許せない。苦しいよ。兄さんが騙されていたって分かっても、すぐに平気にはなれない」


 ライナは震える声で、それでもはっきりと言った。


「でも、それでも兄さんは、アタシのお兄ちゃんだよ」


 その一言で、レオニルの顔が崩れた。


 顔を覆っていた手が落ちる。


 灰色の瞳から、大粒の涙があふれた。


「……っ、う……っ……」


 声にならない泣き声だった。


 何年も押し殺してきた後悔が、ようやく外へあふれ出したようだった。


「ごめん……ライナ……ごめん……!」


 レオニルは泣きながら、何度も謝った。


 兄として。


 生き残った者として。


 騙されてしまった者として。


 何ひとつ守れなかったと思い込んできた者として。


 ライナはそんな兄を、強く抱きしめた。


「もういいよ……もう、一人で抱えなくていいから……」


 その声は、子どもの頃のライナのようだった。


 けれど、その腕はもう幼い妹のものではなかった。


 いくつもの戦いを越えてきた仲間の腕だった。


 同じ痛みを知る、生き残った者の腕だった。


 ノエルは目を潤ませながら、そっと雪の精霊たちを近づけた。


 小さな光が、兄妹の周りを優しく舞う。


 エリシアは静かに目を伏せた。


 その表情は、少しだけ柔らかかった。


 そしてノクトは、しばらく黙っていたあと、低い声で言った。


「レオニルさん」


 レオニルが涙に濡れた顔を上げる。


「あなたが背負ってきた罪悪感は、すぐには消えないと思う」


 ノクトの赤い瞳は静かだった。


 責めるわけでもない。


 ただ同じような痛みを知る者の目だった。


「でも、抱えたままでも戦うことはできる」


 レオニルは何も言わない。


「消えないものを抱えたまま、前に進むしかないんだと思います」


 ノクトは、分かっていた。


 この悲惨な状況を作り出したのは魔王軍だ。


 その魔王軍の頂点にいたのは、自分の父だ。


 自分がレオニルに偉そうなことを言える立場ではない。


 そんなことは、痛いほど分かっている。


 それでもノクトは、目の前で苦しんでいる人に何か言いたかった。


 ほんの少しでも、前を向ける言葉を探したかった。


 レオニルはノクトの言葉を聞いて、目を見開いた。


 目の前の青年もまた、重いものを背負って立っている。


 その声だけで、そう分かった。


 長い沈黙のあと、レオニルは震える手で涙を拭った。


「……俺は、もう逃げたくない」


 その声は弱々しかった。


 でも確かに、自分の意志で出した声だった。


「グラヴィルにも……ヴォルツにも……俺はずっと従うことしかできなかった。でも、もう嫌だ」


 ライナが兄を見る。


 レオニルは、妹の瞳をまっすぐ見返した。


「フェルナ村で何があったのか。俺が知っていることを全部話す」


 そして、ゆっくりと息を吸った。


「今度こそ、俺も戦いたい」


 ライナの瞳が大きく揺れた。


 それから、泣き笑いみたいな顔で何度も頷く。


「うん……うん……!」


 部屋の外では、森の夜風が静かに木々を揺らしていた。


 失ったものは戻らない。


 犯した過ちも消えない。


 それでも。


 長い悪夢の中で止まっていた時間が、ようやく少しだけ動き始めた。


 レオニルは、ライナの手を握り返した。


 その手はまだ震えていた。


 でも、それはもう絶望だけの震えではなかった。


 罪を抱えたまま、それでも前へ進もうとする者の震えだった。

ぜひ評価ポイント、ブックマークをよろしくお願い致します。

ただいま全話ん読みやすくなるように改稿しております。編集日が2026年6月以降のものをお読み頂きたいです。よろしくお願い致します。

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