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魔王殺しノクト  作者: 藤原 光希
雪精王国セレナリア編

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111/139

111話 守るための魔法

とうとうノエルの過去編も終わりです!いつもお読み頂きありがとうございます!

 セラフィーヌが国境を越えた、その夜。


 ノエルは家の扉を見つめていた。


 外では雪が降り続いている。


「ノエル。少し休みなさい」


 マリアが声をかけても、ノエルは首を横に振った。


「姉さんが帰ってくるまで待つ」


「ほとんど眠っていないでしょう?」


「約束したんだ。全部終わったら絶対に迎えに来るって」


 部屋の奥では、白い布をかけられたアルベールが眠っている。


 ノエルは何度も、扉と父の姿を交互に見た。


「姉さん、遅いね」


「ええ……」


「道に迷ったのかな?」


「きっと帰りたくても帰れない理由があるのです」


「それなら、僕が迎えに行く」


「いけません」


 マリアはノエルの手を強く握った。


「今はここから動いてはいけません」


「でも――」


 その時だった。


 雪を踏み締める足音が、家の外から聞こえた。


 ノエルが勢いよく顔を上げる。


「姉さん?」


 扉へ駆け寄ろうとするノエルを、マリアが抱き止めた。


「待って」


 足音は一つではない。


 何人もの男たちが、家を取り囲んでいる。


「王国騎士団だ!」


 扉の向こうから、低い声が響いた。


「マリア・グラシエ、ノエル・グラシエ!王命により、二人を連行する!」


 ノエルの体が震えた。


「母さん……」


「大丈夫です。私の後ろにいなさい」


 マリアはノエルを背中へ隠し、扉へ向かって声を上げた。


「この子は何もしていません!」


「セラフィーヌ・グラシエの逃亡を助けた疑いがある!詳しい話は王宮で聞く!」


「ノエルはまだ子どもです!」


「抵抗するなら、力ずくで連行する!」


 激しい音とともに、扉が蹴破られた。


 冷たい風と雪が、家の中へ吹き込んでくる。


 五人の騎士が、剣を手に入ってきた。


「二人とも連れていけ」


「待ってください!」


 一人の騎士がノエルへ手を伸ばす。


 マリアはノエルを守るように前へ立った。


「この子には触れさせません」


「邪魔をするな」


「ノエルは何も知りません。連れていくなら、私だけにしてください」


「それを決めるのは、お前ではない」


 騎士が再びノエルへ近づく。


 マリアは震えていた。


 それでも一歩も退かなかった。


「来ないでください」


「母さん……」


「大丈夫です」


 マリアはノエルを振り返らずに言った。


「あなたは、私が守ります」


 騎士が苛立ったように剣の柄へ手をかけた。


「退け」


「退きません」


「最後の警告だ」


「この子には、何の罪もありません」


 マリアは両腕を広げ、ノエルを背中へ隠した。


「どうか、この子だけは見逃してください」


「時間の無駄だ」


 騎士が剣を抜いた。


「母さん、逃げよう」


 ノエルがマリアの服をつかむ。


「裏口から逃げるんだ。姉さんを探しに行こう」


「ノエル」


 マリアは一瞬だけ振り返った。


 その顔には、優しい笑みが浮かんでいた。


「あなたは生きるのです」


「母さんも一緒にだよ」


「ええ」


 マリアは小さくうなずいた。


 だが、その目は泣いていた。


 騎士が一気に踏み込む。


「捕らえろ!」


 別の騎士がノエルへ手を伸ばした。


「触らないで!」


 マリアはノエルを突き飛ばすように、後ろへ逃がした。


 その直後。


 騎士の剣がマリアの脇腹を斬り裂いた。


「母さん!」


 赤い血が白い服へ広がった。


 マリアの体が、床へ崩れ落ちる。


「邪魔をするからだ」


 騎士は血のついた剣を振り払い、再びノエルへ歩み寄った。


 ノエルは床へ膝をつき、マリアの体を抱き起こした。


「母さん!しっかりして!」


「ノエル……」


 マリアは苦しそうに息をしながら、ノエルの頬へ手を伸ばした。


「ごめんなさい……」


「謝らないで。すぐに治すから」


 ノエルは傷口へ両手を当てた。


「お願い……治って……」


 必死に願った。


 だが、何も起こらない。


 光も。


 温もりも。


 ノエルの手には、まだ人を癒やす力がなかった。


「どうして……」


 指の隙間から、母の血があふれてくる。


「お願いだよ……治ってよ……」


「ノエル」


 マリアは震える手で、ノエルの銀色の髪を撫でた。


「よく聞いてください」


「嫌だ」


「この国から逃げるのです」


「母さんも一緒に行こう」


「私は……もう、歩けません」


「僕が支えるから!」


 ノエルはマリアの体を持ち上げようとした。


 だが、小さな体では動かすことができなかった。


「お願いだから、立ってよ……」


「ごめんなさい」


「だから、謝らないでよ!」


 ノエルの目から涙があふれた。


「僕が弱いから、母さんを守れなかった」


「違います」


 マリアは静かに首を横へ振った。


「あなたは、何も悪くありません」


「でも、僕は何もできなかった!」


「これからできるようになればいいのです」


 騎士たちが近づいてくる。


「話は終わりだ。子どもを連れていけ」


「嫌だ……」


 ノエルはマリアを抱きしめた。


「もう誰にも触らせない」


 一人の騎士が剣を向ける。


「抵抗するな」


 その剣を見た瞬間、父が死んだ夜の光景が蘇った。


 胸を貫いた氷の槍。


 血に濡れた姉の手。


 動かなくなった父。


 そして今。


 母まで、自分の腕の中で命を失おうとしている。


 もう嫌だった。


 大切な人が傷つくところを、ただ見ているだけなのは。


「母さんに近づくな……」


 ノエルの足元から、白い霜が広がった。


「何だ?」


 床を覆った霜が、ノエルとマリアの周囲を円のように囲んでいく。


 守らなければならない。


 今度こそ。


 自分の力で。


「母さんに触るな!」


 騎士の剣が振り下ろされた。


 その瞬間、ノエルの頭の中に一つの魔法が浮かんだ。


「氷晶障壁(ひょうしょうしょうへき)!」


 ノエルの周囲に、透き通った氷の壁が生まれた。


 振り下ろされた剣が氷壁へ激突し、甲高い音を立てて弾かれる。


「なっ……!」


 氷の壁は大きく広がり、ノエルとマリアを包み込んだ。


「この子、魔法を使ったぞ!」


「壊せ!」


 騎士たちが剣を叩き込む。


 炎や風の魔法も放たれた。


 それでも氷晶の壁は、ひび一つ入ることなく攻撃を受け止めた。


 ノエル自身にも、何が起きているのか分からなかった。


 ただ、母を守れなかった悔しさだけが胸にあった。


 もっと早く、この力を使えていたら。


 自分がもっと強かったら。


 母は傷つかなかったかもしれない。


「遅いよ……」


 ノエルの涙が、氷の床へ落ちた。


「今さら使えても、遅いじゃないか……」


「いいえ」


 マリアが弱々しく首を横へ振った。


「遅くありません」


「でも、母さんを守れなかった」


「あなたは今、私を守ってくれています」


「こんなのじゃ足りないよ」


「十分です」


 マリアは苦しそうに笑った。


「誰かを傷つけるためではなく、守るための魔法」


 それは父アルベールが何度も教えてくれた言葉だった。


 力は弱い者を守るために使うもの。セラフィーヌとノエルは父にいつもそう教わった。


「あなたは、お父さんの言葉を守ったのですよ」


「母さんも守りたい」


「ええ」


「だから一緒に逃げよう」


 ノエルはマリアの手を握った。


「僕がこの壁で守るから。絶対に守るから」


 マリアは、ノエルの小さな手を握り返した。


「その力で、あなた自身を守ってください」


「一人は嫌だ」


「一人になっても、生きるのです」


「嫌だよ……」


「セラフィーヌも、きっとどこかで生きています」


「姉さん……」


「あの子は間違えてしまいました」


 マリアの目から、一筋の涙が流れた。


「それでも、あなたを愛している気持ちだけは嘘ではありません」


 氷壁の外では、騎士たちが攻撃を続けている。


「もうすぐ壊れるぞ!」


「裏へ回れ!」


 マリアにも、その声が聞こえていた。


「ノエル。今のうちに、裏口から逃げなさい」


「母さんを置いていけない」


「あなたまで捕まってしまいます」


「僕もここにいる!」


「いけません!」


 マリアは残された力を振り絞り、強い声を出した。


「あなたは生きるのです!」


 ノエルの肩が震えた。


「どうして僕だけ……」


「あなたが、私たちの大切な子どもだからです」


 マリアはノエルの頬に触れた。


「生まれてきてくれて、ありがとう」


「母さん……」


「優しいあなたのまま、生きてください」


「僕、母さんを守れなかった」


「守ってくれました」


 マリアは微笑んだ。


「最後まで、私のそばにいてくれました」


「最後なんて言わないで」


「愛しています、ノエル」


 ノエルの頬に触れていた手から、ゆっくりと力が抜けていく。


「母さん?」


 返事はなかった。


「母さん……起きてよ」


 ノエルは何度も呼びかけた。


 肩を揺らした。


 手を握った。


 それでも、マリアが目を開けることはなかった。


 氷晶の壁に、大きなひびが入った。


「もう少しだ!壊せ!」


 ノエルは母の胸へ顔を埋めた。


 ここに残りたかった。


 もう一度、その声を聞きたかった。


 守れなかった悔しさで、胸が壊れそうだった。


 それでも、母の最後の言葉を無駄にはできない。


「行ってくるね、母さん」


 ノエルはゆっくりと立ち上がった。


「僕……ちゃんと生きるから」


 氷晶の壁へ手を向ける。


 壁の一部が伸び、騎士たちの前へ新たな氷の壁を作った。


「氷晶障壁!」


 騎士たちの攻撃を防いでいる間に、ノエルは裏口から外へ飛び出した。


 雪の積もった森へ走る。


「待て!」


「逃がすな!」


 背後から炎の魔法が飛んでくる。


 ノエルは振り返り、震える手を掲げた。


「氷晶障壁!」


 透き通った氷の壁が雪原に生まれ、炎を受け止めた。


 爆発の衝撃で氷が砕ける。


 それでもノエルは走り続けた。


 何度転んでも、立ち上がった。


 涙で前が見えなくなっても、足を止めなかった。


 父もいない。


 母もいない。


 姉も帰ってこない。


 自分は誰も守れなかった。


 その悔しさを抱えたまま、それでも生きなければならなかった。


 どれほど走ったのか分からない。


 やがてノエルは、雪の中へ倒れた。


「姉さん……」


 震える手を、暗い空へ伸ばす。


「迎えに来てよ……」


 だが、その手を取ったのは、セラフィーヌではなかった。


「おい!子どもが倒れているぞ!」


 聞き覚えのある男の声がした。


 グラシエ家へ空き家を貸した、あの農夫だった。


 農夫はノエルを抱き起こし、周囲を見回す。


「どうして一人で……」


 ノエルはもう答えることができなかった。


 力を失い、男の腕の中で意識を手放す。


「大丈夫だ。必ず助ける」


 農夫はノエルを外套で包み、自分の家へ走り出した。


 その日から、ノエルは名前を隠して生きることになった。


 反逆者の息子だと知られないように。セラフィーヌ・グラシエの弟だと知られないように。


 母を守れなかった悔しさを胸の奥に抱えながら。誰かを傷つける魔法を恐れ、それでも誰かを守るための魔法だけは手放さずに。


 ノエルは農夫の家で数年過ごした後、セラフィーヌを探すために世界中を旅することに決めたのだった。

今回もお読み頂きありがとうございました!

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