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魔王殺しノクト  作者: 藤原 光希
雪精王国セレナリア編

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108/139

108話 壊れていく父

いつもお読み頂きありがとうございます!

 それから更に二か月が過ぎた。


 アルベールは殆ど家から出なくなっていた。


 最初の頃は毎朝仕事を探しに出かけていた。


 断られても、次の日には別の場所を訪ねた。


 家族を養うために、諦めるわけにはいかなかった。


 だが、何度足を運んでも結果は変わらない。


「反逆者に任せられる仕事はない」


「お前を雇えば、王宮に目をつけられる」


「二度と来るな」


 冷たい言葉を浴びせられるたびに、アルベールの足は少しずつ重くなっていった。


 ある朝。


 出かける支度を終えたアルベールは、扉の前で動けなくなった。


 外へ出ても、また追い返される。


 誰かに顔を見られれば、反逆者だと指を差される。


 そう考えただけで息が苦しくなった。


「あなた」


 背後からマリアが声をかける。


 アルベールは扉へ手を伸ばしたまま、何も答えなかった。


「今日は休みませんか?」


「……休んでいる場合ではない」


「でも、顔色が悪いです」


「働かなければ、食べていけない」


「一日くらい休んでも大丈夫です」


 マリアはアルベールの腕へそっと触れた。


「今は、体を休めてください」


 アルベールはしばらく扉を見つめていた。


 やがて、伸ばしていた手を下ろす。


「……すまない」


 その日からアルベールは外へ出なくなった。


 朝になっても、寝台から起き上がれない。


 起きたとしても、椅子に座ったまま何時間も窓の外を見つめていた。


 夜になっても眠れなかった。


 家の周りを歩く足音が聞こえるたびに、体が震えた。


 また騎士たちが来たのではないか。


 今度こそ家族まで連れていかれるのではないか。


 何度も窓から外を確かめた。


 だが、そこにあるのは雪に覆われた道だけだった。


「父さん、朝だよ」


 ノエルが声をかけても、アルベールはすぐに反応しなかった。


「……ああ」


「母さんがスープを作ってくれたよ」


「そうか」


「一緒に食べよう」


「あとで食べる」


「冷めちゃうよ」


「今は、腹が減っていないんだ」


 アルベールが食卓につかない日は増えていった。


 無理に食べても、ほとんど喉を通らない。


 マリアが作った薄いスープさえ、半分以上残してしまう。


「父さん」


 ノエルは、いつも抱えている古い本を差し出した。


「今日は読んでくれる?」


 アルベールはその本を見つめた。


 屋敷にいた頃、何度も読み聞かせた本だった。


 ノエルが好きな場面も。


 どこで笑うのかも覚えている。


「……ああ」


 アルベールは本を受け取り、ゆっくりと開いた。


 ノエルが嬉しそうに隣へ座る。


「最初から読んで」


「分かった」


 アルベールは最初の一文へ目を落とした。


 だが、文字を追うことができなかった。


 何度読もうとしても、言葉の意味が頭に入ってこない。


「父さん?」


「……すまない」


 アルベールは本を閉じた。


「今日は少し、疲れているんだ」


「そっか」


「明日、必ず読む」


「うん」


 ノエルは笑って本を受け取った。


 だが、その笑顔は少し寂しそうだった。


 また約束を守れなかった。


 その事実がアルベールの胸へ重くのしかかる。


「ノエル。水を汲みに行くわよ」


 セラフィーヌが声をかけた。


「僕も行くの?」


「一人より二人の方が早く終わるもの」


「分かった」


 ノエルは本を大切そうに抱え、セラフィーヌのあとを追った。


 二人が家を出る。


 扉が閉まる直前、セラフィーヌがアルベールを振り返った。


「父さん」


「何だ?」


「ちゃんと何か食べて」


「……分かっている」


 扉が閉ざされる。


 アルベールは、手をつけていないスープへ目を落とした。


「子どもにまで心配をかけて……私は何をしているんだ」


 スプーンを持とうとする。


 だが、手に力が入らなかった。



 昼を過ぎた頃。


 突然、家の扉が強く叩かれた。


 アルベールの肩が跳ねる。


「開けろ!」


 あの日の騎士の声が頭の中に蘇った。


 両手に冷たい鎖をかけられた感触。


 泣きそうなノエルの顔。


 魔法を解いたセラフィーヌの悔しそうな顔。


「あなた?」


 マリアが不安そうにアルベールを見る。


「騎士かもしれない」


「落ち着いてください。騎士なら、そう名乗るはずです」


「証拠を仕込まれるかもしれない。今度は君たちまで……」


「大丈夫です」


 マリアはアルベールの手を握った。


「私が見てきます」


「待て。私が行く」


 アルベールは震える足で扉へ近づいた。


 ゆっくりと扉を開ける。


 立っていたのは、この家を貸してくれた農夫だった。


 その腕には野菜の入った小さな籠が抱えられている。


「驚かせてしまいましたか?」


「……いや」


 アルベールは小さく息を吐いた。


「どうしたんだ?」


「余った芋を持ってきました」


「これ以上、世話になるわけにはいかない」


「捨てるより食べてもらった方がいいんです」


 農夫はそう言って、籠を差し出した。


 だが、その顔には以前にはなかった迷いが浮かんでいた。


「何かあったのか?」


「……村の者に、ここを貸していることが知られました」


 アルベールの表情が固まる。


「私の家にも王宮から人が来ました」


「何をされた?」


「話を聞かれただけです。ですが、妻と子供が怯えています」


 農夫は目を伏せた。


「この家を出ていけとは言いません。好きなだけ使ってください。ただ……もう、ここへは来られません」


「当然だ」


 アルベールは籠を押し返した。


「これも持って帰ってくれ」


「しかし……」


「君の家族まで危険にさらすわけにはいかない」


「グラシエ様」


「私はもう、グラシエではない」


 アルベールは力なく笑った。


「今まで助けてくれただけで十分だ。本当にありがとう」


 農夫は何かを言おうとした。


 だが結局何も言えないまま、籠を足元へ置いた。


「これだけは受け取ってください」


 深く頭を下げ、雪の中を去っていく。


 アルベールは、その背中が見えなくなるまで動かなかった。


 扉を閉めようとした時だった。


 外壁に黒い文字が書かれていることに気づく。


 ――反逆者は出ていけ。


 いつ書かれたものなのか分からない。


 アルベールは布を持ち出し、文字を消そうとした。


 何度こすっても黒い跡は残った。


 手の皮が破れ、血が滲んでもやめなかった。


「あなた、もうやめてください!」


 マリアがアルベールの腕をつかむ。


「消さなければ」


「手から血が出ています」


「子どもたちに見られる前に、消さなければならない」


「私がやりますから」


「私のせいだ!」


 アルベールが声を上げた。


 マリアの肩が震える。


 その顔を見た瞬間、アルベールは我に返った。


「……すまない」


「大丈夫です」


「君を怒鳴るつもりはなかった」


「分かっています」


「すまない」


 アルベールは、それしか言えなかった。



 夕方になると、セラフィーヌとノエルが帰ってきた。


 ノエルの頬には、小さな傷ができていた。


「その傷、どうした?」


 アルベールが尋ねる。


 ノエルは慌てて傷を手で隠した。


「転んだだけだよ」


「嘘をつくな」


「本当に転んだの」


「村の子どもに石を投げられたのよ」


 セラフィーヌが代わりに答えた。


「姉さん!」


「隠したって仕方ないでしょ」


 セラフィーヌは悔しそうに拳を握る。


「父さんが反逆者だから、ノエルも嘘つきなんだって」


「僕が父さんは悪くないって言ったから……」


 ノエルはうつむいた。


「そうしたら怒って、石を投げてきたんだ」


「魔法で追い払おうとしたら、ノエルに止められたわ」


「父さんが戦うことだけが守ることじゃないって言ってたから」


 ノエルは顔を上げた。


「僕、ちゃんと守れたよね?」


 アルベールは答えられなかった。


 胸の奥が締めつけられ、息ができなくなる。


 自分のせいで、子どもたちまで傷つけられている。


「……すまない」


 ようやく口から出たのは、その言葉だけだった。


「どうして父さんが謝るの?」


 ノエルが首を傾げる。


「父さんは悪くないんでしょ?」


「そうよ」


 セラフィーヌが強く言った。


「悪いのは、父さんを騙した人たちよ。父さんが謝る必要なんてないわ」


 アルベールは二人の顔を見ることができなかった。


「父さん?」


「少し……一人にしてくれ」


 アルベールは逃げるように奥の部屋へ入った。


 扉を閉ざし、その場へ座り込む。


 ノエルの言葉が、何度も頭の中で繰り返された。


 父さんは悪くないんでしょ。


「違う……」


 罪をでっち上げたのは自分ではない。


 国を裏切ってもいない。


 それでも、家族が苦しんでいるのは自分のせいだった。


 自分さえいなければ、マリアも、セラフィーヌも、ノエルも、こんな目には遭わなかった。


「私が帰ってこなければ……」


 あのまま死罪になっていた方が、家族のためだったのではないか。


 そんな考えが、頭から離れなくなっていた。



 数日後。


 マリアが仕事中に倒れた。


「母さん!」


 セラフィーヌの声に、アルベールが部屋から飛び出す。


 床にはマリアが横たわっていた。


 その周りには、縫いかけの服が散らばっている。


「マリア!」


 アルベールは妻の体を抱き起こした。


「大丈夫です。ただ、少し目眩がしただけで……」


「熱がある」


「少し休めば治ります」


「医者を呼ばなければ」


「そんなお金はありません」


 セラフィーヌが唇を噛む。


「私も働くわ」


「駄目だ」


 アルベールはすぐに否定した。


「どうして?」


「お前はまだ子どもだ」


「でも、このままじゃ母さんが倒れちゃう」


「駄目だと言っている!」


 アルベールの怒鳴り声が、狭い家の中へ響いた。


 ノエルが怯えたように、セラフィーヌの後ろへ隠れる。


 セラフィーヌはアルベールを睨んだ。


「だったら父さんが働いてよ!」


 全員が動きを止めた。


 セラフィーヌ自身も、自分の言葉に驚いていた。


「父さんが働けないから、母さんが無理してるんじゃない!」


「セラフィーヌ」


 マリアがたしなめる。


 セラフィーヌの目に涙が浮かんだ。


「……ごめんなさい」


 アルベールは何も言わなかった。


 責められて当然だった。


 子どもに働かせたくないと言いながら、自分は何もできていない。


「父さん、私……」


「お前の言う通りだ」


 アルベールは、ゆっくりと立ち上がった。


「私が何とかしなければならなかった」


「違うの。今のは……」


「悪かった」


 アルベールは再び部屋へ戻った。


 その背中を、セラフィーヌは追うことができなかった。



 その夜。


 アルベールは一人で食卓に座っていた。


 家族は全員、同じ部屋で眠っている。


 マリアの熱は下がっていない。


 セラフィーヌは母の手を握ったまま眠っていた。


 ノエルも不安そうに、マリアのそばへ寄り添っている。


 アルベールは長い間、三人を見つめていた。


 最初は、自分だけが死ねばいいと思っていた。


 自分がいなくなれば、家族は反逆者と暮らさずに済む。


 だが自分が死んでも、三人が反逆者の家族であることは変わらない。


 マリアは働き続け、いつか本当に倒れる。


 セラフィーヌは家族を守るために魔法を使い、罪人にされるかもしれない。


 ノエルはこれからも石を投げられ、嘘つきの子供と呼ばれ続ける。


「私だけが死んでも……三人は救われない」


 アルベールは立ち上がり、眠っている家族のそばへ歩み寄った。


 ノエルの頬に残る傷へ触れる。


 ノエルが小さく身じろぎした。


「父さん……?」


「起こしたか?」


「ううん……」


 ノエルは眠そうな目でアルベールを見た。


「父さん、一緒に寝ないの?」


「ああ。もう少ししたら眠るよ」


「約束?」


 アルベールの手が止まる。


「……約束だ」


「今度、本も読んでね」


「ああ」


 ノエルは安心したように目を閉じた。


 しばらくすると、再び小さな寝息が聞こえ始める。


 アルベールはノエルの銀色の髪を、優しく撫でた。


 その隣では、セラフィーヌの胸元から氷晶のペンダントが覗いている。


「私が守らなければ」


 誰にも聞こえない声で呟いた。


「今度こそ、父さんが守るからな」


 セラフィーヌの瞼が、わずかに動いた。


 だが、アルベールは気づかなかった。


 四人で一緒なら、誰も一人にはならない。


 もう飢えることもない。


 傷つけられることもない。


 誰にも家族を奪われない場所へ行けばいい。


 それが間違っていると考える力さえ、アルベールの心には残っていなかった。


 家族を守りたいという願いだけが、壊れた心の中で形を変えていく。


 その夜。


 アルベールは、家族と共に死ぬことを決めた。

また次回もよろしくお願いします!

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