5話 火の稽古
いつもお読み頂きありがとうございます。
ミレオはへとへとになっていた。
ノクトとライナによる厳しい訓練が、もう何日も続いているからだ。
朝は剣。
昼は体術。
夕方は魔法。
まだ幼いミレオにとっては、かなり過酷な毎日だった。
それでもミレオは逃げなかった。
父の国を取り戻したい。
もう誰も失いたくない。
その思いだけが、小さな体を何度も立ち上がらせていた。
「うーん……違う違う!」
ライナが腕を組みながら言った。
「ミレオくん、頭で考えすぎ!」
「えっ、考えちゃ駄目なの?」
「駄目じゃないけど、火っていうのはさ、出すぞ!って気持ちが一番大事なの!」
「気持ち……?」
「そう!胸の奥にボッて火をつける感じ!」
「ボッ……」
「その熱を手に集めて、外に押し出すの!」
「押し出す……?」
「うん!でも力みすぎたら駄目!燃えろ!って叫ぶより、燃えて!ってお願いする方が上手くいくから!」
「お願い……?」
ミレオは完全に混乱していた。
ライナは真剣に教えている。
だが説明が感覚的すぎた。
「火はね、仲良くしてくれた人のところにしか来てくれないんだよ。怒らせたら、逆に爆発しちゃうんだから!」
「魔法ってそんな感じなんだ……」
「そんな感じ!」
ライナは自信満々だった。
ミレオも真剣に頷いている。
だがノクトは、さすがに見ていられなくなった。
「ライナ」
「なに?」
「たぶん、その説明だとミレオには伝わってない」
「えっ、そうなの!?」
「はい……ちょっとだけ……」
ミレオが申し訳なさそうに言った。
ライナはがくりと肩を落とした。
「アタシ、教えるの下手なのかな……」
「下手というか、感覚でいきすぎてるんだ」
「それ褒めてる?」
「たぶん褒めてない」
ノクトはミレオの前に立った。
「火を出したいなら、まず火を作ろうと考えない方がいい」
「え?火を作らないの?」
「ああ。火は結果だ。大事なのは、体の中のマナをどう流すかだ」
ミレオは真剣な顔でノクトを見た。
「まず胸のあたりに意識を向ける。そこにある温かさを探すんだ」
「温かさ……」
「ゆっくり息を吸って、吐く。その時に、胸の奥にある熱を手の先へ送る」
ミレオは目を閉じた。
小さく息を吸う。
そして、ゆっくりと吐いた。
「……少し、温かいかも」
「それでいい。そのまま焦らず指先に流すんだ。勢いじゃない。細い川を作るように、ゆっくりでいい」
「細い川……」
ミレオの指先が、ほんのり赤く光った。
「熱い……!」
「それが火の素だ」
ノクトは静かに言った。
「あとは空気に触れさせる。強く押し出せば炎になる。でも今は小さくていい」
「小さく……」
ミレオが手を開いた。
その瞬間だった。
指先に、小さな火が灯った。
「出た……!」
ミレオの顔が明るくなる。
ライナも目を輝かせた。
「すごい!ミレオくん、出たよ!」
「うん!出た!」
火はすぐに消えてしまった。
だがミレオにとっては、大きな一歩だった。
「悪くない」
ノクトは頷いた。
「でも、まだ安定していない。炎は感情だけで出すものじゃない。意志で制御するんだ」
「意志……」
「怒りだけで火を出すと、自分も周りも傷つける」
ノクトはミレオを見る。
「火は敵を焼くためだけのものじゃない。暗い道を照らすこともできる。寒い人を温めることもできる」
ミレオは小さく頷いた。
「誰かを守るために使うんだね」
「ああ」
「分かった!」
ライナは感心したようにノクトを見た。
「ノクトって教えるの上手いね」
「そうか?」
「うん。ノクトって何属性の魔法を使うの?」
ノクトは一瞬だけ黙った。
だがすぐに口を開く。
「俺にマナは流れていない。だから魔法は使えない」
「えっ、そうなの?」
「ああ。だから剣術を極めた」
ライナは首を傾げた。
「魔法が使えない割には、教え方が上手すぎるような……」
「使えないからこそ、理屈で覚えるしかなかったんだ」
「ふーん……」
ライナはまだ納得していない様子だった。
だが、それ以上は聞かなかった。
ノクトはミレオへ視線を戻す。
「次は体術だ」
「えっ、もう?」
「魔法だけ使えても意味がない。動けなければ、戦いでは何もできない」
「はい!」
「ライナ。体術は任せる」
「任せて!」
ライナは嬉しそうに拳を握った。
そして次の瞬間、ミレオの目の前から姿が消えた。
「え?」
気づいた時には、ライナの拳がミレオの鼻先で止まっていた。
風圧だけで前髪が揺れる。
「い、今の見えなかった……!」
「そりゃそうだよ!考えながら動くから!」
ライナは腰に手を当てて笑った。
陽の光を浴びた赤い髪が、揺れるたびに火花みたいにきらめく。
「体術はね、相手を見るだけじゃ駄目。動きを感じるの!」
「感じる……?」
「そう!目より先に体が動くようになったら一人前!」
「難しすぎるよ……」
「大丈夫!最初からできる人なんていないから!」
ライナは軽く跳び、片足で地面を蹴った。
空気を裂くように拳を放つ。
その拳の先に、小さな火花が散った。
「火のマナはね、力じゃなくて勢いに乗せるの。拳の速さと呼吸が合った瞬間に、ボッて燃える!」
ノクトは横で見ながら思った。
体術の授業だったはずが、いつの間にか近距離魔法の授業になっている。
だが、これはこれでミレオには合っているのかもしれない。
「じゃあ、ミレオくんもやってみよう!」
「うん!」
ミレオは拳を構えた。
そして思い切り前へ踏み込む。
だが拳は空を切っただけだった。
「うーん、まだ硬い!」
ライナがミレオの背中に手を当てた。
「体全体で前に流れるイメージ!怖がらなくていいよ。転んでもアタシが受け止めるから!」
「……分かった!」
ミレオはもう一度踏み込んだ。
今度は少しだけ力を抜く。
胸の奥の熱を、拳へ流す。
そして前へ。
その瞬間。
拳の先で、小さな火花が弾けた。
「あっ!」
「今の!」
ライナが嬉しそうに親指を立てた。
「すごいよ、ミレオくん!」
「本当!?」
「うん! 今の感じを忘れないで!」
ミレオは息を切らしながら笑った。
「ライナの教え方、分かりやすかった!」
「えっ、本当?嬉しい!」
ライナは少し照れたように笑う。
「でも理屈はノクトに聞いてね。アタシ、教科書とか苦手だから!」
「うん!」
ノクトは二人を見ながら、少しだけ感心していた。
ミレオには素質がある。
まだ小さく、体も弱い。
だが火属性のマナは素直で、伸びしろがあった。
何より、折れない心がある。
強くなれるかもしれない。
本当に、この国を変えられる存在になるかもしれない。
そう思った時だった。
「今日も遅くまでお疲れ様です」
ゼルマンが近づいてきた。
「夕食の準備ができましたよ」
「やったぁ!」
ライナの目が輝いた。
「ゼルマンさんのご飯、すっごく美味しいんだよね!」
「それはありがたいことです」
ゼルマンは少しだけ笑った。
その夜、四人は隠れ家の外で食事を取ることにした。
焚き火がパチパチと音を立てている。
夜風は少し冷たかったが、火のそばにいると不思議と心が落ち着いた。
ゼルマンは鍋をゆっくりとかき回していた。
木のスプーンを持つ手に無駄はない。
乾燥肉と野菜を刻み、香草を少し入れただけの簡単な煮込み料理。
それなのに、辺りにはほのかに甘くて優しい匂いが広がっている。
「すごい匂い……これ、本当に干し肉から?」
ライナが鍋を覗き込む。
「焦らず弱火で煮込めば、干し肉も柔らかくなります」
ゼルマンは木のスプーンで味を確かめた。
「……もう少し塩ですね」
その手つきは慣れていた。
戦う者の手でありながら、誰かのために料理を作る手でもあった。
「ゼルマンさんのご飯って、なんだか落ち着きます」
ノクトがぽつりと言った。
「味が優しいというか」
「王がよく言っていました」
ゼルマンは鍋を見つめたまま静かに言った。
「食事は人の心を戻すものだ、と」
ミレオが少しだけ顔を上げた。
ゼルマンは優しく笑う。
「だから、どれだけ苦しい時でも温かいものを食べるべきだと」
しばらく誰も何も言わなかった。
焚き火の音だけが聞こえる。
やがてライナが明るい声を出した。
「じゃあ、いっぱい食べなきゃね!明日も訓練あるし!」
「えっ、明日も?」
ミレオが驚く。
「当たり前だ」
ノクトが言った。
「今日できたことは、明日もできるようにする。明日できたことは、戦いの中でもできるようにする」
「うぅ……厳しい……」
「でも頑張るんでしょ?」
ライナが笑う。
ミレオは少し考えて、それから力強く頷いた。
「うん。頑張る」
彼の指先に、ほんの小さな火が灯った。
焚き火よりも弱い。
風が吹けば消えてしまいそうな火だった。
それでもミレオは、その火を大切そうに見つめていた。
ザルベックの小さな王子は、少しずつ前へ進み始めていたのだった。
今回も読んで頂きありがとうございました!




