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魔王殺しノクト(旧救世の闇魔法)  作者: 藤原 光希
ザルベック解放編

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27/102

27話 国葬の日

今回もお読み頂きありがとうございます。

 国葬の日。


 ザルベック王都の空には、どんな旗もはためいていなかった。


 勝利の旗も。


 降伏の印も。


 魔王軍の黒旗も。


 長いあいだ城の塔に突き立てられていた魔王軍の旗は、すでに打ち倒されている。


 けれど代わりに掲げられるはずの王国旗も、今日だけは揚げられていなかった。


 今日ここにあるのは勝利ではない。


 祈りだった。


 城門前の広場には、まだ戦いの傷跡が残っている。


 崩れた石壁。


 黒く焦げた石畳。


 魔法の炎に焼かれ、瓦礫となった噴水。


 その全てが掃き清められていた。


 泥も血の跡も、できる限り洗い流されている。


 ここはザルベックの心臓だった。


 かつて祭りの日には、麦酒の樽と音楽と笑い声で溢れていた場所。


 だが今は、静寂に包まれていた。


 どこを見ても、黒い喪章が目に入る。


 喪服を持たない者は、粗末な服の腕に黒布を巻いていた。


 農夫も。


 職人も。


 兵士も。


 子どもたちも。


 誰もが同じ黒布を巻き、同じ場所を見つめている。


 広場の中央には、二つの棺が並んでいた。


 一つは、ザルベックの前王。


 バルザック・バルネスの棺。


 素朴な木材に、薄い金の帯が一周だけ巻かれている。


 荘厳ではあるが、贅沢ではない。


 その蓋の上には王家の紋章。


 中央には黄金色の麦の穂。


 そして使い込まれた一本の剣が横たえられていた。


 もう一つは、老騎士ゼルマンの棺。


 装飾のほとんどない、黒木の箱だった。


 その上に置かれているのは、磨き込まれた一振りの槍と、長い年月を戦場で歩き続けた軍靴だけ。


 バルザック王の棺の中身は空だった。


 遺体は残っていない。


 ヴァルグランの炎によって、灰となったからだ。


 それでも棺は用意された。


 ここに王がいた。


 この国を愛した人がいた。


 その事実を、誰も忘れないために。


 棺の後ろには、巨大な板がいくつも並べられている。


 そこには、びっしりと白い札が貼られていた。


 一枚一枚に、名前が書かれている。


 ザルベックで死んだ者たちの名前だ。


 兵士。


 農民。


 商人。


 職人。


 城で働いていた女中。


 門番。


 書記官。


 赤子。


 老人。


 名もない旅人。


 中には、名前すら分からない者もいた。


 名前の分からない少女。


 城壁下で倒れていた兵士。


 西門近くで見つかった老人。


 誰にも看取られずに死んだ者たちも、そこには確かに刻まれていた。


 さらに一角には、黒い学生服の袖に喪章を巻いた若者たちが整列している。


 生き残ったヴェルノア学園の生徒たちだった。


 彼らの後ろには、空の椅子がいくつも並んでいた。


 そこに座るはずだった生徒たち。


 教師たち。


 友人たちのための椅子だった。


 背もたれには、小さな名札が下げられている。


 火の授業で、誰よりも早く手を挙げた少年。


 毎朝、図書室の扉を開けるのが日課だった少女。


 落ちこぼれの生徒を最後まで見捨てなかった教師。


 ヴェルノアは多くを失った。


 だが、その名前を一つもこぼさないように。


 残された者たちは、必死にそこへ刻んでいた。


 列の中ほどで、一人の女生徒が拳を握りしめていた。


 喪章を巻いた腕の下で、指が白くなっている。


 彼女は、自分の前に置かれた空の椅子から目を逸らせなかった。


 そこに下がった名札には、短い名前が書かれている。


 フィル。


 同じクラスだった少年の名だ。


 いつも教科書をきっちり机の端に揃え、彼女の雑なノートを見ては眉をひそめていた。


 決して強い魔法使いではなかった。


 けれど魔法理論だけは誰よりもよく覚えていて、友人たちに何度も教えてくれた。


 優しい少年だった。


 それなのに、もういない。


(どうして、あんたみたいな人が死ななきゃいけないのよ……)


 彼女は泣かなかった。


 泣けば、何かが崩れてしまいそうだった。


 少し離れた場所で、アルトは静かに目を閉じていた。


 ヴェルノア学園首席の青年は、いつもよりずっと小さく見えた。


 彼の視線の先にも、いくつもの名札がある。


 教師たちの名前。


 一緒に風車を回して笑っていた友人たちの名前。


 ザイモンに喰われた者たちの名前。


 アルトは唇を噛んだ。


 どれほど強い風魔法を使えても、人は生き返らない。


 失った人たちは戻ってこない。


 その現実だけが、胸の奥に重く沈んでいた。


 広場の端で、ノクトは人混みに紛れるように立っていた。


 深くフードをかぶっている。


 ザルベックを救った英雄として呼ばれていることが、今の彼にはひどく重かった。


 彼の視線は、壇の中央から離れない。


 前王の棺。


 ゼルマンの棺。


 そして名前で埋め尽くされた板。


(……俺の家族が、この人たちから奪ったものだ)


 父が築いた魔王軍。


 兄が率いる魔王軍。


 その軍勢が村を焼き、城を落とし、抵抗した者を殺した。


 その結果が、今目の前にある。


 ノクトの胸の奥で、何かが渦を巻いた。


 それは闇魔法ではない。


 もっと生々しいものだった。


 自責。


 憎悪。


 悔しさ。


 どうしようもない痛み。


 少し離れた場所に、エリシアも立っていた。


 白いドレスの上から、黒いケープを羽織っている。


 彼女の視線もまた、棺と名札へ向けられていた。


 エリシアも魔王軍に多くを奪われた。


 家族。


 兵士。


 城。


 戻らない日々。


 憎しみは、消えていない。


 むしろ、こういう場所に立つたびに濃くなる。


 いつか必ず魔王軍を粛清する。


 滅ぼしてみせる。


 その決意は、今も彼女の中にある。


 けれど、エリシアは隣に立つノクトを一度だけ見た。


 魔王の子。


 それでも魔王軍と戦った者。


 自分が殺そうとした相手。


 今は、同じ場所を見ている相手。


 エリシアは何も言わなかった。


 ノクトも何も言わなかった。


 ただ二人は、同じ広場に立っていた。


 この日は国葬であり、追悼式だった。


 バルザック王とゼルマンという、国の象徴となる二人のための葬儀。


 そして同時に、ザルベックに生き、魔王軍によって殺された全ての者を悼む式だった。


 鐘が鳴った。


 城の塔から下ろされた古い鐘を、兵士が両手で押し揺らす。


 甲高くはない。


 けれど、よく響く音だった。


 麦畑と川辺と森から人々を集めてきた、素朴な鐘の音。


 その音が、広場の空気を静かに震わせる。


 やがて司祭が棺の前へ進み出た。


 白い衣の胸には、四つの小さな宝珠がついている。


 火。


 風。


 土。


 水。


 四属性を象徴する宝玉だった。


 棺の周りでは、四属性の灯火が揺れている。


 魔法の灯り。


 けれど、その光はどれも心許なく瞬いていた。


 その灯を支えているのは、ヴェルノアの生徒たちだった。


 彼らは額に汗を滲ませ、震える手で術式を維持している。


 魔力が足りなくなった者の肩に、隣の生徒がそっと手を置く。


 少しだけ魔力を分ける。


 灯が弱まるたび、水面に波紋が広がるように、若い魔力が重なり合っていった。


「――静まれ」


 司祭の声が、風を裂いた。


 人々のざわめきが、すっと消える。


 広場全体が、祈りの言葉を待った。


 長い祈りが捧げられた。


 亡き王へ。


 老騎士へ。


 名を残した者へ。


 名を残せなかった者へ。


 ここで生き、ここで死んだ全ての命へ。


 祈りが終わると、司祭は一歩下がった。


 代わりに前へ進み出たのは、小さな足音だった。


 ミレオ・バルネス。


 王家の礼服には、まだ慣れていない。


 袖も少し大きい。


 けれどその日だけは、少年は背筋をまっすぐに伸ばしていた。


 広場中の視線が、彼に集まる。


 ミレオの手は震えていた。


 それでも逃げなかった。


 棺の前に立つ。


 父の棺。


 ゼルマンの棺。


 その二つを見つめた瞬間、胸が潰れそうになった。


 泣きたかった。


 叫びたかった。


 ゼルマンの名前を呼びたかった。


 だが、ミレオは顔を上げた。


 エリシアの言葉を思い出す。


 人々の前に立つ時だけは、顔を上げなさい。


 民はあなたを見る。


 あなたが崩れれば、国の人々も不安になる。


 ミレオは涙を堪えた。


 そして、広場を見渡した。


「皆さん」


 少年の声が響いた。


 最初は小さかった。


 けれど、静まり返った広場には十分だった。


「今日は、父上とゼルマン。そして、魔王軍によって命を奪われた全ての人たちのために集まってくれて、ありがとうございます」


 ミレオは一度、唇を噛む。


「僕は、まだ子どもです」


 広場は静かだった。


「父上のように立派な王ではありません。ゼルマンのように強い騎士でもありません。怖いこともあります。泣きたいこともあります」


 声が震える。


 それでも、止まらなかった。


「でも、僕は逃げません」


 ミレオは拳を握った。


「父上が守ろうとしたこの国を、ゼルマンが命をかけて守ってくれたこの国を、僕はもう一度立て直したい」


 人々の中から、小さな嗚咽が漏れた。


「魔王軍に奪われたものは、戻ってきません」


 ミレオの目に涙が浮かぶ。


「亡くなった人たちは、帰ってきません」


 それでも、少年は顔を下げなかった。


「でも、僕たちは生きています」


 その言葉に、広場の誰もが息を呑んだ。


「生きている僕たちが、亡くなった人たちの名前を忘れないようにします。父上のことも、ゼルマンのことも、ここに刻まれた全ての人のことも、絶対に忘れません」


 ミレオはゆっくりと頭を下げた。


「どうか、力を貸してください」


 深く。


 深く。


 王子は民に頭を下げた。


「僕一人では、この国を背負えません。でも皆さんと一緒なら、ザルベックをもう一度、笑い声のある国にできると信じています」


 広場に沈黙が落ちた。


 誰もすぐには声を出せなかった。


 やがて、一人の老人が膝をついた。


 次に、兵士が膝をついた。


 職人が。


 農夫が。


 生徒たちが。


 広場にいる多くの者たちが、ミレオへ向かって膝をついていく。


 それは命令されたからではない。


 誰かに強いられたからでもない。


 彼らは、小さな王子の言葉に、この国の未来を見たのだ。


 ミレオはその光景を見て、必死に涙を堪えた。


 ゼルマン。


 見ていますか。


 僕はまだ弱いです。


 でも、逃げません。


 その胸の奥で、小さな決意が灯った。


 まだ頼りない。


 けれど確かな火だった。


 ノクトは人混みの端から、その姿を見ていた。


 ライナは目元を拭っている。


 アルトは静かに頭を下げている。


 エリシアもまた、ミレオの背中を見つめていた。


 ザルベックは多くを失った。


 失ったものは戻らない。


 それでも、生き残った者たちはここにいる。


 祈りの鐘が、もう一度鳴った。


 その音は、広場を越え、壊れた城壁を越え、遠くの麦畑へと響いていく。


 この国は、まだ終わっていない。


 ザルベックは、ここからもう一度始まるのだった。

一章もそろそろ終わりとなります。ぜひ最後までお楽しみ下さいませ!

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