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魔王殺しノクト(旧救世の闇魔法)  作者: 藤原 光希
ザルベック解放編

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28/102

28話 小さな王子の誓い

お読み頂きありがとうございます。

 ミレオの礼服は、少し大きすぎた。


 袖も、肩も、裾も。


 まだ彼の体には合っていない。


 歩くたびに、長い裾が絨毯の上を引きずった。


 それでもミレオは足を止めなかった。


 棺の前に立つ。


 父の棺。


 ゼルマンの棺。


 その二つを見つめたあと、ミレオはゆっくりと振り返った。


 視界いっぱいに、黒布を巻いた人々が広がっている。


 農夫。


 職人。


 兵士。


 ヴェルノア学園の生徒たち。


 親を失った子ども。


 子を失った親。


 誰もがミレオを見ていた。


 喉が、きゅっと締めつけられる。


 言葉を出そうとするたびに、何かが胸の奥で引っかかった。


 怖い。


 逃げたい。


 今すぐゼルマンの後ろに隠れたい。


 けれど、そのゼルマンはもういない。


 もう自分の前に立ってくれる人はいない。


 その時だった。


 人々の中に、ライナの姿が見えた。


 ライナは何も言わなかった。


 ただ、ミレオをまっすぐ見つめている。


 そして小さく頷いた。


 だいじょうぶ。


 ミレオなら、できるよ。


 そんな声が、聞こえた気がした。


 ミレオは震える息を吸った。


 泣きそうになるのを必死にこらえ、唇を開く。


「……僕は、ミレオ・バルネスです」


 自分の声が、自分のものではないみたいだった。


 けれど、その声は広場の奥まで届いていた。


「この国の、王様の……息子です」


 人々の視線が、さらに集まる。


 ミレオは一瞬、逃げ出したくなった。


 だが、ここで背を向けたら、もう二度と前を向けない気がした。


「今日は、パパ……バルザック・バルネス王と、ゼルマン・グロイス卿のための国葬です」


 ミレオは二つの棺を見る。


 父の棺は空だった。


 ゼルマンの棺は、すぐそこにある。


 どちらも、もう声を返してはくれない。


「でも、それだけじゃありません」


 ミレオは、名前の札で埋め尽くされた板へ視線を移した。


「ここに名前が書かれている人たち……そして、まだ名前が分からないままの人たち」


 声が震える。


 それでも続けた。


「魔王軍に家を焼かれて、殺されて、奪われていった、ザルベックのみんなのための葬式です」


 その言葉に、広場のあちこちから嗚咽が漏れた。


 愛する者の名前を、あの板に見つけた人たち。


 もう二度と帰ってこない背中を思い出した人たち。


 誰かが口元を押さえ、誰かが肩を震わせる。


「僕は、王様の息子です」


 ミレオは自分の胸に手を当てた。


「でも同時に、みんなの息子でもあります」


 その言葉に、人々がわずかに息を呑む。


「僕は、この国に生まれて、この国で育ちました。そして、この国でたくさんのものを奪われました」


 胸の奥が痛い。


 空っぽなのに、重い。


 何か大きな石を抱えているみたいだった。


「みんなも、そうだと思います」


 ミレオは広場を見渡す。


「家族を。友達を。先生を。仲間を。大切な人を、失いました」


 ミレオの視線が、ヴェルノア学園の生徒たちへ向く。


 黒い喪章を巻いた生徒たち。


 赤く腫れた目。


 空の椅子。


 そこにかけられた制服。


 名前を呼んでも、もう誰も振り向かない。


 アルトは唇を噛み、俯いていた。


「パパとゼルマンは、僕を守るために死にました」


 ミレオの声が少しだけ詰まる。


「でも、この板に名前が書かれている人たちは……僕だけじゃない。ザルベックそのものを守ろうとして、死んでいきました」


 ミレオは拳を握った。


「だから、僕はここで約束します」


 震えていた声に、少しずつ芯が生まれていく。


「ここに刻まれた名前を、絶対に忘れません」


 広場は静まり返っていた。


「誰か一人の死も、しょうがないなんて言いません」


 ノクトは、人混みの端で息を呑んだ。


 あの小さな王子は、ほんの少し前まで泣いていた。


 怒っていた。


 自分のことを許せず、魔王の子だと責めた。


 けれど今、ミレオは民の前に立っている。


 あまりにも幼い体で、この国を背負おうとしている。


 ノクトの胸の奥が、重く沈んだ。


 自分の父が築いたもの。


 自分の兄が率いるもの。


 魔王軍。


 その存在が、この国からこれほど多くを奪った。


 自分たちさえいなければ。


 父が魔王でなければ。


 兄が魔王軍を動かしていなければ。


 目の前の棺も、名札も、泣いている人々も、なかったのかもしれない。


 ノクトはフードの奥で目を伏せた。


 母は優しい人だった。


 あんなに優しい人が、自分に託した願い。


 優しい世界。


 それは遠い夢なんかではない。


 今ここで、守らなければならないものだった。


(必ず、魔王軍を止める)


 ノクトは拳を握った。


(それが、母さんとの約束だ)


 壇上で、ミレオは再び口を開いた。


「そして……ここで死んだ人の数を、ここで終わらせます」


 人々の視線が、少年に集まる。


 ミレオは名札の板の端を見た。


 そこには、わずかな空白が残されている。


 まだ増えるかもしれない名前のための余白。


 その白さが、ミレオには耐えられなかった。


「もうこれ以上、この板に名前を書き足させません」


 ミレオの声は、もう逃げていなかった。


「僕が王様になるっていうのなら、そのための強さを全部使って、そうします」


 エリシアはじっと少年を見つめていた。


 その言葉は、甘い理想かもしれない。


 戦いが続く限り、死者は増える。


 願っただけで世界は変わらない。


 彼女はそれを知っている。


 身をもって。


 それでも、エリシアは思った。


 この子は、その現実を知らずに言っているのではない。


 知った上で、言っている。


 大切な人を奪われた。


 目の前で命を失った。


 その痛みを抱えたまま、それでも終わらせると言っている。


 幼い王子の背中は、小さい。


 けれど、その背中は確かに前を向いていた。


「パパ。ママ。弟のリオネル。ゼルマン」


 ミレオは棺を見る。


 そして名札の板を見る。


「それから、ザルベックで死んだみんな」


 広場に、少年の声だけが響く。


「僕は、みんなが守ろうとした国を、ちゃんと国って呼べる場所に戻します」


 ミレオは涙をこらえながら続けた。


「みんながお腹いっぱいご飯を食べられて、笑って、文句を言って、それでもまた次の日も同じように朝が来る」


 ミレオの瞳が揺れる。


「そんな国にします」


 ライナの胸に、熱いものが込み上げた。


 どうして、この世界はこんなにも残酷なのだろう。


 こんなに小さな子が、こんな覚悟を持たなければならない。


 父を奪われた。


 母を奪われた。


 弟を奪われた。


 ゼルマンまで奪われた。


 ミレオに残されたものは、この国だけだった。


 ライナは怒りを感じた。


 けれど、その怒りをどこにぶつければいいのか分からなかった。


 だからただ、ミレオの言葉を聞きながら、静かに涙を流した。


「僕は、この国と、この国で死んでいったみんなに恥ずかしくない王様になります」


 ミレオは顔を上げた。


 涙でぐしゃぐしゃになった目。


 それでも、その目はまっすぐ人々を見ていた。


「亡くなった全ての人へ」


 少年は深く息を吸う。


「さよならとは言いません」


 その言葉に、広場が揺れた気がした。


「ありがとうって言わせてください」


 ミレオの声が震える。


「あと……僕は頑張るから、頑張れよって応援してください」


 子どもらしい言葉だった。


 けれど、誰よりも本気の言葉だった。


「パパ」


 ミレオの目から涙がこぼれる。


「ゼルマン……」


 そこで、声が途切れた。


 沈黙。


 誰も、すぐには何も言えなかった。


 次の瞬間、広場のあちこちからすすり泣きが聞こえた。


「父さん……」


「兄ちゃん……」


「先生……」


 誰かが大切な人の名前を呼んだ。


 誰かが顔を覆った。


 誰かが膝をついた。


 アルトは両手で顔を覆い、声を殺して泣いた。


 ノクトはフードの影で、そっと目を閉じた。


 エリシアも、何も言わなかった。


 ただ静かに、ミレオを見つめていた。


 司祭が合図を送る。


 棺の周りの四属性の灯火が、一斉に強く揺らめいた。


 火。


 風。


 土。


 水。


 それぞれの光が空へ伸び、やがて一本の筋のように重なり合う。


 その下で、人々が一人、また一人と前へ進み出た。


 手には、黄金色の麦の穂。


 それを、棺の前に置かれた大きな籠へ捧げていく。


 この国の土と陽光が育てた命の象徴。


 バルザック王が愛し、ゼルマンが守り、名もなき人々が受け継いできたもの。


 ミレオも、小さな手で麦の穂を持った。


 そして父の棺とゼルマンの棺の前に、それをそっと置いた。


「ありがとう」


 小さな声だった。


「僕、頑張るから」


 その声は、広場の喧騒に消えそうだった。


 けれど確かに、そこにあった。


 ザルベックの国葬は、死者だけのものではなかった。


 ここに立つ生者のための式でもあった。


 奪われたままでは終わらない。


 ここから取り戻す。


 その決意を、国民全員が涙と共に胸に刻みつけるための一日だった。


 鐘がもう一度鳴る。


 その音は、壊れた城壁を越え、王都の外へ広がっていく。


 麦畑へ。


 川辺へ。


 森へ。


 そして、ザルベックの空へ。


 この国は、まだ終わっていない。


 多くを失っても。


 たくさん泣いても。


 それでも、生きている者たちは前へ進む。


 ミレオ・バルネスは棺の前に立ち、もう一度だけ涙を拭った。


 小さな王子の中に、確かな火が灯っていた。

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