117話 セラフィーヌを守る者
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ノクトは迫り来る氷槍を見て舌打ちした。
正面だけではない。
左右の壁。背後の柱。頭上の天井。
逃げ道を塞ぐように、鋭い氷の槍があらゆる方向から迫ってくる。
ノクトは杖を床へ突き立てた。
「《黒焔旋獄》!」
黒い炎が激しく渦を巻き、ノクトの体を包み込んだ。
氷槍が黒焔へ飛び込み、次々と砕けていく。
だが全ては防ぎ切れない。
黒焔を抜けた一本がノクトの太ももをかすめた。
「くっ……!」
傷口から白い氷が広がり、右足を凍らせていく。
その隙をセラフィーヌは見逃さなかった。
床を蹴り、手にした長い槍をノクトの右肩へ突き出す。
ノクトは杖で穂先を弾いた。
すぐさま杖から黒焔を放つ。
セラフィーヌは体を回しながらかわし、その勢いのまま槍を横へ振り抜いた。
銀色の長い髪が大きく広がる。
ノクトは杖で槍を受け止めた。
だが、凍った右足では踏ん張れない。
そのまま後ろへ押され、凍った床の上を滑っていく。
「ここでは私から逃げられないわ」
「最初から逃げるつもりなんかない!」
ノクトは凍った右足へ杖を向けた。
黒焔が燃え上がり、まとわりついていた氷だけを焼き砕く。
自由になった足で床を蹴り、セラフィーヌとの距離を一気に詰めた。
「はあっ!」
横から振るわれた杖を、セラフィーヌが槍の柄で受け止める。
激しい音と共に黒焔と冷気がぶつかり合った。
黒い炎がセラフィーヌの頬をかすめる。
同時に槍の穂先がノクトの肩を浅く切り裂いた。
二人は弾かれるように離れ、すぐに武器を構え直す。
セラフィーヌが空いている手を上げた。
ノクトの足元から何本もの氷槍が突き出す。
ノクトは走りながら、ぎりぎりでかわしていった。
右へ逃げれば右の壁から。
後ろへ下がれば背後の柱から。
どこへ動くのか、セラフィーヌには分かっているかのようだった。
それでもノクトは止まらない。
正面の氷槍を黒焔で砕き、飛び散った破片に紛れて前へ出る。
杖を大きく振り上げ、セラフィーヌの肩へ叩きつけた。
セラフィーヌは身をひねったが、完全にはかわせなかった。
「くっ……!」
黒焔をまとった杖が、氷のように青いコートを焼き裂く。
しかし、その下には薄い氷の鎧が作られていた。
杖が当たった瞬間、氷の鎧が砕ける。
セラフィーヌは衝撃に逆らわず後ろへ跳び、着地と同時に槍を突き出した。
穂先がノクトの脇腹へ迫る。
ノクトは杖で受け流した。
だが槍は止まらない。
セラフィーヌは槍を握る位置を変えながら、何度も鋭い突きを放つ。
肩。
腕。
太もも。
どれも急所からは外れていた。
殺すつもりはない。
それでも一度まともに受ければ動けなくなる。
ノクトは杖で防ぎながら、少しずつ後ろへ追い込まれていった。
「どうしたの?私を倒すのでしょう?」
「言われなくても、そのつもりだ!」
ノクトが槍を強く弾き上げる。
セラフィーヌの体が開いた。
ノクトはその懐へ入り込み、杖の先を腹へ突き込む。
セラフィーヌは寸前で体をずらしたが、衝撃までは逃がし切れなかった。
「うっ……!」
セラフィーヌが苦しそうに息を漏らす。
それでも槍を手放さず、柄の端をノクトの胸へ叩きつけた。
「がっ……!」
ノクトも大きく後ろへよろめく。
二人の間に再び距離が開いた。
杖と槍が何度もぶつかり合う。
黒焔で氷槍を砕けば、その破片が空中で止まり、ノクトの背中を狙う。
セラフィーヌの槍を弾けば、今度は天井から新たな氷槍が降ってくる。
まるで氷の宮殿そのものがノクトへ襲いかかっていた。
それでもノクトは黒焔で道を切り開き、何度もセラフィーヌのもとへたどり着く。
黒焔が氷を溶かし、冷気が黒焔を弱める。
壁が砕け、柱に大きなひびが入っていく。
美しかった広間は見る影もなく崩れていた。
それでも、どちらも相手を倒し切れない。
戦いは互角だった。
やがて二人は大きく距離を取り、同時に動きを止めた。
ノクトの服は何か所も裂け、左腕には白い霜が広がっている。
セラフィーヌのコートも黒く焼け、額から流れた血が頬を伝っていた。
二人とも肩で息をしている。
「もうやめろ」
ノクトは息を整えながら言った。
「このまま続ければ、お前だって無事じゃ済まない」
「あなたが杖を置けば、すぐに終わるわ」
「まだ分からないのかよ!」
「分かっていないのは、あなたよ!」
セラフィーヌは槍を強く握り締めた。
「どうして、そこまでルシエルの妹のもとへ戻ろうとするの?あの人では、いつかあなたを守れなくなるわ」
「俺は守ってもらうために一緒にいるんじゃない」
ノクトはまっすぐにセラフィーヌを見た。
「俺もあいつらを守りたい。だから一緒にいるんだ」
「でも、そのせいであなたが死んだらどうするの?」
「死ぬつもりはない」
ノクトは迷わずに答えた。
「あいつらと一緒に生きるために、俺は帰るんだ」
「私なら守れるわ!誰にもあなたを傷つけさせない。ずっと私のそばにいれば、何も怖くないのよ!」
「俺はそんな生き方を望んでない」
「どうして分からないの……?」
セラフィーヌの握る槍が震えていた。
水色の瞳に押し込めていた感情があふれていく。
「あなたは私じゃないと駄目なの……」
「それを決めるのはお前じゃない、俺なんだ」
ノクトは杖を構え直した。
「やっぱり力ずくで止めるしかないみたいだな」
「できるものなら、やってみなさい」
セラフィーヌの足元から細かなひびが広がった。
「やっと、あなたに会えたのよ。もう二度と手放さない」
セラフィーヌが手にしていた槍を床へ突き立てる。
「あなたをここに残すためなら、私は何だってするわ」
次の瞬間、氷の宮殿全体が大きく揺れた。
壁から氷が剥がれ落ちる。
柱からも、天井からも、透き通った氷が集まってきた。
その全てが形を変え、鋭い槍となって宙に浮かぶ。
十本や百本ではない。
見上げても数え切れないほどの氷槍が、広間を埋め尽くしていた。
「これが最後よ、ノクト」
セラフィーヌが右手を差し出す。
「杖を置きなさい。今ならまだ傷つけずに済むわ」
ノクトは自分へ向けられた無数の氷槍を見回した。
逃げ道はどこにもない。
それでも、杖を手放さなかった。
「断る」
ノクトはセラフィーヌへ杖を向けた。
「俺は仲間のところへ帰る」
「そう……」
セラフィーヌの目から迷いが消えた。
「なら、動けなくなってもらうわ」
突き立てていた槍を引き抜き、その穂先をノクトへ向ける。
「《氷槍連陣・終極――天氷葬界》!」
数え切れないほどの氷槍が、一斉に放たれた。
広間全体が青白い光に包まれる。
ノクトは杖から黒焔を放ち、正面の氷槍を次々と砕いた。
だが、止められない。
前から来る氷槍を砕いても、左右と背後から新たな槍が迫ってくる。
黒焔を抜けた一本が、ノクトの頬を切り裂いた。
続く一本が右腕へ突き刺さる。
「ぐっ……!」
傷口から氷が広がり、腕の感覚を奪っていく。
頭上から更に何十本もの氷槍が降ってきた。
このままでは防ぎ切れない。
するとノクトの胸の奥で、黒い塊が激しく脈打った。
もっと闇を使え。
全てを呑み込め。
頭の中にそんな声が響く。
ノクトはその声を振り払うように杖を強く握った。
足元に巨大な黒い魔法陣が広がっていく。
「冥印解放――漆黒龍、降臨!」
セラフィーヌの表情が変わった。
広間を覆う黒焔が集まり、一つの巨大な姿を作り始める。
長い首。
鋭い角。
全てを覆い隠すほどの大きな翼。
闇と黒焔で作られた龍が、ノクトの背後に立ち上がった。
漆黒龍が翼を広げる。
ノクトへ迫っていた氷槍が、黒い翼に次々と突き刺さった。
だが、漆黒龍の体を貫くことはできない。
大きな翼が振るわれる。
黒焔をまとった風が広がり、周囲の氷槍をまとめて吹き飛ばした。
「まだよ!」
セラフィーヌが槍を横へ振る。
砕けた氷が空中で集まり、再び無数の槍へ姿を変えた。
氷槍は左右へ分かれ、漆黒龍の翼と足へ突き刺さっていく。
刺さった場所から氷が広がり、巨大な体を凍らせ始めた。
「止まりなさい、ノクト!」
「止まるわけにはいかないんだ!」
ノクトが杖を振り上げる。
漆黒龍が大きく吠えた。
翼と足を覆っていた氷が一気に砕け散る。
開かれた口の中へ、激しい黒焔が集まっていった。
セラフィーヌも残された魔力を全て解き放つ。
手にした槍をノクトへ向けると、広間に浮かぶ氷槍がその周囲へ集まり始めた。
何重にも重なり、巨大な槍の群れとなって漆黒龍と向かい合う。
「私は……もう誰も失わない!」
「だからって、俺の生き方まで奪うな!」
セラフィーヌが槍を突き出した。
同時にノクトが杖を振り下ろす。
「行けぇぇぇ!」
漆黒龍の口から黒焔が放たれた。
巨大な波となって押し寄せる氷槍と、広間の中央で激突する。
大きな衝撃が宮殿全体を揺らした。
氷槍が黒焔を押し返す。
黒焔が氷槍を焼き砕く。
セラフィーヌは両足を踏ん張り、槍を前へ押し出した。
「ノクトは……私が守るの!」
氷槍の勢いが増す。
黒焔が押し戻され、漆黒龍の頭がわずかに上がった。
ノクトの足元にひびが走る。
それでも杖を握る手は緩めなかった。
「俺は……俺の意思で生きる!」
漆黒龍が、もう一度大きく吠えた。
黒焔の勢いが一気に増す。
氷槍の群れに大きな穴が開いた。
「っ……!」
一本。
また一本。
セラフィーヌが作り出した氷槍が、黒焔に呑み込まれていく。
やがて残っていた氷槍もすべて砕け散った。
黒焔がセラフィーヌへ迫る。
ノクトは最後の瞬間、杖を上へ向けた。
黒焔はセラフィーヌのすぐ横を通り抜け、背後の氷壁を吹き飛ばした。
それでも全ての勢いまでは逃がせない。
「きゃっ……!」
セラフィーヌの体が大きく吹き飛ぶ。
手にしていた槍が折れ、氷の破片が宙を舞った。
セラフィーヌは床を転がり、崩れかけた柱へ背中を打ちつける。
周囲に残っていた氷槍も、力を失って次々と落ちていった。
漆黒龍の姿も崩れ、黒い炎となって消えていく。
ノクトは杖を支えにして、片膝をついた。
「はあ……はあ……」
魔力を限界まで使っていた。
右腕に刺さった氷槍を引き抜くと、傷口から血が流れ落ちる。
ノクトは歯を食いしばり、もう一度立ち上がった。
セラフィーヌは柱にもたれたまま、動けずにいる。
ノクトは足を引きずりながら、その前まで歩いていった。
「俺の勝ちだ」
「まだ……終わっていないわ……」
セラフィーヌが床へ手をつく。
小さな氷の槍が作られかけたが、形になる前に砕けてしまった。
もう魔力が残っていない。
「もう戦えないだろ」
「それでも……あなたを帰すわけには……」
セラフィーヌは立ち上がろうとした。
だが、膝に力が入らない。
その体が再び床へ崩れ落ちた。
「魔王兵を王都から退かせろ」
ノクトが静かに告げる。
「できないわ……」
「そうか……」
ノクトは杖を握り直した。
これ以上戦わせないためには、意識を失わせるしかない。
狙うのは肩だ。
命を奪うつもりはなかった。
杖を振り上げる。
これで終わる。
ノクトがそう思った、その瞬間だった。
耳を打っていた風の音が、ふっと消えた。
「風階・伍《天迅(ふうかい・ご《てんじん》)》」
「っ……!」
声のした方を見るより早く、一人の男がノクトの前へ現れた。
銀色の髪。
その毛先で揺れる、弱々しい翡翠色の炎。
振り下ろした杖は、細い剣に受け止められていた。
「エル……!」
一瞬遅れて、激しい風が広間を吹き抜ける。
ノクトの体が後ろへ押し戻された。
エルはセラフィーヌを背にかばい、ノクトの前へ立っていた。
王都から全力で走り続けてきたのだろう。
息は乱れ、服のあちこちが血に染まっている。
胸に浮かぶ契約の印にも、ひびが入ったままだった。
それでも剣を握る手は少しも揺れていない。
「エル……どうして、ここに……?」
セラフィーヌが驚いたように見上げる。
「セラさんの魔力が消えかけたので、戻ってきました」
「王都は……?魔王様からの命令はどうしたの?」
「すべて置いてきました」
エルは振り返らなかった。
剣先をノクトへ向けたまま、静かに答える。
「どんな命令より、セラさんの命のほうが大切です」
エルの周囲に風が集まっていく。
「ノクトさん」
その顔にいつもの笑みはなかった。
「セラさんから離れてください」
「どけ。俺はセラフィーヌを殺すつもりはない」
「分かっています」
エルは剣を構え直した。
「それでも、あなたの前から消えるつもりはありません」
弱くなっていた翡翠色の炎が、再び大きく燃え上がる。
「自分はセラさんを守るために戻ってきたんですから」
お読み頂きありがとうございました!




