3話 小さな王子
今回もお読み頂きありがとうございます!
ミレオの隠れ家は、森の奥深くにあった。
獣道すら途絶えた先。
苔むした岩肌を背に、崩れかけた古い山小屋がひっそりと建っている。
外から見れば、ただの廃屋にしか見えなかった。
だが中に入ると、思ったよりも綺麗に整えられていた。
小さな机。
古びた寝台。
暖炉の横には、わずかな食料と水が置かれている。
豪華さはない。
それでも、誰かが必死に守ってきた場所なのだと分かった。
「ミレオ様!」
小屋の奥から、一人の男が駆け寄ってきた。
五十を過ぎたばかりの男だった。
背は高く、年齢のわりに体はしっかりしている。灰色の混じった黒髪を後ろへ撫でつけ、深い皺の刻まれた顔には、厳しさと優しさの両方があった。
男の名はゼルマン。
ミレオの父であるバルザック王の側近だった。
「どこへ行っていたのですか!どれだけ心配したか……!」
「ごめんなさい、ゼルマン」
ミレオは小さく俯いた。
ゼルマンはそこでようやく、ノクトとライナの存在に気づいた。
見知らぬ二人を見て、すぐにミレオを庇うように前へ出る。
「あなた方は?」
「ノクトです。ただの旅人です」
ノクトはそれだけを言った。
自分が魔王殺しであることは伏せた。
余計な騒ぎになるのは避けたかった。
「アタシはライナ!たまたまザルベックに通りかかったんだけど、ミレオくんが危なかったから助けたの」
ライナは明るく名乗った。
猫人族と人間の血を引いているが、見た目はほとんど人間だった。
ゼルマンは二人の話を聞き、深く頭を下げた。
「ミレオ様を助けてくださり、感謝します」
それからゼルマンは、この国のことを話し始めた。
ザルベックは大きな国ではない。
豊かな大国に比べれば、領土も軍も小さい。
それでも民は誇りを持って暮らしていた。
小川の水は澄み、畑には季節ごとに作物が実った。
決して派手ではない。
だが穏やかで優しい国だった。
そんな国がある日突然、魔王軍に襲われた。
城は落とされ、兵は倒され、バルザック王は殺された。
今この国を支配しているのは、魔王軍の幹部だという。
「私は王を守れませんでした」
ゼルマンは悔しそうに呟いた。
「王は最後に私へ命じました。ミレオ様だけは逃がせ、と」
だからゼルマンは、今までずっとミレオを守ってきた。
王の最後の命令を守るために。
ゼルマンはミレオの前に膝をついた。
「王子。お願いですから、急に私の側からいなくならないでください。今回はこの方々のおかげで助かりました。ですが魔王軍は、子ども相手でも容赦しません」
その言葉を聞いた瞬間、ミレオの顔が歪んだ。
そして堪えていたものが一気に溢れ出した。
「どうして……」
ミレオは泣き出した。
「どうしてパパが殺されちゃったの……」
小さな拳を握り締める。
「パパはいつでも正しい人だった。弱い者いじめなんて絶対にしなかった。困っている人がいたら絶対に助けた。パパのことが嫌いな民なんて、僕は見たことがない」
涙が頬を伝う。
「どうしてそんな優しい王様が殺されなきゃいけないの?パパは何も悪いことなんてしてないのに」
ノクトは何も言えなかった。
ライナも黙ってミレオを見ていた。
「パパが魔王軍より弱かったから?だったら、この世界で一番偉いのは力の強い人なの?」
ミレオの声が震える。
「力が弱い人は、どんな暴力にも黙って耐えるしかないの?優しい人より、悪い人の方が生きやすいの?」
ミレオは涙で濡れた顔を上げた。
「そんな国は、パパの国じゃないよ……」
その言葉にライナがそっとミレオを抱きしめた。
「分かるよ」
ライナの声は、いつもの元気な声よりずっと優しかった。
「ミレオくん、ずっと辛かったよね」
ミレオはライナの胸の中で泣いた。
ライナはその背中をゆっくり撫でる。
「でもね、本当に強い人って、戦いが強い人だけのことじゃないと思う」
「……え?」
「誰かのために怒れる人。困っている人を見捨てない人。自分が怖くても、ちゃんと前に出られる人。そういう人も、すごく強いんだよ」
ライナは少しだけ笑った。
「だからミレオくんのパパは、きっと誰よりも強い人だったんだと思う」
ミレオはまた泣いた。
けれど今度の涙は、さっきまでの絶望だけではなかった。
少しだけ心の奥に残っていたものを吐き出すような涙だった。
ゼルマンは黙って目を伏せていた。
ノクトも何も言わなかった。
言えるはずがなかった。
世界をこんなふうにしたのは、自分の父だ。
そして今の世界をさらに壊しているのは、自分の兄だ。
目の前で泣いている少年に、いったいどんな顔をすればいいのか分からなかった。
けれど一つだけ、はっきりと思った。
この国を救いたい。
この少年の涙を、これ以上見たくない。
しばらくして、ミレオはようやく泣き止んだ。
泣き疲れた顔をしていたが、少しだけ表情は柔らかくなっていた。
そしてどうやら、すっかりライナに懐いたらしい。
「ライナお姉ちゃん」
「ん?」
「僕もお姉ちゃんみたいに強い魔法を使いたい!」
ミレオの目が少し輝いていた。
「どうやったら、あんな火のライオンを出せるの?」
「火のライオン?」
ゼルマンが反応した。
「それはもしや、猫人族に伝わる奥義魔法ではありませんか?」
「あ、はい。アタシには猫人族の血が少し混じってるんです。クウォーターなんですけどね」
「そうでしたか……」
ゼルマンの表情が、一瞬だけ曇った。
ほんのわずかな変化だった。
ノクトは気づいたが、何も言わなかった。
「お姉ちゃんの魔法、めちゃくちゃかっこよかった!」
ミレオは興奮した様子で言った。
「僕もあんな魔法が使いたい!あんな魔法が使えたら、パパやママを守れたかもしれない!」
ライナは少し困ったように笑った。
「ミレオくん、自分のマナが何属性か知ってる?」
「それが分からなくて……」
「火属性だよ」
ノクトが静かに言った。
ミレオとライナが同時にノクトを見る。
ゼルマンも驚いた顔をした。
「どうして分かるのですか?」
「マナの色です」
ノクトはミレオを見た。
「人によっては分かりにくいんですけど、ミレオくんのマナはかなり分かりやすい。火属性です」
「じゃあ、ライナお姉ちゃんと一緒?」
「そうなるな」
「やった!」
ミレオは嬉しそうに笑った。
ライナも笑う。
「じゃあアタシが教えられるかもね。あと、ライナでいいよ。お姉ちゃんでもいいけど!」
「じゃあライナ!」
「うん!」
ライナは次にノクトを見た。
「ノクトってすごいね。魔法を使わずにあんな大人数を倒すし、マナの色も分かるし」
「剣術には少し自信があるだけだ」
「少しって感じじゃなかったよ」
ライナは呆れたように言った。
ミレオもノクトへ身を乗り出す。
「お兄さんの剣さばき、すごかった! どうやったらあんなに強くなれるの?」
「それは……」
ノクトは言葉に詰まった。
思い出したくない過去がある。
倒れても立たされ、泣いても剣を握らされ、死にかけても終わらなかった訓練の日々。
強くなるためというより、生き残るための日々だった。
「思い出したくないくらい、しんどい練習かな」
ノクトは小さく言った。
だがミレオは怯まなかった。
「僕にもそれを教えてほしい!」
「え?」
「もっと強くなりたいんだ!」
ミレオは真っ直ぐノクトを見た。
「だから今日から、僕の師匠になってほしい。ノクトも、ライナも!」
ノクトは困ったように黙った。
「でも……」
「いいじゃん、いいじゃん!」
ライナが明るく言った。
「ノクトも急いでるわけじゃないんでしょ? ならミレオくんに付き合ってあげようよ!」
「簡単に言うなよ」
「でも、放っておけないでしょ?」
ノクトは言い返せなかった。
確かにその通りだった。
ミレオはまだ弱い。
何も守れないかもしれない。
けれど、誰かを守りたいと思う心だけは本物だった。
「……少しだけなら」
ノクトがそう言うと、ミレオの顔がぱっと明るくなった。
「本当!?」
「ああ。ただし、きついからな」
「大丈夫!僕、頑張る!」
「アタシも教えるよ!火属性なら任せて!」
「ありがとう、ライナ!」
こうしてノクトとライナは、しばらくザルベックに滞在することになった。
ノクトは剣を教えた。
ライナは火属性のマナの扱い方を教えた。
ミレオは何度も転び、何度も失敗した。
それでも立ち上がった。
父の国を取り戻すために。
もう二度と、大切な人を失わないために。
小さな王子の中に、消えかけていた火が灯り始めていたのだった。
ぜひポイント評価、ブックマーク登録をよろしくお願い致します。




