48話 白雨封殺(はくうふうさつ)
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崩れた外壁の隙間から、魔王軍の兵士たちが次々とレンデルへ侵入してくる。
黒い鎧。
鈍く光る剣。
その後ろからは、無数の葬脚蟲と白骸獣まで迫っていた。
「ここから先には行かせないよ!」
ライナが地面を蹴った。
全身に炎をまとい、魔王軍の兵士へ一直線に飛び込む。
振り下ろされた剣を体を捻ってかわす。
すれ違いざまに、燃える拳を腹へ叩き込んだ。
兵士の体が炎に包まれ、そのまま後方へ吹き飛ぶ。
ライナは止まらない。
リュカとの修行で身につけた感覚の目。
視界に頼らず、空気の流れや足音、殺気から敵の動きを感じ取る。
背後から迫った槍を、振り返ることなく避ける。
低く身を屈め、そのまま足を払った。
倒れた兵士の胸へ、炎をまとった拳を叩き落とす。
「次!」
その少し離れた場所では、レオンが雷をまとっていた。
全身を紫電が駆け巡る。
「俺たちの街で、好き勝手やってんじゃねえぞ!」
レオンが敵の群れへ飛び込んだ。
剣を振り上げた兵士の顔面へ拳を叩き込む。
拳が触れた瞬間、雷が相手の全身を貫いた。
兵士は声を上げることすらできず、その場へ崩れ落ちる。
「まとめて来い!」
レオンが両腕を広げた。
周囲に雷が落ちる。
一つ。
二つ。
三つ。
地面を伝った稲妻が、迫っていた魔王軍の兵士たちを次々と焼いていく。
葬脚蟲の黒い甲殻も、雷を浴びて弾け飛んだ。
魔王軍の数は圧倒的だった。
それでもライナとレオンの活躍によって、外壁の穴から侵入してくる兵士たちは次々と倒されていく。
暁の隊員たちも二人に続いた。
「今だ! 押し返せ!」
「外壁の穴を塞ぐぞ!」
「補修班を守れ!」
魔王軍の侵入は、ぎりぎりのところで食い止められていた。
白い雨の向こう。
軍勢の最後方で戦況を見ていたヴァイス=クロウフォードは、わずかに目を細めた。
ガラクタによって作られた巨大な壁。
街中で動く無数の兵士。
それだけでも予想外だった。
さらに、強力な炎属性魔法を使う少女。
そして雷属性魔法をまとい、魔王軍の兵士を次々と倒す男。
「想定よりも厄介ですね」
ヴァイスは白い手袋へ落ちた雨粒を見つめた。
レオンの雷が、また一つ部隊を焼き払う。
「雷属性の使い手が、ここまで強いとは思いませんでした」
ヴァイスは、ようやく一歩前へ出た。
剣も槍も持っていない。
ただ白い手袋をはめた指先で、空中の何かを整えるように撫でる。
「仕方ありません」
穏やかな微笑を崩さない。
「私が処理しましょう」
ライナとレオンが、同時にヴァイスの方を見た。
離れているにもかかわらず、冷たい殺気が肌へ突き刺さる。
ヴァイスが右手を掲げた。
「あなた方から、魔力を奪って差し上げます」
指先に、白い光が集まっていく。
「もちろん、最後には命そのものも」
降り続けていた雨が、一瞬だけ止まった。
「白雨封殺」
次の瞬間。
空が白く濁った。
灰色だった雲が、内側から漂白されたように色を失っていく。
そして再び、雨が降り始めた。
先ほどまでの透明な雨ではない。
雪でも霧でもない。
光だけを奪い取ったような、真っ白な雨だった。
雫が地面を濡らす。
石畳から、少しずつ色が抜け落ちていく。
赤。
青。
茶色。
白い雨に触れた場所から、世界そのものが薄くなっていった。
「何だ、これ……」
レオンが自分の腕を見る。
全身を覆っていた雷が、少しずつ弱まっている。
紫色に輝いていた稲妻が、鈍い灰色へ変わっていく。
「くそっ!」
レオンが拳を振るった。
雷は放たれた。
だが、いつもより明らかに威力が弱い。
魔王軍の兵士へ命中しても、一撃では倒せなかった。
「魔力を吸われているのか……?」
ライナも拳を強く握った。
胸の奥から炎を呼び起こす。
普段なら、考えただけで紅蓮の炎が爆ぜる。
だが今は、火種が濡れたように重かった。
「もぉ!一体何なの、これ!」
拳に灯った炎は小さい。
色も薄い。
ライナが魔力を込めようとするたび、白い雨がその流れを上から押し潰してくる。
術式が完成する前に濡らされる。
魔力が重くなり、体の奥へ沈んでいく。
白い雨は、魔法を弱めていた。
それだけではない。
長く浴び続ければ、体の力まで少しずつ奪われていく。
「この雨……まずいよ!」
ライナが叫ぶ。
雨脚は、さらに強くなっていった。
白い雨は外壁付近を覆い、そこで戦う者たち全員へ降り注いでいる。
内壁の中にいるユリウスやノエルまでは、まだ届いていない。
だが前線にいる暁の隊員たちは、急激に力を失い始めていた。
「弓が引けない……!」
「足に力が入らないぞ!」
「下がるな!ここを抜かれたら終わりだ!」
弱っているのは暁だけではなかった。
魔王軍の兵士たちが放つ魔法も、同じように威力を落としている。
葬脚蟲の酸も弱まり、白骸獣の吐く冷気も薄くなっていた。
その様子を見ながら、ヴァイスのそばに立つ少年が微笑んだ。
「その魔法、僕たちの魔法まで弱くなるじゃないですか」
エル=シェイドだった。
相変わらず、穏やかな笑顔を浮かべている。
「ヴァイスさんったら、本当に自分勝手なんですから」
その隣にいた少年も、白い雨を嫌そうに見上げた。
「僕のゴーレムも弱くなるね」
黒翼将バサルト。
かつてザルベックで、ゼルマンやミレオたちを追い詰めた地属性魔法使いだった。
「止めてよ。変な雨を降らせるの」
ヴァイスは二人へ冷たい視線を向けた。
「だから、あなた方は来なくていいと言ったでしょう」
白い手袋の指先を整えながら、淡々と言う。
「勝手についてきたのは、あなた方です」
「だって、ずっと王城にいるのは退屈なんですもん」
エルは楽しそうに答えた。
「それに、ヴァルグランさんは怖くて苦手なんですよ」
「僕もヴァルグランは怖い」
バサルトも真顔で頷いた。
ヴァイスのこめかみが、わずかに動いた。
「分かりました」
笑顔は崩していない。
だが声には、明らかな苛立ちが混じっている。
「もう黙って見ていてください。私の邪魔だけはしないように」
「僕は見ているだけでいいですよ」
エルが周囲を見渡す。
やがて戦場にいるライナを見つけ、目を細めた。
「ですが、バサルトは違うみたいですね」
「うん」
バサルトはライナを見ていた。
「あの赤い髪の女と戦いたい」
表情は幼い。
だが、その口から出る言葉には迷いがなかった。
「前に何度も邪魔されたから」
ザルベックでの戦いを思い出している。
「それに、あのままだと僕が負けたみたいだった」
バサルトが一歩前へ出る。
「だから今度こそ殺すよ」
エルは嬉しそうに手を叩いた。
「では、僕は高みの見物といきますね」
笑顔をさらに深くする。
「黒翼将二人の戦いを同時に見られるなんて、楽しみだなぁ」
「お前も黒翼将だろう」
ヴァイスが呆れたように言う。
「今日は応援係です」
「黙っていろと言ったはずですが」
エルは何も答えず、笑顔のまま戦場を眺めた。
今回、暁を見せしめとして殲滅するために集められた黒翼将は三人。
ヴァイス=クロウフォード。
エル=シェイド。
そしてバサルト。
そのうち二人が、戦場へ踏み出そうとしていた。
バサルトが両手を地面へ向ける。
足元の大地が激しく震え始めた。
「地脈終律――」
地面へ巨大な亀裂が走る。
その奥から、何かが這い上がってくる。
「大地覇神バル=ガノス!」
轟音。
大地を突き破り、巨大な岩の腕が現れた。
続いて頭。
肩。
分厚い胴体。
地面そのものが持ち上がるように、巨大なゴーレムが姿を現す。
その高さは五十メートルを超えていた。
ユリウスが作り出した外壁さえ、見下ろすほどの大きさ。
大地覇神バル=ガノス。
かつてザルベックの地を破壊した、バサルト最強のゴーレムだった。
「何だ、あれ……」
暁の隊員たちが動きを止める。
「壁より大きいぞ……」
「勝てるわけがない……」
バル=ガノスが腕を持ち上げた。
動きは白い雨によって、以前よりもわずかに鈍っている。
それでも、その大きさと力は変わらない。
巨大な拳が、外壁へ向かって振り下ろされた。
激突。
耳を塞いでも意味がないほどの轟音が、レンデル全体へ響いた。
ユリウスの作り出した外壁が、一撃で大きくへこんだ。
続けて、二発目。
ガラクタの城壁が崩れ始める。
「壁から離れろ!」
「崩れるぞ!」
三発目。
外壁が、完全に砕け散った。
大量の瓦礫と家具が、レンデルの街へ降り注ぐ。
魂を宿していた兵士たちも、次々と形を失っていった。
外壁が消えた。
遮るものを失った魔王軍の兵士と魔物が、一斉に街へ流れ込んでくる。
「一つ目の壁が破られた!」
「内壁まで下がれ!」
「第二防衛線を守れ!」
暁の隊員たちの間に、動揺が広がった。
ユリウスのいる内壁。
魂核を守る最後の防衛線。
そこまで破壊されれば、レンデルのガラクタ兵はすべて動きを止めてしまう。
もう後ろへは下がれない。
大地覇神バル=ガノスが、ゆっくりと街の中へ歩いてくる。
一歩進むたび、家が揺れる。
石畳が砕ける。
その巨体を前にして、ほとんどの者が近づくことすらできなかった。
だが。
その姿を見た瞬間、心に火がついた者がいた。
ライナは、砕けた外壁の向こうから進んでくる巨人を見上げる。
「あれは……」
忘れるはずがなかった。
「ゼルマンを殺した、黒翼将の魔法……」
ゼルマンは、ミレオを守って死んだ。
あの日。
亡くなったゼルマンを前に、声を上げて泣いていた小さな王子。
ライナは、その姿を今でも覚えている。
バサルトはまた、同じ魔法で誰かの大切な人を奪おうとしている。
暁の仲間。
リュカ。
レオン。
ユリウス。
この街で出会った人々。
誰一人として、あの巨人に殺させるわけにはいかない。
「絶対に許さない」
ライナの赤い瞳に、強い怒りが宿った。
白い雨はさらに激しくなっている。
すでにヴァイス本人でさえ、簡単には止められないほど雲が発達していた。
戦場にいるすべての魔法使いから、少しずつ魔力を奪い続けている。
それはバサルトも同じだった。
大地覇神バル=ガノスの動きは、以前よりも鈍い。
だがライナの炎も、同じように弱められている。
白い雨が肩を濡らした。
いつもなら、肌へ触れる前に蒸発する。
今は違った。
雨粒は炎を押さえつけるように、ライナの体を濡らしていく。
(火力を奪われてる)
分かっていた。
この雨の中では、本来の力を出せない。
それでも戦うしかない。
今、ノクトもエリシアもここにはいない。
ヴァルグランを倒すために、王宮へ向かっている。
(アタシがしっかりしないと)
ライナは拳を胸元へ引き寄せた。
「紅蓮爆装!」
全身へ炎の膜が走った。
黒い服の下。
肌の上を、赤い炎が覆っていく。
普段より薄い。
威力も弱い。
だが、消えてはいない。
白い雨が炎へ触れる。
小さな音を立て、白い煙が上がった。
ライナの炎は、ぎりぎりのところで白雨封殺の力を弾いている。
「まだ燃える」
ライナはバル=ガノスを睨んだ。
「だったら充分!」
地面を蹴る。
瓦礫を足場にして、一気に巨人の足元へ飛び込んだ。
狙うのは胴体ではない。
膝。
足首。
巨大な体を支える関節。
「灼魂連砕!」
炎をまとった拳を、巨人の足首へ連続で叩き込む。
一撃。
二撃。
三撃。
赤い炎が岩の表面で爆ぜる。
分厚い脚へ、いくつもの亀裂が走った。
「効いてる!」
だが次の瞬間。
大地が脈打つ。
岩と土が内側から盛り上がり、ライナが作った亀裂を塞いでいった。
「やっぱり、簡単には崩せないよね……!」
バル=ガノスの足が持ち上がる。
巨大な影が、ライナを覆った。
「ライナ、避けて!」
リュカの声。
ライナは目を閉じた。
空気の流れ。
大地の震え。
上から迫る圧力。
感覚の目が、攻撃の軌道を伝える。
ライナは地面を蹴り、巨人の足を紙一重で避けた。
踏み下ろされた場所が爆発する。
石畳が砕け、瓦礫が周囲へ飛び散った。
「アタシも行く!」
ミレイユ・ヴァルモンが魔法を構える。
その隣では、リュカがナイフを握っていた。
暁の隊員たち。
ユリウスが作り出したガラクタの兵士。
全員がライナと共に、大地覇神へ立ち向かう。
一方。
レオンたちはヴァイスを取り囲んでいた。
レオン。
ジャン・ルーセル。
そして複数の暁の隊員たち。
「この雨さえ止めれば、こっちのもんだ!」
レオンが弱まった雷を拳へ集める。
ヴァイスは、穏やかな微笑を崩さない。
「できるものなら、どうぞ」
二つの戦いが始まった。
ライナたちはバサルトと大地覇神バル=ガノス。
レオンたちは白雨封殺を操るヴァイス。
エル=シェイドは少し離れた場所から、そのすべてを楽しそうに眺めていた。
「最初から全力で行くよ」
バサルトが両手を合わせた。
「参ノ印・地脈覚醒」
大地覇神の胸が、赤黒く光った。
巨大な体から、さらに強い力が溢れ出す。
腕が太くなる。
岩の表面が硬く引き締まる。
動きも一気に速くなった。
白雨封殺によって力を奪われていても、その速度は先ほどまでとは比べものにならない。
バサルトは、最初からライナを潰すつもりだった。
「来るよ!」
ライナが叫ぶ。
大地覇神の巨大な拳が振り下ろされる。
ライナたちは左右へ散った。
拳が地面へ激突する。
家が揺れ、窓が割れた。
続けて、反対の腕が横薙ぎに振るわれる。
ユリウスのガラクタ兵が何体も巻き込まれ、粉々に砕け散った。
ライナたちは、弱まった巨人の動きを何とか見切ることができている。
だが攻撃を当てても、こちらの魔法も雨によって弱められていた。
倒せない。
傷つけても、すぐに大地の力で修復される。
「この雨をどうにかしないと……」
ライナは白く濁った空を見上げた。
雨は止む気配がない。
むしろ時間が経つほど強くなっている。
(この雨を全部、蒸発させられるくらいの炎があれば)
もっと強い炎。
水属性の魔法さえ、触れる前に蒸発させるほどの熱。
空を覆う白い雨を、丸ごと焼き尽くす焔。
(誰も、バサルトに奪わせない)
ゼルマンの時と同じことを、もう繰り返させない。
リュカも。
ミレイユも。
暁の仲間たちも。
この街で暮らす人々も。
自分が守る。
白い雨が、ライナの肩を叩く。
冷たい。
重い。
魔力を練ろうとしても、術式が濡れて沈んでいく。
紅蓮爆装の炎も、少しずつ小さくなっていた。
それでも。
胸の奥にある火種だけは消えていない。
ライナは、その小さな炎を両手で抱きしめるように拳を握った。
「……まだ足りない」
自分の炎を見つめる。
「こんな火力じゃ、誰も守れない」
ゆっくりと息を吐いた。
喉の奥が熱くなる。
血が燃えているようだった。
「雨を焼くんじゃない」
ライナの髪が、熱によってふわりと持ち上がる。
「炎をまとうだけでも足りない」
胸の奥から、これまでとは違う魔力が溢れ始めた。
炎を武器にするのではない。
炎を体へ宿すのでもない。
「アタシ自身が、炎になればいいんだ」
ライナの足元から、紅蓮の光が広がった。
「紅蓮化身……!」
次の瞬間。
ライナの瞳が、燃え上がる琥珀色へ変わった。
ありがとうございました!




