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魔王殺しノクト  作者: 藤原 光希
雪精王国セレナリア編

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126/139

126話 もう1人のノクト

今回は少し投稿が遅れました!いつもお読み頂きありがとうございます!

 エリシアとライナが宮殿へ入った瞬間、凍えるような冷気が二人を襲った。


 奥から氷が激しくぶつかる音が聞こえてくる。


「ノエル……!」


 二人は身体を支え合いながら、音のする方へ急いだ。


 広間へたどり着くと、無数の氷槍が宙を埋め尽くしていた。


「《氷晶障壁(ひょうしょうしょうへき)》!」


 ノエルの前に大きな氷の壁が現れる。


 次々と氷槍が突き刺さり、壁に亀裂が走った。


 砕ける前に、新たな障壁を重ねる。


 それも壊されれば、また作り直す。


 ノエルはその場から一歩も動けないまま、セラフィーヌの攻撃を防ぎ続けていた。


「ノエル!」


 エリシアの声に、ノエルが振り返る。


「二人とも、来ちゃ駄目!」


 その瞬間、氷の壁が砕け散った。


 破片の向こうから、さらに多くの氷槍が迫る。


 ノエルは両手を広げ、エリシアとライナまで覆う巨大な障壁を作った。


 激しい衝撃を受け、ノエルの身体が後ろへ滑る。


「くっ……!」


 指先が震えていた。


 呼吸も乱れている。


 それでも、両手を下ろすことはできない。


 少しでも力を緩めれば、氷槍は背後にいる二人へ届いてしまう。


 エリシアは聖剣を構えようとした。


 しかし、刀身に光は宿らない。


 握っているだけで、腕が小さく震えた。


「まだ……魔力が戻ってない」


 ライナも拳を握り締める。


 だが、小さな火花さえ出なかった。


「アタシも駄目みたい……」


 二人には、もう魔法を使う力が残っていない。


 それでも前へ出ようとしたエリシアを、ノエルが止めた。


「僕の後ろにいて」


「でも、このままではあなたがもたないわ」


「それでも守るよ」


 ノエルはセラフィーヌを見つめた。


 広間の奥に立つ彼女の周囲には、まだ数え切れないほどの氷槍が浮かんでいる。


「姉さん、もうやめよう」


「帰りなさい、ノエル」


「姉さんも一緒に帰るんだよ」


「私に帰る場所なんてない」


「あるよ」


 ノエルはすぐに答えた。


「僕がいる」


 セラフィーヌの瞳が、わずかに揺れる。


 だが次の瞬間、無数の氷槍が一斉に放たれた。


 ノエルは歯を食いしばり、障壁へ魔力を注ぎ込む。


 攻撃することはできない。


 姉のもとへ近づくことさえできない。


 ただ仲間を守るために、壊れかけた氷の壁を支え続けた。


 その頃、ノクトは宮殿の奥にある部屋で、壁の向こうから響く音を聞いていた。


 氷が砕ける音。


 ノエルの声。


 その合間にエリシアとライナの声も聞こえる。


「みんな……来てくれたのか」


 ノクトは床に手をつき、何度も立ち上がろうとした。


「行かないと……」


 だが、身体に力が入らない。


 仲間たちはすぐ近くにいる。


 それなのに、自分には何もできない。


 そのときだった。


 胸の奥で、何かが動いた。


「……っ」


 黒い塊が、心臓の裏側を這うようにうごめいている。


 痛みはない。


 それでも、自分の中に自分ではない何かがいる。


 その感覚だけで吐き気がした。


 黒い塊はノクトの胸から滲み出ると、足元の影へ落ちた。


 影がゆっくりと膨らみ、人の形を作っていく。


 黒い髪。


 黒い瞳。


 傷ついた顔まで同じだった。


 ノクトの目の前に、もう一人のノクトが立っていた。


「お前は……何だ」


 もう一人のノクトが、口元を歪める。


「俺は、お前の中にいるもう一人のお前だ」


「嘘をつくな」


 ノクトは目の前の自分をにらんだ。


「お前はノクティルの魔法だ」


「よく分かったな」


「お前が現れてから、俺は闇魔法を制限なく使えるようになった。偶然のはずがない」


「ああ。人間の思い込みというものは恐ろしいな」


 もう一人のノクトが笑う。


「使えないと思えば使えない。使えると思えば、今まで閉ざされていた力さえ使えるようになる」


「俺の心を騙したのか?」


「俺だけじゃない。ノクティルは、ずっと前からお前の心に触れていた」


 もう一人のノクトが一歩近づいた。


「お前は、お前の意思で父親を殺したのか?」


 ノクトの喉が詰まった。


 すぐに答えられるはずだった。


 魔王を殺したのは自分だ。


 世界を苦しめ、母を傷つけた父を、自分の意思で殺した。


 そう思って生きてきた。


 だが、ノクティルと交わした会話を思い返すたび、胸の奥に言いようのない不安が広がる。


「俺は……父さんを憎んでいた」


「そんなことは聞いていない」


 もう一人のノクトが、まっすぐにノクトを見つめる。


「お前自身が、殺すと決めたのか?」


 ノクトは答えられなかった。


「分からないんだろ?」


「黙れ……」


「父親を憎んでいたか、愛していたか。そんなことは関係ない」


 黒い影が、ノクトの足元まで伸びてくる。


「お前が何を思っていても、最後には必ず魔王を殺す。そうなるように、ノクティルはお前を仕向けていた」


 ノクトの目が見開かれた。


「俺は……ノクティルの意思で父さんを殺したのか?」


「そうだ」


「嘘だ」


「なら、あのとき何を考えていたのか思い出してみろ」


 魔王へ杖を向けたことは覚えている。


 闇魔法を放ったことも覚えている。


 父が倒れた光景も、今でもはっきりと残っている。


 だが、その瞬間に自分が何を思っていたのかだけが分からない。


 記憶をたどろうとするほど、頭の中が黒く濁っていく。


「じゃあ……母さんとの約束も、お前たちが作ったのか?」


「違う」


 もう一人のノクトの笑みが消えた。


「あの約束だけは本物だ」


「……本物?」


「母親がお前に託した言葉も、お前がそれを守りたいと思った気持ちも、誰かに作られたものじゃない」


 ノクトの胸に、母の顔が浮かぶ。


 優しい声も、触れてくれた手の温かさも覚えている。


 そして母と最期に交わした約束。この世界を優しい世界にする。その約束をノクトは決して忘れたことがなかった。


「母さんとの約束は……俺のものなんだな」


「ああ」


 もう一人のノクトが、再び笑った。


「だからこそ、利用しやすかった」


 ノクトの表情が固まる。


「ノクティルは、あの約束を利用してお前を父親のもとへ向かわせた。そして、最後の一線を越えさせた」


 壁の向こうで、氷が激しく砕けた。


 ノエルの苦しそうな声が聞こえる。


 ノクトは扉へ顔を向けた。


「行かないと……」


「行ってどうする?」


 もう一人のノクトが、ノクトの前へ回り込む。


「お前はセラフィーヌと一緒にいろ」


「……何?」


「エリシアたちのところへ戻らなくていい」


「黙れ」


「お前は最初から、あいつらと同じ場所に立てる人間じゃない」


「勝手に決めるな!」


 ノクトの叫びと同時に、再び氷の砕ける音が響いた。


「聞こえないのか?」


 もう一人のノクトが、ノクトの頭をつかんだ。


「あいつらは、お前を助けるために傷ついている。これまでも、ずっとそうだった」


「それでも、みんなは俺を……」


「仲間だと言ってくれた?」


 ノクトの言葉を遮り、もう一人のノクトが顔を近づける。


「お前が魔王を殺したからだ」


「違う」


「魔王の子でありながら、父親を倒した。その事実があったから、お前は人間たちの隣に立つことができた」


「エリシアたちは、そんな理由で俺と一緒にいるんじゃない」


「だが、お前は自分の意思で父親を殺したわけじゃない」


 ノクトは言い返そうとした。


 しかし、声が出なかった。


「なら、お前に何が残る?」


 黒い手がノクトの胸に触れる。


「英雄でもない。救世主でもない。自分の意思で父親へ立ち向かったわけでもない」


 もう一人のノクトが、静かに囁く。


「残るのは、魔王の血だけだ」


 ノクトの呼吸が浅くなる。


「セラフィーヌのそばにいろ。あの女の前なら、民衆の味方を演じる必要もない」


「俺は演じてなんか……」


「本当にそうか?」


 黒い指がノクトの胸へ沈んでいく。


「お前は魔王の子だ。どれだけ人間の側に立とうとしても、お前の中に流れている血は変わらない」


 壁の向こうから、エリシアの声が聞こえた。


「ノクト!」


 ノクトが扉へ顔を向ける。


 だが、身体は動かなかった。


「行くな」


 もう一人のノクトが、耳元で囁く。


「お前の本性は、魔王の子なんだ」


 父を憎んだ気持ちは、本当に自分のものだったのか。


 世界を救いたいと願ったことも、仲間と一緒に歩いてきたことも、自分で選んだものだったのか。


 何が本物で、何がノクティルに植えつけられたものなのか。


 考えれば考えるほど、自分が分からなくなっていく。


 ただ一つ、母と交わした約束だけが本物だった。


 その約束さえ利用されていたのなら、自分は何を信じればいいのか。


 壁の向こうで、またノエルの障壁が砕けた。


 助けに行かなければならない。


 そう思っているのに、その思いさえ本当に自分のものなのか、ノクトには分からなくなっていた。

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