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魔王殺しノクト  作者: 藤原 光希
雪精王国セレナリア編

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107/140

107話 帰ってきた父

いつもお読み頂きありがとうございます。

個人的にセレナリア編はお気に入りの章なので、丁寧に作っていきたいと思います!ぜひお楽しみ下さい!

 朝になってもアルベールは帰ってこなかった。


 代わりにグラシエ家の屋敷へやってきたのは、王宮から派遣された役人たちだった。


 門の前には既に大勢の人が集まっている。


 役人の一人が、グラシエ家の門へ一枚の告示を貼りつけた。


 ――アルベール・グラシエ、自らすべての罪を認める。


「嘘よ」


 告示を読んだセラフィーヌは、すぐに言い切った。


「父さんが国を裏切るはずがないわ」


「しかし、本人が罪を認めた」


 役人が冷たく答える。


「認めさせられたのよ」


「その証拠はあるのか?」


「それは……」


 セラフィーヌは答えられなかった。


 告示の下にはアルベールの署名が記されている。


 何度も見た、父の文字だった。


「これ、父さんが書いたの?」


 隣にいたノエルが不安そうに尋ねる。


「違うわ」


「でも父さんの名前があるよ」


「父さんが書いたとしても、ここに書かれていることは嘘よ」


 セラフィーヌは迷わなかった。


「父さんは私たちを守るために書いたの。きっとそうだわ」


 役人はもう一枚の書状を広げた。


「国王陛下の命により、アルベール・グラシエの爵位と役職を剥奪する。屋敷、領地、財産は、すべて王国が没収する」


 マリアの顔から血の気が引いた。


「私たちは、どうなるのですか?」


「本日の日没までに屋敷から退去していただきます」


「今日中に?」


「これは王命です」


「夫はどこにいるのですか?」


「本日の正午、北門から王都の外へ追放されます」


「命は……無事なのですね?」


「死罪は免れました」


 マリアは胸元へ手を当てた。


 それを聞けただけでも今は十分だった。


「分かりました。荷物をまとめます」


「母さん!」


 セラフィーヌが声を上げる。


「どうして言うことを聞くの?この人たちは、私たちから全部を奪おうとしてるのよ!」


「分かっているわ」


「だったら!」


「今ここで逆らえば、お父さんが守ろうとしたものまで失うことになるわ」


 マリアはセラフィーヌの肩へ手を置いた。


「ノエルを連れて部屋へ戻りなさい。必要なものだけを持ってきて」


 セラフィーヌは納得できなかった。


 それでも隣で怯えているノエルを見ると、何も言い返せなくなった。


「……行きましょう、ノエル」


 二人は手を繋ぎ、部屋へ戻った。


 すでに使用人たちも、屋敷から出るよう命じられていた。


 長く仕えていた者たちは、マリアたちへ深く頭を下げてから去っていく。


「奥様。どうか、お元気で」


「今までありがとう」


「グラシエ様が国を裏切ったなんて、私は信じません」


 そう言い残す者もいた。


 だが、誰一人としてグラシエ家に残ることは許されなかった。


 セラフィーヌは自分の部屋を見回した。


 机も、本棚も、寝台も。


 すべて置いていかなければならない。


 机の引き出しを開ける。


 その奥には氷晶を模した小さなペンダントが入っていた。


 幼い頃、アルベールから贈られたものだった。


 セラフィーヌはペンダントを首にかけ、服の下へ隠した。


「それ、持っていくの?」


 ノエルが尋ねる。


「ええ。これだけは誰にも渡さないわ」


「僕は何を持っていけばいい?」


「自分が一番大切だと思うものを持っていきなさい」


 ノエルは部屋の中を見回した。


 しばらく考えたあと、一冊の古い本を手に取る。


 アルベールが何度も読み聞かせてくれた本だった。


「これにする」


「そう」


「また父さんに読んでもらうんだ」


 セラフィーヌは答えられなかった。


 代わりに、ノエルの手を強く握った。



 正午。


 マリアたちは、わずかな荷物を抱えて王都の北門で待っていた。


 冷たい雪が静かに降り続いている。


 やがて雪の向こうから、一台の馬車が近づいてきた。


 馬車が止まり、扉が開く。


 降りてきたのは、薄汚れた服を着たアルベールだった。


 両手に鎖はない。


 だが数日前まで身につけていた立派な服も、貴族の証も失っていた。


「父さん!」


 ノエルは荷物を放り出し、アルベールへ駆け寄った。


 アルベールはその場に膝をつき、飛び込んできたノエルを強く抱きしめる。


「父さん、帰ってきた!」


「ああ」


「約束、守ってくれたんだね」


 アルベールは目を閉じた。


「ああ。約束したからな」


 セラフィーヌも、ゆっくりとアルベールの前へ歩み寄った。


「遅いわよ」


「ごめん」


「ずっと待っていたんだから」


「ああ」


「でも、ちゃんと帰ってきたから許してあげる」


 セラフィーヌはそう言うと、アルベールの胸へ顔を埋めた。


 アルベールは娘の銀色の髪を優しく撫でる。


「心配をかけたな」


 マリアもゆっくりと近づいてきた。


「あなた」


「マリア……すまない」


「謝らないでください」


「何もかも失った。屋敷も、財産も、君たちの暮らしも……」


「あなたは帰ってきてくれました」


 マリアは涙をこらえながら笑った。


「お帰りなさい」


 アルベールは何も言えなかった。


 しばらくして、震える声で答える。


「……ただいま」


 門を守る騎士が、アルベールへ告げた。


「これより先、許可なく王都へ入ることを禁ずる。命令に背けば、今度こそ死罪だ」


「分かっている」


「行け」


 重い音とともに、王都の門が閉じ始める。


 アルベールは振り返った。


 長い間、国のために働いてきた場所。


 家族と暮らしてきた屋敷も、もうあの壁の向こうにある。


 やがて門は完全に閉ざされた。


「帰りましょう」


 マリアが言った。


「……どこへ?」


 アルベールが呟く。


「四人でいられる場所へ」


 マリアは、アルベールの手を握った。


「あなたが一緒なら、そこが私たちの家です」


 アルベールは小さくうなずいた。


 四人は雪の降る道を歩き始めた。



 家族に残されたものは殆どなかった。


 そんな四人を助けたのは、かつてアルベールの政策によって救われた一人の農夫だった。


「こんな古い家しか用意できませんでしたが……」


 農夫は申し訳なさそうに鍵を差し出した。


 王都から離れた場所にある小さな空き家だった。


 壁にはひびが入り、屋根もところどころ傷んでいる。


「十分です。本当にありがとうございます」


 マリアが深く頭を下げた。


「頭を上げてください」


 農夫は慌てて言った。


「冬の道ができなければ、私の娘は薬を受け取れずに死んでいました」


 そしてアルベールをまっすぐ見た。


「あなたは、私たち家族の恩人です」


「私は国を裏切った男だ」


「私は信じていません」


 農夫は迷いなく答えた。


 だが、すぐに周囲を気にするように声を落とす。


「ただ、ここをお貸ししたことは誰にも言わないでください。私にも家族がいます」


「分かっている」


 アルベールは無理に笑った。


「本当にありがとう」


 家族はその古い家で新しい暮らしを始めた。


 以前のような使用人はいない。


 温かな料理も柔らかな寝台もない。


 それでも最初の頃は、四人でいられるだけで幸せだった。


 ノエルは毎日のように、アルベールのもとへ本を持っていった。


「父さん、これ読んで」


「ああ。あとでな」


「昨日も、あとでって言ってたよ」


「ごめん。今日は必ず読むよ」


 アルベールはそう約束した。


 だが、その約束を守れない日が少しずつ増えていった。



 それから一か月が過ぎた。


 アルベールは毎朝、仕事を探しに出かけた。


 どんな仕事でもよかった。


 家族が食べていけるだけの金を稼ぎたかった。


 だが、どこへ行っても答えは同じだった。


「反逆者を雇うわけにはいかない」


「あなたを雇ったと知られれば、店まで潰される」


「悪いが他を当たってくれ」


 以前は誰もが笑顔で頭を下げていた。


 今ではアルベールの姿を見ただけで扉を閉ざす。


 仕事を見つけられないまま、アルベールは家へ戻った。


「お帰りなさい」


 マリアは、いつも笑顔で迎えた。


「今日はどうでしたか?」


「……駄目だった」


「そうですか」


「すまない」


「あなたが謝ることではありません」


 マリアも昼夜を問わず裁縫の仕事をしていた。


 指にはいくつもの傷ができている。


 セラフィーヌは水を汲み、薪を集めた。


 ノエルも自分にできることを探して家族を手伝った。


 その日の夕食は薄い野菜のスープと、一つのパンだけだった。


 マリアがパンを四つに分ける。


 セラフィーヌは、自分の分をノエルの前へ置いた。


「姉さんの分だよ」


「私はお腹が空いてないの」


「でも……」


「いいから食べなさい」


 ノエルは困ったようにパンを見つめた。


 やがて、その半分をアルベールへ差し出す。


「父さん、これ食べて」


「それはノエルの分だ」


「僕は大丈夫」


「だが……」


「父さんが元気になったら、また困ってる人を助けられるでしょ?」


 アルベールの手が震えた。


 家族は誰も自分を責めなかった。


 だからこそ苦しかった。


「……ありがとう」


 アルベールはノエルからパンを受け取った。


 だが、口へ運ぶことはできなかった。



 その夜。


 家族が眠ったあとも、アルベールは一人で起きていた。


 暖炉の火は既に消えている。


 冷え切った部屋の中で、眠る家族を見つめる。


 傷だらけの指をしたマリア。


 弟を守るように寄り添って眠るセラフィーヌ。


 その胸元では、かつて自分が贈った氷晶のペンダントが小さく揺れていた。


 ノエルは、父に読んでもらうはずだった本を抱えて眠っている。


「私は……何のために帰ってきたんだ」


 誰も答えない。


 自分が帰ってきたせいで、家族は苦しんでいる。


 自分がいる限り、この三人は反逆者の家族と呼ばれ続ける。


 アルベールは、眠る子供たちから目をそらした。


 帰るという約束は守った。


 だが、家族を幸せにすることはできなかった。


 このまま生き続けることが、本当に家族を守ることなのだろうか。


 その問いは、夜が明けても消えなかった。

本日もお読み頂きありがとうございました!

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