6話 ヴァルノア学園
最初から最新話まで改稿済みです。全話の改稿が終わるまでは、次の話に着手しないつもりです。
編集日が2026年6月14日以降のものであれば改稿済みであるので、そちらを確認して貰ってお読み頂ければ幸いです。
湯気が夜空へ溶けていく。
香草と肉の匂いが、冷たい風の中に広がっていた。
「はい、できましたよ」
ゼルマンが鍋を置くと、ライナは嬉しそうに手を合わせた。
「いただきますっ!」
ミレオも慌ててスプーンを握る。
ノクトは無言で煮込みを一口食べた。
そして少しだけ目を細める。
「……やっぱり美味しい」
「そう言っていただけると嬉しいです」
ゼルマンは穏やかに笑った。
しばらくの間、四人は黙々と夕食を食べていた。
温かい料理。
焚き火の音。
穏やかな時間。
魔王軍に支配された国の中にいることを、少しだけ忘れられるような夜だった。
だが、ミレオはスプーンを握ったまま、何かを考え込んでいた。
「ゼルマン」
ミレオが口を開いた。
「僕、やっぱりヴェルノア学園が気になる」
ゼルマンの表情が変わった。
「王子……」
「一回だけでも見に行きたい」
「それは難しいでしょう。ヴェルノア学園も、すでに魔王軍に占領されている可能性があります」
「でも……」
ミレオは唇を噛んだ。
「あそこには優秀な生徒がたくさんいた。パパより強い先生だっていたんだ。きっと大丈夫だよ」
「王子」
「もし大丈夫じゃなかったら?みんなが苦しんでいたら?それなのに僕だけ隠れていていいの?」
ミレオの声は震えていた。
ゼルマンは何も言えなくなった。
ライナが気まずそうに手を上げる。
「あの……ヴェルノア学園って、何なの?」
ゼルマンは焚き火を見つめた。
そして静かに話し始める。
「ヴェルノア学園は、故バルザック王が建てられた魔法学校です」
「魔法学校……」
「はい。正式にはヴェルノア・マジック・アカデミー。ですが国民は親しみを込めて、ヴェルノア学園と呼んでいました」
ゼルマンの声には、懐かしさが混じっていた。
「陛下は、この国の未来は教育にあると信じておられました。貧しい者も、身分の低い者も、才能があれば学べるようにと、多くの国費を学園へ投じたのです」
「本当にすごい王様だったんですね」
ノクトが呟いた。
「ええ」
ゼルマンは小さく頷いた。
「学園では魔法だけでなく、歴史、哲学、剣術、政治までも教えていました。陛下はいつも仰っていました。強さとは力だけではない。知恵と心の在り方こそが、人を本当に強くするのだと」
「すごい……」
ライナは目を輝かせた。
「そんな学校、アタシも行ってみたかったな」
「あなたのような方なら、きっと歓迎されたでしょう」
「えっ、アタシが?」
ライナが驚く。
ゼルマンはわずかに笑った。
「はい。あの学園には、強さの中に優しさを持つ者が多かった。あなたはまさに、そのような方に見えます」
「そ、そうかな……」
ライナは照れたように頬を掻いた。
ミレオはスプーンを置いた。
「パパはいつも言ってたんだ」
ミレオは真っ直ぐ前を見つめる。
「ヴェルノアは国の未来だって。あそこにいる子たちが、いつかザルベックをもっと良い国にしてくれるって」
小さな拳を握る。
「だから僕は今のヴェルノアを見たい。見ないまま逃げるのは嫌だ」
「ですが、魔王軍の拠点になっているという噂もあります」
ゼルマンは苦しそうに言った。
「もし王子の身に何かあれば、私は亡き王に顔向けできません」
「ゼルマン」
ミレオは少しだけ頬を膨らませた。
「ちょっとは僕のことも信用してよ。ノクトとライナに稽古をつけてもらって、少しは強くなったんだよ。火属性の魔法だって使えるようになったんだから」
「少しだけですけどね」
ゼルマンが困ったように言う。
「少しでも前より強いもん!」
ミレオは必死だった。
ライナはそんなミレオを見て、にっと笑った。
「ゼルマンさん。ヴェルノアに行ってみましょう!」
「ライナさんまで……」
「アタシとノクトが先頭に立てば、何とかなると思います!」
ライナはノクトを見る。
「ね、ノクト?」
「あ、ああ……」
急に振られて、ノクトは少し遅れて頷いた。
ライナはさらに勢いよく続ける。
「王様の想いが詰まってる場所なんだよね?そこに行けば、きっと何か分かるよ。アタシの勘はすごいんだから!」
「ライナの勘か」
ノクトは苦笑した。
「まあ、信じてみるか」
「でしょ!」
ライナは得意げに胸を張る。
ゼルマンはまだ迷っていた。
その顔には、不安がはっきりと出ている。
ノクトは静かに口を開いた。
「ゼルマンさん」
「はい」
「もしヴェルノアが魔王軍に占領されていたら、俺とライナが戦います。その間に、ゼルマンさんはミレオを連れて逃げてください」
「ですが……」
「時間稼ぎくらいならできます」
ノクトの声は落ち着いていた。
「ミレオを危険に晒すつもりはありません」
ゼルマンはノクトを見つめた。
しばらく黙っていたが、やがて深く息を吐く。
「分かりました」
ゼルマンは静かに頷いた。
「お二人を信じましょう」
「やったぁ!」
ミレオが嬉しそうに声を上げた。
その夜。
皆が眠りについた後も、ノクトだけは寝付けなかった。
外へ出ると、空には満天の星が広がっていた。
あまりにも綺麗な夜空だった。
こんなにも美しい星の下で、大勢の人々が怯えながら生きている。
そのことが、ノクトには不思議で仕方なかった。
世界はどうして、こんなにも美しくて残酷なのだろう。
もしザルベックを支配しているのが六魔星なら。
その時、自分はミレオたちを守れるのだろうか。
魔王軍には、自分より強い者が大勢いる。
それをノクトは誰よりも知っていた。
「こんな遅い時間に、考え事ですか」
背後から声がした。
振り返ると、ゼルマンが立っていた。
「少しだけ」
ノクトは星空へ視線を戻した。
「明日、強敵と戦うことになるかもしれないので」
「ノクトさんの剣は本物です」
ゼルマンは隣に立った。
「私が見てきた剣士の中でも、一位、二位を争うほどです」
「それは褒めすぎですよ」
「いいえ。私は長く王の側にいました。多くの剣士を見てきたつもりです」
ゼルマンは懐かしむように目を細めた。
「あなたほどの剣を見たのは、もう何年も前です。ヴェルノア学園に、勇者ルシエル様と、その妹君であるエリシア様が来てくださったことがありまして」
ノクトの表情がわずかに変わった。
「ルシエルと……エリシア……」
「ご存じなのですか?」
「名前だけは」
ノクトは嘘をついた。
本当は知っている。
戦ったこともある。
勇者ルシエルは強かった。
自分より遥かに。
そしてエリシアもまた、ただの剣士ではなかった。
彼女の父と兄は、ノクトの父と兄によって奪われた。
きっと今も、魔王軍への怒りを胸に旅をしているはずだ。
もし自分が彼女と出会えば、どうなるのだろう。
そんな考えが胸をよぎった。
「私はいつも、バルザック王の側にいました」
ゼルマンがぽつりと話し始めた。
「自慢ではありませんが、誰よりも王の近くにいたと思っています」
その声は静かだった。
だが少しだけ震えていた。
「ですが、あの日だけは違いました」
ノクトは何も言わなかった。
「魔王軍が突然、ザルベック城を攻めてきました。王も強い魔法使いでした。城を守る者たちも、決して弱くはありませんでした」
ゼルマンは拳を握る。
「それでも、魔王軍の力は圧倒的でした。誰の魔法も通じなかった。どれだけ抗っても、押し潰されるだけでした」
夜風が吹いた。
焚き火の残り香がわずかに漂う。
「王は私に命じました。ミレオ様を連れて逃げろ、と」
「……」
「私は逆らいたかった。最後まで王と共に戦いたかった。けれど、王の命令は絶対でした」
ゼルマンの頬を、静かに涙が伝った。
「私は今でも、あの日の夢を見ます。いつも王の側にいた私が、王の死に際だけ離れてしまった」
声がかすれる。
「どんな手を使ってでも、王を守りたかった。でも、できなかったんです」
ノクトはゼルマンを見た。
何か言うべきか迷った。
だが簡単な慰めなど、今のゼルマンには届かない気がした。
「だから私は、命に代えてもミレオ様を守ります」
ゼルマンは涙を拭わずに言った。
「それが亡き王との約束ですから」
ノクトはしばらく黙っていた。
そして、静かに口を開いた。
「ゼルマンさん」
「はい」
「俺がこの国を変えてみせます」
ゼルマンがノクトを見る。
「ザルベックを魔王軍から取り返します。そうすれば、この国はミレオのものに戻る」
ノクトの声には、迷いがなかった。
「だから、俺たちを信じてください」
ゼルマンはしばらくノクトを見つめていた。
やがて、小さく笑った。
「ええ」
涙を浮かべたまま、穏やかに頷く。
「信じていますよ」
その時だった。
夜空に一筋の光が走った。
流れ星だった。
ノクトとゼルマンは、同じ空を見上げた。
失ったものは戻らない。
それでも、守れるものはまだある。
二人はそれぞれの願いを、星の光に託した。
翌朝。
ノクトたちはヴェルノア学園へ向かうことになった。
ザルベックの未来が眠る場所へ。
そして、魔王軍の影が待つかもしれない場所へ。
今回もありがとうございました!




