44話 革命前夜
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とうとう、明日は革命の日だった。
ベルナールの空から太陽は沈み、王都は夜の闇に包まれている。
ノクトたちは、前夜祭が開かれるレオンのアジトに集まっていた。
革命へ向けた準備は、すべて終わっている。
住民の避難。
武器の運搬。
魔王軍の巡回経路の確認。
ユリウスが操るための、ガラクタや瓦礫の配置。
もう、できることは残っていない。
あとは明日の決戦を迎えるだけだった。
レオンのアジトは、暁の拠点の中でも特に広い。
それでも五十人ほどの人間が集まれば、身動きが取りにくいほど窮屈だった。
壁際には酒樽が並び、粗末な机の上にはパンや干し肉が置かれている。
全員の手には、厚いガラスで作られたジョッキ。
中に注がれているのは、泡の消えかけたぬるいビールだった。
誰も味には文句を言わない。
明日になれば、ここにいる全員で飲むことは、二度とできないかもしれないからだ。
「みんな」
ユリウスが人々の前へ進み出た。
騒がしかったアジトが、少しずつ静かになっていく。
酒に酔っていた者も、ジョッキを下ろしてユリウスを見た。
「今日は集まってくれてありがとう」
ユリウスは集まった仲間たちを、一人ずつ確かめるように見渡した。
「明日は、とうとう革命の日だ」
その声は静かだった。
だが、アジトの一番奥までしっかりと届いている。
「俺はこの日を、ずっと待っていた」
ユリウスは胸元で拳を握った。
「ベルナールが変わる日を。俺たちの未来に、もう一度希望が生まれる日を」
誰も声を出さない。
ユリウスの言葉を聞き逃すまいとしていた。
「魔王軍がこの国へやってきてから、俺たちベルナールの国民は未来を奪われた」
家族を殺された者。
家を焼かれた者。
食べ物を奪われた者。
働いて得た金のほとんどを、魔王軍へ差し出してきた者。
ここにいる全員が、何かを失っている。
「生きているはずなのに、生きている心地がしなかった」
ユリウスの目に、強い光が宿る。
「誰もが人生のどん底にいた。みんなも、そうだっただろう?」
「そうだ!」
誰かが叫んだ。
その声をきっかけに、アジト中から大きな歓声が湧き上がる。
「魔王軍を追い出せ!」
「俺たちの国を取り戻すぞ!」
「暁は負けない!」
ジョッキを掲げる者たちの声が、地下の天井を震わせる。
ノクトはその光景を見ながら、暁の者たちを一人ずつ目で追った。
この場所にいるのは、五十人ほど。
ほかの拠点にいる者を合わせても、暁の戦力は決して多くない。
明日の呼びかけに応じ、住民の中から戦ってくれる者が現れる可能性はある。
だが、それも確実ではなかった。
(本当に、この人数で耐えられるのか?)
ノクトとエリシアは、王宮へ向かう。
ヴァルグランを倒すためだ。
その間、この街を守るのはユリウスたちになる。
魔王軍が暁を潰そうとするなら、普通の兵士だけを送ってくるはずがない。
黒翼将。
強力な魔物。
カルディオスのような殲滅用の魔物が、何体も現れるかもしれない。
黒翼将が二人同時に攻めてきたら。
さらに魔物まで加わったら。
ライナたちは、どれほど戦えるのだろう。
(俺たちが戻ってくるまで、持ちこたえられるのか?)
もし明日、戦う人間が集まらなければ。
暁に最初から勝ち目がなければ。
ライナとノエルを街へ残すことは、ただ死なせるのと同じなのではないか。
ノクトの手が、わずかに震えていた。
それに気づいた者がいた。
隣に立っていたライナだった。
ライナは何も言わず、ノクトの手をそっと握った。
温かい手だった。
「大丈夫」
周囲に聞こえないほどの小さな声で囁く。
「心配しなくていいよ」
ノクトがライナを見る。
「アタシはもう、一人でも黒翼将と戦える」
ライナの赤い瞳には、迷いがなかった。
「だから安心して。ノクトはエリシアと一緒に、ヴァルグランを倒すことだけ考えて」
「ライナ……」
「アタシたちは、ちゃんと生き残るから」
ライナが笑った。
太陽のような笑顔だった。
不安で曇っていたノクトの心が、その温かさによって少しずつ晴れていく。
「分かった」
ノクトも小さく微笑んだ。
「信じてる」
「任せてよ!」
ライナはノクトの手を離し、力強く拳を握った。
ユリウスの演説は続いている。
「みんな!」
ユリウスが声を上げた。
「暁へ命を預けてくれて、本当にありがとう!」
歓声が再び静まり、全員がユリウスへ注目する。
「俺もレオンも、明日はこの国の未来のために、持っている魔力をすべて使い切るつもりだ!」
ユリウスの隣で、レオンが不敵に笑っていた。
「俺たちで、この国を救おう!」
ユリウスが拳を高く掲げる。
「俺たちの手で、ベルナールを魔王軍から取り返すんだ!」
「おおおおおっ!」
「きっと神様は、俺たちの味方をしてくれる!」
ユリウスの声が、これまで以上に強くなる。
「俺は、この国を愛している!」
そこにいる仲間たちを見渡す。
「だから、この国のために命を懸ける!」
ユリウスはジョッキを持ち上げた。
「明日は勝とう!」
暁の者たちも、一斉にジョッキを掲げる。
「絶対に勝とう!」
「おおおおおおっ!」
「俺は、みんなと共に生きるベルナールの未来を愛している!」
ユリウスの目には涙が浮かんでいた。
「だから、最後まで戦い抜こう!」
そしてジョッキを前へ突き出す。
「みんな、乾杯!」
「乾杯!」
何十ものジョッキが一斉にぶつかり合った。
鈍い音が、洞窟のような地下の天井へ反響する。
「暁万歳!」
「ベルナール万歳!」
ぬるいビールは喉を滑らず、舌に重い苦味を残す。
それでも誰一人として、不味いとは言わなかった。
この苦い酒の味を、明日も生きて思い出すために飲んでいた。
「暁万歳ぃぃぃ!」
酔っ払いのマルクが、机へ片足を乗せて叫んだ。
鼻先は赤い。
すでに足元も危うい。
だが目だけは、真っすぐユリウスを見ていた。
「おい、ユリウス!」
「何だ、マルク」
「明日死ぬかもしれないんだから、今日くらい笑っとけ!」
マルクは酒の入ったジョッキを振り回す。
「死に顔だけは格好よくしろよ!」
「縁起でもないことを言うなよ」
ユリウスが困ったように笑った。
周囲から笑いが起こる。
笑っている者の中には、涙を流している者もいた。
誰かが泣き、誰かがその肩を叩く。
別の場所では、何事もないように歌を歌っている。
笑い声と嗚咽が、同じ場所で混ざり合っていた。
革命の前夜とは、きっとこういうものなのだろう。
レオンは酒樽の横に置かれた椅子へ腰掛けていた。
背もたれへ腕を投げ出し、いつもの不敵な笑みを浮かべている。
だが、その目元には疲れが滲んでいた。
怒りと緊張で、最近はほとんど眠れていないらしい。
「お前ら!」
レオンが酒瓶を持ち上げた。
「今日は飲みまくれ!」
周囲から歓声が上がる。
「酒こそ、俺たち暁の力そのものだからな!」
「それは違うだろ!」
誰かが笑いながら叫ぶ。
「違わねえ!」
レオンが酒瓶の中身を一気に飲み干した。
「酒を飲んで、恐怖を忘れて、明日は魔王軍をぶっ飛ばすぞ!」
「おおおおおっ!」
歓声が絶えない。
明日が命を懸けた日であることを、忘れてしまいそうなほどの盛り上がりだった。
その中から、一人の男がノクトへ歩み寄ってきた。
黒髪を短く切りそろえた、痩せ型の男。
目つきは鋭く、騒がしいアジトの中でも落ち着いていた。
ジャン・ルーセル。
昨日リュカに案内されたアジトの一つを任されている、暁の中心人物だった。
「ノクト君」
ジャンが声をかける。
「楽しめているか?」
「ええ」
ノクトは周囲を見回した。
「活気があって、良い前夜祭ですね」
「ああ」
ジャンは少しだけ笑う。
「騒がしすぎるくらい盛り上がっている」
二人の近くでは、マルクが見知らぬ男と肩を組み、意味の分からない歌を歌っていた。
ジャンはそんな仲間たちを眺める。
「暁の者たちは、今を生きているんだ」
「今を?」
「ああ」
ジャンは手に持っていたジョッキへ目を落とす。
「俺たちは、明日死ぬかもしれない」
静かな声だった。
「そんなことは、ここにいる誰もが分かっている」
笑っている者。
飲んでいる者。
歌っている者。
その全員が、心のどこかで死を恐れている。
「でも、本当は誰だって死にたくないに決まっているんだ」
ジャンは続けた。
「奇跡みたいにこの世へ生まれて、自分の命を無駄にしたいと思う者なんていない」
「……そうですね」
「みんな自分の未来を期待している」
家族を作りたい者。
店を持ちたい者。
行ったことのない国を旅してみたい者。
明日食べるパンのことだけを考えている者もいる。
「それでも、俺たちは自分の命より大切なものを見つけてしまった」
ジャンは胸元につけた、暁の赤い布へ触れた。
「この国の未来だ」
ノクトは何も言わず、その言葉を聞いていた。
「だから、もう戦うしかない」
ジャンがノクトへ目を向ける。
「ノクト君」
「はい」
「明日は、うまくいくと思うか?」
ノクトはすぐには答えなかった。
絶対に勝てるとは言えない。
相手は魔王軍。
王宮には世界最強の火属性魔法使いであるヴァルグランがいる。
街にも、どれほどの敵が現れるのか分からない。
それでも。
「俺は、うまくいくと信じています」
ノクトは答えた。
「根拠はあるのか?」
「ありません」
ノクトは正直に言った。
ジャンが小さく笑う。
「ですが、明日の結果がどうなったとしても」
ノクトは暁の者たちを見る。
「自分たちで選び、自分たちを信じて戦ったことまで、失敗にはならないと思います」
ジャンはしばらく黙っていた。
「そうだな」
そしてジョッキを掲げる。
「俺たちは、自分を信じて戦い抜く」
ジャンの鋭い目に、強い光が宿った。
「その気持ちだけは、絶対に負けてはならない」
「はい」
二人はジョッキを軽くぶつけた。
その時、近くから一際大きな歓声が上がった。
「いけぇぇぇ!」
「負けるな!」
「あと一杯だ!」
何事かと思い、ノクトとジャンは人だかりへ向かう。
その中心では、ライナと大柄な男が向かい合っていた。
二人とも、大きなジョッキを手にしている。
「勝負だぁ!」
大男が叫び、ビールを一気に喉へ流し込む。
ライナも負けじとジョッキを傾けた。
ほとんど同時に飲み干し、机へ叩きつける。
「アタシ、お酒だけは強いんだからね!」
ライナの頬は赤くなっている。
それでも足取りはしっかりしていた。
「まだまだいけるよ!」
「俺だって、まだ飲めるぞ!」
大男はすでに体を左右へ揺らしている。
「ライナちゃんとは体の大きさが違うんだ!俺の方がたくさん飲めるに決まってる!」
「体の大きさは関係ないよ!」
「ある!」
「ない!」
再び二人のジョッキへ、ビールが注がれる。
「飲めぇぇぇ!」
酔っ払いのマルクも、この勝負に大喜びしていた。
自分のジョッキを天へ掲げる。
「俺も二人には負けねえぞ!」
「マルクはもうやめとけ!」
誰かが止める。
「うるせえ!」
マルクはジョッキを満タンにする。
「どうせ明日死ぬなら、今日飲むだろ!」
そのままビールを一気に飲み干した。
「ここにある酒、全部飲んでやる!」
そう宣言し、千鳥足でどこかへ歩き始める。
一歩。
二歩。
三歩目で、床へ倒れた。
「マルク!?」
周囲が一瞬ざわつく。
「むにゃ……まだ飲めるぞ……」
寝言を呟き、そのまま眠ってしまった。
「寝ただけだ!」
「放っておけ!」
すぐに笑い声が起こる。
エリシアは、倒れているマルクを冷たい目で見下ろした。
「本当に治安が悪いわね」
隣にいたノエルが、穏やかに微笑む。
「でも、みんな楽しそうで何よりだよ」
「あなたは寛大すぎるのよ」
ノクトは、また新しいジョッキを受け取っているライナを心配そうに見ていた。
「ライナ、大丈夫か?」
「大丈夫だよぉ!」
「少し呂律が怪しくないか?」
「全然、怪しくないもん!」
「無理して飲まなくてもいいんだぞ」
ノクトが言うと、ライナは不満そうに頬を膨らませた。
「ノクトは、アタシのことを何にも分かってないんだからぁ!」
「何の話だよ」
「ノクトも、もっと飲む!」
ライナはノクトの腕を掴んだ。
「俺はいいよ」
「駄目!」
ライナは周囲へ向かって大声を上げる。
「誰か!ノクトにもっとビールを注いであげて!」
「おう!」
「任せろ!」
すぐに何人もの暁の隊員が、酒瓶を持ってノクトへ集まってきた。
「ちょっと待て!」
ノクトの声は歓声にかき消された。
ライナはその様子を見て、楽しそうに笑っている。
前夜祭で誰よりも酒を飲み、誰よりも大きな声で笑っていた。
その笑顔を見ていると、ノクトは何も言えなくなった。
明日になれば、命を懸けた戦いが始まる。
だから今夜だけは。
何も失っていないように笑っていたかった。
暁の前夜祭は、夜が更けても終わらなかった。
ポイント評価をよろしくお願い致します!




