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魔王殺しノクト  作者: 藤原 光希
第二次ルミナリア大戦編

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138/139

138話 握り返された手

いつもお読み頂きありがとうございます!

 ノクティルは、ルシエルの額に手をかざしたまま動かなかった。


 目を閉じ、何かを探るように意識を集中させている。


 エリシアは兄の手を握り、その顔を見つめていた。


 誰も声を出さない。


 ノクティルの指先が、わずかに動いた。


 エリシアは思わず身を乗り出す。


 だが、ルシエルの目は閉じられたままだった。


「……戻ってこい」


 ノクティルが低く呟いた。


 やがて深く息を吐き、ゆっくりと手を下ろす。


 その瞬間、エリシアの手の中で兄の指が動いた。


「……兄さん?」


 瞼が震える。


 ルシエルはゆっくりと目を開け、眩しそうに顔をしかめた。


 その視線が、傍らのエリシアに止まる。


「エリ……シア……?」


 エリシアは口を開いた。


 けれど、声が出なかった。


 ずっと聞きたかった声だった。


 何度呼びかけても返事をくれなかった兄が、今、自分を見ている。


「……私よ。兄さん……」


 涙が頬を伝った。


「エリシアよ……分かる……?」


 ルシエルは小さく頷き、彼女の手を握り返した。


 弱い力だった。


 エリシアはその手を離さず、寝台のそばに膝をついた。


「よかった……目を覚ましてくれて……」


 声が詰まり、泣き崩れる。


「ずっと……待ってたの……!」


「ルシエル……」


 オーレリアが歩み寄り、震える手で息子の頬に触れた。


 ルシエルは母へ目を向ける。


「母様……」


「ええ……ここにいますよ」


 オーレリアは微笑もうとした。


 だが涙を堪えられず、寝台の縁にすがるように座り込んだ。


「もう一度……あなたの声を聞けるなんて……」


 ルシエルは泣いている二人を見つめた。


「……心配、かけたね」


 エリシアは何度も首を振った。


「いいの……兄さんが戻ってきてくれたなら……」


 ノクティルは静かに寝台から離れた。


 ノクトたちも何も言わず、三人を見守っていた。


 エリシアは兄の手を頬に押し当てた。


 この手を、何度握ってきただろう。


 返事のない日々が、胸に蘇った。


 まだ旅に出る前のことだった。


 エリシアは寝台のそばに座り、温かな布で兄の手を拭いていた。


「今日は庭の花が咲いたの。兄さんが好きだった花よ」


 ルシエルは目を閉じたまま、何も答えない。


「元気になったら、一緒に見に行きましょうね」


 指の間まで丁寧に拭き、布を置く。


 エリシアは兄の顔を見つめた。


「……兄さん」


 手を握る。


「一度だけでもいいから、返事をして……」


 俯くと、涙が寝具に落ちた。


 その肩に母の手がそっと触れる。


「エリシア。少し休みなさい」


「でも……」


「私がそばにいますから」


 オーレリアは娘の隣に座り、息子の額にかかった髪を整えた。


「今日は、エリシアがずっとお話をしてくれましたよ」


 穏やかな声だった。


 けれど、頬に触れた手が止まる。


「……あなたも、何か話してくれませんか」


 声が震えた。


 エリシアは母を見た。


 いつも自分を励ましてくれる母も、涙を流していた。


 二人は寄り添い、眠るルシエルの手を握っていた。


 あの日、動かなかった手が、今は自分の手を握り返してくれている。


「兄さん……」


 エリシアは涙の中で、ようやく笑った。


「当分は無理をしないほうがいい」


 ノクティルが声をかけた。


「意識は戻ったが、長く眠っていた身体は弱っている。ゆっくり休ませてやってくれ」


 オーレリアは涙を拭い、頷いた。


 エリシアも兄の手をそっと寝台へ戻す。


「また来るわ。今は休んでね」


「……ああ」


 今度は返事があった。


 エリシアはもう一度兄の顔を見てから、仲間たちと部屋を出た。


 ルシエルを母と医師に任せ、一行は王宮の会議室へ移った。


 席に着く前に、エリシアはノクティルへ向き直る。


「兄さんを助けてくれて、ありがとう」


 深く頭を下げた。


「あなたのしてきたことを、忘れたわけじゃない。でも兄さんを目覚めさせてくれたことには、本当に感謝しているわ」


「……ああ」


「でも、どうやったの?」


 エリシアは顔を上げた。


「グラヴィルとの戦いから、ずっと眠ったままだったのよ。どんな治療をしても、目を覚まさなかったのに……」


「幻術を使った」


「幻術で人を目覚めさせられるの?」


「ああ」


 ノクティルは自分の額に指を添えた。


「ルシエルの意識は、深い眠りの中に沈んでいた。俺はそこへ入り込み、目覚めるまで導いたんだ」


「兄さんの意識に……?」


「ああ。身体を治したわけじゃない。だから回復にはまだ時間がかかる」


 エリシアは、自分の手を見つめた。


 兄が握り返してくれた感触が、まだ残っていた。


「そんなことまで、できるのね……」


「幻術にできないことはない」


 ノクトはその言葉を聞き、ノクティルへ目を向けた。


 だが、何も言わずに席へ着いた。


 全員が腰を下ろすと、ノクティルは机に地図を広げた。


「これからの話をしよう」


 指先が地図の一点を示す。


「魔王城はここだ。俺は場所も中の構造も知っている」


「先にゼルクを倒すんだな?」


 ノクトの問いにノクティルは頷いた。


「ゼルク率いる魔王軍は、新魔王軍より兵力が多い。それにゼルク自身が強い」


「グラヴィルよりも?」


 エリシアが尋ねる。


「ああ。俺たちも、全員が無事で済むとは限らない」


 ライナとノエルの表情が引き締まった。


「だから、戦力が揃っているうちにゼルクを倒す。先にグラヴィルと戦って仲間を失えば、魔王城を攻めることすら難しくなる」


「その後で新魔王軍を倒すのね」


「そうだ。グラヴィルとネクロシアを叩く」


 ノクトは地図を見つめた。


「ゼルクを倒した後、俺たちに戦う力が残っているのか?」


「……それは、お前たち次第だ」


 ノクティルは四人の顔を見た。


「俺も力は尽くす。だが、必ず全員を守れるとは約束できない」


 会議室が静まり返った。


 ノクティルは再び地図へ目を落とす。


「城には特別な結界が張られている。普段は姿を見ることさえできない」


「どうやって中へ入るの?」


 ノエルが尋ねた。


「六魔星の俺なら結界を突破できる。中へ入ったら、一気に最上階を目指す。ゼルクはそこにいる」


 ノクトは地図に記された城を見つめた。


 その最上階に、兄がいる。


「いいか。ゼルクを倒しても、戦いは終わらない」


 ノクティルが四人を見渡した。


「その先に、グラヴィルたちが待っている。だから、誰も死ぬな」


 ライナは膝の上で拳を握った。


 ノエルは胸元のペンダントに触れていた。


「……分かった」


 ノクトが頷いた。


 ノクティルは地図を畳む。


「今日はここまでだ。休めるうちに休んでおいてくれ」


 椅子を引く音が、静かな会議室に響いた。


 エリシアたちが部屋を出ようとしたとき、ノクトは席に残ったまま口を開いた。


「ノクティル」


 呼び止められた男が振り返る。


 ノクトはその目をまっすぐに見据えた。


「少し、二人で話がしたい」

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