64話 仮面の少女
今回も読んで頂きありがとうございます!
マイペースですが最後まで書ききりますので、ぜひ最後までお読み下さい!
大会当日。
百二十八人の参加者が集められた覇拳闘宴は、始まる前から異様な熱気に包まれていた。
会場に集まっているのは、この街じゅうの荒くれ者たちだった。酒瓶を片手に叫ぶ者。勝敗に金を賭ける者。まだ試合も始まっていないのに、殴り合いを始めそうな者までいる。
覇拳闘宴の会場は、かつて森を切り倒した巨大な伐採場を、そのまま闘技場に変えたような場所だった。
中央には土を踏み固めて作られた円形のリングがある。その周りを、高い木製の観客席が何重にも囲んでいた。
あちこちには切り株や太い根が残っている。
ここが昔は森だったことを、嫌でも思い出させた。
血と汗と土埃の匂いが混ざっている。そこにあるのは、楽しい祭りの空気ではない。この街の荒れた欲望を、そのまま形にしたような場所だった。
ノクト、エリシア、ノエルの三人は、木製の観客席の一角に並んで座っていた。
周りでは酒に酔った男たちが怒鳴り、笑い、金を賭けて熱くなっている。けれど三人だけは、その騒がしさから少し離れたように静かだった。
ノクトは肘を膝に置き、リングをまっすぐ見下ろしている。
まだライナの姿はない。
それでも視線は、何度も入場口の方へ向かっていた。
エリシアは腕を組んだまま、冷たい目で会場を見渡している。
観客たちの下品な歓声にも、エルフを景品として扱っているこの大会にも、怒りを隠せていなかった。
ノエルは二人の間で小さく息を吐き、控え室へ続く通路へ目を向けた。膝の上で組んだ手には、自然と力が入っている。
それでもノエルの表情には、ライナならきっと勝てるという信頼があった。
三人は魔王軍に顔を知られないように、旅装のフードを深くかぶっていた。
砂埃よけにも見えるその格好は、この荒れた街ではそれほど目立たない。
そして、とうとう覇拳闘宴の幕が開けた。
開始の鐘が鳴った瞬間、会場を埋める観客たちの歓声が一気に爆発する。
怒号。笑い声。野次。賭けの叫び。
それらが一つになって、闘技場全体を揺らした。
リングでは、すぐに最初の試合が始まった。
大男同士が正面から殴り合う。拳がぶつかるたびに、鈍い音が響いた。血を吐いて倒れる者もいれば、相手を持ち上げて土の上に叩きつける者もいる。
蹴り。肘。頭突き。投げ。
魔法は禁止されている。
そして誰もが殺気を抱いて拳を振うのだった。
ここにあるのは、美しい技の競い合いではない。
力と意地と、獣のような本能のぶつかり合いだった。
勝者が拳を振り上げるたびに歓声が上がる。敗者が土に沈むたびに、観客たちは次の戦いを待つようにさらに熱くなる。
覇拳闘宴は、最初の一戦から血と欲望の匂いに染まっていた。
「怖そうな人ばっかりだね。ライナ、大丈夫かな?」
ノエルが心配そうにリングを見る。
ノクトは落ち着いた声で答えた。
「ライナは大丈夫だ。たぶん、余裕で決勝まで行くと思う」
「そんなに?」
「ああ。ライナの体術は一級品だからな」
ノクトの声には、迷いがなかった。
エリシアも小さく頷く。
「魔法禁止なら、むしろライナ向きね。あの子、身体能力だけでもかなり強いもの」
何試合かが終わったあと、ついにライナの名が呼ばれた。
観客席がざわつく。
入場口の暗がりから現れたのは、小柄な一人の選手だった。
黒い外套のフードを深くかぶり、顔には簡単な仮面をつけている。見えているのは口元だけだった。
体格だけを見れば、この闘技場にいる誰よりも細く、軽い。
荒くれ者たちは、その姿を見て笑った。
「なんだ、子どもか?」
「一回戦で潰れるな!」
「賭ける価値もねえ!」
下品な笑いが広がる。
だが、ライナは気にしなかった。
仮面の下で静かに息を吐き、リングの中央へ歩く。
見ているのは、ただ一つ。
目の前の対戦相手だけだった。
相手は、観客たちが騒ぐのも無理はないほどの巨漢だった。
肩幅は樽のように広く、腕は丸太のように太い。鼻は潰れ、顔には古い傷がいくつも走っている。上半身には分厚い筋肉が乗っていて、立っているだけで威圧感があった。
男はライナを見下ろし、鼻で笑う。
「嬢ちゃん。怪我する前に降りな」
ライナは何も答えなかった。
ただ、足を半歩引いた。
開始の鐘が鳴る。
先に動いたのは、巨漢だった。
男は土を蹴り、うなり声を上げながら突っ込んでくる。拳一発で人の頭を砕けそうな勢いだった。
観客席からも声が飛ぶ。
「終わったな!」
次の瞬間だった。
ライナの体が、消えたように見えた。
いや、違う。
低く沈み込み、男の懐へ一瞬で入り込んでいた。
「……っ?」
巨漢の目が見開かれる。
ライナはそのまま体をひねり、片足を振り抜いた。
鈍く、重い音が響いた。
一蹴りだった。
魔法も使っていない。肉体だけの一撃。
だが、その蹴りは巨漢の顎を正確に捉えていた。
男の巨体が、一瞬だけ宙に浮く。
次の瞬間には、白目をむきながら後ろへ吹き飛び、土の上に大の字で叩きつけられていた。
会場が静まり返った。
ほんの一瞬。
誰も声を出せなかった。
そして――
「うおおおおおおおお!!」
割れんばかりの歓声が上がった。
「なんだ今の!?」
「一蹴り!?一蹴りで倒したぞ!」
「あの大男を一発で!?」
さっきまでの野次も笑いも消えていた。
今度は興奮と熱狂が、リングへ降り注ぐ。観客たちは立ち上がり、木の観客席を踏み鳴らし、酒をこぼしながら叫んでいる。
リングの中央で、ライナはすぐに構えを解いた。
そして倒れた男のそばへ歩み寄ると、しゃがみ込んだ。
「ねえ、大丈夫?顎、外れてない?」
会場がまたざわついた。
勝った者が敗者を見下ろすのが、この闘技場の空気だった。
なのに、この仮面の選手は本気で相手の心配をしている。
巨漢の男は気を失っていた。
だが、ライナが手加減したおかげで、大きな怪我はしていない。気絶したのは、強い衝撃を受けたからだった。
観客席は、さらに沸き続ける。
小柄で、仮面をつけた謎の選手。
恐ろしく強い。
それなのに、相手を気遣う余裕まである。
その不思議な存在感が、逆に人々の熱を煽った。
「いいぞ、仮面の嬢ちゃん!」
「次も見せろ!」
「賭けを変えろ!あいつ本物だぞ!」
ノクトは観客席から、その様子を見て小さく笑った。
「やっぱりな」
エリシアも少しだけ口元を緩める。
「思ったより派手にやったわね」
ノエルはほっとしたように胸をなで下ろした。
「よかった。ライナ、ちゃんと手加減してた」
こうして、覇拳闘宴に一人の謎の選手の名が広がった。
小柄な体で巨漢を一撃で倒した、仮面の少女。
ライナの戦いは、ここから始まった。
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