120話 ノクトのもとへ
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王都を出てから数時間が過ぎた。
エリシアたちは王国騎士団を率い、雪に覆われた平原を進んでいた。
遠くに見えていた氷の宮殿が、少しずつ大きくなっていく。
エリシアは一度も足を止めなかった。
「エリシア、傷は大丈夫?」
隣を歩くライナが尋ねた。
「平気よ」
「でもエルとの戦いでかなり魔力を使ったでしょ?」
「傷ならノエルが治してくれたわ。魔力も歩いている間に少しは戻ってる」
エリシアは氷の宮殿を見つめた。
「絶対にノクトを見つけ出しましょう。きっと、あそこにいるわ」
少し後ろを歩くノエルは、不安そうにうつむいていた。
「ノクト……」
「大丈夫よ。ノクトが簡単にやられるはずがないわ」
エリシアはノエルを安心させるように笑った。
「必ずノクトを連れて帰りましょう」
「うん」
ノエルは小さくうなずいた。
しばらく進むと、平らだった雪原が途切れた。
大地には深い裂け目がいくつも走り、その間を縫うように一本の細い道が続いている。
道の両側には高い氷壁が立ち並び、長い回廊のようになっていた。
騎士団長のオルヴァンが軍を止める。
「ここから先が氷の回廊です」
エリシアは道の両側にある裂け目をのぞき込んだ。
底は暗く、どこまで続いているのか分からない。
「回り道はないの?」
「ありません。雪の下にも裂け目が隠れています。道を外れれば、軍ごと落ちる危険があります」
ライナが空を見上げた。
氷の宮殿の上空では、雪が大きな渦を巻いている。
「あの風、普通じゃないよね」
「エルの魔力よ」
一度戦ったエリシアには、すぐに分かった。
「風で空を塞いで、箒では近づけないようにしているんだわ」
ライナは首をかしげた。
「でも、ノクトは箒で宮殿まで行けたんだよね?どうしてノクトだけは簡単に近づけたの?」
「おそらく、魔王軍がわざと空を開けていたのでしょうね」
「ノクトを宮殿へ呼び込むために?」
「ええ。最初からノクトが来るのを待っていたのかもしれないわ」
「いったい、どうして……」
ライナが悔しそうに拳を握る。
オルヴァンが氷の回廊へ目を向けた。
「地上から宮殿へ向かうには、この道を通るしかありません」
「だったら、ここを突破するだけよ」
エリシアは聖剣を抜いた。
「魔王軍の思いどおりにはさせないわ」
騎士たちは盾を構え、氷の回廊へ足を踏み入れた。
高い氷壁に挟まれた道は薄暗く、兵たちの足音だけが響いている。
やがて先頭を歩いていた騎士が足を止めた。
「敵です!」
回廊を埋め尽くすほどの魔王兵が、行く手を塞いでいた。
先頭には大盾を持った兵が並び、その後ろでは弓や杖を持った兵が待ち構えている。
さらに奥にも、数え切れないほどの魔王兵が続いていた。
「ここで待ち構えていたのね」
エリシアが聖剣を握り直す。
魔王兵の後方から一斉に矢が放たれた。
無数の矢が雨のように降り注ぐ。
「《聖盾顕現》!」
エリシアの前に、巨大な光の盾が現れた。
矢が次々と光の盾へ当たり、雪の上へ落ちていく。
「今よ!」
エリシアが走り出した。
騎士たちも盾を構えたまま、そのあとへ続く。
「突撃!」
狭い回廊の中で、王国騎士団と魔王兵が正面からぶつかった。
剣と槍が激しく打ち合う。
魔王兵は大盾を隙間なく並べ、何重もの列を作っていた。
倒しても、すぐに後ろの兵が前へ出てくる。
「このままでは押し切れません!」
オルヴァンが叫ぶ。
「エリシア、アタシが崩すよ!」
ライナが魔王兵の盾へ向かって走った。
何本もの槍が一斉に突き出される。
エリシアが聖剣を横へ振り、ライナへ迫った槍をまとめて弾いた。
「お願い、ライナ!」
「任せて!」
ライナの拳を激しい炎が包む。
「《烈焔轟拳》!」
炎をまとった拳が、先頭に並ぶ大盾へ叩き込まれた。
大きな音とともに、何人もの魔王兵が後ろへ吹き飛ぶ。
固く閉ざされていた陣形に、わずかな隙間ができた。
「道を開けるわ!」
エリシアが聖剣へ光を集める。
「《天断光刃》!」
巨大な光の刃が、開いた隙間へ放たれた。
魔王兵の列が左右へ割れ、奥へ続く一本の道ができる。
「全軍、続け!」
オルヴァンの号令とともに、王国騎士たちが一斉に攻め込んだ。
魔王兵もすぐに陣形を立て直そうとする。
「今のうちよ!」
エリシアはノエルを守りながら、開いた道を走った。
ライナも二人に続く。
その途中で、傷ついた騎士がエリシアたちの前へ倒れ込んだ。
「うっ……」
腹部から血が流れている。
ノエルが足を止め、その傷へ手を当てた。
「この人を置いていけない!」
「ノエル、急いで!」
「あと少しだけ!」
淡い光が騎士の体を包み、傷口から流れていた血が止まる。
「これで大丈夫。無理に動かないで」
「ありがとうございます……」
ノエルは立ち上がり、すぐにエリシアたちを追いかけた。
三人が魔王兵の間を抜けた直後、後方にいた敵が集まり、開かれた道を塞ごうとする。
オルヴァンが敵の前に立った。
「エリシア殿!三人は先へ!」
エリシアが振り返る。
「この数をあなたたちだけで止めるつもりなの?」
「そのために我々は来たのです」
オルヴァンは剣を構えた。
「ノクト殿を助けられるのは、あなた方しかいません。ここは我々に任せてください」
騎士たちがオルヴァンの隣に並び、盾を構える。
エリシアは迷った末に、小さく頭を下げた。
「必ず戻ってきます」
「ええ。それまで、ここは一歩も通しません」
エリシアは前を向き、再び走り出した。
ライナとノエルもあとに続く。
背後から剣のぶつかる音と騎士たちの声が聞こえてくる。
ノエルが何度も振り返った。
「大丈夫かな……」
「信じよう」
ライナが前を向いたまま答える。
「あの人たちが作ってくれた道を、無駄にはできないよ」
「そうね」
エリシアは氷の宮殿を見据えた。
「私たちはノクトのところへ行く。それが今やるべきことよ」
氷の回廊を抜けると、目の前に巨大な谷が現れた。
深い谷の向こうには、氷の宮殿がそびえ立っている。
向こう側へ渡る道は、一本の氷の橋しかなかった。
「この橋を渡れば、宮殿まではあと少しだね」
ノエルが橋へ近づく。
「待って」
エリシアがノエルの腕をつかんだ。
氷の橋の中央に一人の男が立っている。
二メートルを超える巨体。
熊の毛皮を肩にまとい、その背には漆黒の外套を垂らしていた。
外套の内側は血のような深紅に染まり、胸には〈堕天の双翼〉が刻まれている。
丸太のように太い腕を胸の前で組み、武器は何も持っていなかった。
「黒翼将……」
ライナが両拳を構えた。
男から放たれる魔力を感じ、エリシアの表情が険しくなる。
「気をつけて。今までの黒翼将とは何かが違うわ」
男がゆっくりと顔を上げた。
「よく、あの大軍を抜けてきたものだ」
低い声が氷の谷に響く。
「だが、ここまでだ」
男は組んでいた腕を下ろした。
黒翼将ハーゲン=ロウ
茶色の魔力が、その巨体を包み込む。
「セラフィーヌ様の命令だ。お前たちは、ここで殺す」
ハーゲンが拳を握ると、分厚い氷の橋が大きく揺れた。
ライナは男を見つめたまま、エリシアとノエルの前へ出る。
「二人は先に行って」
「ライナ、一人で戦うつもり?」
「アタシがあいつを橋の端へ追い込む。その隙に走って」
ライナの両拳に炎が灯る。
「心配しないで。あいつを倒したら、すぐに追いつくから」
「でも、あの魔力は……」
エリシアはすぐに動けなかった。
目の前の男は、これまで戦ってきた黒翼将とは明らかに違う。
ライナを一人で残すには、あまりにも危険だった。
それでもライナは振り返らない。
「今はノクトを助けることだけ考えよう!」
炎をまとった両拳を打ち合わせる。
「行って!」
ライナは雪を蹴り、ハーゲンへ飛びかかった。
放たれた拳をハーゲンは太い腕で受け止める。
炎が大きく燃え上がり、二人の姿を包み込んだ。
「今のうちに!」
エリシアとノエルは、燃え上がる炎の横を駆け抜けた。
ハーゲンが二人へ手を伸ばす。
「行かせん!」
「相手はアタシでしょ!」
ライナの蹴りが、ハーゲンの脇腹へ突き刺さった。
「必ず追いついてよ!」
走りながら叫んだエリシアに、ライナは笑って答えた。
「もちろんだよ!」
エリシアとノエルは氷の橋を渡り、宮殿へ向かって走り続ける。
その背後では、ライナとハーゲンの拳がぶつかる音が、氷の谷に響いていた。
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