26話 解放された国
今回もお読み頂きありがとうございます。
その頃。
ライナはアルトとミレオを連れて、ザルベック城へ向かっていた。
森を抜けても、ミレオはずっと無言だった。
小さな手を握りしめ、何度も何度も俯く。
ゼルマンはもういない。
その事実を、まだ受け入れられないでいた。
ライナも何も言えなかった。
励ませばいいのか。
抱きしめればいいのか。
それとも、そっとしておくべきなのか。
分からなかった。
ただ、ミレオの隣を歩き続けた。
やがて三人は、ザルベック城へたどり着いた。
城門は開いていた。
そこには多くの人が集まっている。
泣いている者。
抱き合っている者。
膝をつき、天へ祈っている者。
城の中には、もう魔王軍の姿はなかった。
「終わったんだ……」
ライナは小さく呟いた。
ノクトとエリシアが、六魔星を倒したのか。
それとも退かせたのか。
詳しいことは分からない。
でも、ザルベックは取り戻された。
それだけは分かった。
ミレオが城の中へ入ると、すぐに歓声が上がった。
「ミレオ様だ!」
「王子がご無事だ!」
「ミレオ様!」
人々の声が、城内に広がる。
だがミレオの表情は晴れなかった。
喜びの声が聞こえているはずなのに、彼の心には届いていないようだった。
その時、一人の男が駆け寄ってきた。
品のある服を着た、落ち着いた雰囲気の男だった。
「ミレオ!」
男はミレオを抱きしめた。
「無事でよかった……本当に、よかった」
彼の名は、レオンハルト・バルネス。
ミレオの父、バルザック・バルネスの弟だった。
つまりミレオの叔父である。
レオンハルトは心の底から安堵していた。
しかしミレオは、叔父に抱きしめられても泣きそうな顔のままだった。
「叔父上……」
その声は、ひどく小さかった。
レオンハルトはすぐに気づいた。
ミレオの隣に、ゼルマンがいないことに。
そして何かを悟ったように、表情を曇らせた。
「……そうか」
ミレオは何も言えなかった。
ただ唇を噛みしめる。
レオンハルトはミレオの肩に手を置いた。
「よく戻ってきた。今は、それだけでいい」
その言葉に、ミレオの目から涙がこぼれそうになる。
しかし彼は必死に堪えた。
レオンハルトはライナとアルトにも向き直る。
「君たちも、ミレオを守ってくれてありがとう」
「いえ……」
アルトは小さく頭を下げる。
ライナも頷いた。
「でも、ノクトは?エリシアは?」
ライナが慌てて周囲を見る。
その名前を聞いた瞬間、レオンハルトの表情が少し険しくなった。
「あの青年なら、今は城の中で眠っている」
「眠ってる?」
ライナの胸がざわつく。
「それって、どういうことですか?」
「命に別状はないと聞いている。だが、意識はまだ戻っていない」
「ノクトに何かあったんですか!?」
ライナの声が大きくなった。
周囲の人々がこちらを見る。
レオンハルトは落ち着いた声で、自分が知っていることを話した。
ノクトとエリシアは、六魔星ヴァルグランと戦ったこと。
ヴァルグランは去り、魔王軍はザルベックから退いたこと。
だがノクトは魔力を使いすぎ、今も意識を失っていること。
ライナは最後まで聞く前に叫んだ。
「ノクトが寝てる部屋はどこですか!?」
レオンハルトは頷いた。
「案内しよう」
ライナたちは、レオンハルトに連れられて城の奥へ向かった。
廊下には傷ついた兵士や民が座り込んでいる。
壊れた壁。
焦げた床。
魔王軍に支配されていた時間の深さが、そこには残っていた。
それでも人々の顔には、少しだけ光が戻っていた。
やがて、一室の前でレオンハルトが足を止めた。
「ここだ」
扉を開ける。
部屋の奥に寝台があった。
そこにノクトが眠っていた。
その隣には、椅子に腰掛けるエリシアの姿がある。
エリシアはノクトの手を握ったまま、こちらを見た。
「エリシア!」
ライナが叫ぶ。
エリシアはライナとアルト、そしてミレオの姿を確認した。
一瞬だけ、険しかった表情が緩む。
「無事だったのね」
「うん。なんとか……」
ライナはノクトの顔を見て、すぐに表情を歪めた。
「ノクトは?」
「魔力の使いすぎよ」
エリシアは短く答えた。
「魔法使いが一定の期間に使える魔力には限界がある。限界を越えて使えば、体が持たない。ノクトはそれをやったの」
「そんな……」
「それでも生きている。今は眠っているだけ」
エリシアはノクトの手をそっと握り直した。
「私の光で闇の反動は抑えている。だから、すぐに死ぬような状態ではないわ」
その言葉に、ライナは少しだけ息を吐いた。
だがミレオは、ノクトの眠る姿を見て涙をこぼした。
「また……」
声が震える。
「また誰かが、死んじゃうの……?」
ライナは胸が痛くなった。
ミレオは今日、ゼルマンを失ったばかりだ。
目の前で自分を庇って倒れた。
それなのに、今度はノクトまで眠ったまま動かない。
少年には、あまりにも残酷だった。
エリシアはミレオの様子を見て、何かを察した。
「ゼルマンは……?」
誰も答えなかった。
それが答えだった。
エリシアは目を伏せる。
そして立ち上がり、ミレオの前に膝をついた。
「ザルベックの王子」
ミレオは涙で濡れた目を向ける。
「あなたは、いずれ王になる」
「……僕には無理だよ」
「無理でも、ならなければならない時が来る」
エリシアの声は厳しかった。
だが、冷たくはなかった。
「泣くなとは言わないわ。大切な人を失って、泣かない方がおかしいもの」
ミレオは唇を噛む。
「でも、王子。人々の前に立つ時だけは、顔を上げなさい」
「顔を……?」
「ええ。民はあなたを見る。あなたが崩れれば、国の人々も不安になる」
エリシアはミレオの肩に手を添えた。
「心では泣いていていい。苦しくていい。でも人々の前では、堂々としていなさい。それが王を継ぐ者の宿命よ」
ミレオは涙を拭った。
まだ悲しみは消えない。
ゼルマンを失った痛みは、胸の奥に刺さったままだ。
それでも彼は、ゆっくりと顔を上げた。
ライナはその横顔を見て、何も言えなくなった。
少年は、たった一日であまりにも多くのものを背負わされている。
それでも、逃げようとしていなかった。
ミレオは遠くを見る。
いつか自分が背負うことになる国。
その果てしない重さを、少しだけ理解したようだった。
ノクトが目を覚まさないまま、五日が過ぎた。
その間、ライナとエリシアはザルベック城に滞在した。
アルトも城とヴェルノア学園を行き来しながら、復旧の手伝いをしていた。
ミレオは毎日、ノクトの部屋を訪れた。
泣く日もあった。
何も言わずに立ち尽くす日もあった。
それでも人前では、少しずつ顔を上げるようになっていた。
五日目の朝。
エリシアは鍛錬のため、城の外へ出ていた。
その間、ライナがノクトのそばについていた。
窓から入る朝の光が、寝台に差し込んでいる。
ノクトは静かに眠っていた。
ライナは椅子に座り、頬杖をついたまま彼を見つめていた。
「ほんと、寝すぎだよ」
小さく呟く。
「起きたら文句いっぱい言うからね」
その時だった。
ノクトのまぶたが、わずかに動いた。
「……ん」
ライナは固まった。
ノクトがゆっくり目を開ける。
ぼんやりと天井を見て、それから横にいるライナを見た。
「ライナ……?」
かすれた声だった。
「おはよう」
数秒、沈黙があった。
次の瞬間。
「ノクトが目を覚ましたぁぁぁ!?」
ライナの叫び声が、城中に響いた。
そのまま彼女はノクトに抱きつく。
「ぐえっ!」
ノクトが変な声を出した。
「痛い、痛いって……!」
「おはようじゃないよぉぉぉ!」
ライナは泣きながら叫んだ。
「どれだけ心配したと思ってるの!? 五日だよ! 五日も寝てたんだよ!?」
「五日……?」
「そうだよ! ほんとに、ほんとに心配したんだからね!」
ライナはノクトを抱きしめたまま泣いた。
ノクトは困ったように目を瞬かせる。
それでも、彼女の背中にそっと手を置いた。
「ごめん」
ライナはしばらく泣いてから、はっと顔を上げた。
「お医者さん呼んでくる!」
そう言って、部屋から飛び出していった。
それからすぐに、何人もの人が部屋へ入ってきた。
医者。
城の者。
助けられた民たち。
レオンハルト。
そしてミレオ。
部屋の中は、あっという間に人でいっぱいになった。
「目を覚ましたぞ!」
「英雄が目を覚ました!」
「ノクト様!」
ノクトは驚いて周囲を見る。
知らない人がたくさんいる。
それなのに、みんな泣いたり笑ったりしながら、自分を見ていた。
「えっと……」
ノクトは状況が分からず、困ったように笑った。
彼はこの国の英雄になっていた。
魔王軍からザルベックを取り戻すために命を懸けて戦った青年。
六魔星を退かせた男。
その噂は、五日の間に国中へ広まっていた。
ミレオはノクトのそばへ近づいた。
「ノクト……」
「ミレオ」
ノクトは少年の顔を見る。
その目元は赤かった。
ミレオは何かを言おうとして、何度も口を開いた。
だが言葉にならない。
ノクトは静かに尋ねた。
「ゼルマンさんは?」
部屋の空気が、少しだけ止まった。
ミレオの目に、また涙が浮かぶ。
それだけで、ノクトは悟った。
「……そうか」
ノクトは目を伏せる。
「俺が間に合っていれば……」
「違う」
ミレオは首を振った。
泣きながら、それでもはっきり言った。
「ゼルマンは、僕を守ってくれた。最後まで、僕のことを守ってくれたんだ」
ノクトは何も言えなかった。
ただ、深く頷いた。
その日の午後。
エリシアが部屋へ戻ってきた。
ノクトの周りに人が集まっているのを見て、少しだけ眉をひそめる。
「ずいぶん人気者ね」
ノクトは苦笑いした。
「俺もよく分かってない」
「なんで元魔王軍のあなたがここまでもてはやされるのよ。私なんて、まるで戦いの場にいなかったみたいな扱いじゃない」
「いや、エリシアもかなり助けてくれただろ」
「当然よ」
エリシアは腕を組む。
「でも気絶して寝ているだけで英雄扱いされるなんて、随分と得な話ね」
「好きで気絶したわけじゃないんだけどな……」
ノクトは苦笑いしかできなかった。
それから少し真面目な顔になる。
「俺たちは、ヴァルグランを倒せなかったんだな」
「ええ」
エリシアの表情も変わる。
「私たちが生きているのは、奴の情けよ。今は隣国ベルナールに戻っているはずだわ」
「今の俺たちじゃ、勝てないか」
「勝てないわ」
エリシアははっきり言った。
「あなたと私が組んでも、まだ厳しい。だから当分の間、この国で鍛錬させてもらうことにしたの」
「え?」
ノクトは思わず聞き返した。
「ザルベックにはヴェルノア学園があるでしょう。魔王軍に荒らされたとはいえ、優秀な教師や魔法の資料はまだ残っている」
エリシアは続ける。
「基礎から魔法をやり直すわ。あなたも歩けるようになったら鍛錬しなさい」
「俺も?」
「当たり前でしょ。特にあなたは、自分の闇魔法を制御できていない」
エリシアはノクトをじっと見る。
「それに実戦では、私とあなたが手を合わせながら戦うことになる。連携の練習もしないといけないわ」
「手を合わせながら……」
ノクトの顔が少し赤くなった。
エリシアは半目になる。
「どうしてそこで顔を赤くするのよ」
「いや、別に」
「あなたって本当にバカね」
ライナが横でにやにやしている。
「ふーん。ノクト、エリシアと手を繋ぐの意識してるんだ?」
「してない」
「絶対してるじゃん」
「してないって」
エリシアは呆れたようにため息をついた。
「先が思いやられるわ」
ノクトの回復は、驚くほど早かった。
目を覚ました翌日には、杖を支えに歩けるようになった。
そしてその日の午後には、エリシアに引っ張られて軽い実戦練習をさせられていた。
「病み上がりなんだけど」
「だから軽めにしているでしょう」
「どこが?」
「文句を言えるなら大丈夫よ」
そんなやり取りを、ライナは少し離れた場所で笑いながら見ていた。
ザルベックには、少しずつ日常が戻り始めていた。
壊れた城壁を直す人。
焼けた家を片づける人。
亡くなった者の名前を書き留める人。
傷はまだ深い。
けれど、人々は前を向こうとしていた。
魔王軍がザルベックを去って十日後。
魔王軍に殺された人々のために、国葬が開かれることになった。
バルザック王。
ゼルマン。
ヴェルノア学園の教授や生徒たち。
城の兵士。
民を守ろうとして命を落とした者たち。
そのすべてを弔うための式だった。
ノクトたちも、出席することになった。
解放された国に、ようやく祈りの時間が訪れようとしていた。
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